狂惑の森での出会い
「道すがら、迷い込んだようだな」
〘ここはなんやの? えらい、ジメッとしとるけど〙
わらわらと湧いて出てきた盗賊団の屍が記憶に新しい中、俺達は『狂惑の森』という場所に迷い込んでいた。それに一早く気が付いたのはラナンキュラスだ。
彼女は懐から羅針盤のような物を取り出し、方角を確かめている。
「うん。方角は狂ってはいないようだ。という事は、人の心を狂わせる-というものなのかもしれないな、ここは」
狂惑の森-その名の通り、訪れる者を惑わし、狂わせる森として有名な場所であり、危険区域として認知されている。
〘ん〜。ここの魔素は変なのが混じってるのだ〜〙
〘せやなぁ。なんや、霊力に近いもんを感じるで?〙
「そりゃあまぁ、ここが地脈の合流地点だからな」
そう。これが人を惑わし、狂わせる要因である。誰もが知っている通り、生物の体には魔力が少なからず宿っている。これは空気中の魔素が体内に蓄積され、循環していった結果、生物が進化の過程で得た力である。
そして、霊力。これは魔素を生み出している源、根源的なモノで、つまり、魔素というものは霊力の副産物ということになる。
「なるほど。魔素よりも強力な力である霊力にあてられて〝酔い〟のような現象を引き起こしてしまうのだな」
「そういうことだね」
まぁ、簡単に言えばそういうことなのだ。
〘ウチらは大丈夫なんやろか? まぁ、狂ってはるエト様を見てみたい気もするんやけどな? えへへっ〙
〘む。エトはそんなにやわじゃないゾ!〙
〘もぉー、冗談やがな! 知っとるよ? そないな事〙
「この霊力酔いは、特定量以上の魔力保持者には効果が無いらしいよ。昔、そんな事を聞いた覚えがあるから」
「エト殿はここに来た事があるのか? 何やら詳しいようだが」
羅針盤を片手に、不意にラナンキュラスは問い掛けてきた。
「いや? 無いよ。ただ、ここと同じ地脈が合流してるって条件の場所には行ったことがあってね」
〘そないな事より、ラナンはん? この森はどんくらいで抜けるんや?〙
「そうだな、私も来るのは初めてだから何とも言えないが、数時間程で抜ける事が出来るとは思う」
〘むむむ〜。歩くのがおっくうなのだ〜〙
あと数時間-それを聞いたリーアは両肩をガクッと落とし、銀狼の姿になると俺の頭の上に陣取った。なんだかこの感じも久しぶりである。
〘お! なんや便利な能力やなぁ! ただ、エト様の頭の上ってのは感心せんけど〙
「いいんだよ、エイン」
〘そおか? ほなええけど〙
尚も歩みを進める。変わり映えしない光景が俺達の憂鬱感を募らせていく。先程から低位の魔獣達が機を伺っているような素振りを見せているが、生憎と俺達は狂ったりなどしない。
大方このゴブリンやらは、正気を失い惑い狂った人間達を喰い物にしているのだろう。
「ゴブリンか······。何度見ても醜いものだな」
「見た目はともかく、確かに独特の匂いがするよな。コイツら」
過去に何かあったのか、はたまた単に苦手なだけか、酷く冷めた視線と引き攣らせた表情を見せる。ラナンキュラスは相当にゴブリンという存在を嫌悪しているらしい。
近頃ではその数を相当に増やしている-なんて噂も耳にする。繁殖速度が他種族よりも秀でているからだ。ゴブリンが一匹いれば、その周囲には百匹はいると言ってもいい。
そう考えると、否応無く気味悪がってしまうのも仕方がないのかもしれない。
〘ん? ······エト様。なんや、お客さんみたいやで?〙
「······みたいだね」
なんて、誰も興味が無いであろうゴブリンについて語っていた俺達の背後に、青白く輝く魔法陣が現れる。これはリーアやベルゼ、今ではアヤも使う事が出来るエクストラスキルの『瞬間移動』だ。
つまり、何処ぞの誰かがこの場に転移して来るらしい。
「三人共、一応警戒しておいて」
〘とうっ! -っと。了解なのだ!〙
銀狼の姿から人型へと戻ったリーアを先頭に、俺の背後で三人は臨戦態勢に入る。
〘エト様? 速攻かけてええんか?〙
「いや。対処は相手を確認してからだよ。ラナンキュラスもリーアもね」
〘了解なのだゾ!〙
「心得た!」
彼女達が臨戦態勢になってから、時間にして数秒だろうか。魔法陣から現れたのは黒髪の若い女性と和服姿の男性。それと見覚えのある冒険者達だった-。
「っと。ん? ここは······狂惑の森か? どうやら少し座標がズレてしまったようだ。イメージが足りなかったのだろうか?」
「まぁ、コルネル村に寄ったのって相当前だからな。仕方ないんじゃないか? というか、大陸間の転移に成功したな。つまり-」
「あぁ。北方大陸と西方大陸間のアビスの悪魔も何者かによって討伐済み-という事だろうな」
こちらの存在に気が付いていないのか、黒髪の女性と和服姿の男性は何やらブツブツと呟きあっている。
「あれ程の存在を討伐する者が居るとは。ふふふ。中々におもしろ-······ん?」
お。気が付いたか。
不意に視線を合わせる。俺と黒髪の彼女がたった一度、ほんの一瞬視線を合わせただけで、その場の空気は一変する。
誰もその場から動けない。まるで死地のど真ん中に落とされたような重く息苦しい感覚。
堪らず背後のリーアは興奮のあまり身震いを引き起こしている。
殺気と殺気のぶつかり合い。
別に煽っているわけじゃない。争うつもりもない。ただ、相手の女性が殺気を放って来たから、殺気で応えただけだ。
単なる視線の交わりに、勝敗なんてものは無い。しかし、目の前の女性は表情を少し崩しながら半歩後退った。
「っ-。······ふふっ、ふはははっ。なるほど。凄まじいなコレは」
女性は、小刻みに震える自分の両手の平を眺めながら呟く。
いや。全くさっぱり意味がわからん。
何が「なるほど」-だ。勝手に納得されてもこちらとしては困る。
数秒の沈黙の後、俺は彼女達が何者なのかを問いかける事にした。後ろの三人は知っている。確か、リルアンツェ王国のインベルで冒険者を名乗っていたトウヤとサキ、そしてシルフィーだ。
そう言えば、ツェルニルにも居たっけ?
なんて思いながら、シルフィーの隣の男性に視線を移す。ぎこちなくポーカーフェイスを保とうとしているこの男は知らない。
ともあれ、とりあえずは目の前の女性に名乗らせるのが先だ。
「お前、何も-」
「······貴様がノーフェイスか?」
-ぅおい!! 被せて来るんじゃねえよ!
心の中で盛大に声を上げてしまった。
「はぁ······。ノーフェイスって噂の竜使いだよね? 何を根拠にそんな質問をしたのかは知らないけど、俺の名前はエト。残念だけどノーフェイスじゃないよ」
《エト。この二人、相当強いゾ。気をつけるのだ》
《うん。でも大した事は無いよ。大丈夫だから、そのまま魔力を抑えといてね》
シルフィーの隣の男性じゃないが、俺はポーカーフェイスで黒髪の女性の問いに答える。悪いが、ポーカーフェイスには自信があるのだ。半端な鑑識眼では俺の真意を見抜けやしない。
「エト······。聞かぬ名だな」
「いや、知ってる筈だぞエイル。コイツ、大陸伝書で見た覚えがある」
「大陸伝書? ······あぁ、あれか。魔法学園『魔法祭』の見出しだな」
「そーそれ。つっても···なんて言うか、デカくなってる気がするけど」
「学生なのだから、成長期なのだろう?」
「·········お前さん、ホントたまに天然入るよな」
「な、なんだと!?」
「二ヶ月やそこらで、こんなにデカくなるかよ!!」
「わ、分からないだろうが!!」
「分かるわっ!! 人体なめんな!!」
「なっ!? ななっ···な、舐めるか馬鹿者!!!」
「ほら出た天然!! 意味が違うっつーの!!!」
「············」
おい。
千鳥足並に唐突で急激な脱線。俺の後ろで大きく欠伸をするエインの気持ちが分かる。心底どうでもいい。
「ま、全く! 破廉恥な奴だ。···コホン。す、すまない。とんだ失態を見せてしまったな」
「失態じゃなくて醜態だろ-っォぶお!!?」
-スボッッ!!!
何だかよく分からないが、女性の怒りに触れたのだろう。和服姿の男性の頭部は一瞬にして土に還った。肩から下の部分が木のように地表に出ている様は、何とも残念でシュールな光景だ。不思議と男性に同情心が湧いてくる······。
「······ふう」
ふう-じゃねえよ。
「エトと言ったな。先程の様子からして、ノーフェイスには会った事が無いのだな?」
「あぁ。無いね。そもそも興味が無い」
「······ほう。興味が無い···か-ッ」
刹那-。黒髪の女性は瞬きの間に俺の懐に潜り込み、首筋に透き通る程の薄く細い長剣を押し当てた。
こんな事をされれば、リーアやエイン達が黙っちゃいない-そう思うだろうが、予備動作が見えていた俺は彼女に見えないよう、腰裏で三人へ『動くな』-そう指示を出していた。
とはいえ-
「······やはりな。顔色一つ変えず、冷や汗一つ流さない。単に動けなかった-などとは言うまい? 人という生き物は急所に得物を突きつけられると、本能的に有無を言わさず体の何処かが反応するものだ。それは予測をしていたとしても-な。しかし、貴様は全く反応を示さなかった。理由は二つ。痛みや恐怖という感覚や感情を何かしらの方法で制御出来る。もしくは、この私よりも貴様の方が〝圧倒的に強い〟-かだ」
「·········」
前言撤回。大した事は無い-そう言っていたが、今の瞬間、本能的・反射的に俺はコイツを〝本気で〟殺そうとしてしまった。
全力で漏れ出してしまいそうな殺意は強引に抑え込んだ。だから多分勘づかれちゃいない。ただ-
······コイツ。今まで出会った中で〝一番〟強い。
そう思った。リーアやニールやラグ、リンさんやアディーロ、そして師匠であるイルミ。それまでにも俺は今までに強い存在と出会い、相対してきた。
しかし、そんな存在達を尽く、そして易々と目の前の女性はたったの一撃で凌駕した。
正直、服で見えてはいないが鳥肌が立っている。
なんなんだ······コイツ。
そんな疑問が頭の中を駆け巡っている。恐怖は無い。動揺もしてはいない···と思う。それでも、目の前の存在は〝異様〟に見えた-。
「ねえ? 人違いって言ったのに、斬り掛かられる身にもなって欲しいんだけど? 近いし。何? 抱き締めて欲しいの?」
「なっ!!? ば、ばば馬鹿か貴様はっ!!!」
良かった。やっと離れてくれた。
ぐちゃぐちゃと、心の中で渦巻いていた〝何か〟が、すっと静かに消えていく。
顔を真っ赤にして、か細い長剣を鞘へと収める。胸元の襟をキュッと正しながら、ギロっと見つめる視線は先程とは違い、年相応に愛嬌に溢れている。
「で? 要件は済んだの? なら、俺達は行くけど」
「む。いや、ちょっと待て。貴様の魔力値を教えて欲しいのだが?」
「は? 魔力値? え。普通に無理だけど」
「な! 何故だ!?」
待て待て待て。そこでその驚きは意味がわからん。
「いや、誰が何処の馬の骨とも知れない輩に個人情報を言うんだよ。あんたは初対面の奴にスリーサイズを教えるの?」
「ぬぐっ···! お、教え······ない」
「だろうね。意固地になって教えるって言ってたら、本気で引いてたよ。んじゃあ、そういうことで。三人共、行くよ」
とんだ道草だ。俺は彼女に手を振り、リーア達を連れてその場を立ち去ることにした。
「はぁ。最近は変な輩が増えているのだな」
〘せやなぁ。急に斬り掛かるやなんて、非常識にも程あるで? 酷い話や。その上個人情報教えろやて? ほんに、どんな教育されたんやろな? 親の顔が見てみた-〙
-ぐちゃ······。
エインのボヤキの最中、彼女の顔に鮮血が飛び散る。唖然と見つめる先、そこには強烈な殺意に満ち溢れた黒髪の女性の瞳。そしてそんな彼女が突き立てた刃を右手で強引に握り締めるエト。
空間が歪む程の殺気をぶつけ合う二人。その場の全員が二人に畏怖し、言葉を失う······。
「貴様······。我が父と母を愚弄するこの輩を庇うつもりか」
「愚弄? ふざけんなよ。あんたが自分自身で親の教育を疑われるような事をしたからだろ? それでコイツを一方的に責めるってのはおかしいんじゃねえのかよ?」
「くっ······確かに···そうだな。私の軽率な行為が招いた。自業自得······か。すまない、エトと言ったな。今治癒薬を用意する」
「いいよ、別に。唾でもつけてりゃ時期に治る」
〘いとうないからって無茶するわぁ···。ウチのせいでごめんな?〙
エトの右手を離れた刃が鞘へと帰る。エトの傷付いた右手を心配するように、エインはそっとエトの手を取る。そんなエインにも頭を下げるエイルを、いつの間にか地面から帰ったランスロットは胡座をかきながら呆れたように見つめている。
「はぁ···。相変わらず、父親と母親の事となると見境が無いっていうか、歯止めが効かなくなるっていうか······。にしても、エト······か。この雰囲気-······ははっ。俺とした事が、随分と懐かしいもんを思い出しちまってんな。······不思議な奴だ」
そんな中、じっとエト達の事を見つめるラナンキュラスがいた。何を思っているのか、何を考えているのか、さっぱり読み取れない彼女はギュッと拳を握り締めている。
「変わったね······エーくん。昔のキミなら、相手を諭す-なんてせずに問答無用で殺してたのに······。それだけ、今のキミには支えになってくれる存在がたくさんいるんだね······」
悔しいな······。そこにきっと〝私は居ない〟んだよね-。
数分後-。
何とも慌ただしく、強烈な挨拶を終えたエトとエイル。いつしか取り持ち役と化したランスロットが皆を集め始める。
「いやぁ、まぁ色々あったけど仲良くしようじゃないの! ね?」
「先程は本当に申し訳なかった」
〘かまへんよ。ウチも言い過ぎたし〙
〘私は仲良くする気は無いゾ! コイツはエインとエトに刃を向けたのだ! 謝って済むなら······えっと···えっとぉ······〙
「リーアの言いたいことは分かったから。ね?」
皆が腰を下ろす中、一人堂々と立ち上がりエイルを指差すリーア。必死に何かに例えようとしたのだろう。そう言えば、初めて会った時も『嘘つきは魔王の始まり』-なんてよく分からない比喩表現をしてたっけ?
〘······むむむむむ〜〙
しかしまぁ、頭を撫でてやってもこれだ。全然納得していないらしい。とはいえ、先んじて聞きたい事があるのだ。そろそろ落ち着いて貰わないと困る。
「いい加減にしろよリーア。俺がいいって言ってんだ。な?」
〘ッ!!? ご、ごめんなさいなのだ!!〙
殺気混じりにリーアを諭す。可哀想だと思われるかもしれない。俺やエインの為に怒っている-というのにそこまでする必要があるのかと思われるかもしれない。
それでも多少強引でもしなければならない。俺の周りにいるのは一騎当千の猛者達ばかりなのだ。時には恐怖で抑えつけなければ、面倒な事になりかねない。
「······(仲間にも容赦無い···と。それってどうせ〝仲間の為〟なんだろ? やっぱり似てんなぁ···)」
「ん? どうかしたのか、ランスロット?」
「エイル、この坊主。しっかり覚えとけよ。俺の勘が正しかったら、コイツはきっと-」
「······待て、ランスロット。今まで貴様の勘が当たったことがあるか?」
「·········いや、ここは黙って聞くとこだろ!? 確かに俺の勘が当たったことなんて〝一度も〟無いけどな!? でも今回に限っては-」
「安心しろ。貴様の勘が無くとも忘れはしない。······この左手がな-」
「ッ-。お、お前······」
必死に隠している左手。その手が震えている事にランスロットは目を見開く。左手に装備された黒い手袋、その中の〝秘密〟を知るランスロットはすぐにエトへと視線を移す。
先程の言葉で落ち込んだ様子をみせるリヴァイアを宥めているエイン。それを優しく見つめるエト···。
「おいおい···。確かに不思議な奴だとは俺も思ったが······嘘だろ? あの坊主が〝邪神の使徒〟だってのかよ!?」
「いや、その結論付けは早計だ。単に疼いているだけだとも言える。先程の殺気···この私と対等に渡り合える存在だろうからな」
「-はぁ······。なんてこった。ここに来て『終焉を呼ぶ破滅の存在』に関係する奴に出会っちまうだなんて···。勘弁してくれ面倒臭え···」
「だからそれは早計だと言っただろう。まだ奴が関係者だと決まった訳じゃない」
そう言いながらエイルはゆっくりと左手の黒い手袋を取り外す。そこには禍々しく異色を放つ歪な刻印が刻まれていた-。
「『破滅の呪印』-。我が故郷を灰にし、父と母をなぶり殺した憎き存在が刻み残した忌まわしき刻印······」
「······十年前···だっけか。そいつ、自らを邪神の使徒って名乗ったんだろ?」
「ああ···。忘れもしない」
ランスロットの問いにエイルは深く深呼吸をし、瞳を伏せながらゆっくり小さく呟いた-。




