プロローグ
格闘技の歴史とは、格闘技団体の勃興そのものであり、格闘技暗黒の歴史とギリシア神話の英雄の様に戦い燃え尽き消えゆくファイターの物語
格闘技と武道、前者の言葉は格闘競技を主とする体系を持った技術を指し、後者の武道とは本質は殺人の技を良心の心で平和に身に着ける技術を指す。
海外では日本の武道と格闘技をひとくくりに martial arts と呼び、この一言で表されることが多く、意味の要因は「武の」「芸」と言葉で区切られ、主に西洋文化に根を持つ術技体系以外の武術、格闘技全般を指す言葉だ。
日本の格闘技の大きな挑戦への幕開けは、モハメド・アリ VS アントニオ猪木 の戦いから始まる。
ボクシング界伝説の王者モハメド・アリとプロレスこそ全ての格闘技の頂点と自負するアントニオ・猪木が1976年6月26日の異種格闘技戦から時代は激流となりテレビから格闘技情報が溢れ出て、この戦いにおいて「イノキ・アリ状態」と言う、今までに見たことがない戦いを世界に提示し、そこから異種格闘技戦を介して総合格闘技の誕生へと突き進む技術形態が芽吹き、日本でが羽ばたいた蝶の舞い上げるわずかな風が、世界へと広がり、世界市場9割の格闘業界を占めるUFFCの誕生となった。
日本の格闘技はキックボクシングのKMA-1(KING martial arts)と総合格闘技のアウグストゥス、二つの巨大団体が誕生しテレビから世間に格闘技の世界を広げた。
1993年にKMA-1(KING martial arts)が正皇会館館長・高口敦、聖王会館館長・高口功、の二つの流派の双子の武道家により、富士テレビのゴールデンタイムに全国に中継され、ヘビー級の巨漢のファイターがキックルールで戦う姿をお茶の間に提供し、日本に格闘技ブームが訪れた。
また1993年にアメリカで、グレイシアス一族が様々な格闘技の猛者や道場破りと対戦する様子を収めたビデオ"グレㇱアス柔術・イン・アクション"に触発され総合格闘技UFFCが旗揚げをしコロラド州デンバーのマクニコルス・スポーツ・アリーナで行われたが、そのころはアメリカで手探り状態の総合格闘技黎明期の興行で、まだまだ競技スポーツとして多くの課題を持った状態であった。
その一族最強の男ヒクソネ・グレイシアスを日本で鷹田信弘と戦わすべく総合格闘技イベント・アウグストゥス1が開催され、日本の総合格闘技の第一人者を自負するパンクラチオンが1993年に創設され、2000年5月26日のグレイシアス柔術最強と謡われるヒクソネ・グレイシアスとパンクラチオンの舟林との一戦で日本に本格的な総合格闘技の幕開けとなる。
日本における近代武道として江戸時代に隆盛した日本の柔術である、天神真楊流と起倒流柔道の乱取りに「崩し」という技法を加え加納治五郎が講道館柔道を創設し「投技」「固技」「当身技」の三つの技法で区分される、
「当身技」である唐手は、1901年の明治初期から沖縄の学校教育の一授業として参加し、1908年(明治41年)、沖縄県立中学校の生徒が京都武徳会青年大会において唐手の型を披露とし、このとき「嘉納治五郎も片唾を呑んで注視した」1933年(昭和8年)、唐手は大日本武徳会から、日本の武道として承認された。これは沖縄という一地方から発祥した唐手が晴れて日本の武道として認められた画期的な出来事だったが、一方でこの時、唐手は「柔道・柔術」の一部門とされ、唐手の称号審査も柔道家が行うという条件を含み、1934年には、本土に上陸して間もない唐手(空手)が大日本武徳会において柔道部門への入部が認められ、柔道部門の分類下におかれ、当時の「講道館柔道」は国内の柔術諸流派において共通試合の統一流派となり、いわば国内の徒手格闘技を統括する総合格闘技としての立場としてあった。
武芸・武術の存在は常に政治と暴力組織の影響を受ける。
講道館柔道は政治的な発言力を手に入れるために、警察に採用されるべく当時、警察の逮捕業務の手法として当身技(空手に相当する)部分を排除し「投げ技・固め技」のみで構成し直し、警察の訓練に採用され現代にいたり、学校教育の場に進出する際に固め技から「腕十字固め・裸締め」などを低年齢教育のためにけがの危険性がある技を段階的に排除し「抑え込み」「投げ技」などとして徐々に技術を特化させ『現代競技柔道』となる。
「現代競技柔道」は加納治五郎が創設した初期の「講道館柔道」とは似て非なる物になってしまう。
しかしながら加納治五郎が創設した「講道館柔道」は、講道館黎明期の柔道家の前田光世によって、1917年に南米で当時の「講道館柔道」の色合いを残した技法をブラジル人のガストン グレイシアスに伝え、80年後に最強のグレイシアス一族が日本に上陸し猛威を振るう。
また柔道から分かれた唐手(空手)は明治時代の文豪・夏目漱石の代表作の一つである「三四郎」で「講道館柔道」の宿敵で稀代の悪役として描かれ、明治時代より唐手(空手)は危険なイメージが漂う存在として世間に誕生した。
現代においても空手は「陽」と「暗」の二つの側面を持った存在として正義の空手の話、悪の空手の話と2極で描かれるのは、文豪・夏目漱石の影響所以であるがため
日本の近代格闘技は加納治五郎によって生まれ繁栄していった「講道館柔道」だが、様々な政治的な影響で徐々に技術は分化の道をたどる。
「当身技」は日本が中国と戦争するに至り、敵性語である唐手から空手へと変化し、第2次世界大戦により「柔道」「剣道」「空手」は連合国軍最高司令官総司令部であるGHQにより武道禁止令により大きく衰退した。
そして戦後の混乱期に「千日を以って初心とし、万日を以って極とす」という言葉の“心”の冠した極心空手の誕生をもって、日本武道・格闘技再建の道をたどる。
数多の格闘技の英雄が夜空の綺羅星の如く星座を織りなし、天空で輝くギリシア神話の星々の英雄の様に喜劇と悲劇を繰り広げ、 夢を持ち戦う格闘技の英雄を頂点に頂く諸流派と格闘団体が勃興を繰り返し、2019年3月31日のONEチャンピオンシップによる格闘技のメジャーリーグ誕生までの経緯を様々なファイターの戦いの足跡を辿りながら格闘技の歴史を描く物語。
では物語は1993年にKMA-1誕生から始まる格闘技ブーム到来から描かれる。
格闘技を30年以上、選手として、指導者として、格闘イベント運営者側として、様々な物語を見てきました。シンガポールからONEチャンピオンシップが2019年に日本に莫大な資本共に上陸し、日本で戦う格闘技選手にも莫大なファイトマネーが約束され、格闘技のメジャーリーグの時代に突入しました。
時代の節目として1993年から2019年までの歴史格闘技小説を書き、様々な人たちの足跡を書き留めてみたいと思います、