長峰更新1
――その日、咲は図書室で本を読んでいた。
咲の目はいつもと違い、真剣そのもので私は驚いた。
咲のこんな一面を目の当たりにするとは思わなかったからだ。
当時の私はごく普通の小学生で、クラスのリーダーには到底太刀打ちできるわけもなく平凡な人生を送っていた。
だから、昨日咲の上履きを隠したんだ。リーダーが命令したから。
ごめんねを言いたかった。だから、近づいちゃダメだって言われてたのに、咲に声をかけたの。
「咲、昨日はごめんね。あれ、私なの」
私がやった。怖くて仕方がなかったから。
本当はしてはいけないことだってわかっていたのに。私は咲に謝りたくてしょうがなかった。
――咲は振り返った。
咲は何も感じていないように私をみた。
「ごめんね」
ダメな私を許して欲しい。
でも、咲はきっと私を許さないだろう。
誰よりも強いあなたは、誰よりも人に対して厳しいから。私を徹底的に非難するんだろう。
分かってる。それでも、私は。
「――咲」
私は咲に謝ると決めたから。
ごめんなさいを。最後まで言わないと。そう思った。
「――違う。咲じゃない」
予想外の答えが返ってきた。
私はその時、初めてその目をまっすぐ見た。
きれいな茶色の目をしていた。
――それがエミとの出会いだった。
「――今日はクリスマスだってよ菊池」
千代田が朝からうるさかった。
12月25日。もう冬休みなのに、校内には部活連中が大量にいてしんどかった。人込み怖い。
「いや、クリスマスでもどうでもいいから。部活行くだけなんだよ。私たちは」
昨日は冬季部誌の原稿を印刷所にまわした。今日はビラ作りと部の予算の最終確認らしい。
ビラに関してはデザインはもう出来ているので、後は色塗りと貼りにいくだけ。
予算案は桜田先輩が「殆ど去年と一緒だからー、もう作っちゃったんだー。引継ぎがてら一緒に確認するだけー」と能天気に仰っていたので多分すぐ終わる。ああ、さっさと帰りたい。
ちなみに、今年は24日から25日にかけてやってくる某おじいさんは、我が家に来なかった。理由、親がそこまで気が回らなかった。みなまで言わせるな。
「あのさー」
千代田が若干桜田先輩風に言ってくる。というか最近なんか馴れ馴れしいよ千代田。それが度が過ぎるので、どうにもうっとうしい。
「菊池って何で自分のこと『私』って言うんだ」
千代田が訊いてきた。
「今更」
呆れた。しかも、今訊くことか?
「今更って思うようなことが、今、気になるんだよ。でもって、たまに『俺』っていうし」
それは分かるような分からないような。
困ったな。その質問はどう返せばいいのか分からない。
「あれは空気読んだんだよ」
面倒だったので、ちょっとふざけてみた。
「読んでたのかあれ」
千代田が深刻な顔をして返してきた。
冗談を鵜呑みにされるとは思ってなかった。ちょっと気落ちする。
「んなわけあるか」
否定しつつ、思う。そんなに冗談言わなさそうな顔してるんだ……私。
「あえて言うなら『私』が世界全体の中での一個人を指して、『俺』が菊池という男子高校生個人を指してる……かな」
「全然意味わからねえ」
言語化するには難しい題だったんだよ。私の語彙力ではこれが精一杯だ。
ああ、でも。
「でも、何で『私』って言い出したのは……忘れた」
忘れていいのか、そんな大事な事と千代田が突っ込む。結構しょーもない理由だったと思う。
そういえば、なんでだったか。
「えーっと昔々」
ちょっと違うな。
「桃が流れて……」
「そんな有名な話じゃねーよ。しかも、導入すっ飛ばして、メインが来てどうする」
じーさんばーさんの説明はどうした。
「いや、俺さ。昔話は桃か、ここほれわんわんしか知らねえし」
「その二つ、どっちも犬が出てくるよな」
日本の昔話って犬が好きなのか。猫の話ってそういえば知らないや。
「で、その昔話は桃じゃなくて何が出るんだ」
「ああ、出だしは確か」
小学生の頃だったか、あの本にあったのは。
「――昔、恵まれた神様がいましたって」
確か、そういう始まりだった。
――昔、恵まれた神様がいました。
その神様は全てを持っていました。美貌も知性も財も何もかも、人が欲しいであろうものは何でももっていました。
でも、その神様には名前がありませんでした。そして、自分が何者なのか分かっていませんでした。
どこからやってきたか、誰に信仰されているか、
どこの土地神なのか、何の付喪神なのか、現人神なのか。はたまた神でさえなかったのかもしれません。
神様は自分でも知らない間にそこにいました。
ただ神様は、恵まれていました。
どんな才も持っていたので、一人好き放題していました。
何の目的も持たず、ただのうのうと生きました。
どこからか村人がやってきて、『雨を降らせ』と言っても。
赤子を連れた女がやってきて、『何か食うものを』と言っても。
いつも神様は「おれはしらない」「おれにはできない」と言い捨てて、見てみぬふりをしました。
その神様は何でも出来ました。きっと雨だって降らせられる、食べ物だって無から生み出すことが出来た。
きっとどんなことだって、やろうと思えば出来ました。
でも、神様は何もしなくても死にませんでした。何も食べなくても生きていられたのです。
だから、神様には何かをするということが何か、よく分かっていなかっただけかもしれません。
ある日、近くの村の人々が神様の住処にやってきました。
そして、村人は弓矢で神を射りました。
神様の胸に刺さった弓は、村人の怒りでした。
何も叶えてくれない神様を村人は大きな穴をほって埋めました。
神様はもしかしたら神様ではなかったのかもしれません。
何者でもなかった神様は、実はただの子供だったのかもしれません。
その子は何にもなれずに埋まってしまいました。
でも、その子は土に埋まっても生き続けました。
その土の上に小枝が積もっても、その山が雪に沈んでも、その地に剣が突き刺さっても、その場所に熱い炎が燃え上がったとしても。
その子は神様だったから。そこにずっといました。
神様が何年も何十年も何百年も土に埋まって、やがて神様の体が土で茶色に染まった時、誰かが神様の土を掘り返しました。
その誰かが土の中から神様を見つけました。神様は久しぶりに太陽の光を見ました。
神様の体はなぜか小さくなっていて、まるで茶色の塊のようでした。
その誰かが問いかけました。
「お前は生きているのかい」
神様がいました。
「おれはいきている」
神様は昔とは違う低く弱った声でそういいました。
「お前は誰だい」
「おれはかみさまだ」
「神様は自分のことを俺というのかい」
「おれはおれだ。それいがいになにがある」
神様は問いました。それは神様が初めて人間に対して問うたことでした。
「この国ではとても偉い人のことを『公』という」
誰かはそんなことを言いました。
「おれはえらくない」
神様が言いました。
「おれはたったひとりだ。このせかいでたったひとりだ。だから、さびしい。ずっとこわかった」
神様はそう言いました。
「――じゃあ、お前は『私』だ」
誰かはそう言いました。
「この世界の中での一個人のことを。そのことを『私』と現す」
誰かは神様に笑いかけました。
神様は人の笑った表情をみたのは初めてでした。
神様は人と話をしたのも初めてでした。
そして神様は、その日から一人ぼっちじゃなくなりました。




