マルタ島防衛
「そろそろですわね……」
「そうだね」
イタリアーナ本土の南端の港を出港して数日。王族を極秘に乗せた一隻の船が、ある孤島へその帆先を向けていた。
その島の名はマルタ島。
イタリアーナ本土から程近い、地図で見ればケシ粒のような小島。
分厚い城壁と切り立った崖に備えられた数々の砲台を見上げながら、出迎えのはしけ舟に先導されて船は港にたどり着く。
海中に錨が下ろされ、船が固定されるとクリスティーナたちは船から桟橋を伝って港に降り立った。
王族が戦時下にわざわざこのような孤島を訪れたのはわけがある。
先日宣戦布告をおこなったトルティーアは、大軍をまずこのマルタ島に向かわせるという情報が入ったのだ。
交易でトルティーアに多数の人員を駐在させ、トルティーアの高官ともコネを持つイタリアーナは、他のどのディオス教各国よりも情報が入りやすい。
マルタ島がトルティーアの手に落ちればイタリアーナ本土は目と鼻の先。本格的な侵攻の足がかりとされてしまう。
勝率を少しでも上げるため、王族が出向いて島を防衛する騎士たちの士気を少しでも高める必要があった。
「お待ちしておりました、女王陛下、パウロ将軍」
「ヴァレッタ…… 息災のようですね」
「久しぶりだね、ヴァレッタ。腕は衰えてなさそうだ」
港で出迎えにあがった騎士の名はヴァレッタ。
七十を超えるという年齢にふさわしく、顔には船乗り特有の深いしわが刻まれており禿げ上がった頭髪も顔の下半分を埋めるひげも真っ白。
だが背は跳びぬけて高く肩幅も広い。体全体が引き締まっていて赤銅色に日焼けした体は顔とは違いまだ十二分に若々しさを感じさせた。
貴族の三男として生まれたため家督を継げなかった彼の道は、聖職者か騎士、商売人の三つしかなかった。騎士の道を選んだ彼は若いころから海に陸にと戦場を歴訪し、その戦歴を買われ今は全土がはげ山のこの孤島を要塞化しつつ、司令官としての任務を拝命していた。
「こちら、トルティーア軍の詳細な情報になります」
付き添いの文官が手渡した書状には、トルティーア軍の数から船の数、大きさに装備。指揮官の性格までが事細かに記されていた。情報国家のイタリアーナの面目躍如である。
だが読めば読むほどにこの島の状況は絶望的に思えた。
トルティーア率いるマルタ島攻略軍は約五万。それだけの兵を二百隻もの船が運んでくる。剣や弓矢や弾薬に至っては、積み込む作業だけで一週間を超す量。
それだけの戦力をこのケシ粒のような島に送り込んでくるという。
しかもコンスタンティノーポリに忍ばせているスパイからの報告なので、誇大報告という一縷の望みさえもない。
文官は島を放棄し本土の軍に合流することを勧めるが、繭一つ動かさずに報告を聞いていたヴァレッタは一笑に付した。
「一矢も報いずに逃げれば敵を勢いづかせるだけ。兵は勢いが重要。マルタ島から逃げ出せば、さらに勢いづいた敵を迎え撃つはめになる。それならば、ここで戦うのが得策」
十倍以上の敵を迎え撃つ軍の司令官とは思えないほど、ヴァレッタは余裕たっぷりの笑みを浮かべた。
そしてマルタ島を防衛する側の、有利な条件を矢継ぎ早に述べていく。
戦争で最も大切な地の利、遠路を行く大軍ゆえの補給の困難。
「あとはこの暑さ。攻撃が長引き夏になれば暑さで倒れる兵や伝染病も流行る。この島の気候に慣れている我々でさえ、熱射病にかかるものが続出するくらいですから」
パウロの隣に立つクリスティーナは汗を拭った。春というのに、随所でむきだしになった岩石と要塞の石組みによる照り返しがひどい。
胸の谷間に流れ落ちる汗がくすぐったかった。
「勢いに乗って一挙に攻略したいのでしょうが…… このマルタ島の将兵をなめたのが運の尽き。必ずや痛い目を見る」
「それでも、何が起こるのがわからないのが戦争ですから。少しでも安全な策を取った方が」
不安を訴えるクリスティーナに対し、ヴァレッタは豪快に笑い飛ばした。
近日中に死地に赴く人間とは思えない陽気さだが、歴戦の勇士とはこういうものなのだろう。
「女王陛下」
ヴァレッタは心臓の位置を自らの右こぶしでおさえる。
「騎士たる者、老いぼれてベッドの上で家族に看取られて死ぬ、など本意ではありません。戦場で散るが騎士の誉れ。それに此度のマルタ島防衛戦は一世一代の晴れ舞台」
そう言って彼は、クリスティーナの前で片膝をつく礼を取った。
「我に名誉を与えてくださったことに、深く感謝しております」
「覚悟を決めているのですね」
クリスティーナは優雅な仕草でヴァレッタの手を取り、礼を返した。
「あなたの覚悟のほど、受け取りました。イタリアーナ女王として、クリスティーナ・ファルネーゼがあらためて命じます。このマルタ島を、死守しなさい」
「喜んで」




