表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
37/53

37ページ目 菫さんの歌よ、この空へ届け


 介護体験2日目終了後、4班の面々はわかしおホームを後にするところだった。……が、職員用入り口の前で急遽話し合っている。話し合いの内容はもちろん、施設長の岩本が言ったカラオケ大会のことである。


「あ〜、何歌おうかなぁ……おじいちゃんおばあちゃんが知ってる曲じゃないとダメだよね〜……」


 つい先ほどまで、あそこまでノリノリだったというのに、千穂は肝心の曲目に悩み頭を抱えている。


「……出る気満々なのに曲決めてなかったのか?」


 聡太郎が呆れ顔で訊くも、千穂は「だって〜」と言い訳する。


「施設長から出て欲しいって言われたら……出るっきゃないじゃない!カラオケなんだから軽音部員の血が騒ぐのよ!」


「とりあえず最近の曲は皆知らないだろうから、だいぶ昔の曲じゃないとな……何年前ぐらいのがいいんだろ……」


「そうねぇ……確かに入居者さん達が知ってる曲の方が盛り上がるわよね(とはいってもいくらアラサーだからって、おじいちゃんおばあちゃんの好きな曲なんて私もよく知らないからなぁ……)」


 寛斗と菫も一緒になって考え込む。なぜかここで龍星がほくそ笑み……


「やっぱり歌うんならかっこいい曲じゃないとな〜。30代目とか……」


「いやおじいちゃんおばあちゃん知らないでしょ30代目なんか」


 顎に親指と人差し指を当てて呟く龍星に、英玲奈が不快そうにツッコむ。

 ちょうどその時、菫はあるアイデアが頭に浮かび、体操服のハーフパンツのポケットからスマホを取り出した。


「こういうのは……やっぱり詳しそうな人に聞くのが一番じゃない?」


 そう言いながら、菫はある人物に電話をかけた。






 その頃、別の老人ホームでも介護体験2日目が終わり、めぐるが率いる5班の面々も帰路に着くところだった。

 すると、誰かのスマホのバイブが鳴り出した。皆一斉に自分のスマホを確認したところ……


「あっ、僕です……!!」


 直は驚いてついスマホを落としそうになった。スマホの画面に「宮西菫」と書いてあったからだ。直は「ちょっとごめんなさい……」と言いながら、皆から少し離れたところで電話に出る。


「も、もしもし……」


「あっ、ばったん?忙しいところごめんね。もう5班も体験終わったかしら?」


「はい!全然大丈夫です!もう終わってますよ。宮西さん、どうしたんですか?」


「実は……」




 5分ほどで電話は終わり、直は皆の元へ戻ってきた。


「ごめんなさ〜い!ちょっと電話が……」


「ばったん……もしかしたらコレかぁ?」


 真っ先に知輝が小指を出しながら直を茶化す。すると直は顔を赤く染め、勢いよく首を横に振る。


「そ、そそそそんなんじゃないですよぉ!!」


「嘘つけい!ぜってー女だろそのリアクションは!ちくしょー!ばったんに先越されるなんて……」


「だから違うんですってば〜」


 直が何回違うと言っても、知輝は不服そうな顔をやめない。程なくして誰かが直の肩をポンと叩く。直が振り向くと、そこにはめぐるがいた。


「ばったんもしかして…………すー様!?」


「!!!!」


 ドンピシャで当てられ、直は更に顔を赤らめ茹で蛸のようになった。あからさまなリアクションを見せられ、めぐるは楽しそうにニヤニヤする。それだけでなく、めぐるは更に距離を詰めて直に耳打ちした。


「ばったん……好きなんだろ?すー様のことが。バリバリ顔に出ちゃってるぞ〜」



 直との電話を切るなり、菫は目を輝かせながら相談した結果を伝えた。


「ばったんに聞いたらね……『ひこうき雲』とかどうだろうって!」


「あー!『風立てぬ』の主題歌か」


「私も知ってる!あの曲私も好きなの。綺麗なメロディーだけど、どこか切なくて」


 菫が直に勧められたまま提案するなり、寛斗と千穂はその曲を知っていたのか、すぐさま反応する。聡太郎も一応知っているのか「ああ」とだけ言った。『ひこうき雲』は直の祖父の好きな曲らしく、きっと施設の入居者達にもウケるのではないかと直は睨んだようだ。

 一方、龍星と英玲奈はあまりよく知らないのか、イマイチピンと来ていないようだ。


「へぇ〜、ばったんが言うんなら間違いねぇんじゃねーか?」


「ね。菫は知ってるの?」


「うん」


「じゃあ千穂と菫で歌えばいいんじゃな〜い?私らよく知らないし〜」


「ええっ!?」


 英玲奈からまさかの出場を勧められ、菫は呆気に取られ変な声が出てしまった。そんな菫と裏腹に、千穂は更に目を輝かせる。


「いいじゃんいいじゃん!菫ちゃんも一緒に歌おうよー!!」

「えええ……」

 

 困惑する菫の両手を千穂はギュッと握りながら、熱い視線を送る。ここまで熱心に勧誘され……菫の心はぐらりと揺れる。

 

 元々、菫は人前で歌うことは嫌いではない。夜職時代は職場にカラオケ機器があり、度々歌っていたのだ。キッカケこそ、ある客に半ば無理矢理カラオケで歌わされたことだが。最初は恥ずかしかったものの……最終的にはノリノリで歌い、大絶賛されたうえに点数も90点と高得点を叩き出したのだ。何度も歌っているうちに、店長からは在籍するキャバ嬢の中で一番うまいと言われたほど。


(人前で歌うの久しぶりだし上手くいくかしら……でも……)


 目の前の千穂があまりにもキラキラした目で縋り付いてくるものだから……菫は無碍にできなかった。

 そして……遂に菫は首を縦に振る。


「……わかったわ!阪口さん、一緒に歌いましょ!」


「やったーー!!めっちゃ楽しみなんだけど!」


 小躍りする千穂の横で、寛斗は顎に人差し指を当てて何かを考え込んでいる。いや、曲目が『ひこうき雲』に決まってからずっとこんな感じだ。そんな寛斗を菫がこっそり怪訝そうに眺めていると……


「あ、ごめん。野暮用があってちょっと戻るわ。よかったら先帰ってて」


「あっ、清宮君……」


 寛斗は徐に踵を返し、再び職員用の入り口から中へと入って行った。菫が呼んだのも聞かず。


「どうしたのかしら、清宮君……」


「清宮君も何か歌うのかな〜?」

 

 菫と千穂が不思議そうな顔をする一方、龍星は相変わらず茶化しては英玲奈にツッコまれる。


「30代目の曲カラオケに入ってるか訊いてるんじゃね〜?あ、俺これからバイトあるしそろそろ……」


「だからアンタが歌うんじゃないでしょ!私も帰るわ、これからデートだし」


 フンっと鼻息を立てて言い切る英玲奈に、龍星は一瞬だけショックを受ける。また聡太郎も人前で歌うのは苦手だし、剣道の練習のため帰ると言い出し、3人は一足お先に帰っていった。

 残った菫と千穂は後で『ひこうき雲』の練習をするべくカラオケに行こうと約束し、寛斗を待っていた。2人ともカラオケ以外でこの後特に予定がないうえ、寛斗がなぜ施設に戻ったのか気になったからだ。するとたちまちドアが開き、寛斗が再び外に出てきた。


「あっ、待ってくれてたの?すー様も阪口さんも」


「だって……気になるじゃない?」


「何しに戻ってたのー?」


 菫と千穂が「野暮用」とは何だったのか訊くと……寛斗は少し照れくさそうにする。


「ああ、あの多目的ホールにピアノ置いてるだろ?……弾いてもいいですか?って」


「……え?」


「清宮君、ピアノ弾けるの?」


 まさかピアノの使用許可を取りに行っていたなんて……!菫と千穂が驚いて聞き返す中、寛斗は照れ笑いしながら頷く。


「うん。3歳の頃から習ってて……で、施設長に訊いたら弾いてもいいよって!だから……もしよかったら『ひこうき雲』の伴奏……俺が弾いても……」


 更に照れ臭くなってきたのか、寛斗はだんだんしどろもどろになってしまう。

 しかし、それとは裏腹に菫と千穂は興味深そうに食らいついた。


「えっ!清宮君弾いてくれるの?じゃあお願いしようかしら」


「いいじゃーん!せっかくだしカラオケじゃなくて生演奏でやっちゃおう!私もギター持ってきたいけど練習間に合わないかも」


 2人から大歓迎され、寛斗は自信がついたのかニッコリ笑う。


「……ありがと!俺も練習頑張るわ」


「明日だし時間ないけど頑張りましょ!」


「おー!!」


「あと、明日の10時頃、30分ぐらいまでなら多目的ホールで練習しても大丈夫だって」


「えっ!助かるー!」


 こうして菫、千穂、寛斗の3人でカラオケ大会への出場が決まり、3人は残された時間でみっちり練習するのであった。菫と千穂は約束通りカラオケボックスへ向かい、練習はもちろんパート割も決めた。寛斗は『ひこうき雲』の弾き語り用の楽譜を手に入れ、自宅のピアノでひたすら練習した。ちなみに初見で弾けたという。


 この時点では、菫達は単純に入居者皆に楽しんで貰いたくて、もちろんスエ子にも歌を聞いて欲しくて練習に勤しんでいた。

 翌日、すなわちカラオケ大会当日の朝に、スエ子が亡くなるなんて知る由もなく――





 そうこうしているうちに練習時間の10時になり、菫は介護を一旦中断して多目的ホールへと向かう。寛斗と千穂は既にそこに来ていた。


「……お待たせ」


 できる限り平然を装ったものの……菫のその眼差しはやはり憂いを含んでいる。寛斗も千穂もそれに気付いているし、その理由ももちろん理解している。


「すー様……大丈夫?」


「歌えそう?」


 2人とも心配そうな顔で訊くが……菫は首を横に振り、真剣な顔で言った。


「……大丈夫よ。むしろちゃんと歌わなきゃね、って思って。スエ子さんのためにも」




 程なくして、流れるような美しいピアノの旋律が多目的ホールから聞こえてきた。暫くすると、これまた美しく伸びやかな歌声まで。カラオケ大会よりも一足先に。

 多目的ホールの前を通った職員や入居者ももちろんそれに気付き、つい立ち止まって聞き入る者もいるほどだ。


「あれっ?あっちから何か聞こえてこんかね?」


「ああ、今日のカラオケ大会の練習ですよ。高校生達が歌ってくれるらしいんです」


 福田も菫達のカラオケ大会への出場及び多目的ホールで練習していることは知っており、自分が押している車椅子の老爺にそう伝える。ひっそりとこんなことを考えながら。


(宮西さん流石だなぁ……。キャバクラで喉も鍛えたんだろうなぁ。阪口さんも上手いけど)




 早速1回目の練習が終わり、菫、千穂、寛斗は大きく息を吐いた。


「いや〜……なかなかよくない!?思ってたよりも気持ちよく歌えたんだけど!」


 暫くしてから、千穂が興奮した様子で言う。もちろん菫も同感だ。歌のパートが変わるところで菫も千穂も間違えずにスムーズに行けたし、ハモりも上手くいって美しく響かせることができた。


「そりゃあ昨日みっちり練習したからよ。それに清宮君の伴奏もいいから……」


「本当?やっぱ家のピアノと違うし、このピアノだとちょっと鍵盤が重く感じたんだけど……気のせいかな」


 ピアノの前に座る寛斗をチラリと見ながら菫が言うと、寛斗は嬉しそうに聞き返すと同時に、少し違和感も感じていたようだ。


「緊張してるからじゃない?」


「私は全然そんな感じしなかったけどなー。てゆーか凄いじゃん、清宮君。ピアノまで弾けるなんて。しかも練習始めたの昨日からでしょ?なのにここまで綺麗に弾けるって……」


「いやいやもう10何年もやってるし……」


「ねえ」


 千穂からも演奏を散々褒めちぎられ、寛斗が謙遜する中、菫は別の話を始めた。神妙な面持ちで、数時間前まで小雨が降っていたと思えない程、すっかり晴れた空を窓越しに眺めながら。


「『ひこうき雲』を今日歌うの……ピッタリじゃない?」


「……確かにな」


「……!」


 寛斗は少し黙り込んだ後、思わず呟いた。千穂も何かに気付いたようでハッとする。


「でしょ?この曲ってさ……若くして亡くなった人への歌よね?『あの子の命はひこうき雲』だったり『あまりにも若すぎた』って歌詞にあるし」


「確かに……!」


「……今日亡くなったスエ子さんにはお姉さんがいたんだけどね、そのお姉さんも……若くして亡くなられたのよ。戦争で空襲に遭って」


「あ……!!」


 改めて『ひこうき雲』の歌詞を認識してその意味を理解し、千穂と寛斗は思わず切ない表情になる。そんな菫達3人を、多目的ホールに差し込む暖かい光が照らしている。まるで誰かが優しく見守っているかのように。


「ね。だからピッタリだって思ったのよ。……この歌で、スエ子さんを空まで送り届けなきゃってね。若くして空に旅立ったお姉さん……スミ子さんの元に行けるように。だから私……スエ子さんが亡くなってどんなに悲しくても今日は歌わなきゃって思ったの。スエ子さんにこの歌を届けたいから……!」


 気が付くと菫は熱く語っていた。亡くなったスエ子のために『ひこうき雲』を届けると。最初こそ直に勧められ、たまたま菫や千穂も知っていたのでこの曲を歌うということに過ぎなかったのに。

 更に気が付くと、1回目の練習が終わってから5分が経っていて、菫はぎょっとする。


「ご、ごめん!……時間ないのに語っちゃって!練習時間限られてるのに……」


 慌てて謝る菫だったが、千穂と寛斗はまるで気にしていないとでも言うように、首を横に振る。


「気にしなくていいよすー様。まだまだ時間あるじゃん」


「むしろ私もただ歌うだけじゃなくて……横澤さんにこの歌を捧げようって思ったの!次からはもっと気持ちを込めて歌うわ!」


「俺もまだまだだな〜。もっとなんていうか……空に届きそうな音で弾かないと……」


「阪口さん……清宮君……」


 菫が語っても2人は迷惑がらないどころか、むしろ自分達も菫と同じくスエ子に届けようと心に決めてくれた。じーんとなる菫に、千穂が発破をかける。


「さぁ!もう1回練習しようよ!横澤さんにしっかり届くようにね」


「うん!」


「おう!」


 


 続いて数回練習したところで、多目的ホールの入り口から拍手が聞こえてきた。3人が思わず入り口に目をやると、施設長の岩本が拍手しながら入ってきた。


「いやいやいや〜!素晴らしい歌声と演奏じゃないですか!これはきっと皆さん喜んでくださいますよ」


「ありがとうございます!」


 更には岩本までもが3人の演奏を絶賛してくれた。菫と千穂は立ったままお辞儀をし、寛斗も立ち上がって深々と頭を下げる。

 そんな3人に、岩本はニコニコしながら優しく言った。


「もしよかったら30分と言わず、満足するまで練習してくれてもいいですよ。福田には僕から言っておくから」


 

 時計の時刻は13時50分を指している。カラオケ大会本番まで、あと10分。多目的ホールの席にはゾロゾロと入居者達が集まってくる。職員によってズラリと並べられた椅子にはほぼ空きがない程、大盛況となっている。中には出場者同士でどれだけ練習したのか、何の曲を歌うのか談笑している者もいる。

 

 ステージにはスクリーンが吊り下げられ、プロジェクターで大会のプログラムが載っている。

 菫達は……よりによって大トリである。カラオケでなくピアノの生演奏であることもあり、特別枠かつ大トリという扱いとなったらしい。


「あー!いっぱい来られてるじゃない!……緊張する〜!」


 こんな状況の客席を見た千穂は……やはりあがって怖気付いてしまう。見かねた寛斗が千穂の緊張を解かせようと試みる。


「大丈夫だって……満足するまで練習したろ?後は練習した通りにやればいいだけじゃん」


 昨日と同じく、髪を三つ編みに結えた菫も正直なところ緊張している。だが、自分自身に言い聞かせるのも兼ねて、千穂に緊張を解く方法をいくつか伝授する。


「阪口さん、皆カボチャだって思えば大丈夫よ」


「……カボチャ?なんでカボチャなの?」


「……そういえばなんでかしら?でも時々聞かない?」


「いや〜、初めて聞いたわ」


「俺も」


(今時の高校生ってコレ知らないのね!!……じゃあアレはどうかしら……)


 思わぬところでゼネレーションギャップを感じつつ、菫は別の方法を提案する。


「じゃ、じゃあ……手の平に人って3回書いて舐めたら大丈夫……」


「えっ、舐めるの?流石に汚いでしょ〜」


「……そうよね」


 喜ばれるどころか……むしろ千穂は不快そうな顔をするのであった。




 一方、出場しない3人も老人達を見守るため多目的ホールにいる。彼らはというと――


「あの清宮君って子ピアノ弾くらしいわよ〜」


「あ、あの清宮財閥と同じ苗字の!凄いじゃな〜い」


 老婆、もといお姉様達の噂話を龍星は複雑な気分で聞き、つい悔しくなり険しい顔になってしまう。


(クソッ……きよみーめチヤホヤされやがって……。やっぱ俺も何か歌えばよかったぜ……)

 

 また、聡太郎はハーフパンツのポケットからあるものを出し、偶然近くを通った英玲奈にドン引きされている。


「アンタ……何持ってきてんのよ?」


「何って……ペンライトだけど?こういうコンサートの時に要るじゃないか」


「コンサートって……ただのカラオケ大会じゃない」


 困惑する英玲奈に、聡太郎は平然と言い張る。彼の持つペンライトはコンサートで振るようなタイプのもので、アニメキャラの絵まで描かれている。


「おや、コレいいじゃないか、夜の散歩に良さそうだねぇ」


「……え?」


 聡太郎の持つペンライトを、ある1人の老婆だけは羨望の眼差しで見ていた。




「はい、皆さんお待たせしましたー!これから今年2回目のカラオケ大会を始めさせて頂きます!出場される方はもちろん、そうでない方も楽しんでってくださーい!」


 司会進行を務める職員の開会挨拶とともに、カラオケ大会は幕を開けた。トップバッターを飾ったのは職員で、2番目に歌うのは一昨日カラオケ室で練習していた石原だ。


「え〜、次に歌ってくださるのは石原さんです!曲は、『上を向いて歩こう』。今までほぼ毎日練習をされていたようですが、今日はある方のために歌われるということです」


(……きっとスエ子さんね)


 司会による曲紹介を聞いて、菫はそう推測した。

 その通り石原は年齢を感じさせない声量だが、誰かに届けるように優しくしっとりと歌い上げた。その歌声と歌詞が、スエ子の死を乗り越えようとしている菫の心に刺さってくる。なので、菫は昨日のスエ子を思い出しながら、熱心に聞き入っていた。


(スエ子さん……私達以外にもあなたのために歌ってくれてる方がいるんですよ。だから……聞いてくれたら嬉しいです)


 菫がスエ子に思いを馳せている間にも、プログラムは滞りなく進む。石原と同じくカラオケ室で歌を練習していた山田達も堂々と歌声を披露する。




 そして……あっという間に菫達の出番はやってきた。



「では……早くも本日最後のプログラムです。一昨日からこのわかしおホームに介護体験に来てくださっている、公ヶ谷高校の生徒の皆さんです!」


 観客席からワーっと拍手が上がる。唯一ペンライトを持っている聡太郎はそれを横に振っている。菫、千穂は緊張してつい足が震えながらもステージに上がり、寛斗はピアノの前の椅子に腰掛ける。


(ああ……遂に来たわね……。それにしても……入居者さんほぼ全員来られてるじゃない!あー……余計緊張する……)


 前を向くと入居者達の顔が見えて余計緊張してしまうので、菫は上を向いて早鐘の鳴る胸を押さえ、深呼吸をする。ふと隣を見ると、千穂も同じことをしていた。少しだけリラックスしたような気がした菫は、次に多目的ホールの窓に目を向ける。そこから見える空はカラッと晴れている。


(さぁ……この空に……この歌が届きますように……!スエ子さんもスミ子さんもきっと……そこにいらっしゃるはずなんだから)


「公ヶ谷高校の皆さんの体験は今日で最後になります。寂しくなりますが、最後に素晴らしい歌声を聞かせてくださいますので、皆さんぜひお聴きください。歌ってくださる曲は……『ひこうき雲』です!」


 司会による曲紹介が終わった後、ボーカルの菫と千穂は寛斗とアイコンタクトを取る。3人とも軽く頷いたのを合図に、寛斗は鍵盤の上に手を構え、優しく下ろす。

 

 飛行機雲が流れている空のように、澄み切ったピアノの音が風のように流れていく。イントロが流れる間、最初に歌う千穂は少しの間目を閉じていた。


♪白ーい 坂ー道ーがー 空までー 続ーいていたー


 そしてイントロが終わると、千穂はマイクを口を近づけ語りかけるように、歌い出しを歌う。まるですぐ前にスエ子とスミ子がいるかのように。

 隣で聴いている菫は昨日のカラオケや練習1回目の時とで、彼女の歌い方が違うと感じた。あの時は軽音部員らしく、ただただ真っ直ぐに力強く歌っていたが。その違いに、千穂もまたスエ子への思いを乗せていることを感じ、菫は後を引き継ぐ。


♪だーれも 気ー付かず ただーひとりー


 語りかけるように歌う姿勢は崩さないまま、菫は朗々と歌う。スエ子が昇っていき、舞い上がったはずの空まで聞こえ、響くように。ただ経験を積んでいるだけでなく、スエ子への「姉」としての慈愛を込めた深みのある歌声に、千穂は隣で聴きながら思わず菫に視線を注ぐ。どうやら菫の歌い方も練習と本番でまた違うことに、千穂は気付いているようだ。


 視線に気付いた菫も歌いながら千穂と顔を見合わせ、慈愛に満ちた眼差しを向ける。そして寛斗の伴奏もサビに向かって掛け上げるようにクレッシェンドしていく。


♪空ーにー 憧れてー 空ーをー かーけてゆくー


 遂にサビに差し掛かった。菫と千穂の息がピッタリ合ったおかげで、最初の音も綺麗に入る。そして肝心のハモリも2人の声が上手く混ざり合い、美しく響いている。

 そんな3人の、歌とピアノの音色に……入居者達ほぼ全員が魅せられているようだ。ほぼ全員、うっとりした顔になったり目を閉じたりしながら、耳を傾けている。




 そろそろ1番のサビが終わるところ――


「本っ当に……お世話になりました」


「ご迷惑ばかりかけて、本当に申し訳ありません」


 スエ子の長男とその妻は、退去手続きと片付けのため、最後にわかしおホームを訪れていた。2人は主任の福田に深々と頭を下げる。そんな福田も少しだけ寂しそうな顔をしている。スエ子が生きていた時はあれだけ手を焼いていたというのに。


「いえいえ。こちらこそお世話になりました」


「あ、それと……コレを渡して貰えませんか?あの……宮西さんって子に」


 長男は持っていた鞄から封筒を一つ取り出し、それを福田にことづける。封筒の表側には達筆で「宮西様」と書かれている。


「承知しました。渡しておきますね」


「ありがとうございます。……おや?」


「誰か……歌ってるんですか?」


 福田が快く引き受けた後、長男夫婦は気付いたようだ。美しい歌声とピアノの音色が微かに聞こえてくるのを。


「あ、今日は多目的ホールでカラオケ大会をやってるんですよ。本来ならスエ子さんにも聴きに来て貰いたかったんですが……」


「そうですか……じゃあ母の代わりに……」


「えっ、でもこの後もお忙しい……」


「少しだけなら大丈夫ですよ。……むしろ癒されるかもしれません」


 長男はそう言うと、多目的ホールへと足を運ぶ。妻もついて行く。




♪空ーにー 憧れてー 空ーをー かーけてゆくー




 多目的ホールに長男夫婦が到着したところ、菫と千穂はちょうど2番のサビを歌っていた。もちろん、歌い手のうちの1人の顔に、長男は見覚えがある。


「……宮西さんじゃないか!」


「あら、あの子なのね……確かにスミ子さんにそっくりだわ」


 菫にあったことのなかった長男の妻も、思わずそう言ってしまう。まさかその菫がこのステージで歌っているとは思わず2人は驚いたが、他の観客と同様すぐにこの歌に魅了される。そして……聴いているうちに、いつしか長男も妻も涙ぐんでいた。

 


 スエ子の長男夫婦が来ていたことに、菫も気付いていた。


(あら……息子さんも来られていたのね。……ちょうどよかったわ……


 …………!?)


 最後のサビも見事に歌い切り、アウトロに差し掛かったところで……長男夫婦の方を見ながら歌っていた菫は一瞬目を疑った。




 立ち見している長男と妻の隣に……先程までいなかったはずの人物が、2人いる。1人は歩行器を手に持つ老婆で、もう1人は長い三つ編みの若い女性。しかも、女性が老婆を支えるようにして立っている。




 しかし……菫が思わずまばたきしたところで、彼女ら2人の姿はパッと消え、すぐにいなくなった。そして曲が完全に終わるのを待たずして、長男夫婦も葬儀の手続きなどで忙しいからか、多目的ホールを後にした。


(スエ子さん……スミ子さん……!来てくれたのね!!聞いてくれて……ありがとうございます!)


 菫が涙ぐみながらも晴れやかな顔を見せたところで、最後のアルペジオを綺麗に奏で、菫達の『ひこうき雲』は余韻を残しながら幕を閉じた。

 程なくして……観客席からはワーッと大喝采が送られ、割れんばかりの拍手が多目的ホール内に響き渡った。






 かくして大盛況と大成功を収めた後、暫くしてから菫は福田に廊下に呼び出されていた。


「どうしたんですかー?福田主任」


「いや〜、まさか息子さんに言われた通り、スミ子さんに完璧に成り切ってスエ子さんと話すなんて……流石宮西さんだ」


 歌い終わった時の顔とは一転、菫は苦々しい顔で福田を睨む。もちろん、自分たちの周りに誰もいないか確認することも忘れず。幸い誰もいなかったが。


「…………福田君、話しても大丈夫なのね。リコーダーのこと……」


「!!!だだだ大丈夫なわけ……」


「しっ!」


 菫が小さな声で囁くと、福田は慌てて取り乱してしまい今度は彼女から静かにするように言われてしまう。言われた通りに黙った福田に対し、菫はすぐに敬語に戻す。


「……それが言いたかったんですか?主任」


「いや、これを……」


 福田はそう言いながら、チノパンのポケットから白い封筒を1通取り出した。それを菫に渡す。


「……あら、お手紙ですか?」


「ああ……横澤さんのご長男からだ。宮西さんにはお世話になったから、って」


「えっ!!……今ここで読んでいいですか?」


「どうぞ」


 どうしてもその内容が気になった菫は、福田から了承を得てその場で読んでみることにした。ペリペリと音を立てながら、のりで封をされた封筒の閉じ口を丁寧に剥がしていく。全て剥がしてから、菫はドキドキして震える手で中の便箋をゆっくりと開く。




“宮西 様


 本当はちゃんと会ってお話をしたかったのですが、取り急ぎ手紙で失礼します。

 この度は本当にお世話になりました。ここまで母の姉のスミ子さんに似ている人に逢うことすら奇跡だと思ってしまい、スミ子さんになって欲しいなんてご無理を言って申し訳ありません。しかもスミ子さんに完璧になりきって話してくださるなんて、感謝してもしきれません。

 母はスミ子さんが亡くなった後のほぼ80年間、自分のことを責め続けていました。とても苦しく、毎日後悔しながら生きていたと思います。

 

 あの日、スミ子さんに扮してくださった宮西さんに会ってから、少しの間だけでしたが母は変わりました。

 あの後、僕は母と面会したのですが、僕に開口一番「スミ子姉ちゃんが少しだけ帰ってくれた!」と報告した母の声はとても明るかったです。僕達兄弟ですらこんな明るい声は聞いたことがありません。それに、最後に会った生前の母はいつになくシャキッとしていました。ここ数年は認知症が進んだこともあって、常にボーッとしているか虚ろな目をしていたのですが……。


 そして、母は僕が帰るまでスミ子さんへの思いを語っていました。あの時のこと、ずっとスミ子姉ちゃんに謝りたくて、今回彼女に会えて謝ることができてよかった。お空から見てくれていると聞いて、スミ子姉ちゃんは亡くなった後も、ずっと自分の近くにいてくれていたのを実感した。そして思い出話ができたのも楽しかった、と。


 最後に、母は嬉々として話していました。明日もスミ子姉ちゃんは来てくれるかもしれないと。自分が賢くしていたら会いに来てくれると約束したから。だから今日は大人しくしているし、もし誰かにお金やご飯を取られても黙っている、と意気込んでいました。

 

 それなのに、今日亡くなってしまうなんて……。母は数年前から心臓が悪くなっているとは聞いていましたが、まさか今日だなんて……。スミ子さんに会ったのが一度きりになってしまい、さぞかし母は無念だったと思います。あんなにスミ子さんに会うことを望み、あれほど施設の方にご迷惑を掛けたというのに、約束もしっかり守ってきたほどだから。宮西さんも、きっとあの翌日に亡くなったしまうなんてショックを受けられましたよね?

 

 それでも……たった一度だけでもスミ子さんに会えて、過去の苦しみから少しでも解放された後でよかったのだと思います。スミ子さんへの悔恨を残したまま亡くなるよりも……。きっと今頃、スミ子さんと向こうで会ってまた昔のことを話していることでしょう。

 最後になりますが、母のために本当にありがとうございました。これからも、お体に気をつけて母の分まで生きてください。”




 スエ子の長男からの手紙は、便箋3枚に渡ってそのように綴られていた。そこに涙がはたと数滴落ち、便箋が濡れる。読んでいるうちに菫は涙が溢れ、遂にこぼれ落ちてしまった。

 思わず右手の指で涙を拭うと同時に、菫はふと小指を見る。そこには……昨日指切りげんまんをした、皺くちゃな指の感触が今でも残っている。


(スエ子さん……私も一生忘れないから……。あなたと話したことも、指切りげんまんしたことも……)


 何回拭っても、涙はとめどなく溢れるばかりで止まる気配はない。目の前で涙を流す菫に、福田はかける言葉が見つからず、ただただ立ち尽くしている。

 

 そんな菫の背中を、誰かが叩いた。菫がゆっくり振り向くと、そこには寛斗がいた。黙ったままハンカチを差し出して。


「……っ……ありがと……」


 何とか声を絞り出し、菫はハンカチを受け取って目元を拭った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ