第3話 ルート選択
いまは前世の知識だけが頼りだ。孫子の兵法を持ち出すまでもなく、今後の方針を決めるためにも主人公の情報も整理しておいたほうがいいだろう。
というわけで、私はもうひとりの自分の記憶にアクセスし、覚えている事項を片っ端から紙に書き出していった。
――主人公の実家であるファルマ家は、ほんの数ヶ月前にできたばかりの新興の男爵家だ。
当主のフィリップは稀代の天才錬金術師であり、これまで数多の霊薬を開発して王国の医療の発展に貢献してきた。彼はその功績をもって男爵に叙爵され、序列こそ最底辺ではあれども貴族の一員として迎えられた。
そして、黄金の錬金術師とも称えられる彼の才能は、その一人娘にもしっかりと受け継がれていた。
ファルマ男爵家の長女マリエル。その娘こそがこのゲームの主人公。
やがては才色兼備の完璧令嬢として頭角を現し、学院の男子学生たちを魅了していく彼女も、入学当初はあまりパッとせず、大勢の生徒の中に埋もれている地味な娘のはずだった。
ゲームの中では、平民からいきなり貴族の集団の中に放り込まれた彼女は、夜会などのイベントにも顔を出すことなく、ひたすら勉強を優先していた。
その頃の彼女を一言で表すなら、いわゆる〝ガリ勉お嬢様〞。
しかも貴族的なマナーはこれまで身につけてこなかったらしく、他の生徒たちの輪から外れた場所で大人しく自習していた。
そんな彼女が、俄然皆の注目を浴びるようになったのは、誰あろう悪役公爵令嬢の悪ふざけが原因であった。つまり、この私が原因だ。
頭から汚水を浴びせられたマリエルは攻略対象に保護され、そこで生まれて初めて最高級のドレスに身を包む。
ついに披露されることになったその美貌を目の当たりにした彼らは、蛹が脱皮して蝶になったような鮮やかな変身に、一瞬で心を奪われてしまうのだ。
……なにをやってるのかしらね、ゲーム内の私は。
だけど、ちょっと待って! それはまだ先の話だったはず。
先のストーリーを知っている私は、当然、彼女の美貌を知っているわけだけど、本来ならいまの時点では地味な娘として目立たないはずじゃなかったの? 彼女、私の知る範囲では、学院内でいまでも普通に有名人だったわよ?
なぜ昨日の時点でそこまで話が進んでしまっているのかはわからないけど、ともかく別のシナリオへの軌道修正を試してみようと思う。
……結論から言えば、無駄な努力だったわ。
やはりどうあっても第一王子ルートの3つのエンディングの中から選ばなくてはならないらしい。
仕方ない、そこは諦めましょう。
――では改めまして。
とりあえず、バッドエンドは論外!
主人公が放校になり、第一王子は廃嫡、公爵令嬢は国外追放になる?
冗談じゃないわ!
あれは誰一人として幸せになれない、文字通りのバッドエンド! 全力回避に限るわね。
トゥルーエンドはいわゆる友情エンドで、第一王子が、結局は王族としての義務を優先して婚約者を選び、「いつまでも良いお友達でいましょう」と言って、主人公とは結ばれないまま学院を卒業する。
エンディングでは卒業時点までしか分からないが、おそらく将来的には公爵令嬢を妃として娶り、王位を継ぐのだろう。
一見、一番穏当でマシなエンディングに思える。
だけど! それこそが大いなる罠!
よく考えてみて御覧なさい。
意地悪で高慢な令嬢との悪評が定着したまま、自分を愛してもいない男と添い遂げることって、本当に幸せなことなの!?
――違うでしょ!
一生針のむしろの中で仮面夫婦を演じ続けなければならない、灰色の人生が待っているのよ?
これも全力回避に決まってるじゃない!
というわけで、実際のところ選べる選択肢はひとつしかない。
ハッピーエンド。
この結末では、公爵令嬢が卒業時にこれまでの悪行をばらされた上で婚約破棄を言い渡されるが、主人公の温情によって罪は許され、その慈悲深さに心を打たれた悪役令嬢がこれまでの自分の行いを悔い改め、改めて主人公と友誼を結ぶ。
そして第一王子が主人公と新たに婚約を結ぶことを高らかに宣言してスタッフロールに突入する。
散々悪行を重ねた悪役令嬢が、何事もなかったように許されるエンディングに、私も『温すぎる!』とブーイングを浴びせた一人だった。
本当、申し訳ない気持ちでいっぱいだわ。スタッフさん感謝します。私に逃げ道を用意していてくれてどうもありがとう。
とにかく、選ぶならこれしかない。
しかし、これだけではまだ足りない。
私は伊達に生まれる前から王子の婚約者をしていない。
第一王子と公爵令嬢の婚約は、どこからどう見ても完全な政略結婚なのである。それを破棄してしまえば、その政略が失敗に終わったと言うことで、当然ただでは済まない。
私の母、ホワイエ公爵夫人は、隣国の国王の従姉弟にあたる。
その娘を衆人環視の元でつるし上げれば、隣国との関係に火種を抱えることになるぐらい、私ですら簡単に想像がつく。
むしろ、国王の嫡子である第一王子がなぜそこに思い至らないのかの方が不思議なぐらいだ。
さらに言えば、主人公は男爵令嬢だとはいえ、ほんの少し前まではただの平民でしかなく、ほとんど貴族としての教育を受けてきていない。
宮廷に上がってすぐに問題を起こすのは、火を見るよりも明らかだ。
この二人がいまのまま王位を継げば、王室の混乱は必至。三年も持たずに王国は滅びるだろう。
そこまでは行かずとも、困難に直面するだろうことは疑いようがない。
ならばどうする? うなれ、私の灰色の脳細胞!
でも、私のできることなんて限られている。しょせん悪役令嬢なのだし。
というわけで、悪役令嬢の私は悪役令嬢らしく、主人公をイジメることにした。




