第3話「担当」
署内の仮眠室は、煙草と古い書類の臭いが染みついていた。
午前三時四十二分。壁掛け時計の秒針だけがやけに耳につく。鳴神正義は缶コーヒーを片手にぼんやりと天井を見上げていた。
眠気は来ない。
瞼を閉じる度に思い出すからだ。
アスファルトを転がる、生首。返り血。
そして――
『クズ野郎は速やかに死んでください』
透明感のある声。感情の薄い瞳。 夜の路地に立っていた、あの少女。
「……はぁ」
深く息を吐く。
結局、あの場は異例の処理になった。
スカイドットの生き残りメンバーは錯乱状態。
能力使用による殺人未遂。薬物とアルコール反応。
表向きにはそう片付けられ、事件は現在“調査中”扱いになっている。
当然だ。
もしも、 “無能力の少女がESP犯罪者を瞬殺した”
などという事実が世間に漏れれば、警察も政府も面倒なことになる。
ESP保持者が優遇される時代。その前提そのものが崩れかねないからだ。
「鳴神ぃ」
間延びした声が仮眠室に入ってくる。
振り向くと、くたびれたスーツ姿の男が立っていた。
生活安全課所属、浅木刑事。四十代半ば。隈の濃い、死んだ魚みたいな目をしている男だ。
「課長が呼んでる」
「……俺を?」
「お前以外に誰がいんだよ」
浅木は煙草を咥えながら鼻を鳴らした。
「“夜鴉”関連だ」
――夜鴉。
その単語に、鳴神の眉が僅かに動く。
「……もう通称がついたんですか」
「ネットの連中は仕事が早いからな」
SNS。動画サイト。匿名掲示板。
スカイドット事件以降、断片的な目撃情報だけが異常な速度で拡散していた。
曰く、“ESP犯罪者だけを殺す女”
曰く、“黒髪の処刑人”
曰く、“能力を使わない怪物”
そして誰かが言った。
――夜鴉。
夜に現れ、クズだけを啄む鳥。
妙に的確で、嫌な呼び名だった。
「……で、何です?」
「知らねぇよ。上がピリついてる」
浅木はそこで、一瞬だけ声を落とす。
「……あと、お前。変な気起こすなよ」
「は?」
「正義感」
その言葉に、鳴神は苦笑する。
「そんな立派なもん、もう持ってませんよ」
浅木は何も答えなかった。ただ、その沈黙だけが妙に重かった。
◇
寒路市ESP対策本部。聞こえは大層だが、実態はクレーム処理班に近い。暴れる能力者に頭を下げ、被害届を揉み消し、世論が爆発しないよう調整する。そんな部署だ。
「――では、現時点での情報共有を行う」
プロジェクターが点灯する。
映し出されたのは、数枚の現場写真。
血痕。
焼死体。
崩壊したビル。
「……おい」
鳴神は思わず眉を寄せた。映像の惨状が、スカイドットとは比較にならない。
「先月より発生しているESP連続凶悪事件だ」
淡々と説明する男はESP対策課課長、鷹宮だ。
「コードネームは“白煙”」
次の写真。そこには、まるで爆撃でも受けたような商店街の跡が映っていた。
「能力は不明。発生地点には毎回、高濃度の白色煙霧が発生。視界、通信共に遮断される。確認されている死者は二十八名」
会議室の空気が、重く沈む。
「……二十八」
誰かが、掠れた声を漏らした。
「そして興味深い点として――」
写真が切り替わる。そこに映っていたのは。“切断面”。異常なほど、綺麗な。
「現場の数名に、“刃物による斬撃痕”が確認されている」
鳴神の背筋が、僅かに強張った。
「……まさか」
「現時点では関連不明」
会議室の全員が理解していた。
――夜鴉。
あの少女が関連している可能性がある。白煙と現場でぶつかったか、もしくは仲間か。いや、それはないと鳴神は一人首を振った。
「次の事件現場を予測する」
画面に、地図が表示される。寒路市東部。旧工業区画。
「近頃、違法ESP薬物の流通拠点になっている地域だ。白煙の出現条件と一致する点が多い」
そこで、鷹宮がこちらを見る。
「鳴神」
「……はい」
「お前を、“夜鴉”担当に任命する」
「は……?」
「接触経験者はお前だけだ」
「特徴、戦闘傾向、行動理念を洗い出せ」
「待ってください!」
鳴神は思わず口を挟む。
「俺は、ただ偶然――」
「偶然でも見た」
鷹宮の声は冷たい。
「お前は生き残った」
その言葉だけで十分だった。
――使える。
そういう意味だ。
「対象は危険人物だ。ESP保持者を複数殺害している。現時点では能力も不明。」
違う。鳴神は、心の中で否定する。
――あれは。
“能力者”じゃない。だが、その言葉は飲み込んだ。
「それと」
鷹宮が、新たな資料を机へ投げる。
『ESP犯罪組織・蛇塚会の取引情報あり』
寒路市最大のESP犯罪組織。誘拐。人体売買。能力者実験。黒い噂の絶えない連中だ。
「……マジかよ」
思わず呟く。 スカイドットなんてただのチンピラだ。
これは、本物の“怪物”だ。
そして、鳴神は、嫌な確信を抱いていた。――彼女は、来る。
ああいう連中を最も嫌う目をしていたからだ。
「準備しろ」
鷹宮が言う。
「次は大規模作戦になる。零課の連中にも恐らく声が掛かるだろう」
会議室がざわめく。
零課。それは強能力者のみで構成された特殊部隊だ。素行に問題があり滅多に表に出てこない。
皆、口々に問題点を口にするが、鳴神だけはどこかぼんやりと別のことを考えていた。
地下鉄工区。蛇塚会。白煙。
そして――
夜の路地で出会った、あの少女。
(……また会うのか)
そう思った瞬間、心のどこかが僅かに熱を持った。




