80 女湯を覗く奴は万死に値する
パールグラン王国が誇る超一流諜報員、アイラ。彼女がお勧めした宿「アクロアイト・ヴィラ」は確かに素晴らしい宿だった。彼女には宿を見極める目も備わっているようだ。
とは言え、千尋と萌には異世界で宿に泊まった経験がない。なんなら地球でも、千尋は2回、萌は1回しか経験がない。比較対象がないため「アクロアイト・ヴィラ」が他の宿と比べてどのように優れているか姉妹には分からなかったが、それでもとても素敵な場所だという事は分かった。
重厚な石造りの建物は5階建て。ロビーに足を踏み入れると、あちこちに飾られた花の良い香りがする。カウンターには上品な服装の男女が微笑みを湛えて立っている。いくつも置かれたソファでは高価そうな服を着た人々が談笑していた。
千尋と萌は「ほえー」と感嘆の声を漏らし、マリーはなんだかさっきよりちっちゃくなってるように見える。
「マリー? どうかした?」
「……(ボソボソ)」
「え?」
どうやらマリーは自分が場違いではないかと感じているらしい。小さな村出身のマリーはこのような高級宿に来た事がない。自分のような人間はこの場に相応しくないのでは、と肩身の狭い思いをしているようだった。
「マリー? マリーは炎竜帝ヘイロンと一番仲が良い女の子なんだよ」
「……はい」
「この国の偉い人も頭が上がらないヘイロンが、一番信頼してる女の子だよ」
「はい」
「だからマリーはこの場所に一番相応しい女の子と言っても過言ではないよ!」
「え? ……はい!」
チヒロ様の言っていることはよく分からないけど、もっと自分に自信を持てと仰ってるんだと思う。マリーはそう納得して顔を上げ、胸を張った。
少年と見間違える体つきと小動物のような見た目が相俟って、この集団で一番頼りなく見えるアイラは、「アクロアイト・ヴィラ」に入っても堂々としていた。そのアイラがカウンターにずんずん歩み寄り、受付の男性に声を掛ける。
「すいませんっす! 11人なんすけど……あー、部屋割りはどうするっすか?」
後半はこちらに振り返って千尋達に尋ねた言葉だ。簡単に協議した結果、千尋と萌、マリー、アイラの4人でひと部屋、『碧空の鷲獅子』のマリア、メイベル、ルーロンの3人でひと部屋、残りの男達4人でひと部屋の、計3部屋を借りた。全て最上階の一番良い部屋である。
「「おおー!」」
部屋に入った途端、千尋と萌のテンションが上がった。まず目についたのは天蓋付きの大きなベッド。それが2つある。
「とおーっ!!」
千尋はベッドにダイブした。初めて見る大きなベッドに浮かれ過ぎた人が必ずやると言われているアレである。
「と、とぉー!」
いつもなら、「お姉ちゃんお行儀悪いよ」と言って千尋を窘める萌だが、今日は少し遠慮がちに姉の横にダイブした。
マリーは姉妹の様子をニコニコしながら眺めている。アイラはベッドそっちのけで部屋を探索していた。マイペースである。
部屋はかなり広く、トイレや内風呂、キッチンまである。アイラも探索し甲斐があるようだ。千尋と萌はベッドで一頻りゴロゴロして、そのフカフカ具合を堪能した。
「みなさん、お茶にしませんか?」
マリーが4人分のお茶を淹れてくれたので、ソファに座って引き続き寛ぐ。
「はっ!!」
「ど、どうしたのマリー?」
マリーが突然声を上げたので、千尋がびっくりしてソファからちょっと浮いた。
「わ、私、ヘイロン様の使用人なのに……全然お世話してません!」
千尋が現れて舞い上がってたし、人化していつもの竜の姿と違うので、ヘイロンの使用人であるという事を綺麗さっぱり忘れていたマリー。
「大丈夫、大丈夫! ヘイロンはそんな細かいこと気にしないからさ!」
実際、ヘイロンはマリーや竜舎で働いてくれている人族のことを、あまり「使用人」とは思っていない。現段階では竜と人族の友好の証だと考えている。
「それよりも! みんなでお風呂に入ろう!」
美少女が居ると一緒にお風呂に入りたくなる千尋。もはや病気かも知れない。
ということで、隣室のルーロン、メイベル、マリア、同室の千尋、萌、マリー、アイラの7人で大浴場へ向かう。萌とマリーの2人は少し恥ずかしがっていたが、他はあっけらかんとしていた。
「おっふろー♪ おっふろー♪」
7人の先頭に立って意気揚々とお風呂に向かう千尋。
「チヒロさん、ここっす!」
「おおー!」
入り口は磨かれた白御影石のような石材でアーチ状になっており、目の高さにこの世界の言語で「女湯」と書かれた看板が設置されている。さすがに暖簾はないが、認識阻害の魔法がかかっているようで、廊下から中は見えない。
一歩踏み入ると大浴場特有のもわっとした湿気を感じる。目の前には木製の大きな衝立が置いてあった。ぐるっと回り込むと木製の棚が並んだ脱衣所になっている。
「おー、雰囲気あるねぇ」
棚には清潔なタオルが1人あたり3枚ずつ置いてある。7人が並んで服を脱ぎ始めた。千尋はステータスに任せて最速でまっぱになる。
左隣のマリーがモジモジしているので手伝おうと思った時、その向こうにいるアイラが目に入った。
上着をズバッと脱いだアイラは、胸にさらしを巻いていた。それをクルクルと解いていくと、明らかに千尋よりボリュームに富んだ形のよい双丘が現れた。
(なにっ!? 私より貧乳だと思ってたのに……完敗だ)
千尋はその場に膝を突いて俯く。ふと顔を上げて隣のマリーを見る。
「マリー! 私信じてた……心の友よ!」
マリーの、千尋と同等の胸部装甲を見て持ち直したその時――。
「おい、チヒロ! 話があ――」
「とりゃー!」
突然の闖入者に、素早くバスタオルを体に巻き付けた千尋が目にも止まらぬ速さで駆け寄り、飛び後ろ回し蹴りを放った。闖入者は5メートル離れた壁に吹っ飛んだ。闖入者はまだ衝立の向こうに居たので、女性陣の貞操は守られた。
「突然何をするのだ!?」
「ここは女湯だっ! ……なんだヘイロンか」
「なんだではない! 我じゃなければ体が爆散しておったぞ!?」
女湯に突然侵入してくる男なんて爆散すればいい。
もちろん千尋は思いっきり手加減(足加減)したのだが、竜鱗の防御力を持つヘイロンでも痛かったようだ。
「それで? 何?」
壁際で尻餅をついたヘイロンの前に仁王立ちして問い質す千尋。超絶不機嫌であった。美少女(一部竜)達とのお風呂タイムを邪魔されたのだ。冷たい声でギロリと睨むと、ヘイロンの口から「ひぃ」と声が漏れた。自分でも何故か分からないが、ヘイロンはその場に正座した。
「う、うむ、邪魔して済まぬ。オスタリア砦方面を哨戒中の炎竜から念話が届いた。東から雷竜の群れ、およそ100体がこちらに接近している。その中にはおそらく雷竜帝の姿もある、とのことだ」
オスタリア砦はパールグラン王国東端を守る国防の要である。ベヒモスの群れ襲来の記憶も新しい。
「ファンロンは敵なの?」
「…………そういう事になるだろうな」
ヘイロンはその昔、氷竜帝パイロンの頼みで雷竜帝ファンロンと共に卵に魔力を供給した経緯がある。
「えっと、ファンロンはお友達?」
「……人族が言う友、とは違う」
「それでも、昔は敵対してなかったんでしょ?」
「うむ」
バスタオル一枚で仁王立ちになり、薄い胸の前で腕組みして「むふー」と考え込む千尋。その様子を正座して見上げているヘイロン。娘のお風呂を覗こうとして怒られているお父さんのようだ。
「ヘイロン、行くの?」
「うむ。我はこの国を守ると約束したからな」
「そっか。じゃあ私も行く」
「……取り敢えず、服を着た方がいい」
そのまま外に出ようとする千尋をヘイロンが止めた。そりゃそうだ、と言いながら衝立を回って棚の所に戻る千尋。すると女性陣全員が既に服を着ていた。
「行くんでしょ、チヒロちゃん?」
「あー、行くには行くけど、私とヘイロンだけでいいよ。みんなはゆっくりしてて」
声を掛けながら素早く服を着る。
「私はお姉ちゃんと行く!」
萌が力強く宣言した。
「そうだね、萌も行こう。他のみんなは本当、ゆっくりしてて良いよ」
せっかくのお風呂チャンスがふいになった千尋は、萌と連れ立ってトボトボとした足取りで大浴場から出て行った。その背中には哀愁が漂っているように見えた。
(そんなにお風呂に入りたかったんだ)
残された女性陣は良い具合に勘違いしていた。千尋がお風呂大好き少女であると。
「くっそー、せっかくのお風呂を邪魔しやがって!」
ヘイロンの後ろを歩いているうちに、沸々と怒りが込み上げてきた千尋。
「この怒り、どこにぶつけてくれよう!」
「お姉ちゃん、ほどほどにね」
後ろの方から聞こえてくる千尋と萌の会話を、ヘイロンはビクビクしながら聞いているのであった。
お風呂に入れないお風呂回でした。




