78 娘(仮)に甘いヘイロンさん
SIDE:本庄千尋
萌との再会を果たした千尋は今、ヘイロンの仮住まいに居る。具体的に言うと大広間の豪華なソファに座り、右腕に萌が抱き着き、左腕にマリーが抱き着いていた。
控え目に言って千尋の顔はだらしなくヘラヘラしている。両手に花でウハウハである。
エイシア神の世界改変によって姉を「なかったもの」にされた萌は、怒りよりも姉を「忘れてしまった」という事実に対する罪悪感の方が大きかった。千尋はひたすら「萌は悪くない」「大丈夫だよ」と言いながら抱きしめ、萌を宥めた。
その結果、二度と姉を失うまいと、萌は千尋の右腕に縋り付いている。
マリーは、千尋と萌の再会を自分の事のように喜び、はらはらと涙を流した。彼女は、ヘイロンの中の人がチヒロである事を知ってから、いつか「千尋」に会いたいと願っていた。チヒロを通して千尋の人柄を知っていたからである。ヘイロンから分離して現れた千尋は、マリーが想像していた以上に可愛らしい女の子だった。主に小動物的な意味で。
結果的に、大好きアピールの為にマリーは千尋の左腕に抱き着いている。
「うぉほん!」
千尋達の対面に置かれたソファには、向かって左からアイラ、デューク、ルーロン、そして見知らぬおっさんが座っていた。そのおっさんがわざとらしく咳をする。
だらしなくニヤニヤしていた千尋が姿勢を正して尋ねる。
「えっと……誰?」
「おいっ! 人化したくらいで我のことが分からぬのか!? ヘイロンだっ!」
長く伸ばしたウェーブがかった黒髪を頭の後ろで結び、鋭い眼光を放つ瞳は燃えるような赤。おっさんと言っても見た目は30代半ばくらい。細身だが、服の上からも鍛えているのが分かる、精悍なイケてるおっさんだった。
「……人化できたんだ?」
「当たり前だ! お主が体内におったから、遠慮して人化しなかっただけのことだ」
語気は荒いが、それは気心の知れた身内に対するようなもの。生きてきた年月に比べれば誤差とも言える短い期間だったが、一時は一心同体だったのだ。ヘイロンは千尋を家族のように感じていた。それは千尋も同様である。
「ありがとヘイロン。気を遣ってくれて」
「うむ。別に構わん」
「んで、何だっけ?」
「お主は無事妹御と再会し、我と分離できた。すぐ元の世界に帰るのか、という話だ」
そうだった。両手に花で浮かれてる場合じゃなかった。
だが、千尋だって3ヵ月もの間萌と会っていないのだ。眠っていたと言っても、分体を通じて全ての情報は把握しているから、体感として長く会ってないのである。だから妹成分を補充するのは重要なことであった。
「うーん、色んなゴタゴタを解決してからかなぁ。萌、それでもいい?」
「うん。私はいいよ」
母とも3ヵ月会ってないから、早く帰りたい気持ちは勿論ある。ただ、ヘイロンとして過ごした間にチヒロがやった事やヘイロンが巻き込まれている事をほったらかしで帰るのは寝覚めが悪い。
「さてと。今日はゆっくりして、明日行こっかな」
「チヒロ様、どこへ行かれるのですか?」
左腕のマリーが聞いて来た。マリーも、千尋が間もなく自分の世界に帰る事は分かっている。でも、それまでは出来るだけ傍に居たいと思っていた。生贄として捧げられて終わる筈だった自分の人生に、新しい光を照らしてくれた恩人に自分の出来る事で尽くしたいと思っている。
「ルビーフェルド王国とエメラダルグ帝国だね」
「チヒロちゃん? 国がなくなったりしないわよね?」
「まっさかー!」
ルーロンが心配になって尋ねるが、千尋は軽く返事する。その軽さが怖い。
ヘイロンと融合している時、千尋は眠っていた。その状態で、ルーロンの見立てではヘイロンはこの星を砕く程の力を持っていた。
そして分離した今。恐ろしいことに、ヘイロンの強さは千尋と融合していた時と変わっていない。そして、千尋本人はと言うと――。
ルーロンには、全く強そうに見えなかった。萌の方が遥かに強く見える。それが逆に恐ろしいのだ。ルーロンに強さが測れないという事は、ルーロンとは隔絶した力を持っている可能性がある。星すら砕くヘイロンを軽々と凌駕する程の力を。
(もう今更心配しても始まらないか。千尋の善性に賭けるしかない)
ルーロンは一人静かに慄く。チョロゴンだが根は真面目なのだ。当の千尋は両側から美少女に挟まれてホクホクしていた。
「よし! 今日はパールイスタの高級宿にみんなで泊まって、美味しいもの食べよう!」
千尋の一声で、萌、マリー、『碧空の鷲獅子』の5人、アイラ、さらに人化したヘイロン、ルーロンの総勢11名で王都パールイスタに繰り出す事になった。
神々の使徒2人に竜帝2人。炎竜帝の使用人頭。パールグラン王国が誇る諜報員。そしてSランク冒険者パーティ。国の重鎮がその正体を知れば引っ繰り返りそうになる面子である。
千尋はチヒロを通してこの世界を見ていたが、ずっと巨大な竜の姿だったため、街をじっくりと見る事が出来なかった。凝った料理も食べてないし、お風呂にも入ってない。何なら寝るのはずっと床か地面だった。
少しくらい贅沢しても良いだろう…………ヘイロンのお金で。
「ヘイロン?」
「なんだ?」
「私お金持ってないの……」
「そうだろうな」
千尋は両手を組んで顎の下で握りしめ、ウルウルした瞳でヘイロンを見上げた。千尋の左右で、萌とマリーが同じような瞳をヘイロンに向ける。
「くぅっ……分かった分かった! 金の心配はするな!」
「さっすがヘイロン!」
「ヘイロンさんカッコイイ!」
「さすへいです、ヘイロン様!」
なんだかんだで娘のような千尋達に甘いヘイロンである。大広間の奥の部屋に入って行く背中が少し黄昏れて見えた。
「あの、チヒロさん? ルビーフェルドと帝国に行ってどうするつもりっすか?」
「うん? ちょっと分からせようかなーって」
「分からせる……何をっす?」
「んー……主にヘイロンの力」
千尋の答えを聞いて、アイラはポカンとなった。他の面々も頭の上に?を並べている。
「まぁこれは、ヘイロンを討伐しようと考える国が後々出ないようにするためなんだけど」
そう言って、千尋が自分の考えを話す。
「私が『真の魔王』のフリしてルビーフェルドとエメラダルグを襲撃するから、ヘイロンに私をぶっ飛ばしてもらおうかなって」
「ちょっと、チヒロちゃん!? 国がなくなるようなことはしないって――」
「大丈夫だよ、ルーロンさん。そこまでするつもりはないから」
そこまで? 一体どこまでやるつもりなんだろう……。ルーロンは身震いした。
千尋の力を以てすれば、一国を滅ぼす事など朝飯前。そういう意味では「魔王」と言っても差し支えない。だが、それは千尋の望みではない。
「私がずっとこの世界にいるなら、『魔王』と言われても力で大陸を統一しても良いと思ってたの。ヘイロンならそれも可能だと思うし。でも萌が来てくれたから、私は近いうちに自分の世界に帰る」
千尋の左腕を掴む力が強くなる。マリーが無意識に力を入れていた。千尋と離れたくない気持ちが表れている。
「うん、ごめんね、マリー。私には私の世界があるんだ。ただ、二度と会えない訳じゃないから。と言うより、ちょくちょく顔を出すと思うよ?」
「ほんとですか!?」
「もちろん! 私、嘘はつかないから」
千尋の笑顔に、マリーも泣き笑いのような笑顔を返す。
「で、話を戻すけど、私がこの世界にずっと居ない以上、ここの人達で平和を築いて欲しい。もしヘイロンが嫌じゃなければ、抑止力として君臨して欲しいと思ってる」
人と人、国と国が争う理由はたくさんあるだろう。中には食糧問題など止むに止まれぬ事情もある。ただ忘れてはいけないのは、争いに巻き込まれる弱者の存在だ。
強い者は、弱い者を守らなければならない。大きな力は、力を持たない者のために使うべきだ。とは言え、いくら大きな力を持っていても、一人も漏らさず全ての人を救う事は出来ないし、弱者も自助努力を放棄してはならない。助けてくれるからと頼り切りではいけないのである。
バランスを見極め、仕組みを作り、仕組みを動かす。それが政治である。国とは、決して為政者が良い思いをするためにあるのではない。そこに住まう人々に希望を与えるのが国のあるべき姿なのだ。
国が弱者を切り捨て、争いによって新たな弱者を生み出すような愚行に出るなら、絶対強者がそれを正す。そもそも絶対強者が全ての為政者に恐れられれば、愚行は未然に防げるのではないか。
恐怖を撒き散らす「真の魔王」(千尋)をヘイロンが倒せば、ヘイロンは世界を救った「守護竜」として敬意と畏怖を集められる。逆らう事が許されない絶対強者と認められれば、愚かな行為の抑止力として機能する筈だ。
「その絶対強者として、ヘイロンに君臨してもらえたら良いな、って」
「我がどうしたって?」
奥の部屋に行っていたヘイロンが、大きなリュックサックくらいの革袋を担いで戻って来た。革袋を床に下ろすと、「ドスン!」と物凄い音がする。
「ヘイロン? すっごく重そうだね?」
「ふむ。これくらいあれば足りるであろう」
革袋の中身は全てパールグラン王国の金貨だった。
千尋は色々と考えてるようですが、たぶんうまくいかないと思います。
世界を渡る転移の神器を使えば、千尋はすぐにお母さんと会えるのですが、時間軸がずれるという設定のため問題解決を優先する感じです。




