第525話 DYING ROBOT その二十六
特別合同課外授業二十六日目の朝。
豪華客船美食丸は、かつてない活気で溢れていた。食料は足りず、怪我人は多数、船内は粘液にまみれ、霧が立ち込めていた。
絶望的な状況にもかかわらず、船は鳴動していた。希望という福音の鐘を、生徒達は打ち鳴らしていた。これは学生達自らが選び取った道。イバラの道。肉球島からの救助という糸を引きちぎり、一人の少女を救うために船は動き出した。
第十二デッキの生徒会本部で、生徒会長茶柱初火は言った。
「我々がやるべきことは、二つです。一つは紅子さんを助け出すこと。もう一つはソラリスを捜索し、討伐することです」
二つの作戦は同時に動き出した。紅子救出を担当したのは、中学生代表マリー・マリー。
「このお写真がおヒントですの」
マリーは紅子が印刷された紙の束を手に取った。これは、黒乃が補給物資に紛れ込ませて肉球島に送ったものだ。千枚以上ある。
「これは黒乃さんからのメッセージですわ。このお写真を使って、紅子さんを救い出せと言っていますの」
マリーはボロアパートを思い出していた。懐かしい浅草の小汚い部屋での生活。もう遥か昔のことのように感じた。だが今は懐かしんでいる場合ではない。かつてボロアパートはローション生命体ソラリスによって量子状態にされてしまった(209〜212話参照)。ソラリスは量子人間である紅子に取り憑き、自身を量子ローションに変えてローション雲で世界を覆い尽くそうとしたのだ。
その野望は、黒乃とメル子の活躍によって阻止された。その戦いの末、量子状態になった黒乃達を救い出したのは、マリーの作戦であった。マリーはロボチューブの配信を行い、観測者を増やすことで電子雲が収縮し、二人は復活した。
「要するに、観測者を増やせば紅子さんは復活するのですわ」
学生達一千名。彼らが一心に紅子を思えば、紅子の存在は収縮する。そのための紅子の写真だ。これは紅子の存在を確定させるためのツールだ。
「ですが、もう一押し必要ですの。紅子さんの存在を、肉球島の霧の中から引っ張り出す糸が必要ですの。ここにその糸を用意しましたの」
「おい! 離せ! なんで俺様がここにいるんだYO!」
椅子にロープで縛り付けられているのは、怪しい仮面を被り、黒いマントを羽織った怪盗ロボだ。
「調べさせてもらいますの。あなた、紅子さんに触れたら、お具合がよくなったとおっしゃいましたわね?」
「そうだZE! ローションがボディに入り込んで気持ち悪かったのに、急にすっきりしたんだZE!」
「おそらく、紅子さんによってロボローションが浄化されたんですわ。それにハイデンさんがおっしゃっていたことも、それを裏付けますわ」
ハイデンは美食丸に強襲を仕掛けた際、怪盗ロボに頭部を拾われた。その時ハイデンは、怪盗ロボがゾンボだと思い込んでいたのだった(520話参照)。
「怪盗ロボさんを化学的に分析したいですの」
「それができる化学部は……」初様は歯を噛み締めた。
化学部は船内にローションを撒き散らしたローション部の本体であり、ハイデンの支配下にあった。彼らはゾンボと化しており、第三デッキの監獄に収監されている。化学部には頼れないのだ。
「まさか、ハイデンがここまで計略を巡らせていたとは」
「オーホホホホ! ご心配なく! 悪知恵ではさらに一枚上手がおりましてよー! この島にはもう一人、いえ、もう一匹、科学者がおりますのよー!」
それはロボキャットのリーダー、ハルだ。彼は肉球島の工場を取り仕切る管理者であり、技術者でもある。島に流れ着いたチャーリーを解析し、ロボキャットのバージョンアップを果たした(233話参照)。全長十八メートルの巨大ロボ、ほとんどギガントニャンボット、略してホトニャンを開発したのも彼だ。
そして、そのハルを肉球島に送り込んだのは黒乃なのだ。
「怪盗ロボを、掌山の工場に連行しなさい! ハルさんに分析をお願いします!」初様は号令をかけた。
「俺様に人権はないのかYO!」
そしてもう一つの作戦。ソラリス捜索作戦を担当したのは、帰宅部部長茶柱江楼と、我らがちゃんこ部である。彼女らは埠頭に集まっていた。
「そんで? ロボキャット達が島中探したけど、ソラリスは見つからなかったんだな?」
「うん! そうだよ!」
「ぶっコロすぞ!」
「ええ!?」
江様は鏡乃に向かって凄んだ。江様は手のひらの中のベーゴマを転がした。
「そんで? 調べてねーのは、北方の四島だけだと?」
「うん! そうだよ!」
「ぶっコロすぞ!」
「ええ!?」
ソラリスはどこにいるのだろうか? ハイデンの話によると、ソラリスは現在どこかで育成中であって、学生達にはそれを見つけることはできないというのだ。やはり、北方の四島か? 確かに、美食丸に積まれた小さなボートで島に向かうのは危険極まりない。だが、それはハイデンも同じはずだ。
「おい、鏡乃山」
「なに、江楼ちゃん!」
「さっさとソラリスの捜索にいきてーんだがよ、ちゃんこ部はどうしたんだよ!?」
「ええ!?」
この場にいるのは江様率いる帰宅部の精鋭と、鏡乃、まるお部長、ふとし、でかおだ。
「おめーんとこのロボットはどこいった!?」
「新弟子ロボと、弟弟子ロボのこと!? あれ!? いないね!」
「いないじゃねーんだよ、ぶっコロすぞ!」
「ええ!?」
「おい、待ってくれ!」
まるお部長が間に割って入った。
「実は弟弟子ロボの調子が悪いから、新弟子ロボがメンテナンスしているんだよ」
「あーん? どこでだよ」
まるお部長は、埠頭に隣接した小さな倉庫を指さした。
「なんであんなところで……なんか怪しいな」
一行は倉庫に近づいた。その気配を察知したのか、中から新弟子ロボが飛び出てきた。
「ミナサン! お揃いで、ドウしまシタか!?」
「新弟子ロボ! ごっちゃんです!」
「鏡乃山サン! ゴッチャンデス!」
「そこをどけ」
「江サマ! ゴッチャンデス!」
「そこをどけ」
「ナンにもいまセン! ナンにもいまセンったら! 出てきちゃダメデス!」
二メートルを超える巨体が、倉庫の中からのしのしと現れた。足元がおぼつかず、どこを見ているのかもわからない。微かな唸り声を発し、ボディからは粘液が垂れていた。
「ゾンボになってやがる」
江様は舌打ちした。この旅の間、幾度もこの光景を見た。もはや珍しくもない。
「違いマス! 弟弟子ロボはゾンボなんかジャありまセン! ちょっとローションに取り憑かれているだけデス!」
「それをゾンボって言うんだよ」
これは由々しき事態である。通常のロボットとは違い、弟弟子ロボは強力な戦闘力を持っている。それがゾンボとなって暴れ出したとしたら、大きな損害を招きかねない。
「まだおとなしいうちに解体しておくか」
「ダメデス!」
これにはさすがのちゃんこ部も全員で止めに入った。弟弟子ロボは、ちゃんこ部皆で作り上げた大事な仲間だ。そもそも弟弟子ロボを作ることが、特別合同課外授業の目的だったはずだ。
「どこでロボローションに取り憑かれた? この状態だと、直近だな?」
掌山の城での戦いの時だろうか? その可能性は低そうだ。もしあの時点なら、他のロボット達も大勢ゾンボになっているはずだ。
「わぁ! わかった! 鏡乃わかった!」
「なにがだ、鏡乃山」
「海に落ちた時だよ!」
掌山へのハイデン討伐の帰り、第四デッキをゾンボに奪われた美食丸はタラップを下ろせなくなった。仕方がなく縄梯子で船に戻ろうとしたのだが、弟弟子ロボの重さに耐えきれず縄は切れて海に落下したのだった(522話参照)。
「あの時、すっごいヌルヌルしてたもん!」
「じゃあ、その時だな……」
江様はピタリと動きを止めた。手の中のベーゴマを音を立てて転がした。
「どしたの、江楼ちゃん?」
「……」
「江楼ちゃん?」
鏡乃は江様のガチガチに割れた腹筋をつついた。
「てめぇ!」
「わぁ!」
「どうして海に落ちるとローションまみれになる?」
「ええ!? どうしてって、海にローションが流れてたから」
「どうして、流れてる?」
「美食丸から流れ出たんじゃないッスか?」
「肉球島の海はどこでもそうなのか?」
「一昨日西海岸にいったッスけど、そこはきれいな海だったッス」
「じゃあ、ここだけか?」
「そうみたいだぜ」
ハルは、島中を探したがソラリスは見つからなかったと言った。ならば、海はどうか? 海の中は探したのか? もちろん探せるわけがない。
「ええ!? まさか!?」鏡乃はプルプルと震えた。
「ソラリスはまさか!?」まるお部長もまるい体をプルプルと震わせた。
一行は背後を見た。海に浮かぶ豪華客船美食丸を。その下。まさに船の真下。太陽が霧によって隠され、美食丸の影になった真っ暗な海を覗き込んだ。
「美食丸の下に、ソラリスが……」
「クソッタレ……灯台下暗しとはこのことか……」
——掌山の山頂の工場。
工場の一室は、ロボキャット達で埋まっていた。その中で一際大きな黒猫のロボキャットが、器用に前足でキーボードを叩いていた。その背後にはようやく気力を取り戻してきたマリーと、腕にチャーリーを抱いた小梅が立っていた。
「おい! 出せYO! ここから出してくれ!」
怪盗ロボは検査ポッドの中に押し込められ、様々な光線を浴びせかけられていた。
「どうですの?」
「なにかわかりましたか?」
マリーと小梅は、ハルの背後からモニタを覗き込んだ。
「ふん、なかなかに面白い」
怪盗ロボを分析した結果、様々なことがわかった。一つは体内のローションが浄化されていたこと。もう一つは、ローションが量子状態になっていること。これはローションに侵食された怪盗ロボに、紅子が触れたことによって起こった現象だ。
「なぜこうなったのかは知らんがな」
マリーはボロアパートの事件を思い返した。紅子に取り憑いたソラリスは、ハンターナノマシンによって浄化された。その影響だろうか。今はそう考えるしかない。
「この浄化されたローションがあれば、抗ウイルス薬を作れるだろう」
抗ウイルス薬があれば、ゾンボ化を直すことが可能だ。ハルはキーボードを打ちながら続けた。
「そしてこのローションの量子状態。これを分析すれば、この島を覆う霧の波動関数を収縮させられるだろう」
「すごいですのー!」
「さすがハルさん!」
ハルはひたすらキーボードを叩いた。
「ふん、こんな程度の分析などくだらん。チャ王がこの島に降臨し、私が初めてチャ王のお体を拝見した時の驚きと喜びに比べたら……」
「それで、抗ウイルス薬はいつできますのー!?」
「明日までにはできるさ。ついでに、以前から作っていた秘密兵器を引っ張り出すか……」
「おい! そろそろ出してくれYO!」
「ニャー」
準備は整いつつある。最終決戦への準備が。




