第八幕 魔手の囁き 第二場 魔女 箕郷に共感す
「本気かい、坊や?」
甘くねっとりした声で、試すように女が言った。本気か?と訊きながら、やめておけと言いたげな、小馬鹿にするような響きがあった。
「本気で、あたしの穢れた力をお望みかい?」
その覚悟が本当にあるのか、と訊いている。箕郷は、唇が震えるのを隠そうとして口を真一文字に引き結び、ありったけの強がりを集めて、目の前の魔女を睨みつけた。
「むろん、本気だ」
「へぇえ……」
面白がるように、魔女マリリアは箕郷を頭の上から爪先まで舐めるように品定めする。
毒々しいほどの赤い髪と、黒みがかった赤い目の黒魔女は、猿轡を嚙まされて床に転がっている兵士になど目もくれず、何かを見透かそうとして南嶺王子を凝視していた。
(虫も殺さぬような可愛い顔して、ねじけて歪んだ性根がいいね)
くつくつ、と喉の奥で嗤う。氷雪の妖精を姉と慕い、姉と言いつつ手に入れたがる。
(「護りたい」が笑わせるよねぇ。そう言う顔は、男の色気じゃないか)
箕郷は、見るでもなしに目に入ってしまった、奥の部屋の不気味な道具に、尻の穴から這い上がってくるような恐怖を感じた。だが、魔女の視線を感じて、平静を取り繕う。
マリリアは面白がって、ついと身を乗り出してみる。少年がびくっと肩を弾く。
「ふふっ」
(「姉のため」が聞いて呆れるよねぇ。そう言う心は男の邪念だろうが)
魔女は、ふっと表情を変えて椅子の背もたれに寄りかかり、爪の伸びた手をひらひらさせた。
「いいよ、わかった。その話、受けようじゃないか」
「本当か!」
その、深窓育ちの王子の、純粋に喜び輝く面ときたら、堕ちた黒魔女の淀んだ心にすら憐憫の情が湧くほどだった。
(ま、南嶺王子のこどもの遊びに興じてやるのも悪くはないやね)
マリリアは内心ひとりごちながら、望みの報酬額を書いた紙きれを箕郷の前に投げてよこす。
(ましてや狙いがあの男なら、小僧に頼まれるまでもない)
(ラムダ・ティセルダ・ヴィニータか……)
「ーー」
ふいに魔女は押し黙り、どこか遠くを見るように、視線を泳がせた。
こんなに月日が経ってから、またその名に触れるとは想像だにしていなかった。そして、こんなに月日が経っているのに、未だにその名を聞いただけで胸が震えた自分が愛しいような気もした。
(……可愛いところがあるじゃないかーーふん)
自嘲気味に口を歪める。今更、可愛いところがあると気付いて何になる。
(あの頃はーー楽しかった、な)
仲間たちと魔術を競い合い、励まし合い、ときには闘った。異国へ遠征したときには、慣れない文化に戸惑っていろいろ失敗もした。よく怒られもした。そこにはーー
(そこには、いつも、あいつがいたんだ)
黒髪の、寡黙な、美しい男ーー
マリリアは、ぎゅっと目をつむり、組んだ手で額を支えた。王子が何か言っているのが聞こえたが、耳に入らなかった。
(ラムダ……)
その名を呟くと、甘く震える想いと同時に、煮えるような恨みもふつふつと沸き起こる。
(あの夜、すべてを捧げるつもりだったのにーー)
(あいつは……あいつはーー)
ふと目を開けたその先、黒いローブのスリットから見えた己の下半身に、マリリアは現実に引き戻された。
(なにを今更、処女みたいにーー!)
もうすべて、何もかもが、過去の話だ。マリリアは吐き捨てるように髪を振って、面を上げた。その眼にはまた、呪いのような闇が戻っていた。
(恥かかされた女の恨みは、朴念仁には想像もつくまいよ)
清廉なんてくそくらえ、と、目の前で怯えている王子にはわからない隠語で言い捨てた。
「あぁ、悪かったね。ちょっと思うところがあってさ」
マリリアは不自然なほどに快活な口調で言うと、初めて気が付いたみたいに、床に転がされている初老の兵士を見やる。
(ラムダの親父、か)
「ちっ」
ド素人が知ったような真似を、と、また人には聞かせられないような言葉で吐き捨てる。箕郷が、まるで鬼の首を取ったように「囮に使え」と連れてきたのだ。
(邪魔なだけなんだけどねぇ)
せめて血ぐらい用いてやるか、と足で小突く。その、鱗だらけの、人のものではない“足”を見た箕郷は、蒼白になり、見てはいけないと思うのに目が離せない。
そんなことはもう気にもせず、鱗にびっしりと埋め尽くされた、爬虫類の尾のような“足”で、マリリアは兵士を小突き回す。
「ねぇ、あんた。息子のために生贄になるんだ。犬死にでなくて本望だろう?」
(そうさ)
(殺れば殺ったで、怒り狂って、奴の方からくるかもしれないじゃあないか)
我らが再びまみえる瞬間を、祝って飾るは血の赤がいいーー
恋する心に悪魔は宿り
狂気はすべてを超越する
正しい心に情けは絡み
信じるが故に躊躇が生まれる
黒魔女マリリアは、まるで何かと訣別するように、呪文のような詩を詠んだ。
(どうせ、あいつのことだ。見事なまでに隙のない結界を張っているんだろうさ)
だが、それが災いすることもあると、思い知って悔やむがいい。
ラムダの人生が順風満帆ではなかったことなど知ってはいる。それでもマリリアには、人に敬われ人に求められている彼が、とてつもなく恵まれているように思えてならなかった。
(悔やんで、悔やんで、堕ちるとこまで堕ちるがいい)
その手を下す権利が、自分にはある。
マリリアは敢えて、それ以上のことは考えないようにした。




