超人が生まれた日
今となっては、もう遠い昔。超人の細胞は常に瑞々しく入れ替わり、鏡に映る男の姿は全盛期の肉体を維持し続ける。しかし、記憶だけはその降り積もる年月には耐えられず、冬の枯れ葉のように脆く徐々に忘れていく。気付けば、84歳。2075年12月4日、水曜日。梅竹義人は思い出す。15歳の冬。あの淡い日の出来事を—―—―。
2007年12月4日、火曜日。午後5時15分。静寂の中、義人のカウントだけが木霊する。
11、12、13…………!!
彼は幼稚園からの幼馴染、笹川優人に誘われ、久し振りに彼の自宅を訪れていた。
21、22、23…………!!
空から何かが落ちてくる。握り拳大の黒い石が笹川家の庭に穴を開けた。
死ぬな……ッ!! 死ぬなッ!!
何事かと庭を抉った物の正体を確認するため、穴を覗き込んだ。
それが全ての始まりであった。
「起きろよ……。起きろって……」
一定のリズムで胸を力強く押し込む。しかし、彼の目は閉じたままだ。
「……ッ。七杜さん……。どうすんだよ……。喧嘩別れなんて……。そんなのないだろ……!!」
54、55、56……。
沈む夕日が顔に掛かり、縁側に2つの黒い影が伸びる。入り込む風は冷たく、体は震え、指先の感覚はなくなっていく。それでも彼は止めなかった。起きろ。起きろ。起きてくれと祈り、呼び掛け、ただただ胸を押し続ける。だが、無情にも押し込む手の平に伝わるのは人間の筋肉の弾力ではなかった。まるで、冷えた鉄の塊でも叩いているかのような無機質な拒絶感。それでも義人は手を止めない。止めることなど考える余裕すらもなかったのだ。
「——ッ!! 誰かぁーッ!! 誰かぁーッ!!」
気が付けば叫んでいた。聞こえるか聞こえないかは関係ない。死なせないという思いが喉を開き、腹から声を吐き出させる。
「笹川さん?」
近所に住む老婆であった。大きな物音と少年の叫びが彼女を突き動かしたのだ。
「助けてくださいッ!! 救急車!! 救急車をお願いします!!」
こうして救急隊が駆け付けるまでの間、義人は胸部圧迫の手を止めなかった。しかし、優人は目覚めない。共に救急車へと乗り込み、総合病院へと2人は向かう。
人類初の超人は、2人の少年であった。
同日、午後9時23分。時の首相、福山益男はいわゆる超人、人知を超えた能力に目覚めた新人類が誕生したと聞かされ、状況が状況だけにつまらない冗談だとは思わなかったが、「なんの冗談だ?」と思わず口にしてしまったと後年語っている。そして原因が少年宅の庭に落ちた小石程度の隕石によるものだとは夢にも思わなかったそうだ。首相はすぐさま少年らの情報収集と監視を命じる。
「もう一度、2人の名前を教えてくれないか?」
刻み込まなくては。未知の脅威を。
これから何度も目に、耳にする重要人物だ。場合によっては歴史に名を残すかもしれない。そう考えると、顔と名前を二度と記憶から消せないほど海馬の奥に刻み込む必要がある。
「はい。『梅竹義人』と、『笹川優人』です」
「——ありがとう」
こうして人類は新たな局面に向けて歩み始めていた。
目を開けると、そこは四角い部屋だった。
壁と天井は白く、床はワックスによる特殊加工が施され、窓や蛍光灯の光を反射している。
これが知らない天井か……。
この白い天井を見て、彼、碇シンジは何を思ったのか。義人にはさっぱり見当も付かなかった。彼にとってはただの上の階とを分けるだけの板の塊だったからだ。
超人となった彼は一度、大きく伸びをする。そこで改めて自身の体に生じた変化——といっても外見的特徴は何も変わっていないのだが――の観察を始めた。
黒の短髪、身長は181か2センチ。元々肩幅のあるがっちりとした体格であった為、アメコミヒーローのような腹筋の陰影がハッキリとした訳ではないが、かといってもやしのような頼りなさもない。肌の白さでいえばどっこいどっこいだが、単純に言ってしまえば長身中肉といったところだ。
顔も相も変わらず四角く、つまらなそうな光のない一重の瞳。口もへの字に曲がり、己の性根の悪さが表に出ているようで彼は嫌だった。
イケメンにでもなれたら良かったのに……。
思った通りには進まないのが世の常である。
——眠い。
両手で顔を擦り、腕を組んで窓の光から逃れるよう体を右側へと倒す。
今、何時だよ……。
ベッドの横の床頭台に置かれた握り拳大のデジタル電波時計に目を向けると、時刻は午前7時49分と表示されている。
とりあえず呼びに来るまで部屋で待機しててくれって言われてるし、もう一眠りするかな……。
着慣れたスウェットに家の煎餅布団が嫌になるほど頭と体を優しく包み込む枕とベッドの存在に義人は安心して惰眠を貪ることを決意する。しかし、自分の体に起こった変化を試してみたい衝動にも駆られた。
今ならまだ、こないだろ……。
体を起こし、袖を捲った右腕を正面に向かって伸ばす。
フッ……!!
腕橈骨筋辺りに意識を集中させると、タコの足を思わせる触腕がにゅるりと顔を出す。質感は肌と同じ。生やす際に痛みもなく、腕がもう1本生えた感覚があった。
何メートルぐらいまで伸びるんだろ……。
2メートルほど伸ばしたところでさらに別の物へと変化するイメージを強く頭の中に思い浮かべる。すると、伸ばした触腕は根元から金属を重ね合わせる音とともに鈍く光る鋼鉄のテンタクルへと変化した。
「やっぱこっちの方がカッコイイなー」
ドクターオクトパスみたいだし……。
滑らかに動く機械の触腕はまさにドクターオクトパスのバイオアームを想起させる。
義人は先端を3つに開き、天井にくっつけようとして止めた。傷付けたら大変だという意識が働いたのだ。その代わりに彼は触腕を腕へと戻し、床に足を付けてから跳躍。天井に手の平を付け、宙に浮かんだ。
「やべぇー……。スパイダーマンだぁ……」
そのまま両足も天井に付け、意味もなく天井を這い回る。
クモの糸は出せないけど、これは便利だよなぁ……。
そのまま両手を離し、両足で天井からぶら下がった。ものすごい速さで頭に体中の血液が集まってくる。
これは駄目だと、義人は天井から音もなく降りた。
「腹減ったな……」
腹を掻き、そんなことを呟く。
検査入院だから朝ご飯ないのかもな……。
最後に食べた昼休みの弁当以降、何も口にしていない。水分も水かお茶は許された。
暇だなぁ……。
テレビを点ける気分でもなかった彼は両腕を硬化させ、見様見真似のシャドーボクシングをやったり、触腕を天井に貼り付け、ぶら下がったりした。
一通り自身に宿った能力を試したところで最後の取って置き、アームキャノンを試すことにする。まずは硬化させた触腕2本用意し、右肘から上を覆っていく。これで流線形のいかにもな装着型ビーム砲が完成した。
ロックバスター……。いや、サイコガンか!!
サイコガンだったら左かと思いながらも左手で銃身を支え、撃つ真似をする。
ドォーン!! ドドドォーン!!
効果音を思い浮かべながらポーズを決めていく。すると、撃ってみたいな……。という思いが湧き上がってくる。力を溜めればできるはずだった。コブラ。サイコガンは、心で撃つのよ。なんてセリフまで浮かんでくる始末だ。
ちょっとだけ、籠めて見るかな……。
意識を銃へと集中させ、体中のエネルギーを銃身へと集める。すると、徐々にエネルギーが集まってくるのを感じた。鉄の焼ける匂いがする。
ヤバい!! ヤバい!!
このままでは本当に撃ってしまうと義人は急ぎ、能力を解除。溜まり始めていたエネルギーは霧散していく。
危ない。危ない。
ふぅ……と溜息をつき、腕を元に戻すと、横開きのドアがノックされた。
「おはようございまーす。梅竹さーん。起きてくださーい。朝ですよー」
ガラガラと音を立てるカートと共に女性看護師が足早に入って来る。黒い髪を後ろで束ね、ツンとした大きな瞳。仕事ができますオーラを全身から漂わせる、スタイルの良い清廉な女性だ。
「……おはようございまーす」
義人は後ろを軽く振り向き、会釈する。
「昨日は良く眠れましたか?」
「ああ、はい。よく眠れました」
枕が変わるとーということがある義人であったが、スッと眠り、気が付いたら朝を迎えられたほど最高の一晩であったように思う。一服盛られたという気がしないでもないが、今の自分であれば気付くことができるという確信があり、そもそも自分には効かないだろうという謎の自信があった。
「そうですか。それは良かったですねー。気分が悪いとかも特にないですか?」
「はい。特にありません」
事務的な会話。義人はニコリともしない彼女と何とか目を合わせつつも少し圧を感じていた。
なんか緊張するな……。
「解りました。では、朝の体温をお願いします」
紫外線を酷く嫌う白く透き通った手が体温計を差し出してくる。
「ありがとうございます」
受け取り、ベッドへと腰掛けて左の脇に差し込む。すぐに電子音が鳴り、取り出して見ると36度5分、と表示されていた。
「いつもこれぐらいですか?」
受け取り、彼女は問う。
「……たぶん、そうだと思います」
「そうですか。解りました。もう少ししたら検査がありますので、それまでもう少々お待ち下さい」
それだけ伝えると、彼女は足早に去って行く。一瞬、視線が天井へと向けられた。
「ふぅ……」
なんか疲れた。
そう言えばと朝のトイレに行っていないことに気が付き、尿意を催した彼はスリッパを履き、パタパタと病室を後にする。最後まで彼は見られていたことには気付かない。
身長。体重。血圧。視力。聴覚。心電図に採血といった健康診断を一通り終えると自宅に帰るようスーツを着た男性に言い渡される。
これで終わり?
冷たい風が頬を撫でた。すでに着替え、カーゴパンツにファスナーの付いたカジュアルコートを羽織っている。両親からは父親が仕事のため、タクシーで帰ってこいと言われてはいたが、歩いて帰れないこともない距離だったため、少し歩こうと義人はボストンバックを担いだ。そこで優人のことを思い出す。同じ病院にいるはずだ。引き返すと、先程の男性とは別の岩のような大男が行く手を阻んでくる。しかし、身長は自分の方が上。相当鍛えているのは明白であったが、剣道を嗜んでいた義人は姿勢がいい。実際の身長よりも大きく見える。
「どうかされましたか?」
威圧感のある声。さっさと帰れと言われているのは明白だった。
「一緒に運ばれてきた笹川優人はどうなりましたか? もう目を覚ましましたか? 覚ましてなくても一目会っておきたいんですけども……」
目を見て、ハッキリと自身の主張を伝える。ビビることはなかった。なぜなら自分の方が確実に強いからだ。
「ただいま、面会謝絶です。それ以上のことは我々も聞かされてはおりません」
嘘をついているようには感じられない。疑惑の視線を向けられてはいるものの、この人は正直な人だと直感的に感じ取る。
これも能力か……?
まだまだ分からないことだらけだな。
そんなことを考えながら、一先ずここは撤退を決めた。
「そうですか。解りました。ありがとうございます。失礼致します」
義人は頭を下げ、来た道を戻って行く。
まあ、優人なら大丈夫だろ……。
謎の自信がそこにはあった。
そんなことよりも早く帰ろう……!!
腹が減ってしょうがない。義人は少し早歩きで病院から急ぎ、離れる。
なぜ、梅竹義人は拘束されなかったのか。理由は至極単純だ。
いくら超能力者になったとはいえ、現行法では罪も犯していない、それも未成年者をどういう法的根拠で拘束できるのか。そもそも手錠を引き千切ることができるゴリラを何処にどう拘束するのか。そんな場所を僅か数時間のうちに用意することなどできる訳がないし、安易に敵対するメリットは何もない。さらに国民はもちろんのこと、他国にも超常の力に目覚めた新人類が誕生したという情報は洩れてはいないという結論を『公安警察』と『内閣情報調査室』が出してきたのである。
それを聞いた総理は安堵した。じっくりと事を進める時間はあると。
上がって来た情報によれば彼は国家を危機に晒すような危険思想は持っておらず、真面目で優しい性格なのだそうだ。それは超人化した際に心停止を起こした友人を迷わず助けたことからも読み取れる。至ってごく普通の学生なのであろう。
さらに彼は高い再生治癒能力を有しており、上手くいけば医療分野の飛躍的な技術革新が期待できる。であれば、手綱さえ握ればこちらのもの。15歳の子供など、飴さえ与えておけばどうとでもできるはずだ。
親しい女友達はなし……。ふん、童貞か。
総理は部下に指示を出した。
「どこからでもいい。とびきり可愛い女を用意しろ。そうだな……。歳は20代前半といったところか。そいつのボーナスはとりあえず私が用意する。仕事内容は子供のお守りだ。そう伝えておけ」
まさに天からの恵みか……。これで私も、世界の歴史に名を残せるな……。
日本の頂に立った男は更なる名声を求め、新たな一歩を踏み出すのであった。




