第1話 死んでも、窓口
「最強スライムにしてくれって頼んだのに、毒キノコに負けたんだが!」
輪廻転生庁、転生相談室。午前九時二分。
雨宮ネネは初出勤から二分で、死後の職業選択を後悔していた。
「その後、お体はいかがですか」
「三日寝込んだ! なのに誰も『毒耐性を獲得しました』って言ってくれねえの!」
「それは……お大事になさってください」
「お大事にしてたら最強になれねえだろ!」
無茶を言わないでほしい。思ったが、口には出さない。市役所の窓口で四年間働いて身につけたのは、こういうときに心の中だけで返事をする技術だった。
目の前の客は、箱に入っている。
箱といっても、何かの罪で閉じ込められているわけではない。粘体種用の相談槽という、れっきとした庁の備品だ。横長の透明な槽には青いゼリー状の体がたっぷり詰まり、その真ん中に九番の整理券が浮いていた。
「番号札まで取り込まれているんですね」
「手がねえんだよ。持ってろって言うのか」
「そうですね。失礼しました」
「だから最初からそう言ってんだろ!」
正確には初めて聞いたのだが、反論すると話が長くなる。ネネは視線を下げ、支給された端末へ客の名前を入力した。
「桐谷陸さん。転生先は第七二六世界、種族は淡水性粘体種。付与能力は『吸収・分解』でお間違いありませんか」
「その『吸収』が問題なんだよ! 食った相手の技が使えるんだろ。そういうスライムを頼んだんだ」
「確認いたしますので、少しだけお待ちください」
「また確認かよ。ここの職員、『確認』以外の魔法は使えねえのか」
困ったことに、的を射ている。
ネネの転生訂正申請も、十九日間「確認中」のままだった。しかも本人の頭には二本の長いウサギ耳、お尻には丸い尻尾がついている。人間として生き直すつもりだったのに、目覚めたときにはこうなっていた。何に同意したか尋ねても、転生手続きの記憶は原則消えるものだと説明されたきりだ。
申請中も腹は減るし、職員寮にも入りたい。求人票にあった「接遇経験者優遇」「正規登用あり」の文字に心を奪われ、応募してみたら採用された。
面接では耳のことより、生前の窓口経験についてしつこいほど尋ねられた。即戦力を喜んでもらえたのだと思ったが、採用初日からこの騒ぎでは、その判断が正しかったのかネネにも自信がない。
自分の転生について苦情を出した役所で、他人の転生について苦情を受ける。皮肉としてはよくできているが、給料日までは笑えない。
「雨宮さん、背筋を伸ばすと尻尾が挟まりますよ」
隣から声をかけてきたのは、先輩職員の白瀬律だった。白いシャツの肘だけがくたびれていて、神々の機関に勤める人というより、年度末の区役所でひとり残業していそうな人である。
「さっきから挟まっています」
「有尾種用の椅子、後で持ってきますね」
「最初からそちらを支給してほしかったです」
「在庫を確認中でして」
ネネの耳が、ぴたりと後ろへ倒れた。
転生してから知ったことだが、この耳には接客用の愛想というものがない。顔で笑っていても、内心の不満に合わせて勝手に伏せる。ある意味、とても正直な体だった。
「おい、そこのウサギ! 客を無視してんじゃねえぞ!」
今度は二本とも立った。
「雨宮です。ウサギではなく名前でお呼びください」
「じゃあ、ウサギの雨宮。俺の最強能力をどうする」
「後半は付けなくて結構です」
白瀬が小さく咳払いをした。注意されたのかと思ったが、口元を隠している。
ネネは端末の能力欄を開いた。
吸収・分解。取り込んだ物質を分解し、生体維持のための養分に変える。技能、記憶、特殊能力の取得には対応しない。
つまり、よく食べる能力である。
「登録されている内容ですと、食べた相手の能力は引き継がれないようです」
「そんなわけあるか! 吸収って書いてあるじゃねえか」
「物質を吸収する、という意味ですね」
「俺が求めたのは、そういう生活感のある吸収じゃねえ!」
陸が怒って体を膨らませると、整理券の数字が裏返った。九番が六番に見える。
「見ろ、この体で森に放り出されたんだぞ。虫を食っても虫の技を覚えねえ。草を食っても光合成できねえ。毒キノコを食ったら普通に腹を壊した」
「キノコは、やめておきましょう」
「それはもうわかった!」
陸は勢いのまま槽の縁を乗り越えた。青い体がカウンターへ広がり、ネネの前に置かれた書類の角がじわりと溶ける。
「だったら証拠を見せろ! 俺の能力がどれだけ役立たずか、ここで試してやる!」
「お客様、そちらは受付の案内カードです!」
「どうせ役所の紙だろ。食わせろ!」
ネネが引っ込めるより早く、陸はカウンターに置かれたカードを体に取り込んだ。
しかし、カードはすぐには消えなかった。透明な青い体の真ん中に、印刷された文字がくっきり浮かぶ。
《お客様の声を大切にします》
「……桐谷さん。今、お体の中に標語が」
「何だよ、標語って」
「『お客様の声を大切にします』と」
「だったら俺の声も大切にしろよ!」
待合で順番を待っていた客が、こらえきれずに吹き出した。陸がそちらへ向き直ると、標語もくるりと回転する。苦情を言うたび胸に接客標語を掲げるスライムは、何とも説得力に欠けた。
もっとも、笑って済ませていい状況ではない。陸は今もこちら側へ伸びてきている。
「桐谷さん。書類を食べるのは、ここまでにしてください」
「俺が客だって忘れたのか」
「忘れていません。ですが、お客様であっても職員の机に入ることはできません」
「客を神様と思えって習わなかったのかよ!」
「ここは神様も整理券を取る役所です」
白瀬が真顔でうなずいた。
「実際、先週は女神の方が四十分お待ちでした」
「本当ですか?」
「番号を呼んだら、先に帰られていましたけど」
この職場、大丈夫だろうか。
それでも陸が仕切りを越えようとしたため、白瀬が机の下の防護ボタンを押した。薄い光の壁に押し戻された青い体が、むにゅ、と横に伸びる。額を打つ心配はなさそうだが、押されている本人はひどく不服そうだった。
「警備を呼ばれたいわけじゃありませんよね」
ネネが聞くと、陸は何か言いかけ、やがて槽へ戻った。中に浮かんだ標語だけが、まだこちらを向いている。
「……初めからちゃんと説明すりゃよかったんだよ」
その一言で、ネネの頭の中に別の疑問が生まれた。
説明をしていないのは誰だろう。目の前の陸か、それとも転生の窓口か。
「桐谷さん。ひとつ、教えてください。転生前に『食べた相手の能力が使える』と聞いたんですか」
「聞いた。いや、そこまではっきりじゃねえけど……ドラゴンを食ったら火を吐けるかって聞いたら、『成長次第』って」
「その会話、覚えているんですね」
「そこだけ妙にな。ほかはほとんど覚えてねえ。消されるんだろ、転生のときの記憶って」
陸の言い方には棘があったが、そこは否定できない。希望した能力と実際の能力を比べようにも、手続きの記憶が残らないのでは話が始まらない。
「白瀬さん。転生前の面談録音、取り寄せられますか」
「可能です。ただ、回答に時間がかかることもあります」
「なら、今申請しておきたいです」
白瀬が端末を操作し始めると、陸が槽の端に寄ってきた。
「また待つのか?」
「少しお時間をいただきます」
「俺、もう三回目なんだよ。こっちに来るの」
ネネは履歴を確認した。確かに二度の相談記録があり、いずれも途中で途切れている。
転生者は現地で眠っているあいだ、意識だけを庁の窓口へつなぐことがある。目覚めれば接続は切れ、相談室に現れた姿も消える仕組みだ。陸も森のどこかで眠っているはずだった。
「前の二回とも、話してる途中で目が覚めた。次に来たら、また名前から聞かれる。お前らには同じ話でも、俺はそのたび森で一晩過ごすんだよ」
青い表面が少しだけ沈んだ。
「最初の夜なんか、ずっと『能力一覧』って叫んでた。そういうの、頭ん中に出ると思ってたから」
「何か表示されましたか」
「月しか出ねえよ」
ネネは笑いかけて、やめた。本人は本当に困っている。
自分の鞄には、回答欄に「確認中」と書かれた訂正申請の控えがある。日を追うごとに紙の折り目だけが柔らかくなり、返事は一向に変わらない。そのいらだちなら、少しはわかった。
けれど、わかるからといって何でも認めていいわけではない。ネネは市役所で覚えたことを、ようやく一つ思い出した。
「桐谷さん。お願いを二つに分けさせてください」
「何の話だよ」
「一つ目は、最強の能力を付けてほしいというご希望。これは今、この場でお約束できません」
「なんだと」
「二つ目は、実際に説明された内容と付与された能力が違うのではないか、というご相談。こちらは、記録を調べる理由があります」
陸が反論しようと体を持ち上げる。そのたび胸の標語が上下して、どうしても少し間の抜けた絵になった。
「だってお前、最強のスライムって……」
「桐谷さん。『最強』は能力の名称じゃありませんよね」
「そりゃ、そうだけど」
「もし言い方だけで能力が増えるなら、私なんて今ごろ『完全無欠の正規職員』を名乗っています」
白瀬がうなずきかけ、途中でやめた。
「正規登用は、きちんと審査がありますからね」
「たとえ話です、白瀬さん」
陸は一瞬黙り、ふいに槽の中で小さく震えた。
「……お前、変なウサギだな」
「今は職員です」
「耳が寝てるぞ」
「耳は勤務態度の評価対象外です」
そう言ってやったら、待合の客がまた笑った。今度はネネも少し笑えた。
「じゃあ、調べろよ。その二つ目の方」
「はい。調査する内容を明記して、受付を残します。次に来られたときは、途中から確認できるよう引継ぎも付けます」
「名前からやり直しは?」
「しません。本人確認は必要ですが、今日お話しくださった内容は、また一からお聞きしません」
「何で最初の二回はそれをやらなかったんだよ」
「それは、私も聞きたいです」
言ってから、しまったと思った。客と一緒になって職場に文句を言ってどうする。
しかし陸は、その日初めて声を立てて笑った。水の入った瓶を揺するような、ぽこぽことした笑い声だった。
端末が短く鳴った。白瀬が顔を上げる。
「面談録音が届きました」
「えっ、もうですか」
「照会が通れば早いんです」
「私の申請も、早いと助かるんですけど」
「それは別の部署です」
そうでした。ネネは椅子に座り直し、尻尾を挟んだ。
再生された音声からは、今よりずいぶん嬉しそうな陸の声が聞こえてきた。
『スライムでお願いします。食べた相手の能力を使えるやつがいいんですけど』
『吸収能力付きの種族になりますね』
『ドラゴンを食ったら、火も吐けます?』
『成長次第では、さまざまな可能性があります』
『じゃあ、それで!』
ネネは確認書に目を落とした。能力の説明欄には、技能の取得はできないと明記されている。なのに、音声ではその制限が伝えられていなかった。
「白瀬さん。これ、能力の故障というより、説明の食い違いですよね」
「……ええ。少なくとも、確認する価値はあります」
ネネは相談の分類を変えた。『能力不具合』を取り消し、『説明内容の相違』を選ぶ。再生時刻と該当する発言を書き添え、陸が期待した内容も、文書に記載された制限も、両方残した。
「最強にしてもらえるのか?」
「そこはまだ決まっていません。でも、桐谷さんの勘違いだけで終わらせないようにします」
「……そうかよ」
陸の声が、ほんの少し低くなった。陸の体はすでに薄くなり始めている。眠りが浅くなってきたのだろう。
「それと、次までに安全な食べ物を確認しておいてください。知らないキノコで試すのは、もうやめましょう」
「わかったよ。今度は魚にする」
「生で食べて安全な魚かどうか、先に調べてください」
「じゃあ何なら食えるんだよ!」
「その点も現地の生活支援担当へ照会します!」
仕事が、どんどん増えていく。
最後に陸は、箱の底へ体を薄く広げた。
「雨宮、だったな」
「はい」
「次、いなくなるなよ」
「私がお休みでも、引継ぎは残します」
「……あと、ウサギって呼んで悪かった」
「ありがとうございます。次は名前でお願いします」
青い体は、ふっと消えた。相談槽の底には、角の丸くなった整理券と、ふやけた案内カードが一枚残っている。
《お客様の声を大切にします》
「標語を残していかれましたね」
「うちの備品なんですけどね」
白瀬が手袋を持ってくるあいだに、ネネは受付記録へ担当者名と引継ぎの要点を書き込んだ。次の勤務者が誰でも、陸の話を初めから聞き直さなくて済むように。初めて自分の判断で仕事を一つ動かしたことが、ちょっとだけ嬉しかった。
時計は、まだ九時半になっていない。
これで一件。しかも、解決したわけではない。
ネネは尻尾をかばいながら椅子から立ち、鞄の中の訂正申請書を取り出した。陸の確認書の隅に押されていた小さな四角い印が、どうしても気になったからだ。斜めの線が二本入った印。自分の控えにも、同じ形がある。
「白瀬さん。この印、何の処理に使うものですか」
白瀬は書類をのぞき込み、すぐには答えなかった。
「特定の承認経路を示す印ですね。ただ、何が承認されたかは記録を調べないとわかりません」
「では私、休みの日に、その記録を正式に見せてもらいに行きます」
「ご自身の件ですか」
「はい。何でも『確認中』で済むなら、窓口なんて要りませんから」
自分で口にして、ネネは少しだけ驚いた。生前だったら、心の中で言うだけだったかもしれない。
そのとき、次の呼出ベルが鳴った。
「十番の方、どうぞ」
待合から立ったのは、背中に巨大な剣を背負った青年だった。歩くたびに剣の柄が天井の案内板へ引っかかり、本人は何度も頭を下げて通路を進んでくる。
「ご相談内容を伺います」
「勇者になったんですけど、職業の説明と違うところがありまして」
ネネの耳がぴんと立つ。
「どういったことでしょう」
「剣を抜くと、仲間が全員帰るんです」
白瀬がすかさず受付票を一枚差し出した。
「雨宮さん、まず安全確認ですね」
「はい。……それと、剣は抜かないでくださいね」
「抜いてないんです。勝手に抜けるんです」
青年の背で、剣がひとりでに三センチほどせり上がった。
ネネは反射的に机の下の青いボタンを押した。先ほど陸を押し戻した光の壁が、誰もいない相談槽をすっぽり包む。
「白瀬さん、防護があちらに出ました!」
「それは粘体種用です。人型のお客様には、隣のボタンを」
「最初に教えてください!」
青年の剣は、なおもゆっくり抜け続けている。ネネは尻尾が椅子に挟まるのも忘れて、今度こそ正しいボタンに手を伸ばした。
この仕事、たぶん『接遇経験者優遇』だけで募集してはいけない。




