16.高祖父の願い
【今回のあらすじ】
勇真は、持ち帰った高祖父の手記を解読し、神護家の歴史と家訓を知る。
仕事から帰ると、毎日少しずつ紙束に書かれた筆文字と向き合った。
理系なので国語は得意とは言い難い。旧漢字と、くずし字と、変体仮名と、文語的な言い回しがまるで暗号のように見えたが、日本語である限り読めないはずはないと思って挑戦し続けた。
くずし字を解読してくれるアプリや旧漢字変換アプリを使い、出てくる文字候補を手掛かりに、少しずつ読み解いてゆく。最初はまったく読めなかったものが、見慣れてくるに従って、少しずつ読めるようになってきた。高祖父の癖字も判別できるようになり、3か月もすると、細部はともかくおおまかな内容は理解できるようになった。
紙束は3つのパートに分かれていた。
ひとつめには、一族の主要な出来事が時系列順に記載してあった。
父が書いた家系図と重なる部分が多かったので、それがわかってからは解読が早かった。おそらく父はこの年表をもとに家系図を作ったのだろう。
明治三十八年三月 奉天にて尸皇により救命され守護と奉仕の契
明治三十八年十一月 帰国および退役 尸皇の託宣に従い横浜に貿易会社を興す 主として信州の生糸を商い大いに益を受く
明治三十九年十二月 村井マツと婚姻 東京市松井氏居宅にて縁者を集め宴す
明治四十一年四月 長男総一誕生
明治四十一年七月 信州山麓に居宅落慶 尸皇を本邦に招致す
という記述にはじまり、そのあとは子供たちの誕生と死と結婚、孫の誕生と死と結婚などが、高祖父が亡くなる前年の1960年まで書かれていた。
最後に記載されているのが、高祖父にとって初めてのひ孫にあたる、勇真の父、真悟の誕生だった。
家系図の1960年以降は、父が独自に調べて書いたものなのだろう。
紙束のふたつめは、高祖父慎一郎の半生を回顧する手記だった。
勇真が苦労して読み解いたところによると、神護家は武士の家柄で、慎一郎の父は西南戦争に官軍として従軍して戦死している。慎一郎が3歳のときだ。
その翌年、母子で身を寄せていた伯父の一家が流行り病に罹り、伯父一家と母をいっぺんに失った。一緒に罹患したものの奇跡的に一命をとりとめた慎一郎は、4歳で天涯孤独の身となった。
慎一郎は、父親の友人に引き取られ、育てられた。
養父母は温厚な人柄で、慎一郎を大切にしてくれたが、慎一郎は血縁を失った悲しみを拭うことができなかったようだ。慎一郎は、血縁の恋しさと、失った寂寥を切々と語っている。血縁を途切れさせたくない、血縁を失う悲しみを子孫には味わわせたくない。それがなにより大事だという思いが、彼の中で大きく育っていったことがわかる。
慎一郎は成長すると育ての親の勧めで陸軍に入隊した。死に直面するかもしれない軍人など慎一郎の忌避するところだったが、恩ある養父母の意向を無下にすることはできなかったようだ。
そして日露戦争に出征し、奉天で所属していた部隊が壊滅的打撃を受ける。累々と死骸が転がる中、慎一郎は自分の体から流れ出る血を意識しながら、これで神護の血は永遠に絶たれるのだと覚悟した。
そこへ、ふらりと老人が現れた。
中国の古い絵から出てきたような服装をして、仙人のような長い白髪と、長いあごひげを風になびかせていた。老人は、自分は人ではなく神だと言い、尸皇と名乗った。
尸皇は、瀕死の慎一郎に「生きたいか」と尋ね、慎一郎が頷くと、慎一郎とその子々孫々を守ってやろうと提案した。そのかわり、神護の血を奉仕させる契約を結べと言う。
慎一郎は提案を承諾した。
慎一郎は、「神護家の一同は、当家の守り神たる尸皇を老師として敬い、その教えに背くことなかれ」と記して、手記を終えている。
みっつめは、慎一郎が子孫に残した神護家の者が必ず守るべき定めだ。
一、神護家の血を継ぐ者は、尸皇の教えに背くことなかれ
一、神護家の長男は、当主として老師の教えに従い、一族を正しく導くべし
一、神護家の長男は、善き血を持つ女子を伴侶とし、善き血の子を数多もうけるべし
一、神護家の長男以外の男子ひとりは、山の館へ奉仕すべし
一、神護家の血を継ぐ子らには、齢六つにてこの定めを授け、生涯これを守ることを誓わしむべし
これ神護家の永遠の繁栄の為なり。ゆめゆめ違うべからず
父も、この定めを叩き込まれ、守ることを誓わされたのか。
だが、父は勇真には何も教えなかった。神護家の定めなど今初めて知った。
家系図に赤字で記されていた〈尸〉の文字は、尸皇に仕えるべく、山の館へ行ったということだと、勇真は理解した。
神護家の定めによれば、本来は兄が神護家を継ぎ、自分が山へ行くはずだ。ではなぜ、兄がいなくなり、自分は残され、しかも神護家の歴史も家訓も知らされず、家に関する情報から遠ざけられていたのか。読めば謎が解けると思ったのに、ますますわけがわからなくなってしまった。
【登場人物】
神護勇真:主人公。33歳。IT企業に勤めるサラリーマン。
神護慎一郎:勇真の高祖父。
(旧姓村井)マツ:慎一郎の妻。勇真の高祖母。
神護慎吾:勇真の父。
神護真澄:勇真の兄。
尸皇/老師:神護家を守る神。




