0.はじまりの場所
【今回のあらすじ】
28年ぶりに帰国した博貴は、縁ある60代の夫婦を橋から転落させて殺害する。
赤く塗られた鉄骨製のアーチ橋を見つめて、博貴は戻ってきたことを実感した。
28年離れていた日本は、多くのものが変化していた。街並みも、人々の服装も、髪形も、持ち物も、女の子の化粧も、男たちの眉毛も、道を行く車の車種も。でも、この橋の姿は変わっていない。自分の運命を狂わせたこの場所は、あの時のままの姿を保っている。
橋の下を流れる川は、昨日降った雨で水嵩が増していた。水面まで約30メートル。ここから落下すれば、助かる見込みはほぼないだろう。
博貴は、大きく息を吸って目を閉じ、ふつふつと湧き上がってくる感情を抑えつけると、ゆっくりと息を吐きながら目を開けた。
前方から橋を渡ってくる男女の姿が見えた。
懐かしいふたり。
博貴はサングラスを外して、近づいてくるふたりを見つめた。守りたかったはずの家族の、愛した人の、最期の姿を心に焼き付ける。
60代という年齢相応の姿で仲睦まじく歩くふたりを見て、自分も同じように、普通の人間として、普通に年を重ねたかったと、いまさらながら心の奥底がじくじくと痛む。しかし、28年前のあの日、年をとることも、死ぬことも、人であることも奪われた博貴は、そんな人間じみた感傷に蓋をする。
ふたりが立ち止まり、博貴を見た。男は驚きに目を瞠り、女は――昔と変わらぬ熱いまなざしを博貴に向けた。
サングラスをかけ直し、同時に感情を完全に遮断すると、さっと手をひらめかせて、奴霊を呼んだ。
地面からボコボコと湧き出てきた黒い粘液のような奴霊たちは、膨らみ、縮み、伸び、ちぎれ、合体し、様々な形に変化しながら、男女ふたりを包み込み、橋から川へと突き落とした。
博貴は、水面下のふたりを、さらに水底へ引きずり込むよう奴霊に命じた。
橋の上から、しばらく川面を見つめていた博貴は、サイレンの音に気が付き、顔を上げた。音は間違いなく近づいてきている。
周囲に数人の観光客の姿があったが、彼らが通報したにしては早すぎる。
――真澄はここにいないはずだ。まさか、夏樹さんが……?
博貴は未来視の力を持つ叔父を思い浮かべた。が、叔父の仕業だったとしても、山の館から出てくることのない叔父には、これ以上何もできないはずだ。
――それとも伯爵の嫌がらせか?
どちらにせよ、ここに長居はできない。
指を噛んで血を出すと、その血を霧にして周囲に撒く。血の霧に包まれた目撃者たちは、一様にトロンとした目になった。血種の能力で彼らの記憶を改竄する。大勢の人間相手では難しいが、数人相手ならば容易い。
サイレンの音と回転灯の赤い光が近づき、近くにある休憩所にいた人々が、様子を見に橋の方に集まってきた。
今、ふたりの遺体を回収するのは得策ではなさそうだ。だが、このまま流されて行方を見失い、自分が確認できないところで誰かが介入してしまう可能性は、排除しておく必要がある。ふたりを尸族にも忌族にも渡すつもりはなかった。
奴霊に命じて、ふたりが川岸に打ち上げられたかのように見せかけた。人間の手に渡れば、尸族も忌族も安易に介入しないはずだ。
駆けつけた救急隊員に、橋に集まった野次馬が、ふたりが打ち上げられた場所を指さして教えた。救助に向かう隊員の姿を見届けてから、博貴は橋の上から姿を消した。
【登場人物】
博貴:血種。詳細は後に判明。今はナイショ。
60代の男女:次回判明。今はナイショ。
真澄:詳細は後に判明。今はナイショ。
夏樹:博貴の叔父。未来視。詳細は後に判明。今はナイショ。
伯爵:詳細は後に判明。今はナイショ。
【用語】
血種:血を媒介に特殊な力を操る者。
尸族:血種の一派。詳細は後に判明。今はナイショ。
忌族:血種の一派。詳細は後に判明。今はナイショ。
奴霊:血種が操る霊体。




