106.わたくしの気持ちを聞いてください
ジルベールに連れられ、別室に移動する。
先ほどの場所からはさほど離れていないが、喧騒は聞こえない。
部屋にあるソファに腰かけた。
ここでジルベールはハッとしたように、動きが止まった。というより、呼吸すら止まっている。
「殿下? どうされたのですか?」
レティシアが心配になり声を掛けると、ジルベールは我に返る。そのタイミングで呼吸も再開していた。
「あ……いや、えっと。きょ、距離を置くと言っていたのに、来てしまったから。その……」
「え? それを今思い出したのですか?」
「あ、ああ。すまない」
「い、いやだ、殿下ったら。ふふふっ」
慌てぶりから何か公務が抜けていたのかと思っていたけれど、全く違ってレティシアは笑みが溢れる。
「ではそれを覚えていたら、今日は来てくださらなかったのですか?」
「い、いや、そういうわけでは」
「ふふふっ」
その慌てぶりに、更に笑みが抑えられくなってしまう。
ジルベールも自分の矛盾に何も言えなくなり、所在無さげに頬を搔いている。
「ふふ、ごめんなさい。ふふっ」
「笑いながら言われても、謝罪の意思が見えないよ……。でも嫌でないのなら良いか」
レティシアが、ジルベールの前でここまで笑うのは初めてだ。
最初は羞恥に苛まれていたジルベールだったが、レティシアの笑顔を見られる喜びに変わった。
「レティシアのそんな笑顔、初めて見たよ」
「わたくしもここまで、ふふっ、笑い転げるのは初めてですわ。ふふ」
「とりあえず少し落ち着こうか」
レティシアはツボに入ってしまい、会話も少し難しい。
そんな状態が数分続き、ようやく落ち着いてきた。
「はあ。失礼しました。落ち着きましたわ」
「まあ、笑うことはいいことだよ。うん」
「すねないでくださいませ」
「すねていない。恥ずかしいだけだ」
その正直な様子にまたレティシアは笑いそうになるが、これ以上はいけないと堪える。
というより本題に入りたい。
その為にジルベールを呼んでもらえないかと頼んだのだ。だからジルベールが約束を反故にしたということはない。それなのに、思い出して慌てるなんてジルベールらしくない。だからこそここまでツボに入ってしまったのだけれど。
ジルベールもいい加減本題に入りたいと思ったのか、改まった態度になる。
「レティシア。改めて、良かった。本当に、良かった」
「ありがとうございます。これも殿下のおかげですわ」
レティシアの言葉に、ジルベールは一瞬言葉に詰まる。けれどすぐに笑った。
「……ありがとう。私がレティシアの助けになっていたなら嬉しい」
「ええ。皆様に口々に言われたものですから、恥ずかしかったですわ。まさに事実は小説より奇なりとはこのことですね」
「……どういうことだい?」
ジルベールはまだ知らない。レティシアの味覚が戻ったきっかけを。
それを伝えなければ、自分達は前へ進めない。この先を考えるのなら、今ある羞恥心などねじ伏せて見せる。
レティシアは震えそうになる手で、用意していたものをジルベールの手に乗せる。
「……これは?」
「マフィンです。コレット様に教わりながら、わたくしが作りましたの」
「レティシアが? 味覚が戻ったお祝い?」
「違いますわ。これを作っている間はまだ戻っていなかったのです」
「?」
ジルベールからしたら、味覚が戻っていないのにお菓子を作るなんて理由が分からないのだろう。
首を傾げる様子に、胸がキュンとする。自覚するだけで、こんなにも見方が変わるのだなと思う。
一度気持ちを落ち着かせるため、大きく深呼吸する。
「コレット様が教えてくださいましたの。今日は、好きな人に手作りのお菓子をあげる日なんだそうです」
「え」
「好きと言っても、色々な意味があるそうで。恋人はもちろん、家族、友人にもあげるそうですわ」
「あ、ああ。そう」
一瞬頬が紅潮したと思えば、一瞬で治まる。次いで恥ずかしそうに俯いた。
その気持ちの移り変わりが、手に取るように分かる。お互い感情を出せるようになっただけでなく、わずかな表情の変化も分かるようになったのも大きな進歩だ。
「作っている間、わたくしはずっと殿下のことを考えておりました。渡す相手はほかにもいたというのに」
「!」
レティシアの言葉に、ジルベールは顔を上げる。
「殿下のために失敗しないように、そして少しでも大きくて見た目が良いものを選んでいましたの」
「それ、って」
ジルベールは期待の籠った目をしている。
「わたくし、殿下のことが好きですの。他の誰でもこれは替えにならない。特別な好きですわ」
「っ」
ジルベールの紫の瞳が潤む。
「殿下への想いを自覚したら、味覚が戻りました。だから殿下のおかげで間違いありません」
「レティシア……っ」
「随分時間がかかりましたが……これから、貴方の隣にいても良いでしょうか?」
レティシアの言葉に、ジルベールの手の甲に水滴が落ちる。
ジルベールが顔を上げる。一筋、涙が頬を伝うのがとても綺麗だと思った。
「ああ。……ああっ! もちろんだよ。レティシア、私の伴侶となってほしい」
「っはい。喜んで」
ジルベールの腕が、レティシアに伸びる。
抵抗せず、レティシアは目の前の胸にすり寄った。
初めて感じる、ジルベールの体温。レティシアも一筋、涙を流した。
いつも読んでくださりありがとうございます
作者は豆腐メンタルなので、過度な批判や中傷は御遠慮いただけると幸いです。




