反則(後)
二話同時掲載その2
この前の話を読んでいないという方は、前の話からお読み下さい。
結局グラタンもローストビーフも平らげて、悪くはないの一言で締めてきた。まさに予定調和。
あまりにも予想通りすぎて、食後の飲物を用意しながら、ふふっと笑ってしまう。
ぼんやりとニュース番組を見ながらソファーでくつろぐ番に、ほうじ茶を差し出した。
湯のみの底に入った文様が、薄っすらと見えている。
最近嗅ぎなれてきた、独特の香ばしさが漂う。私の好みのコーヒーと、彼の趣味のほうじ茶を、食後の一服に一日おきに淹れている。
「足りないな」
「あれ? ……今日のごはん、ボリュームに欠けていたかな?」
ぼつりと呟かれた一言にびっくりした。大丈夫だと思っていたけど、量の計算を失敗したのかな?
隼人は案外大食いなの。天狗だから、飛ぶための筋肉を維持するべく、相当多めに食べる。下手なアスリートよりも。案外甘いものを好むのも、そのせいだという。
だから今は、量もかなり考えて準備しているんだ。隼人のおかげで勉強に費やす時間が少なく済んでいるから、できるようになったこと。
「Treatが足りない」
「だから、何を求められているのかわからないって。さっきも言ったでしょう?」
リドルのように畳みかけられても困る。受験の追い込みに疲れ果てた私の頭では、余計なことを考えられない。
思考を放棄して、ほうじ茶に口をつける。熱さで舌が少しピリッとするけれど、それすら心地良い。やわらかな甘味とほのかな苦味が口いっぱいに広がる。ほっとする味で、おいしい。
「まあ、あれだ。求めているTreatは、千鶴の全てだ」
「すべて?」
「全てだ。頭のてっぺんから、つまさきまで。そして……心ごと」
隼人は私の腰をとり、髪を一筋すくい上げて弄ぶ。
自分で言うのも何だけど、柘植の櫛と椿油で丁寧に手入れしているからか、髪質はなかなかのはず。好んで触れてもらえるのは悪い気はしないけれど、やっぱりどこか気恥ずかしい。
くんっと引かれて視線を向けると、隼人が私の髪に口付けた。髪へのキスは、確か、思慕を示すもの。
だけど、だけど……!
欲がむくむくと頭をもたげる。嬉しいけれど、求めているのはそこではない。
「はや、と」
「物欲しそうな顔をして、どうした?」
流し目に漂う色香に、たじたじしてしまう。まだ慣れない。
「わかってる、くせに」
口づけを神聖視する隼人に求めること自体、本当は烏滸がましいのだ。けれど、髪の毛にしてくれた。それなら、別の場所にと考えてしまうのは、おかしなことではないと思っている。
「言ってくれないと、伝わらないけどな」
「ううっ……」
本当は気づいているのだろう。余裕たっぷりの薄い笑みが、彼の心持ちを物語る。羞恥心を煽るために、私から求めることを望んでいる。
心の奥底では求めている。だけど、口にするのは気恥ずかしさが先立って躊躇してしまう。
「仕方がない。千鶴の魔性と先の夕食に免じて、俺からするか」
時折、隼人はおかしなことを口ずさむ。私には、魔性なんてかけらもないのに。色気とか、そういうのは隼人の担当なのに。
男性にしては細くてきれいな手が、私の顎をすくい上げた。
顔を上に向けられて、啄むように、唇に同じもので触れてくる。
あたたかくて、柔らかくて、ほっとする感触。先程口にしたほうじ茶の香ばしさに鼻腔をくすぐられた。
何度も味わった彼の唇に、改めて気持ちがあふれてくる。
「更に赤くなったな」
「だって……」
「初心な振る舞いのままのお前も、悪くはない」
一生に一度きりはもったいないと、何度も、というより顔を合わせた日はほぼキスをくれる。
感触や互いの仕草に全神経を費やしているから、この瞬間は隼人を独占している気がして好き。
「隼人は、私から初心さが失せたらどう思う?」
「失せたとしても、千鶴らしい反応をするのだろう? だったら悪くはない」
「私、らしい、反応?」
私らしい反応と言われても、今ひとつピンとこない。
自分でも面白みがないと自覚しているから。
「任務がらみだとうって変わって顔色一つ変えないのにな。不思議と俺の前では表情豊かになる」
「そんなにわかりやすい?」
「ある程度はな」
忍として訓練してきた。その矜持もあって、感情を隠すことに長けているつもりでいた。なのにこの有様だ。
私、どんな道化なの!
「どうしたんだ。溜息なんかついて」
「表情でわかるって、忍としてどうなのよって自分を責めたくなったの」
「大丈夫。千鶴の懸念は杞憂だ」
キユウと言われて、とっさに変換できなかった。
息を深く吐いてやっと、漢字を当てはめて、意味を飲み込めた。
「俺はずっと千鶴を見てきたからな。千鶴の感情は、俺以外にそう簡単に読まれはしない」
隼人は、中学入試のときに初めて私を見たという。だけど、合格圏ぎりぎりで受験に挑んだ私は、残念ながらあまり覚えていない。彼の記憶に留まって、惚れられていたと聞くと、一方的に申し訳なくなってしまう。
「二人きりのときだけ、千鶴が柔らかく笑んでくれるようになった。それだけの話だ。お前が自分を責めるようなことではない。……むしろ、俺にとってはこの上なく喜ばしいことだかな」
そんなことを言うなんて、反則だ。私の頭をわしわしと撫で回す体温がまた心地よくて、目頭が熱くなってくる。
「……隼人って、本当に私と同世代なの?」
彼から翻弄されるたびに浮かぶ疑問。天狗の長命種なら、外見は同年代だとしても、ずっと歳を重ねている。
隼人が天狗なのは疑いようもないのだから、むしろ多数派だと言われたほうがしっくりくる。
「もちろん。お前と同じ時を刻めるからこそ、少数派で良かったと考えられるようになれたのだがな」
「そうだね。番を失って一人だけ若い姿のまま悠久の時を永らえるって、色々通り越して怖いよ、ね」
寿命の異なる種族同士が惹かれ合い、片方が長い晩年を孤独に過ごすことは、ままあるらしい。天狗とヒトとの例も、少なくはない。私の祖先にあたる天狗も長命種で、十代以上に渡り、独り子孫を見てきたという。番だけに飽き足らず、子孫も何代も見送るとなると、その内心は想像を絶する。
「千鶴に出逢えて、この為にこんな宿命をつけられたのかと納得した」
そんな大仰なと、笑い飛ばそうとして失敗した。
真剣な面持ちで、鋭い視線で、私を射抜いてくるんだ。反則だよ。
ほうじ茶の香りがすっかり弱まってしまった。飲みかけだったけれど、冬が近づくこの寒さの中、時間を置いて冷めてしまったのだろう。
「……んっ」
隼人の手をとり、ぎゅっと握りしめた。うまく出てこない言葉の代わり。
何だかんだで、私たちは互いに寂しがりやなんだ。
同時に果てるのが難しいとしても、孤独のときが短いに越したことはない。




