姉の心(前)
桜がぽつりぽつりと綻んで、淡い色で皆を楽しませ始めた頃合の今、私はとある田舎の山間を訪れている。
ここに踏み入るのは一年ぶり。
「最近、山間も空気が微妙なところが多いけれど、相変わらず澄んでいるわね。よかった」
変わらない空気に安堵した。
人に会うためにきたんだ。高校を卒業したばかりの彼らは、別々の進路に備えてゆっくりと過ごしているみたい。
私にも宿泊部屋を確保した上での歓待。私の分はこちらで費用をもつと言ったけれど、当初は固辞されたの。
けれどね、出してもらってばかりだと、気軽に訪問できなくなるわね。そう伝えると、今回はこちらもちになった。
偶にだったら甘えるけれど、毎回毎回だと気が重くなると思うの。知る人ぞ知る温泉旅館。事情が事情だから、権力者に人気で結構お高いから尚更なんだよね。
この旅館は風情もさることながら、ご飯が美味しかったのよ。だから、機を見ながらなるべく気兼ねなく訪問したいの。
いや、勿論二人に会いたいのよ? 私は旅館に宿泊せず、日帰りで来てもよかったのよ?
旅館を見下ろせるこの場所は、前に訪問した時に見つけた、私の気に入りの場所。
ただ、難点は……ヒトの姿だとこの場に行き辛いのよね。
大きな木の天辺付近ともなると、天狗の飛翔能力が欠かせない。私は、木の根元に降り立って、ヒトの姿をとる。
目的地までもう目の前だし、私のことを知らないヒトだっているはずだから。
旅館につくや否や、部屋に通される。ぱかーんと開けた風景がガラス越しに映し出される部屋だった。畳を変えたばかりなのか、藺草が強く香る。
使い込まれた畳も悪くないけれど、この香る畳の方がやっぱりいい。
中居さんがいなくなったところで、私は思い切り伸びをしていた。日差しも、部屋に通る風も実に気持ちいいからね。
「失礼します」
一息ついて、そろそろお茶でもいただこうかと思ったところで、部屋の外から声がする。
主の足音すら聞こえなかった。この旅館の従業員は、只者ではない。忍の修練を受けている者やその縁者ばかりなのだから、ヒトの中では気配を消すのに長けているのよね。
「どうぞ」
まあ、藺草の中にヒトのにおいが混ざりこんだことで、私は誰かの来訪に気付いていたけれど。人数は二人。そもそも一人は随分と鼻に馴染んでいるから、誰なのか分かりきっている。
「はるばるおこしくださり、ありがとうございます」
やっぱり、あの子にはもったいない美人さんだわ。以前よりも更にやわらかくなった笑顔で私を迎えてくれた。
ひっつめている髪をおろすと本当に綺麗で真っ直ぐで、とても羨ましい。
シンプルな作務衣を身につけているけれど、それすら華麗に着こなしているわね、千鶴ちゃん。
戸が閉じられるや否や、千鶴ちゃんの隣に立つ者の輪郭線が歪み、変わる。先ほどまで私がとっていたカラス天狗の姿に。
黒羽に黒い嘴なのに、髪は燃えるように赤い。
「美森も空気を読んでくれたらいいのに」
千鶴ちゃんと色違いの作務衣を纏った天狗が、生意気な口をたたいている。私と違ってすっかり成人の体型の彼。私の頭二つ分上の空間にある顔は、紛れもなく私の弟、隼人のもの。
「もう、隼人! 美森さん、コレの言うことなんて気にしないで、ゆっくり過ごしてくださいね」
「ありがとう、千鶴ちゃん。本当、誰かさんと違って優しいんだからっ!」
「千鶴は出来た嫁だからな。美森と違って優しいに決まっている」
可愛らしいことを言う千鶴ちゃんを思わず抱き締めると、隼人が私を剥がしにかかってきた。
もう、本当、嫉妬の塊むき出して大人気ないんだから。図体ばかり大きくなっちゃって。
「何かいったかしら? 隼人」
「伝わってなかったか。それなら何度でも繰り返すけどな」
「もう結構よ。いくら千鶴ちゃんができたお嫁さんだからとはいっても、ノロケはおなかいっぱいね」
実際に千鶴ちゃんに会う前から、彼女の良さについて隼人から幾度となく聞かされていた。もう六年近くだから、ね。
本当に、色々な意味で今起こっていることが信じられないのが現実。
座卓の下座に千鶴ちゃんと隼人が陣取った。上座にさり気なく置かれている朱色の座布団。すわり心地がとてもいい。
千鶴ちゃんが持ち込んだ急須と茶葉でお茶を淹れてくれた。ほうじ茶独特の香ばしい匂いが鼻腔をくすぐってくる。
旅館の部屋には煎茶が備えられているけれど、私が好きだと聞いて準備してくれたという。私の影響を受けて隼人も好むからね。私物として千鶴ちゃんの部屋に置いているんだと聞いた。
「そういえば、どうして長命種の美森さんは、隼人と関わりがあったのですか? 隼人に訊いても教えてくれなくて」
郷名物のお饅頭と一緒にお茶を供しながら、千鶴ちゃんが質問をぶつけてきた。
このお饅頭、おいしいんだよね。焼印で押された顔がちょっと不気味だけど。
「えっ? 何、隼人、千鶴ちゃんに話してなかったの?」
本格的な会話に入る前に、お口の中を整えておきたいもの。一口サイズのお饅頭を口に放り込んで、ほうじ茶を頂く。うん、やっぱり美味しい。
「別に説明するほどのことではないだろう」
「呆れた……」
我が弟、隼人は、数年に一人の割合で発生する天狗の短命種。
同じ時を生きられないからと、短命種と判明した時点で専用のコミュニティに押し込まれて、普通は長命種と関わることはない。たとえ血の繋がった親兄弟だとしても、端からなかったもの、死産のような扱いをするのが一般的。
今も関わり続けている私たちが特殊なんだよね。
「まあ、大した話じゃないのよ。隼人の養父に当たる人が、寿命を全うできなくてね。亡くして間もない頃に、偶々私と再会したの」
「天狗で寿命を全うできないことがあるのですか?」
「私たちはヒトに比べて自己回復力はすぐれているし、治癒能力だってあるけどね。心臓や脳に一瞬で深刻なダメージを受けたら一溜りもないわ」
最後は、相手に聞こえるかどうかという小声で。
だってこんな事、他者には知られていいことじゃないからね。隼人のお嫁さんだからこそ明かしたけれど。
「私、人郷が大好きで、時折文明の利器や流行のファッションをチェックするのが趣味なの」
「ええ。結婚式で当時最新のデジカメを用意していたのには驚きました」
「その時見たものを後日別の人たちと共有できるから、いいわよね。天狗の能力でも、似たようなことすら出来ないの」
私は隼人たちの結婚式の様子を納めて、親兄弟にも見せた。
みんなは、隼人が先に老いて朽ちていくのが悲しいから関わろうとしないだけ。不幸を願うものなんていない。
だから、隼人が幸せに過ごしている様子を見て、目を潤ませていた。
「なるほど」
相槌をうって、千鶴ちゃんはお茶を口に含む。背筋がピンと伸びて所作が美しい。
「まあ、そんなわけで、あるとき偶々訪問した先が短命種のコミュニティだったんだよね。養父を亡くして間もない隼人がそこにいたから更にビックリ。特徴的な赤髪も含めて母と瓜二つだったから、すぐに弟だと気付いたわ」
「この髪色、天狗の中でも珍しいのですか?」
「珍しいわよ。この色、私は、親兄弟でしか見た事がないもの」
当時、私より小さかった隼人を見て、これも何かの縁だと思った。だから、人手不足で里親のなり手のいなかった隼人の世話を少しばかり担うことになったんだよね。
「最近まで、ずっと染めていると思っていたんです」
「周りは黒髪ばかりだからな。仕方がない」
隼人たちの学校は、校則が然程厳しくないそうだ。けれど、自らを律している人たちが多いみたい。隼人の髪色は異質に映ったらしい。
千鶴ちゃんとは何度か会ったけれど、こんなにゆっくり時間を取れるのは初めてだから、時間を忘れてつい話し込んでしまう。




