初詣・参(榛葉智孝)
駅前の待ち合わせ場所に辿り着くと驚いた。はっと目を惹く美少女がいたから。しかも、僕が待ち合わせをしていた連中らと談笑していた。二駅前で山瀬の参加がアプリで連絡されたから、メンバーは僕を入れて九人になる。クラスメイトはこの場に七人だから、あと一人かな。
綺麗な黒髪を無造作におろしている美少女は、凛とした雰囲気で、目鼻立ちがすっとしている。目尻を下げて、小さな口で弧を描く笑顔が何ともかわいい。コートの上からそれと分かる少し細身の肢体。足元がジャージっぽいけれども、些事だった。袖からちらりと覗く手首のしなやかさも気になった。
「あ、榛葉来たよー」
「明けましておめでとう」
「今年もよろしくね」
見慣れた面々が声をかけてくる中、どうしてもその美少女が気になって仕方がなかった。
山瀬と談笑しているってことは、奴の関係者なのか? 見知らぬ顔にもやっとした思いを抱くけれど、事情もよく知らないのに連れて来られたなら彼女に非はない。
物怖じもせず、そっと山瀬に寄り添っている。
「あ、榛葉君。明けましておめでとう。ことしもよろしく」
彼女の髪をそよがせる風が、しっとりした、落ち着いた声を耳に届ける。でも、この声は耳に馴染んでいる。僕は頻繁に聞いている。
それに、自分の事を榛葉だと知っている人。でも、僕には覚えがなくて戸惑ってしまう。
「え、何、榛葉、千鶴ちゃんに見惚れているの?」
「彼女は先約済だよ!」
囃し立てられて、彼女の名を呼ばれて、僕はやっと、目の前の美少女がクラスメイトだと気付いたんだ。
唐沢千鶴。成績は最近少し上がっている。運動神経だって悪くはない。眼鏡にひっつめた髪の、ちょっと存在感のないクラスメイト。今の今までそんな認識だった。
髪を解いて眼鏡を外したら美少女だったなんて。古典的な話じゃあるまいし。でも、こうして僕の現実に顕現しているんだ。思わぬ伏兵に、僕は息を飲んでしまっていた。
高等部二年くらいまでは、主に食事や食べ物についてよく言葉を交わしていたと思う。共通の話題が少なかったから。けれど、最近、彼女との会話はめっきり減ってしまった。過去の会話は、彼女から始めてくれたり、続けてくれるような話の振り方をしてくれていたんだけど、最近は一言二言で打ち切られてしまう風で、どこかそっけないものになっていた。
彼女には婚約者がいる。以前彼女に告白して振られたという同じ部の男子がそんな事を言っていた。多分、その婚約者に遠慮してのものだったのだと、知ったときには納得した。
そういえば、その婚約者は、学校で見せる眼鏡姿の彼女を知っているのだろうか。多分、彼女が化粧を施して振袖を着た姿を真っ先に目にしていたら、デメリットばかりの婚約でもない限り、うんと頷いてしまいそうだ。現に僕ならきっとそうしただろう。
我ながらゲンキンだと思う。けれど、そう思ってしまう程、今の唐沢さんは輝いている。
眼鏡一つでこんなに存在感を隠せてしまうのだろうかという疑念はさておいて。
「果報者だよねー。山瀬。こんなに可愛いこが君の婚約者だなんて」
「ああ」
臆面もなく相槌を打つ山瀬の横で、頬をほんのり赤く染めて伏目がちでいる唐沢。眼鏡の下にあんなに可愛い顔がひそんでいたなんて、反則だろう。
しかし、婚約者の正体は意外だった。
クラスで彼の目があるなら、他の男子と気安く話さなくなったのにはますます納得したけれど、山瀬があまりにも唐沢さんのタイプとは思えなくて。しかも、外で遊んでいると評判だった山瀬は、凄く派手な女性と一緒にいることが多かったと聞いている。過去形なのは、最近は噂を聞かなくなっていたから。唐沢との婚約を受けて、大人しくなったのだろう。一応そこは考慮するんだと、変なところで感心してしまう。
「へぇ、唐沢さんの婚約者は山瀬だったんだ」
「そうなの。隼人は披露したがっていたんだけど、私が冷やかされたくなくてしばらくストップかけていたの」
集合は、僕が一番最後だったから、一行は神社へ向かいだす。駅からぞろぞろと出る人の流れに乗って、ゆっくり歩いている。不ぞろいな歩幅が、皆の性質をよく表している。女子の大半は小さな歩幅でちょこちょこと。体格の大きな山瀬や、もう一人はゆったりと大きく歩を進める。
神社で願うことは、一名を除いて受験がらみだろう。例外の一名は、企画した塩屋さん。、クラス内での進路内定者第一号だったから。推薦で第一志望の大学に合格し、昨年中に進路を内定させた。そのためか、表情が晴れ晴れとしている。服装一つとっても、隅々まで色々行き渡っていて余念がなさそうだった。羨ましい。浪人する余裕もないから、少しでも早く、滑り止めでも進路を決定付けたいものだ。
朱色の鳥居を潜ると、人の列の進みは亀足以上に鈍くなる。手水舎の柄杓の数も、神社の鈴の数も多くはないから、仕方のない話だ。
参拝の列を確保しつつ、三人ずつ、入れ替わりで手を清めにいくことになった。女の子たちが先に行き、野郎三人が最後だ。
女子達の一部が離れた間にも話は進む。聞けば、唐沢さんは郷里の大学に進むという。滑り止めもそちらだという。どうも、彼女の実家が旅館で、若女将としての修行も始めるらしい。大変そうだとぼんやり聞いていた。それに対して山瀬は、都会に出て進学するらしい。
寒さからか、皆手早く済ませて入れ替わる。あっという間に僕達の番になった。砂利が足元で音を立てるけれど、構うことなく手水舎へと進む。
婚約者だというのに遠距離か。むしろ、僕の本命の大学は、唐沢さんの郷里に近い。
ひょっとしたら、いけるかもしれない。今の唐沢さんが凄く魅力的で、手の届きそうな場所にあるから、無性に欲しいと思ってしまったんだ。唐沢さんと山瀬と遠距離恋愛になるなら、入り込む隙があるかもしれない。
「榛葉。千鶴はお前には靡かない」
僕の心の内を見透かしたのか、背筋が凍るような低い声で忠告が入る。声の主は確かめるまでもない。
「山瀬」
「お前は、千鶴のことを過去にないと言っただろう?」
山瀬の一言で、僕の記憶は過去に遡る。いつ、僕が唐沢さんについて言及したのか?
「修学旅行は、京都だったな」
ああ、修学旅行、入浴前に別のクラスメイト達に絡まれたんだ。唐沢さんとよく話をするから、気があるんじゃないかって。
照れ隠しに思わずそんな事を言ったっけ。唐沢さんに失礼だったかなと思いながら、聞かれてないし、広まる風でもなかったから特に訂正しなかった。
そうか。あの時の会話を、山瀬に聞かれていたのか。
もしそうだとしても、だから何だという。人の心なんてその時その時で変わる。現にあれはその場を取り繕いたかったが為の言葉なんだから。今更山瀬に言及されたとしても、何てことはない。
「俺がその言葉を聞いたとき、一人じゃなかったんだ。偶然だが、千鶴も居合わせていてな、直接耳にしている」
手水舎で柄杓を取り、手に水をかけたけれど、作法や水の冷たさはどこかに飛んでしまっていた。全身に嫌な汗が伝う。
あの何気ない一言が、唐沢さんの耳に直接飛び込んでいたなんて。
よくよく考えると、唐沢さんと距離が開いた気がしたのは、三年に進級してからではない。修学旅行の最終日からだ。
お土産について話を振ったけれど、どこか曖昧に返されたんだっけ。それから色々忙しくて声をかける暇がなくて、すっかり忘れていたけれど。
「どんな理由であれ、本人不在の場所で良くない言葉を吐く奴に、千鶴は心を開きはしない」
僕は観念した。そうだ、唐沢さんはそんな子だ。普段は穏やかで大人しいけれど、いざという時には断固として闘う姿勢を見せる子だ。
一度だけ、中等部時代に教師の理不尽な物言いに対して声を荒げる彼女を見た。温和で争いを厭う彼女の、らしくない剣幕に、周囲は恐れをなしていた。
「さっさと戻ろう。どうせまた実花がうるせぇから」
山瀬が小声だったし、僕を挟んでいたから、彼には声が届いていなかったのだろう。能天気な調子で声をかけてきた。
あんな山瀬の声を知らずに済んでいるなんて、幸せな奴だ。僕より一回り小さな彼が、今は大きく映った。




