第二十一話
米国本土から伝えられるハワイの状況は日を追うごとに深刻なものになっていった。
ホノルル沖での事故当日の深夜には無線だけでなくオワフ島への有線通信も完全に途絶え島との連絡は全く取れない状況になっていた、また島の内陸部に侵入を試みた米軍戦闘機は搭載するレーダーが遮蔽ドームを補足出来ないのかまともにドームに激突しその被害は十数機に及んだと言う。
米国はここにきてようやくテロなどという生やさしいものでなく 明らかに透明ドーム状の強固な遮蔽膜が島全体をスッポリ覆っていることに気付いた。
翌日には米本土から急行した海軍艦船でホノルル沖は埋め尽くされた、空には軍用ヘリに混じり民間報道のヘリも多く飛び交いだした。
翌々日 米軍は島を覆う遮蔽膜の強度を検証するためミサイル巡洋艦ポート・ロイヤルからMk45-5インチ砲数発がパール・シティ後方の山に向け砲撃された、砲弾は初速1,052m/sで火矢を靡かせ山へと向かい途中サンド・アイランド沖300m上空で相次いで破裂した、その時 砲弾を受けた膜面が虹色に輝くと艶のあるドーム球面が一瞬浮かび上がった、しかしその面は破断も見せずまた元通りの透明膜へと戻っていったのだった。
これにより島全周の海域から数千発の砲弾がオワフ島に撃ち込まれ遮蔽ドームの形状とその範囲が調査され、また潜水艦による進入も試みられたが遮蔽膜は海底まで達しており空中と同様進入は不可能と結論された。
膠着状態は週を跨いで8日が過ぎた、日本国内の報道は日夜過熱の一途をたどりオワフ島に滞在する日本人観光客およそ12000人の安否が気遣われ、9日目にはオワフ島横のモロカイ島に日本政府の対策本部が敷かれた。
そんな中、米国政府は6月20日公式見解としてオワフ島全体を覆う透明ドームの素性は国内外の著名な学者が分析にあたったがいずれも分析不能の結果に終わったことを伝え 併せて鋼にも勝る強靱性と透明かつその規模から とうてい人類の産物では無いと結論が下された。
6月21日、オワフ島の異変から10日が過ぎたが何の解決策も見いだせないまま膠着状態は続いていた、オワフ島は人口95万人 島内に残存する観光客数は推定で11万人とみられ消費物資の約8割を島外に依存しているオワフでは早晩食料品の枯渇に瀕するは確実と報道された。
異変から12日目、空気も水も通さない遮蔽ドーム…この密閉容器とも言える状態下では6月といえど内部湿度は高くドーム内温度は既に60度を超えていようと想定された、これにより餓死以前に熱中症による被害が深刻と報道されるや世界中の街にはドーム撤去を叫ぶデモ行進で溢れかえった。
この異変は国連でも地球外生命体の仕業であろうかと協議されたが何の解決策も見いだせないまま時間だけが過ぎていった、この檻ともいえる遮蔽ドームにおよそ100万人の人質を捕っている何者かは何の要求もせず声明一つ発しない、まるで人質を蒸し殺すことが目的のようだと評論家達は喧しく騒ぎ立てた…。
これら報道を受け上級人類である達也等はとうてい無視できないとして22日の午前 都内のホテルに会議室を借り日本に帰郷しているノースショワ・ハレイワの日本組全員を招いてオワフ島騒動の意見交換会を催した。
冒頭 達也の父が挨拶と現状までの成り行きを述べ続いて情報の共有を図るべくディスカッションへと会議は推移していった。
「遮蔽ドームは上級世界でおよそ200年前に完成した技術で 当時は防護兵器として開発され外敵の攻撃から陣地を遮蔽防護する小規模なものでした、しかしここ100年間は紛争もなく為に現在は台風・ハリケーンから都市を守る大規模なものへと発展した…」
足立雄三は持参した書類を見ながら報告を開始した。
その報告を途中遮るように達也の父が口を挟んだ。
「それにしてもオワフ島全域をカバーする巨大なドームともなればその電力量は途方もない値となるであろうのぅ」父はいつもの癖か頬を撫でながら誰に言うのでもなく天井を見詰めながら呟く。
「あの規模なら電力量はおよそ6万GWhにもなるでしょうか、オワフ島の電力消費量は約7万5千GWhですから殆どはあの遮蔽ドームに費やされている勘定になりますかね、それとオワフ島の発電は87%が化石燃料に依存していますから…計算に依れば後16日で大半の発電燃料は枯渇します、よってその時あの遮蔽ドームは消えるはずと考えますが…」
「足立君 それは有り得ない、今オワフ島で遮蔽ドームを張りめぐらしている者らが上級人と仮定すれば彼らは当然移動可能な発電機を持参しているはず、それもそうとう高性能なやつでたぶん小型原子炉を搭載していると思う」達也は足立雄三に向かって異論を唱えた。
「そうよなぁ、僅か一ヶ月で遮蔽ドームが消失するなど彼らであればそんな手抜かりはしないであろうよ、しかし困った…オワフ島で飢餓や熱中症で死亡する者が出る前にあのドームを壊す手は無いものかのぅ」
父は困った顔で水谷哲也を見詰めた。
「以前ドイツ組のベルティの助手をしていた頃 彼はこの遮蔽ドームの開発を手がけておりました、その時聞いた話しですが…あの遮蔽ドームは転位移動だけは遮蔽できないらしいんです、だったら我々がオワフ島内部に転位侵入し内側からドームを消すっていうのはどうでしょうか、遮蔽を解く操作は機器を見れば多分僕にも出来ると思いますが」水谷哲也は目を輝かせて達也の父を見つめた。
「ドーム内への転位移動が可能とな!それはええことを聞いた、しかし遮蔽ドームの出力源が辿れるじゃろうか、それに侵入するとなれば武器もいるであろうし、ふむぅこんな時ドイツ組がおれば心強いのにのぅ」
「お父さん出力源は赤外線センサーで見つけられると思いますよ、多分遮蔽ドーム用発電機の熱量は相当なものでしょうから、それと消えたドイツ組の事を今更とやかく言っても始まりません我々の力で何とか解決しましょうよ。
信勝さん たしかクレー射撃をやってましたよね、以前信勝さんのマンションで銃器ロッカーを見たけど今でも銃は所持しているの」
「エッ…うん、散弾銃2丁とライフル銃1丁なら有るけど…でもこの数年手入れしてないから錆付いているかもしれないよ」信勝は急に聞かれ驚いたように応えた。
「3丁か…それが多いか少ないかは分かりませんが無いよりましでしょう、じゃぁここにいる3世代目の5人でオワフ島へ突入しますか、赤外線センサーは私が用意します、もし遮蔽ドームの発電源が特定出来れば発電機を無力化するのは私が担当するということでどうでしょう、皆さん賛同して頂けますか」
達也は言いながら皆の顔を見ていった。
「おいおい達也君、そんな…勝手に決めるなよ、突入するって現地の状況も分からず鉄砲玉みたいに突っ込んでいくなんて俺はいやだよ、正直俺…これまで喧嘩などしたこともないんだ、もし敵と戦うことにでもなったら…それに君たちだって銃など撃ったこともないんだろ」
信勝は口を尖らせて達也に抗議した。
「達也よ、信勝君の言うとおりじゃ 目鞍滅法突っ込んでも事故を招くだけよ、どうじゃろ多少なりとも武術の経験者でそれも少数に絞って調査のみに限定するというのは、それも危険を感じたらすぐ逃げるという方策でな」父は達也と信勝を交互に見た。
信勝はその視線からすぐに目を逸らせた、どうしても行くのは嫌らしい。
結局学生時代腕前は別として 達也が空手、水谷哲也が柔道、足立雄三が剣道をやっていたというだけで3人が選抜された。
会議は終盤をむかえ達也以下3人の出発日と帰着日が決められ、次回の会議は4日後の26日と決められ散会となった。
達也は父の後に付いて会議室を出た、ホールから1Fへ下りる階段を並んで歩いていると後ろから信勝が急ぎ足で下ってきた、彼はすれ違いざまに「達也君今回は一緒に行けなくてごめん、次回は必ず行くから それと散弾銃とライフルは今日中に届けるから、なっそれで勘弁してくれ」そう言うと逃げるように階段を下っていった。
「あいつは肝っ玉が小さいのぅ、武器を持ちたがる者こそ弱者というが…彼奴はそのまんまよのぅ」
父は笑いながら信勝の後ろ姿を目で追った。
「お前昼飯はどうする、一緒にホテルのレストランで食っていくか」
「いえ父さん、明日オワフに飛ぶとなれば仕事の方を先に片付けなくちゃ、これより会社に戻ります」
「そうか…オワフには気をつけて行くんじゃぞ、それと爺さんが残してくれたバリア発生器を忘れぬようにな、あれさえ持っておればオワフの温度がどれほど高かろうと安全じゃから、またあれには放射線の遮蔽機能と銃弾などの防護機能も備わる優れものよ、例え上級人類から銃弾やレーザーを撃ちかけられようともお前らの身を守ってくれるじゃろう」
「父さん、あのバリア発生器は最上級人類が作ったものでしょ、ということは上級人類は持っていないということですよね」
「そうじゃ、最上級世界は上級世界より500年以上も文明が進んでおり あの発生器に搭載された技術は未だ上級世界には無いようじゃ」
「でしたら我々が唯一上級人類に対抗できるのはあのバリア発生器だけということになりますか」
「そう言えばそうじゃのぅ…」
「ならばあの発生器を我が社で大量生産すれば上級人類の攻撃から現世人類を守ることは出来ましょうか」
「ふむぅ…ほんの僅かな民を残すことは出来ようが 彼らの持つ兵器は現世より2~3世紀は先ゆく技術、考えてもみよ戦国時代の火縄銃でM61バルカン砲に立ち向かうようなものよ、どう考えても勝ち目など毛筋ほども無いであろう」
「そうですよね…」
「お前志津江さんや一翔のことを考えておるのか」
「ええ、志津江や母さん それと兄さん家族のことが…、私達は上級人類ですから例え現世が彼らに征服されようとも容易に彼らの中に紛れ込むことが出来ましょう、でも彼女らは現世人 それを考えると…」
「達也よ、まだ上級人類が現世に侵攻してきたと決まった訳でもあるまい、今我々が成すべきは彼らの真意を取り急ぎ調べることよ、達也頼んだぞ」
「分かりました父さん、それでは三日後には戻りますから我々の収穫を待っていて下さい」
達也はそういうと階段を急ぎ足で駆けだした。
達也と哲也・雄三の3人はオワフ島ノースショワ北端の草原にボッと浮かび上がった、彼らが日本を発ったのが朝の9時 オワフでは午後2時である、3人は浮かび上がると同時に身を襲う灼熱に驚いた、あの青々とした草原も今では茶褐色に萎れ果てていたのだ。
3人はすぐにバリヤ発生器で身を包みフーッと息を継いだ、まるでサウナ風呂にでも転位したかのような灼熱の枯野であった、この暑さは既に70度は超えていようと達也は感じ この環境で人間がどれほど生きていられるかを憂いた。
達也は持参したリュックを下ろすと中から温度計を取りだし足下に置いた、示す温度は20度…(あれ、あっそうかバリア内の環境温度が表示されてるのか)達也はそう思い2m後方に移動した、すると温度計だけが取り残され球形バリアの外に出た。
達也は首を傾げる…中からは物を通すが外からは通さないこの不思議さ、以前この機器を分解し超小型核融合発電機だけは半年をかけて何とか技術を解き明かし 2年かけて商品化に成功した、しかし出来た発電機は原型の数百倍の大きさで1m角を超えるサイズにもなってしまったのだ、そして残りのバリア関連機能はいまだ解き明かしてはいない。
外気に晒された温度計の針は一気に73度まで跳ね上がった。
3人はそれを見て一様に驚きの目を見合わせた、島民のどれほど生きていようかと達也の心は次第に曇っていく。
バリアを一瞬解いて温度計を手に取るとすぐにバリアを作動させる、わずか数分外気に晒しただけなのに温度計は手に持てないほど熱く慌ててリュックへ投げ込んだ。
彼ら3人は辺りを覗いながらゆっくりと丘に向かって歩き出した、あの丘に上ればノースショア北西の海が一望に収められるはずと…。
彼らは歩き出してすぐに枯れた草むらに数匹の兎の死骸を見つけた、死の原因は飢餓あるいは熱死なのか分からないが これを人間に見立てた3人は一様に震えた、これから行く先々で見る屍累累の光景を刹那に思い浮かべたからだ。
丘に上ると眼下に海が広がっていた、沖には無数の米国艦船が浮きヘリも飛び交っていた、また光りの反射のせいか遮蔽ドームは淡い虹色に輝き 海上に屹立した虹のきざはしは丘後方へと大きく彎曲し巨大なドーム形状を彩っていた。
3人は思念で会話を始めた このまま進むか日が沈むのを待つかである、雄三はすぐにでも発とうと言う 哲也は夜陰に紛れた方が安全と言った、達也は時間が惜しいと言い二人にこのバリアさえ有れば敵にもし見つかったとしても安全であると防護の強靱性を説き、すぐにも出発しようとの賛同を得た。
達也はリュックからiPadを取り出し予め入れておいたオワフの各風景や地図を画面上に呼び出した。
(まずはホノルルからワイキキの通りを一通り移動してみるか)そう言うと2人にカメハメハ・パークの画像を示しここに行こうと思念を送った。
3人は丘から消えた、次ぎに浮かび上がったのはカメハメハ・パークの芝生の上であった。
すぐに周辺を覗うも人影はない、この灼熱の最中外に出ている人は当然いないであろうと3人は道路を挟んだ隣のバーニス・P・ビショップ博物館へと向かう。
暫く進み博物館の建屋入口に佇んだ3人はそれぞれ顔を見合わす、誰が入るかである…達也が頷いてリュックの横に差し込んだスプリングフィールド・アーモリー社製のM1Aライフル引き抜いた。
7.62x51mmNATO弾が入った箱形弾倉を確認しセレクターレバーをSAFEからSEMIに切り替えると銃床を肩に当て銃を構えた、撃ち方は昨夜信勝から詳しく聞いたがまだ撃ってはいなかったが。
二人を残し達也は博物館の玄関より中を覗いた、奥にギフトショップが見えるが人影はない。
達也は躊躇するも銃がいつでも撃てるようトリガーに指を掛け徐々に奥へと歩を進める、そしてショップ正面まで進んだとき床が濡れているのに気付いた。
その濡れを目で辿る…視線は右奥の暗がりへと導かれた 目は次第に周囲の暗さに慣れてくる、その時黒いボロ切れ状の塊を見て愕然とした、そこには水に濡れた夥しい数の死骸が転がっており腐乱が進んでいるのかどの死骸も異様に膨れあがり皮膚は茶色に糜爛していた。
達也は吐き気を堪えその場から後退した、バリヤが無かったら多分死臭は外からでも臭ったであろう、青い顔で飛び出してきた達也を見た2人は何事かと手に持った散弾銃を玄関に向かって構えた。
(て、敵じゃない…死体だ!、博物館のそこかしこはたぶん死体の山だろう)
そう言うと達也は膝に手をついて息を整えた。
(来るのが遅すぎた…館内に明かりが全く点いてない事から電気は既に止まりクーラーも役には立っていない、もう全島民は死滅したのかもしれない)
(遅すぎた…)雄三も膝を落とした。
(そんな…早計は禁物だよ、まだ生きてる人がいるかもしれないじゃない、達也さんワイキキの方も見てみようよ)哲也は励ますように達也に語りかけた。
(そうだな…全島民死滅は不謹慎だった、じゃぁワイキキの方に行ってみようか)達也は気を取り直すと目配せしそのまま10m程浮き上がった、二人も続いて浮き上がる そして秒速10mほどの速度で南に移動を開始した。
3人は一路南下しホノルル港に出た、眼下の港周辺には無数の死体が浮いていた たぶん暑さに耐えきれず海に飛び込んだのであろう、しかし外海と遮断された水たまりに過ぎない海水は気温と同様に70度近い熱湯であろうか。
達也は昔読んだ「関東大震災の被害」の一文で「火災の猛烈な熱に耐え切れず人々は隅田川へ飛び込んだ、しかし川の水はすでに熱湯へと変わり、人々は阿鼻叫喚の地獄絵さながら火傷の痛みに藻掻き苦しみながら川底へ没していった」の一節を思い出した。
何というむごい光景だろう、このまま東のワイキキに向かえばもっと被害は拡大していよう、達也は移動を止めて天を仰いだ、天には一片の曇りなく太陽は無慈悲にもジリジリと照り輝いていた。