【序章】地上を忘れた世界
ひとりの少年が、ぼんやりと教室の窓から空を見上げていた。少年の瞳に映る青い空は、実はスクリーンに映し出された人工の空だったが、生まれた時からその空しか知らない少年は、何の疑いもなくそれを“空”だと認識して見上げていた。
そこは地下の世界。
地上の世界そっくりに作り込まれた人工の世界だった。人工の太陽と月が昇り、循環システムで管理された海・川・風、ありとあらゆるものが人工的に自然を再現していた。
教室ではモニターに映った資料にポインターを当てながら、教師が授業を進めている。歴史の話をしているらしかったが、少年の耳には何も入って来なかった。
神話のように語られる古い出来事。かつて人々は争いばかりを繰り返し、自然を破壊し、人を差別していた。国や宗教の概念で人を分離させ、争いの種として世界中に撒き散らし、戦争を起こしてはその利益を一部の人々が享受する仕組みになっていた。全体的に過去の歴史はネガティブで、いかに人が間違った歴史を歩んできたかという偏った内容だった。
そして現代では歴史から反省し、素晴らしい世界を作り上げた。争いも差別もなく、国も宗教もない世界。その世界を作り上げた偉大な先導者が、この世界では神のように崇められている。
そんな歴史の授業が繰り返し繰り返し、洗脳のようにして世代ごとに教育されてきたのだ。少年はそんな歴史を信じていなかった。確証は無かったが、どことなくきれいにまとまり過ぎた歴史を、嘘くさく感じていたのだ。
授業を無視するようにそっぽを向いて空ばかり見ている少年に、隣の席にいたクラスメイトの少年が、からかうように小声で話しかけた。
「なぁ、おい、UFOでも見えてるのか?」
ヘラヘラと笑いを浮かべながら少年に話しかけたが、少年は空から目を離さず、呼びかけに反応することもなかった。クラスメイトは構わず、少年に小声で話を続けた。
「なぁ、知ってるか?この世界には、この地球が出来た時から住んでる地底人が居るんだ。奴らは地下深くに住んでいて、いつも地上に出て来てはUFOに乗って空を飛び回ってるんだ。俺達を監視する為さ。俺の親戚のおじさんが言ってたんだ、間違いない。俺のおじさんは政治家と知り合いで…」
少年は嫌気が差したように小さくため息をつくと、ゆっくりとクラスメイトに顔を向けて言った。
「知ってる。それで、その地底人っていうのは、実は俺達のことなんだ。監視してるのは政治家に雇われた人間で、俺達が地上に出ないように見張ってるのさ。」
「えぇっ?!!」
クラスメイトは驚きのあまり、思わず大きな声を上げてのけ反った。その時、
「そこ!何を話しているの!授業に集中しなさい!!」
女性教師が、少年達に向かって厳しく言った。
「先生!僕達は地底人なんですか?ここは地底の世界で、どこかに地上へ出られる道が隠されてるっていう噂は本当だったんですか?!」
クラスメイトは興奮気味に顔を赤らめながら、教室中に響くような大きな声で言った。すると、教室中の生徒達がざわめき始め、口々に話し始めた。
「え?ただの都市伝説でしょ?」
「うん、うちのお母さんが嘘だって言ってた。」
「本当だって!この間、特集で観たんだ!」
「あのインフルエンサーの話嘘ばっかじゃん、注目されたいだけだって。」
思い思いにクラスメイトが騒ぎ始めると、教師が教卓を手で2回強く叩いた。
「静かにしなさい!授業中ですよ!そんな噂を流している人の話に耳を貸してはいけません。事実無根です。そんな話ばかりしていると、ろくな大人になれませんよ。」
少し神経質な声を上げて、女性教師がそう言うと、少年はゆっくりと椅子から立ち上がり、教師の目を見ながら言った。
「学校から言われたことだけを信じている大人は、立派な大人なんですか?この噂話が嘘だという証拠はあるんですか?」
少年の言葉に、女性教師はキリキリとしたヒステリックな声を上げて言った。
「だから私がこうして歴史の授業をしているでしょう!あなた達は、ろくに授業も聞かないでそんな屁理屈を言って…」
「先生が教えているその歴史が、真実だという根拠は何ですか?俺達が教えられていることが、嘘だっていうことだってあり得ますよね?」
少年が反論した言葉に、教師が顔を真赤にして言葉を失っていると、生徒達は噂話から今度は教師に目を向けて、ヒソヒソと耳打ちし合い、忍び笑いをし始めた。
「あなた!ちょっと来なさい!!」
女性教師がそう言って、少年に向かって歩き出そうと大きく足を前に出した。
その瞬間、
教室は一瞬にして、強く白い光に覆われた。次に体を貫くような轟音が学校中に響きわたり、突風が机や生徒達をなぎ倒した。あまりに突然で一瞬の出来事だったことから、生徒達は皆床に倒れ込んだまま困惑状態になっていた。一部の生徒は光の影響で視界が効かず、キョロキョロと顔を動かしていた。
その後じわじわと、髪と肉の焼ける臭いが教室を覆い、女性教師が黒焦げになって倒れている姿を生徒達が目撃すると、静まり返っていた状況が一気にパニックへと変貌した。
「キャーーーーーッ」
「うわーーーっ」
クラスの子供達は一斉に声を上げ、学校中の教員が慌ててクラスに集まって来た。
「ソフィア先生に雷が落ちた!」
クラスにいた1人の男子生徒が、そう叫ぶと、更にクラス中の叫び声が大きくなった。教員が騒ぎを落ち着かせようと生徒達に働きかけていたが、他のクラスの生徒達も教室に殺到し始め、状況は更に混乱していた。
「落ち着きなさい!雷など落ちていない!みんな落ち着いて、先生に従ってグラウンドに出なさい!さぁ列を作って!」
駆け込んで来た校長が大声を上げてそう言うと、無理矢理に生徒達を押すようにしながら、グラウンドへと移動させた。全生徒がグラウンドに出て整列をしたが、子供達が落ち着く様子はない。パニックになって泣きわめく子、隣の生徒に口が止まらない子、青ざめて放心した子供もいる。しばらくすると、校長が生徒達の前に立ち、手を後ろに組み、厳粛な顔つきで重々しく口を開いた。
「皆さん、皆さんはこれからグループになって、即座に下校してもらいます。各グループの先生の後ろに続いて、それぞれ速やかに下校してください。そして、皆さんにお願いがあります。ソフィア先生はたった今、病院に運ばれて行きましたが、何故あの様な事故になったのか、その原因はまだ分かりません。皆さんにお願いしたい事は、その原因がハッキリとするまで、この事を決して人に言ってはいけません。まだハッキリしない状態で、"勝手な憶測"で人に言ってしまうと、間違った情報が色んな人に広まって、騒ぎになってしまいます。いいですか?決して、原因がハッキリとするまで、人に言ってはいけません。」
そして子供達は鞄も持たないまま、まるで見張られるようにして帰路についた。しかし空を見上げていた少年は、家に帰るなり真っ先に母親にこの事を話した。
「校長先生はああ言ってたけど、本当は皆知ってる、あれは塔だよ。ソフィア先生は"裁きの塔"にやられたんだ!」
母親はそれを聞くなり、サッと子供から目を反らし、忙しそうに洗濯物をたたみながら、ぎこちない笑顔で少年に言った。
「何をバカな事言ってるの、そんなものあるわけないでしょ。ソフィア先生は事故に遭っただけよ。先生無事だといいわね、一体何があったのかしら。」
「何を言ってるんだよ母さん!塔はあるよ!俺は知ってるんだ!ここは地下の世界で、本当はどこかに、地上に行けるトンネルがあるんだ。そこを抜けると地上に出られて、そして、そこにはあるんだ"裁きの塔"が!」
「何のマンガを読んだのか知らないけど、そんな世界は無いのよ、この世界はここが全て。あなたは今日大変な事があって、とても疲れているだけなの。さぁ部屋に戻って、今日は早く休みなさい。」
母親は少年の言葉に耳を貸さず、さっさと洗濯物を片付けに立ち上がり、その場を離れた。この世界では、戦争や政治の事以上に、地上や塔の話はタブーであり、そもそもそんなものは、古い神話やおとぎ話だと、本気で思っている人達が大半であった。
「あるんだ…本当はあるんだ…ここは地下で、地上があるんだ。」
少年はそう呟きながら、自分の部屋へと向かって行った。
地上に伸びるトンネルは実在している。しかし、それは世界規模のトップシークレットであり、情報は厳重に管理されている。トンネルや地上の情報は、限られた人間しか知らず、世間では存在しないことにされている。
地下世界を支配するトップ層は、この世界が人工物であることと、外に別の世界が存在すること、そして塔の存在を頑なに否定した。それでも噂話の真相を確かめようとする人間が度々現れる為、口を封じ、圧力をかけ、情報をもみ消し、最終的には存在を消す手段も取っていた。
しかし、女性教師を襲ったのは、紛れもなく地上の"塔"であった。
塔の雷は、自然の雷とは大きく異なっている。地上の何処かに存在するとされる塔の先端から、雷が発生し、発生した雷は必ず落雷するとされているのだが、その矛先は人間にしか向けられていない。雷を受けた人間は確実に絶命する。物理的には地下にいる人間に雷が落ちるはずは無いのだが、塔からの雷は人間がどんな措置を取ろうと、避けることは出来なかった。
塔がいつから存在し、誰が建造したのかも、何故人間を標的にして殺戮いるのかも、謎に包まれている。人々が遠い過去に地上から地下へ移住する前から、塔は存在した。しかし、世界はその事実を隠蔽した。
別の何かに理由をすり替え、頑なに"地上"と"塔"の存在を否定した。
今回の女性教師の場合もそうであった。教育用のパソコンのコードが管理不足の為、線が露出していたまま使用していたが、そのことに気付かず、一歩踏み出した際に線を踏んでしまった為に感電した事故死として、翌日校長は全生徒にそう報告し、ほぼ全員が納得をしたのだった。少年はその報告を信じなかったが、どうすることもできず、ただ黙って空を見上げた。




