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幕末異聞 おらぞの藤兵衛 ~異界帰りの侍、海から歴史を変える~  作者: 曽我部穂岐
第二章 舫と白波

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第四十六話 二助の骨

 土佐藩校――文武館の朝は、以前より音が増えた。


 木刀の打ち合う乾いた音がある。講堂からは素読の声が洩れ、別棟では算盤の珠が小さく鳴る。庭の隅では、測量縄を引く若者らが、まだ慣れぬ手つきで地面に線を置いていた。


 武だけではない。文だけでもない。


 剣を振るった者が汗を拭く間もなく蘭書の机へ向かい、書を読んでいた者が午後には砲台の見取り図を覗き込む。上士の子も、郷士の子も、村方から出てきた若者も、同じ土の上を歩いていた。


 幡多奉行・後藤良輔は、廊下に立ってその音を聞いていた。


「変わったのう」


 隣で軍制奉行・乾退助が言った。


「何がじゃ」


「音じゃ。前はもっと行儀がよかった」


 退助は庭へ目を向けた。木刀がひとつ強く鳴り、受け損ねた若者が尻餅をつく。周りから笑いが起こり、倒れた若者も笑い返して、また立ち上がる。


「今は、行儀より先に腹が鳴りゆう」


「腹か」


「腹じゃ。何かを覚えたい、何かになりたい、何かへ食いつきたい。そういう音がしゆう」


 良輔は少し笑った。


 文武館は、ただ学ぶ場ではなくなりつつあった。若い熱が集まり、ぶつかり、形を探す場所になっている。才と呼ぶには荒いものもある。志と呼ぶには、まだ近すぎる痛みもある。放っておけば鬱屈になり、鬱屈は恨みにも刃にもなりうる。そういうものまで、今はこの館の内へ集まりつつあった。


 山の頂ばかり見ても、藩は動かぬ。裾野の熱も、腹に納めよ。


 かつて聞いたその言葉が、今は以前より重く響く。


「やす」


 退助が顎で奥を示した。


「評定書が来ちゅう」


 良輔は頷き、部屋へ戻った。


 机の上に一通の書付が置かれていた。文武館頭取の武市半平太から上がったものである。封を切ると、退助が横から覗き込んだ。


「また人の評か」


「今度は、そろそろ置き所を定めよ、という評じゃ」


 紙には五つの名があった。


 たに 申太郎しんたろう

 中岡なかおか 慎太郎しんたろう

 那須なす 信吾しんご

 安岡やすおか 嘉助かすけ

 大石おおいし 団蔵だんぞう


 良輔は名を追い、しばらく黙った。


 道端の饅頭屋で、近藤長次郎を見出した日のことが胸をよぎる。あのころ良輔と退助は東洋に命じられ、算の速い者、読み書きのしなやかな者、そして話せる者を探して歩いていた。才はそう簡単に名札を下げて歩いてはくれなかった。


 その折、退助が笑った。


「藤兵衛や治郎兵衛みたいながが、どこぞの道端に落ちちゃあせんもんか」


 良輔は、才は石ころではないと返した。


 材という字には木がつく。才は木と同じで、水をやって初めて根を張り、人材になる。


 あの時は半ば理屈であった。だが今は違う。


 見つけるだけでは足りない。

 育てるだけでも足りない。

 どの土へ植え、どこで根を張らせるか。

 それが、置き所を定めるということだった。


「谷と中岡は、世さ来いの折にも目に残っちょった」


「那須、安岡、大石は、道場筋でも名が出ちゅう」


 退助が言う。


「荒いか」


「荒い者もおる。けんど、荒いということは、まだ形が決まりきっておらんということでもある」


 良輔は紙を置いた。


「集めるだけでは、まだ熱のままか」


「そうじゃ。熱は、道を得れば力になる。道を失えば刃になる」


「なら、道を付けちゃらんといかんのう」


 退助は無言で頷いた。


 半平太からの評はよく見ていた。谷申太郎は、文武兼修、教導の才あり。中岡慎太郎は、弁舌あり、世情に敏し。那須信吾は、武芸荒し。ただし医方の目あり。安岡嘉助は、気骨強く、藩兵訓練に用うべし。大石団蔵は、算術、測量に才あり、海防に向く。


 まず退助が谷申太郎の名を指した。


「谷は、館に残す」


「申太郎か」


「あれはいずれ教える側になる。文の机と武の庭を、同じ目で見られる者じゃ。兵を動かすなら、ああいう者が要る」


 良輔も同じ印象を持っていた。谷は若いが、若さのわりに物の見方が落ち着いている。南学の筋がありながら古い学に閉じる気配がない。蘭書にも、砲術にも、兵の歩かせ方にも、同じように首を突っ込む。何より、人前で言葉を整えるのがうまい。


「教導候補として館に残す。将来は藩兵の教育にも関わらせる」


「それでえい」


 退助は短く言った。


「次は中岡じゃ」


 良輔は二つ目の名を見た。


 中岡慎太郎。祭の賑わいの中で、ただ浮かれるのではなく、米の流れ、人の集まり、村から来た者の顔をよく見ていた若者である。


「慎太郎は、館に残すには惜しい」


「文武館で伸びる才ではないと?」


「違う。館で学んだものを、外で使う才じゃ」


 良輔は紙を指で叩いた。


「あれは書を読むより先に人の顔を読む。言葉の継ぎ目で相手の腹を探る。利の話をしながら、理を失わん」


 退助の目が少し細くなった。


「新世社か」


「江戸探索方じゃ。竜馬の下へ付ける」


「商い筋へか」


「商いの場ほど、人の腹が出る。慎太郎は利だけを追う男ではない。けんど、利の場でこそ人を見失わん。ああいう者が一人おれば、話が通る」


 退助はふっと笑った。


「人を町へ放つようになったのう」


「放つのではない。役を持たせて出すがじゃ」


 以前の自分なら、才ある者は役所の枠へ入れるものだと思っていた。だが今は違う。目の届くところだけが藩ではない。人と人の継ぎ目へ置いてこそ生きる才もある。


「中岡慎太郎、新世社へ。商い筋、対人の折衝を学ばせる」


「それでえい」


 三つ目の名に移る。

 那須信吾。


 退助が先に口を開いた。


「那須は荒い」


「評にもそうある」


「けんど、ただ荒いだけではない」


 退助は庭の方へ目をやった。


「先日の稽古で、若いのが肩を外しかけた。皆が騒ぐ中で、那須だけが妙に落ち着いちょった。手の置き所が分かっちゅう。痛みの逃がし方も知っちゅう」


「医の目か」


「若いころ、医の道を志したことがあるそうじゃ」


 良輔は少し考えた。


「館にもう少し置いて、筋を見てもえい」


「それもある。けんど、置きすぎれば腐る」


 退助は即座に言った。


「あれは机に付けておくより、壊れるものの側へ置いた方が伸びる。人の体も、船も、砲も同じじゃ。力のかかり方を見誤れば壊れる」


 良輔は頷いた。


「海陣奉行所へ。武を見る役に添え、救護も覚えさせる」


「それでえい」


 那須信吾の横に、良輔はそう記した。


 四つ目。

 安岡嘉助。


 こちらは退助が少し渋い顔をした。


「嘉助は、熱が先に立つ」


「危ういか」


「危うい。腹に火がある。言葉より先に足が出る。納得せんうちに押さえつければ、必ず跳ねる」


「なら、外すか」


「いや」


 退助は首を振った。


「ああいう者は、旗の下に置く。己一人の怒りではなく、列の中で力を出させる。若い藩兵の訓練には向いちゅう」


 良輔は、安岡嘉助の顔を思い出した。まっすぐな若者であった。まっすぐすぎて、少し眩しい。だが、そのまっすぐさは、場所を誤れば折れる。折れた切っ先はどこへ飛ぶか分からない。


「剣術、藩兵訓練補助。郷士層の若い者を束ねる役も試す」


「うむ」


 最後に、大石団蔵。


 良輔は、この名に少し笑みを浮かべた。


「団蔵は、怒る前に測る」


 退助が怪訝そうに見る。


「どういうことじゃ」


「何か言われても、すぐ言い返さん。まず距離を見る。数を見る。図を見る。先日の台場図の講義でも、砲の据え場所より先に荷を運ぶ道を指摘しちょった」


「地味じゃのう」


「地味な者は要る」


 良輔はきっぱり言った。


「派手な者ばかりでは、藩は転ぶ。浦戸も宿毛も、これから忙しゅうなる。台場、船着き、兵の道、荷の道。地形を数で見る者はいくらあっても足らん」


「なら、大石も海陣奉行所か」


「そうじゃ。測量と台場方へ付ける」


 退助は腕をほどいた。


「怒る前に測る、か。たしかに珍しい」


「珍しいき、海で使う」


 五つの名に、それぞれ置き所が定まった。


 谷申太郎は文武館に残し、教導と軍制の種とする。

 中岡慎太郎は新世社へ出し、商いと折衝の場へ置く。

 那須信吾は海陣奉行所へ送り、武と救護のあわいへ。

 安岡嘉助は藩兵の列へ入れ、熱を規律の中で燃やす。

 大石団蔵は海陣奉行所で測量と台場方へ。


 退助はしばらく紙を眺めていたが、やがてぽつりと言った。


「拾うだけでは足らんがじゃな」


「そうじゃ」


 良輔は筆を置いた。


「拾うた才も、置き所を誤れば藩のものにはならん。むしろ恨みになる」


「先生が、よう言いよったことじゃ」


「ようやく、少し分かってきた」


 退助は笑った。


「遅いのう、やす」


「おまんに言われとうない」


 二人は小さく笑った。


 やがて五名の配置はそれぞれに伝えられた。


 谷申太郎は文武館の講堂に残り、中岡慎太郎は新世社の名簿へ移った。那須信吾と大石団蔵は海陣奉行所へ送られ、安岡嘉助は藩兵訓練の列へ加わることとなった。


 同じ文武館にいた五人が、同じ場所に留まるのではない。それぞれの道へ出され、それぞれの役目を持った。


 それは、散らしたのではない。

 藩の腹の内へ、それぞれ納めたのである。




 夕刻近く、良輔と退助のもとへ江戸表からの書状が届いた。


 良輔が封を切り、ざっと目を通す。


「東洋先生のことか」


 退助が尋ねる。


「ああ。江戸表も何かと物騒ゆえ、当分のあいだ、外出の折には岡田以蔵を供に加えるとある」


「以蔵をか。ずいぶん念が入っちゅうのう」


「表向きは、江戸市中の不穏に備えてのことらしい」


 退助は肩をすくめた。


「まあ、江戸は騒がしいきな。以蔵なら夜道の供には過ぎたるほどじゃ」


「先生は嫌がるろうな」


 良輔も思わず笑った。


 吉田東洋は、過剰な護衛を好む人ではない。自分の足で歩き、自分の目で見、自分の口で言う。それが東洋という人であった。だが、江戸の夜は土佐より広い。しばらくの備えが厚いに越したことはない。


「これで、先生の江戸表の身辺は、ひとまず心配あるまい」


「そうじゃな」


 良輔は書状を畳んだ。


 文武館の庭から、また木刀の音が聞こえた。夕日が斜めに差し、若者たちの影を長く引き伸ばしている。どこかの講堂では、蘭書を読み違えた者がいたらしく、笑い声が上がった。すぐに師の叱る声が続き、また笑いが小さく漏れた。


 しばらくして、退助がふと思い出したように言った。


「そういえば、藤兵衛と治郎兵衛は、名を変えるそうじゃのう」


藤吾とうごと、橘治きつじか」


 良輔は少しだけ笑った。


 東洋が参政に復帰してからというもの、鳴龍丸、世さ来い、文武館、新世社と、新しい筋を通す者らを、いつしか新おこぜ組と呼ぶ者が出てきた。

 その中でも、藤兵衛と治郎兵衛の二人は、おこぜの二兵衛と呼ばれていた。


「おこぜの二兵衛が、今は藤橘とうきつか」


「妙に収まりがえい名になったのう」


「実際、別の立ち方を選んだということじゃろう」


 良輔は庭へ目を向けた。


 藤兵衛と治郎兵衛に出会わなければ、自分たちは今、この庭をこうして見ていただろうか。才を拾うなどと、裾野の熱を腹に納めるなどと、考えただろうか。


 あの二人は、いつも妙な場所から道を開いた。藤兵衛は、理屈の奥に異国の風を隠しているような男であった。治郎兵衛は、船板と水流と人の手のあいだに、誰よりも早く道を見つけた。二人が動くと、上士も下士も、町人も職人も、気づけば同じ泥の中へ足を入れていた。


 退助がそこで、ふと思い出したように口の端を上げた。


「近ごろは、わしらも妙な呼ばれ方をしゆうらしいぞ」


「何をじゃ」


「おこぜの二助」


 良輔は眉を寄せた。


「誰がそんなことを言いゆう」


「知らん。文武館の若い者か、新世社の者か。良輔の輔と、退助の助で、二助じゃと」


「迷惑な話じゃ」


「そうか。わしは少し気に入った」


「気に入るな」


 良輔は呆れたように息を吐いた。

 けれど、胸の奥に妙な温かさが残った。


 藤吾と橘治の後ろを追うだけではない。自分たちにも、自分たちなりに泥の中を進む役目がある。


「いのす」


「何じゃ、やす」


「おまんは、名を変えたいと思うたことはあるか」


「ない」


 退助は即答した。


「わしは退助のままでえい。名を変えずとも、立つ場所を変えれば人は変わる」


 良輔は、その答えに頷いた。


「わしも変えん」


「東洋先生を真似て、大層な名にするかと思うたぞ」


「先生をかたどるつもりはない」


 良輔は静かに言った。


「あの方の鋭さは、あの方のものじゃ。わしが真似れば、ただ人を傷つけるだけになる」


 退助は黙って聞いていた。


「けれど、先生が置こうとしたものを、別の形にすることはできる。文武館も、新世社も、藩兵も、海陣奉行所も、人を置く仕組みも。先生一人の形ではなく、藩の形にする」


「やすの形か」


「いや。わし一人の形でもない。おまんも、藤吾も、橘治も、先生も、ここに集まった若い者らも、皆で支えられる形じゃ」


 退助は庭を見た。

 木刀の音がする。読書の声がする。算盤の珠が鳴る。


「なら、わしらは、名を変えんままでえいか」


「えい」


 良輔は少しだけ笑った。


「ただ、骨は持つ」


 退助も笑った。


「それでこそ、おこぜじゃ」


 良輔は、名簿を閉じた。


 谷は館に残る。中岡は新世社へ出る。那須は海陣奉行所で武と救護のあわいへ。大石は同じく海陣奉行所で測量と台場へ。安岡は藩兵の列へ。


 若い熱は、ただ燃えるだけではなくなった。

 熱に道がつき始めた。


 文武館の空に、夕暮れの色が広がっていた。


 裾野の熱は、ようやく行き先を持ち始めている。江戸の先生には、しばらくのあいだ岡田以蔵が付くという。文武館はその熱に置き所を与え始め、新世社は外へ足を伸ばし、海陣奉行所は海へ向けて人を抱えようとしている。


 何もかもが、よい方へ進んでいる。


 少なくとも、その日、良輔と退助は、そう信じることができた。




【史実解説】土佐辺境の尊攘熱


本話で名を挙げた那須信吾・安岡嘉助・大石団蔵は、いずれも土佐藩の郷士層に属する実在の人物です。生年で見ると、安政六年(1859年)の時点で、那須信吾は三十歳前後、大石団蔵は二十六、七歳、安岡嘉助は二十三、四歳ほどの若者でした。那須は那須俊平の養子、大石と安岡もともに土佐藩の郷士として記録されています。


土佐は京や江戸から見ればまさに「辺境」でしたが、その一方で、南学をはじめとする学問の蓄積があり、のちの尊王思想へ連なる土壌も早くから育っていた土地でした。幕末には文武館が整えられ、若い者を文武両面で鍛える場も生まれています。


史実の安政六年の土佐でも、山内容堂が吉田東洋を登用して藩政改革を進めていました。東洋の改革は、財政や海防、人材登用の立て直しを狙ったものでしたが、急激であったぶん、藩内の保守層だけでなく、尊攘寄りの反発も呼び込みつつありました。つまりこの時期の土佐は、「新しい仕組みで藩を動かそうとする力」と、「それでは収まらぬ若い熱」とが、同じ藩の内でせめぎ合い始めていた時代でもあります。


那須・安岡・大石の三人は、まだこの段階では「後にどうなるか」よりも、まずそうした熱を内に抱えた若い郷士でした。安政六年の土佐では、才も、志も、鬱屈も、まだ定まった形にはなり切っておらず、どの熱がどこへ流れていくかは、まだ誰にも決めきれない段階にありました。

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