第十一章 ④コン太の動向(シークレット・秘め事)
レンジは愛車・アルファードのドアを開けた。
助手席に輝章。
後部座席に羽衣と在狼が乗り込んだ。
レンジは行き先を確認する。
「監督、今日の撮影はスタジオでしたよね?」
「ああっ、申し訳ありません!
レンジさんに連絡するのをうっかり忘れていました。
今日の撮影場所は変更になりました。
僕が道案内しますので現地までお願いします」
輝章は済まなそうな顔をした。
「台本が変わったのですか?」
「そうです。とはいえ大した変更ではありません」
「そう……、ですか」
「たまたま今日、撮影許可が取れましたので……。
羽衣さんが二役を演じて、レイプシーンを撮影します」
「レッ、レイプシーン? うっ、羽衣とっ?
きょ、今日? これからですか?」
気が動転して言葉がつっかえた。
不意にルームミラーから後部座席を窺い見る。
在狼と視線が合わさった。
ニイィッ、
冷笑を浴びせかけられた。
レンジは顔を引きつらせる。
……それにしても不気味な男だ。
見透かすような眼差しは空恐ろしい。
輝章監督の親戚でなければ決して関わりたくない人種だ。
案内されて辿り着く。
嘘だろう……?
そこはまさかの『あの河川敷』だった。
レンジは動揺を隠せない。
許されるならすぐさまこの場から逃げ出したい!
輝章は穏やかな口調で告げる。
「この場所でレイプシーンの撮影をします。
新しい台本はありません。すべてアドリブでお願いします」
「アドリブって……、そんな…………」
「是非ともレンジさんが羽衣さんをリードして、
自然な演技を引き出してあげてください」
レンジは露骨に狼狽えた。
輝章は話を逸らす。
「撮影部隊は約一時間後に到着予定です。
時間に余裕がありますのでプライベートの話でもしませんか?
是非とも親睦を深めたいです」
在狼が即座に同意する。
「いいねえ!
おいら、羽衣チャンの大ファンなんだよっ(嘘だけど)!
だからいろいろ質問してもいいかい?」
「もちろんっ! 遠慮しないで何でも聞いて!」
羽衣はファンを大切にしている。笑顔で応えた。
「イヒヒッ! それじゃあ質問!
羽衣のママってどんな人だい?
似ているのかい? 何歳だい? 家族は仲良しかい?」
羽衣は思わぬ質問に目を丸くする。
「え? ママ……?」
「そう! 羽衣のママのことを教えておくれよっ」
「う、うん。
ママは背が小さくて、声が高くて、童顔なの」
「へえ? それじゃあ羽衣はママによく似ているんだねえ?」
「うんっ! ママ似だね、ってよく言われる。
年齢は三十七歳」
輝章は仰天する。
「ええ? お母さん、ずいぶん若いんだね。
中学生で羽衣さんを出産したってこと? お父さんは?」
「あ、あの、えっと…………」
羽衣は言葉を詰まらせた。
在狼は畳みかける。
「イヒヒ、それでそれで?」
羽衣は呼吸を整える。意を決して話し出す。
「ママは十五歳で私を産みました。
中学二年生の時にレイプされて……。
そのときに妊娠してしまったそうです」
「ひええっ! そりゃ大変っ」
「気づいた時には中絶できないところまで育っていて……。
出産の選択しかなかったそうです」
輝章は慌てて詫びる。
「あ、あのっ、ごめんっ!
嫌な質問だったね。もう答えなくていいから!
本当に申し訳ないっ」
羽衣は困り顔で笑う。
「いえっ、気にしないでください!
お父さんはいないけど、家族はとっても仲良しなんです。
ジイジとバアバとママと私、四人暮らしです」
在狼は腕組みして頷いた。
「うんうん、なるほどなるほど!
羽衣のママはずいぶん苦労したねえ?」
「うん……。ママは大変だったと思う。
妊娠しちゃったから高校受験できなくて。
何年か前にやっと、通信教育で高卒資格を取得できたの」
在狼は感心する。
「大変だったねえ? 羽衣は偉いねえ?
羽衣のママは可哀想だねえ?」
輝章は問う。
「羽衣さんの祖父母はお元気なの?」
「バアバは元気です。
だけどジイジは難病(多発性硬化症)で車いす生活です」
「生活は? 大変だったよね?」
「バアバとママが仕事を掛け持ちして何とか……。
だけどこれからは羽衣がお金を稼いで家計を助けたいんです」
「レイプした犯人、被害者が出産したことを知っているの?
ご家族は? 羽衣さんの父親が誰だか知っているの?」
羽衣は首を横に振る。
「小さいときママに聞いたの。
お父さんはどこ? って……。
そしたらママは泣きながら謝ったの。
お父さんがいなくてごめんなさい。
貧乏でごめんなさい、って……。
だからそれ以上は聞けなかった……」
レンジは声を震わせ問いかける。
「マ……、ママは? ……元気、なのか?」
羽衣は頷いて笑う。
「うんっ、元気だよ!」
午後二時を過ぎた。
河川敷にロケ車数台が到着した。
撮影準備が始まる。
レンジは顔面蒼白だ。
用意された車。
『あの日』と同車種のRSだった。
羽衣の制服姿。
『あの日』の女子中学生の生き写しのようだった。
さらにはまさかの追加シーン。
【事後。少女は車から引きずりおろされる。
草むらに捨て置かれる。
一万円札を二枚、投げつける……】
二十三年前の出来事を彷彿させた。
輝章監督はまさか?
俺の罪過を知っているのか……?
そう勘ぐるほどに情景が酷似していた。
演技といえども羽衣に覆いかぶさるのは苦痛だった。
憂悶して心疚しかった。
ようやく安堵したその矢先。
スルリ、
在狼が近づいてきた。
「レンジさん、お疲れさまっ!
さすがレイプの達人!
あ、間違えた、さすがの演技力だねえ?」
「あ、い、いや、そんなことは……」
「イヒヒッ! よっ、名俳優!」
「あ、ありがとう……」
在狼はレンジの首筋をつつく。
「あれえ? 首筋に赤黒い痣があるよ?
痛そうだけど大丈夫なのかい?」
「あ、ああ! ちょっとした火傷の痕ですよ」
「ふうん? 蝉の抜け殻みたいな柄だねえ?
空蝉の模様だねえ?」
「空蝉? そんな模様だったのか……。
まあ昔の古傷なので、特に気にしていません」
「へええ? 気にも留めてなかったの?」
「……そういえば最近、ズクズクして違和感があるような……」
「ふうん? 違和感……、ねえ?」
在狼と視線が重なる。
ゾッ……、寒気がする。
俺を軽蔑して、憎んで咎めているのか?
向けられる視線は氷のように冷たい。
心胆を突き刺す冷ややかな視線だ。
在狼はニヤリ、笑う。
「ねえねえ、レンジさん!
おいらと握手してくれる?」
「ああ、もちろん」
レンジは右手を差し出した。
ミシッ! ミシミシミシッ……!
握られた右手が音をたててた。
「……う? ゔゔっ? ……痛ッ!」
……なんて馬鹿力だ!
骨でも砕くつもりか?
「イヒヒ……、おいらとレンジさんはさあ?
そのうちにまた会うかもしれないねえ?
そのときはどうぞよろしくねえ?」
「…………は、い」
不本意ながら首肯する。
「それじゃあ、まったねえ!」
顔を上げる。
すでに在狼は消えていた。
レンジは頭を掻きむしる。
羽衣と『あの日』の女子中学生の面影が重なった。
あの日から現在までの経緯が一致した。
羽衣に対する不思議な感情が何なのか腑に落ちた。
レイプシーンの撮影によって裏付けられた。
明明白白、事実を直視した。
間違いない。
羽衣は俺の、娘だ…………