第四章 ③彼の決意
宇和島駅。
青年は緊張気味に運転席に乗り込んだ。
どうやらペーパードライバーらしい。
真剣な面持ちだ。
アクセルとブレーキを確認する。
「よし! それじゃあ、発進っ」
レンタカーの車中。
青年はようやく名乗った。
「僕の名は『輝章』といいます。
さっきは感じ悪くてすみません……」
「私は凛花です。
あ、二度目の自己紹介ですね」
「運転、慣れなくてごめん!
車酔い、大丈夫かな?」
「ふふ、実は私。
どんな乗り物にも酔わないんです」
「ハハハ! それなら安心です」
市街地を抜けて農園のガタガタ道を走行する。
輝章は運転に苦戦しながらも楽しそうだ。
ガタンガタン!
ふたりは身体を跳ねさせて笑った。
ちらり、
凛花は運転席を見つめる。
……輝章さんは知的な風貌だ。
メンズトレーナー、ジーンズ、スニーカー。
カジュアルな服装だ。
だけど。
言葉遣いや立ち居振る舞い、育ちの良さが感じとれる。
自然体でさりげない配慮がある。
馴れ馴れしい態度はとらない。
パーソナルスペースを侵さない。
程よい距離感に好感が持てた。
三十分後。
実家の農園に到着した。
比較的傾斜が緩やかな道端にレンタカーを停めた。
車から降りると軽快に歩き出す。
凛花はみかん山の坂道を先導する。
昼下がりの晴天。
潮風が心地いい。
向かいの山のモノラックがよく見える。
柔らかな太陽の日差しを浴びてたわわに実るみかん。
固い皮のブラッドオレンジ。
キラキラ、
煌めく瀬戸内の海……。
「うわっ!
本当に絶景だ」
輝章は感嘆の声を上げた。
ゴロン!
凛花は畑に寝転んだ。
洋服に土がつくことなど意に介していない。
まるで無邪気な子供のようだ。
「輝章さん仰向けになってみて?
私に触れないくらいの距離を保ってくださいね」
輝章は素直に頷く。
天を仰いで寝転んだ。
短い雑草の生えた固い土の上。
ふたりは無言のまま空を見つめる。
視界いっぱいに澄み渡る青い空が広がる。
そよそよ、
風の音が聞こえる。
ささくれだっていた心が癒やされる。
そんな穏やかな時間だ。
凛花は意を決する。
「輝章さん……。
少しだけ。
私の『昔話』を聞いてくださいませんか?」
輝章は笑顔で返答する。
「あ、子供のころの思い出話ですか?
それは楽しそうですね!
是非とも聞かせてください」
凛花は小さく頷く。
「信じてもらえないかも知れないけれど。
八幡浜駅に現れた真珠色龍神は私の親友です。
そして私の命の恩人でもあります。
私が五歳のとき………………」
幼き日に起こった忌まわしい出来事。
淡々と語り伝えた。
…………!
輝章は言葉を失った。
感情は戸惑いを超えて慄く。
あまりの衝撃に震えが止まらない。
……う、嘘だろう?
長閑なこの場所で?
ぽかぽか暖かいみかん山で?
このみかん畑で……!
幼児期の凛花さんが成人男に襲われてレイプされたこと。
瀕死状態で病院に運び込まれたこと。
女性としての身体機能を失ってしまったこと。
穢れた身体を嫌悪していたこと。
家族が自責の念に苛まれていたこと。
命を絶って消えて無くなりたい!
そう藻掻いていたこと……。
ぽつり、ぽつり……。
飾らない言葉が紡がれていく。
その羅列はあまりに重かった。
「あの日。
ノアが私を助けてくれました。
いつも空から。
『生きよ!』と励ましてくれました。
だから私は今、生きています。
そして貴き御方から。
『龍使い』の使命を賜りました。
『存在意義』と『未來の希望』が与えられたのです。
私は今、幸せです。
生きていて良かった!
心の奥底から、そう思っています」
輝章は泣いていた。
……凛花さんは強い人だ。
忌まわしいはずの『この場所』を絶景だと言い切る。
そして卑屈な僕に訴えかける。
あなたの存在意義は何?
夢を諦めないで! と……。
恐らくこの出会いは偶然ではない。
見えない不思議な力に導かれた『必然』だ。
だとすれば。
今こうして生きていることすら『奇跡』だ。
希望ある未來があることは『奇跡』なのだ。
ふわり……、
清爽な風が吹き抜けた。
見上げる青い空。
群れた鳥が勢いよく簾をなした。
胸につかえていた卑屈の塊が腹に落ちる。
体外に抜けて消えていく。
そんな不思議な感覚をおぼえた。
……そうだ。
夢を手放すのは簡単だ。
いくらでも言い訳できる。
夢は自らが手繰り寄せて掴むべきもの。
僕の『未來』。
それは僕のものだ……!
輝章の心に『変化』が起こっていた。




