第二章 ⑤否の起業家・マナブ(制裁)
西武新宿線・新所沢駅。
マナブは大股で歩く。
西口改札を通り抜けた。
瞳に光はない。
心は欲望に支配されている。
見当違いな認知バイアスは暴走中だ。
……龍使い・凛花に相応しいのは誰か。
それは特別な男だ。
類まれなる成功者だ。
それはつまり『俺』ではないか？
すべての華々しさを手中にした俺こそが相応しい。
きっと今頃。
再会を待ち望んでいるはずだ。
俺に恋焦がれているに違いない！
マナブは駅周辺を歩き回る。
住宅地をうろつき回る。
闇雲に彷徨う。
そうして偶然たどり着く。
凛花が暮らす『赤煉瓦ベル』のすぐ近くまで来ていた。
ヒューン…………、
マナブのグラビリズムの運勢機運。
最大値から急落を始めた。
黄金龍王によって維持されていた『是』の采配。
『否』に転じた。
ドッ、ドッ、ドドドドドッ…………、
空の一部に分厚い黒雲が立ち昇る。
吹き飛ぶような暴風が吹き荒れる。
『滝落としの雨』に曝された。
視界が閉ざされる。
マナブの周囲にだけ集中豪雨が降り注いでいる。
「わっ？ 痛っ……」
雨粒に強打される顔面は苦痛に歪む。
不吉だった。
苛烈に瀑布する滝落としの雨。
容赦なく激しく打ちつける。
溺れたように呼吸が出来ない。
来た道を戻ろうと藻掻く。
けれど一向に前に進めない。
グオオオオオッ……、
…………？
どこからともなく低い唸り声が聞こえてきた。
ザッ、ザザアァッ……！
滝面が左右に割けた。
金色の光が放たれた。
ヌウゥッ、
憤怒の形相の『黄金龍王』が現れた。
ぎろり、マナブを睨みつける。
ギラギラ、目を剥く。
怒気籠る咆哮が轟いた。
『否アァッ！』
ぱたん、滝落としの雨が止んだ。
シン……、静寂が訪れた。
マナブはずぶ濡れだ。
放心状態で立ち尽くしている。
「イヒヒッ！
否、だってさ？ 残～念ッ」
背後から茶化された。
ハッ、我に返って振り返る。
すると至近距離に。
長身の若い男が立っていた。
浅黒い肌。
シュッとした端正な顔立ち。
それはいわゆるイケメンだった。
「おいらは呂色九頭龍神在狼。
契約を違えたマナブ君に制裁指令が下ったよ！
残念だねえ？ 悲しいねえ？
最後になにか言い残すことはないかい？」
男は龍神の姿に変化した。
濡れているかのように光沢ある漆黒の龍体。
龍頭は九つあった。
九つの龍頭は寄って集って威嚇する。
金色に縁どられた龍眼は釣り上がって怒気を帯びている。
嘲りと蔑みが滲み出ている。
「ヒッ………！？」
妖異な姿だ。
慄然として後退さる。
嫌な汗が流れる。
背筋が凍る。
シュッ……、
しかしなぜか。
呂色九頭龍神は再び人間の姿に戻った。
マナブは打算的性質だ。
即座にリスク計算を試みる。
……今がチャンスだ。
龍神が人間の姿のうちに上手いこと説得しよう。
どうにか釈明して言いくるめよう。
手に入れたゴージャスで華やかな日々。
易々と手放したくはない。
そのためには、命乞いするしか道はない！
マナブは声を絞り出す。
「ち、違うんだ！ 誤解だよ？
き、聞いてくれ！ すべて誤解なんだ」
男は表情を変えずに質問を返す。
「何が誤解なのさ？
凛花に会いたくてここまで来たんだろう？」
「いや、あの、その、違うんだ！
俺に下心なんて微塵も無いんだ」
「へえぇ！ それは本当かい？」
「そっ、そうさ！
そもそも俺は女に不自由していない。
むしろ食傷気味なくらいだよ！
だから凛花さんみたいな地味女、眼中にないっ」
「ふうーん？ 地味女……、ねえ？」
「それに俺はめちゃくちゃ仕事が忙しいんだよ。
うるさい顧客連中相手に取引きをしてさ。
大勢の従業員を養っているからね。
社長業は大変なんだよ」
「へーえぇ？
あ、そういえば！ あんたの評判最悪だね？
横柄、傲慢。
高圧的、気配り無し、配慮無し！
あげくに破廉恥って……。
ハラスメントのコンプリートを目指しているのかい？」
マナブは不遜な顔をする。
「失敬だな！
会社経営に関して素人に文句を言われる筋合いはない！
会社は利益を出し続けているし運営に落ち度はない。
それに何がハラスメントだって？
俺が怒鳴るのは周りの連中が無能だからだ。
俺は一つも間違ったことは言っていない。
それどころか。
役立たずを厚待遇で雇用してやっているんだ」
「へえへえ、そうかい。
それにしても女遊び、激しいねえ？
多淫も過ぎると痛い目見るんじゃないかい？」
「ハッ？ 多淫？
そんなの俺の本意ではない。
尻軽女が勝手に群がってくるから相手をしてやっているだけだ。
仕方なくだよ」
「ふーん、そう……。
マナブ君はモテモテなんだねえ？」
マナブは閃く。
「ああ、そうだ。
良かったら金も女も必要なだけ用意するよ！
だから今回は見逃してほしい」
ニヤリ、
在狼は冷笑する。
「見逃して、ってことは！
契約を違えた自覚があるってことだよねえ？」
「ち、違うよ。
良かったら取り引きしよう、って。
提案だよ」
「へえぇ？
マナブ君は。
龍神のおいらと駆け引きしようっていうのかい？
面白いねえ？
軽薄だねえ？
馬鹿なのかい？」
「とっ、とにかく！
俺は地味で冴えない女になんて興味ないんだ。
だからもう二度とここへは来ない。
約束する。信じてくれっ、頼むよ！」
呂色九頭龍神在狼は呆れる。
鋭い銀爪を妖しく光らせた。
「君は大切なことを忘れてしまったみたいだね。
仕事への敬意、仲間への感謝、誠実な心……。
是契約書・第六条不履行、
否の制裁から逃れることはできないよ？」
マナブは悪あがきする。
「いっ、嫌だ！ 助けてくれよ！
周りの奴らが勝手にちやほやするのが悪いんだ！
だからほんの少し、勘違いしただけなんだ。
今後は改める！ 悪かった！
ほらこの通り……、謝っただろ？
だから頼むよ、お願いだ。
今回だけは許してくれ！
助けてくれ！ 殺さないでくれよ……」
「殺しはしないよ？」
マナブは安堵して胸をなでおろす。
……助かった！
そもそも俺の成功は、俺の実力に外ならない！
在狼は淡々と伝達する。
「エラー人間・マナブ君。
あんたは今から空蝉インコに変じるんだ。
先駆者の時間はもうお終い！
これからは優しい誰かに餌と水を与えてもらってさ。
追随者として生きていってねえ？」
「ぺ、ペット……？」
「インコは仲間を大切にするんだよ？
独り善がり野郎の良いお手本だよねえ？
真摯に学ぶべきだよねえ？
インコになればモノマネ上手になる。
それに空が飛べる！
良かったねえ？ すごいねえ？
せいぜい楽しんでねえ？」
「嫌だ、嫌だ！」
マナブは青ざめて震え上がる。
「空蝉の模様はさ、
龍神界からの『指名手配の証憑』なんだ。
良かったら覚えておいてねえ？
まあどうせインコになるんだし忘れてもいいけどさ！
ああそうだ、念のため凛花の記憶は消しておくよ。
じゃ、そうゆうことで」
「頼むっ！ 助けて……。
お願いします……。
た、助けて、ください……」
在狼は侮蔑して嘲笑う。
キラリ！ 龍眼が光る。
バイバイ！ 笑顔で手を振る。
そうしてキメ台詞を吐く。
「リズム消滅。鬼畜め、バイバ～イッ！」
ピタリ、
マナブのグラビリズムは完全停止した。
その瞬間。
空蝉インコへと姿を変じていた。
都心のとあるビルの玄関口。
ギャッ！ ギャッ！
黄色いインコがけたましく鳴いている。
インコの羽には奇っ怪な模様がある。
空蝉模様が浮かび上がっている。
行き交うサラリーマンが噂する。
悪評で盛り上がる。
……時代の寵児とそやされていた起業家の男。
どうやら失踪したらしい。
過剰にもてはやされた勘違い男。
傲慢で、女にだらしなかったらしい。
行方知れずのＣＥＯ。
横柄で、社員に辛辣だったらしい……。
いい気になって、調子に乗って。
どうせ恨みでも買ったのだろう……。
恰好の憂さ晴らしの種になった。
ぎゃあっ！ ぎゃあっ！
インコは声を枯らして鳴き喚く。
喉が張り裂けるまで鳴き叫ぶ。
死に物狂いに泣き続けたのだった……。
