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第20章  ~兄妹~

誰もがみんな恋してる。きっと自分自身もそんなんだね。











-君の笑顔も泣き顔も- 第20章 ~兄妹~











高原高等学校。


校舎は一見古そうに見えるが、歴史はそう深くはない。


学科は普通科と専門科で分かれており、その中でも専門科はさらにいくつかの分野によって分けられている。


今現在、そんな高原高等学校でとある噂が広がっていた。





















――――休み時間



つまらなそうに拓也は廊下を歩いていた。


これといって意味はない。


いつものことだった。


ただボーっと歩いていると、やたらとひそひそ話をする生徒たちが視界に飛び込む。


拓也が彼らを見ると、簡単に視線がぶつかり合った。


しかしそれもほんのわずかの間で、目のあった生徒たちは、瞬時に目をそらす。


そんな彼らに拓也は小さくため息をこぼした。


正直なところ、視線がむちゃくちゃ痛い。


そう、生徒の間ではやっている噂とは拓也のことなのだ。


この間、輝と抱きしめあっているところをこの学校の生徒にでも目撃されたのであろう。


拓也はすぐにそう把握した。


しかしそんな彼は何も気にもしなかった。


自分が望んでしたことだから。


輝が好きで抱きしめたのだから。






















「ちょっとちょっと!聞いた!?」


『何を?』


突然聞かれたことに、二人の声は見事にハモった。


軽やかなショートヘヤーとセミロングの髪を高く束ねたポニーテール。


まさしくハモった二人は愛莉と由紀であった。


おしゃべり好きの友人が少し大げさに聞いてきたため、若干驚いている模様。


「何って例の噂よ!まさか二人ともまだ初耳ってわけ?」


「うーんあたしはまだ聞いてないと思う。愛莉は?」


「うん。私もたぶんまだ聞いてないよ」


「えー!?今この噂学校中に広まってるのにまだ知らないなんてありえない!」


「そんなに話の太い噂なの?」


「美緒がそんなに言うんだったら話してよ」


どうやら少し強気な彼女は美緒というらしい。


「じゃぁ話すね。普通科にいる金髪のあの男子生徒いるじゃない?えっと・・・確か朝本拓也だったっけ?」


『!?』


彼の名を聞いた瞬間、愛莉と由紀の表情が一瞬にして変わった。


「あの人と花咲高等学校の制服を着た黒髪の男子生徒が抱きしめあってたっていう噂なんだけどね。それをC組の本村さんが目撃したらしいのよ。しかもその黒髪の人、何かとイケメンだったとか」


美緒の話を聞くなり、愛莉と由紀は確信した。


それが拓也と輝であることを。


とっさに由紀は顔をゆがませた。


目で美緒にその話は愛莉にとってNGであることを伝える。


が、美緒は気がついていないせいかケロっとしていてなにやら楽しそうである。


拓也との間であったことは、愛莉と由紀しか知らないのだ。


「やっぱこれってホモって事だよね?二人はどう思う?あたしは普通に恋愛するなら男と女だと思うけどね」


とうとう美緒は話をこちらにふってきた。


「どうってそんなの――――」


「いいと思うよ」


「・・・愛莉?」


とっさにフォローしようとした由紀は、思わずキョトンとした表情になった。


「私は同性愛でもいいと思うよ。誰かを好きになるのは当たり前のことだし、相手が異性じゃないといけないって事はきっとないんだと思う。私もかりに同性の子を好きになったら、きっとそうすると思うから」


愛莉の言葉に美緒はぽか~んとしていた。


一方彼女とは対照的に由紀は優しい微笑を見せる。


「そっか・・・・・きっとそうだよね。好きなんだから仕方ないよね」


なんともいえない気持ちになる由紀。


少し心が痛む愛莉。


正直、愛莉はまだ引きずっていた。


諦めが肝心であることは愛莉自身もよくわかっている。


それでも、あれだけ想いを寄せていただけになかなか忘れられないのだ。


しかし、今の愛莉はかつてのように無理やり輝から拓也をとろうなどという馬鹿なことはこれっぽっちも考えていない。


拓也と輝がお互いにどれだけ強く想い合っているか、痛いほど知っているのだから。


だからこそ、今こうやって自身をもって言葉に表せる。


「愛莉の言うとおりだね」


「う~ん。まぁ誰かを好きになることに否定はしないんだけどさ。そんなもんかねぇ。」


「そんなもんなの。ねっ、愛莉」


「?あ、うん。そうだね」


愛莉と由紀は顔を見合わせて微笑みあった。


それをみた美緒はなんだかそっけなくなった。


「二人して大人ぶっちゃってさ。何かあったの?」


「ううん。なにも」


「怪しい!」


「まぁまぁ」


このまま放っておくと深追いされそうなので、由紀がとっさに美緒を落ち着かせた。






キーンコーンカーンコーン





3人でワーワーやっているうちに5時限目の予鈴が鳴った。


「もう授業始まっちゃうね」


「やばい!次あたしのクラス体育だった!愛莉、由紀、着替えないといけないからちょっと急ぐね!それじゃっ!」


美緒はそう言うと、体操服を手に取り、急いで教室を飛び出していった。


そんな彼女を見て由紀はやれやれといわんばかりに苦笑いをこぼすが、すぐに表情が和らいでいった。


「愛莉」


「何?」


「大丈夫だよ。きっと愛莉は素敵な人に出会えるから。」


「由紀ちゃん・・・・・。ごめんね心配させて」


改まった気持ちになった愛莉は、由紀に優しく抱きしめられた。


「いつもありがとう」


「ううん。いいのよ礼なんて」


由紀は愛莉の言葉が少し、嬉しかった。


愛莉もまた、いつも励ましてくれる由紀に感謝する。












私があなたのことを本気で好きだったように、あなたもまた、あの人のことが本気で好きなんだね


誰かを好きになることを教えてくれてありがとう





――――『誰かを好きになる』って、とても幸せなことなんだね













*****










「おはようございます」


まだ少し眠たそうにしている輝は、目を軽くこすりながら挨拶する。


「おはよう輝君。調子はどうだい?」


「特に問題はありません」


「そうか、ならよかった」


輝の言葉に原田看護師と小池医師は安心した。


「朝ごはんならいつものテーブルの上に用意してあるわよ」


「ありがとうございます。いつもすみません」


「謝ることなんてないのよ。輝君が元気でいられるのなら山ほど作っちゃうわ」


少し可笑しく言うと、輝も少し可笑しく笑い返した。


「輝君、ここ最近ずっと嬉しそうだね。何かいいことでもあったのかい?」


「?!いっ、いえ。特に何もないですよ」


「えー、それはホントかな?俺には何かいいことがあったようにしか見えないけど」


少し赤面した輝に小池医師は怪しげな笑みを見せつけた。


輝はそんな彼から逃げるかのように目をそらす。


「まっ、まぁこの話はよしとして、俺朝ごはん食べてきますね」


「残さず食べるのよ」


原田看護師がそういうと、拓也は静かに部屋を後にした。


「ホントに輝君、嬉しそう。見ているこっちがなんだか嬉しくなっちゃうわ」


「そうだね。輝君の笑顔には何度も癒されるな」


まだ朝早く、原田看護師と小池医師しかいない診察室。


それは輝がこの場にいないからできる会話であった。


もちろんいい意味で。


「きっと拓也君だね」


「そうですね。拓也君絡みの輝君は一番幸せそうですから」


しばらくそんなことを話していると、輝がドアからひょっこり顔を出してきた。


「ご馳走様でした。今日もとてもおいしかったです」


「そう、よかったわ。そろそろ行く時間かしら?」


「はい。行ってきます」


「気をつけていくのよ」


原田看護師の言葉にうなずき、輝は機嫌よさそうに走っていった。


「小池先生。そろそろ開院しましょうか。・・・・小池先生?」


妙な表情をしている小池医師に、原田看護師は少し疑問を抱いた。


「どうかしましたか?」


「?いや、最近の輝君、ホントに元気で明るいなぁと思って。それにこれと目立った支障も見当たらない。まるで以前の輝君のようだ」


「!?もしかして・・・・」


「あぁ、少し希望を持ってもいいかもしれないな」


何かを確信した二人は少し明るい表情になった。










*****










輝は朝本家の玄関のドアの前に立っていた。


(どうしたんだろ・・・・・)


呼び鈴を鳴らした輝は、不安そうな表情を浮かべた。


いつもならすぐにありさが迎えてくれるはずである。


しかし、今日はそれどころかまったく反応がない。


物静かで、逆になんだか心配になってくる。


一度落ち着いて深呼吸をし、輝は思い切ってドアの取っ手を引いた。


すると、何のためらいもなくドアが開く。


(開いてる・・・・)


輝は少しためらったが、足を一歩踏み出し、玄関に上がった。


勝手に入るのはまずいと思ったが、いろんな意味で心配だったので入ることにしたのだ。


そしてリビングのドアに近づくと、何かにぎやかそうなテレビの音が聞こえてきた。


(誰かいるのか?)


そう思って耳をドアにあてるが、人の声は聞こえてこなかった。


今度は一度息をのみ、取っ手に手をかけてドアを開けた。


すると、何度か目にした事のあるリビングの風景が広がった。


「ひ、輝先輩!?」


「へ?」


突然名を呼ばれた輝は思わず気の抜けた声を上げてしまった。


声が聞こえた方向を見ると、そこにはテレビを見ながら味噌汁を飲んでいたように思われるありさの姿があった。


「あ、ありさちゃんおはよう」


「お、おはようございます」


突然の登場に、お互い驚いてしまったようだ。


「・・・・・もしかして呼び鈴鳴らしました?」


「え?あ、うん。鳴らしたんだけど・・・・・」


「!?すみません!寝ぼけてて気がつきませんでした!」


ありさは申し訳なく思い、とっさに輝に謝った。


「謝らなくていいよ。俺も、勝手に家に入り込んでごめんね」


そういって輝も自分の行為に謝る。


すると、なんとなくさっきまでの騒動はまるくおさまったように思われた。


「ありさちゃんは朝早いんだね」


「そうですかね?まぁただ朝ゆっくりしたいだけなんですけどね」


ありさはそういうと、少し苦笑いをこぼした。


「輝先輩も味噌汁いります?」


「ん?ありがとう。でももう俺、朝ごはん食べてきちゃったから遠慮するね」


輝が優しい言葉を言うのに対し、ありさは立ち上がって何やらキッチンのほうをあさりだした。


そんな彼女が手に取ったのはインスタント式の味噌汁の素。


それを茶碗に入れ、お湯を注いで簡単に味噌汁を完成させた。


「どうぞ、召し上がってください」


「あ、ありがとう」


目の前に出されたのは、ありさのお手製味噌汁。


『お手製』と名づけるのは少々語弊があるかもしれない。


「男の子はしっかり食べないとダメですよ」


「う、うん」


輝の話を聞いていないように思われたが、やはりありさなだけにちゃんと話を聞いていた。


そんな彼女の言葉とは裏腹に、『輝の食べてる姿が見たい』だなんていう、ベタな悪意のない気持ちは、そっとどこか心の端っこに置き去りにした。


「いただきます」


実際、輝は今朝原田看護師の作った朝ごはんをそれなりに食べてきただけに、お腹はそこそこ満腹であった。


しかし、せっかくありさが作ってくれた味噌汁だ。


輝は食べないのも悪いと思い、おいしくいただくことにした。


「おいしいですか?」


「うん、おいしいよ」


味噌汁を食する輝を見るありさは、何かと嬉しそうである。


輝にはどこか愛嬌でもあるのだろうか。


見ていてなぜか癒されるものを感じる。


(こんなに素敵な人、ほかにいるのかしら)


そんな密かなありさの想いは、決して外へ明かされることはなかった。


「ご馳走様。ありがとうありさちゃん」


そう言って輝が茶碗をさげにいこうとすると、瞬時にありさは気を使って代わりにさげに行った。


「そんなに俺に気を使わなくてもいいのに」


「ううん。輝先輩は大事な人なんだからこれぐらい当たり前なんです」


その言葉を言った瞬間、突然ありさの心はズキズキと痛み出した。


彼女の中に眠っていたそれは、もう抑えきれなくなってしまっていた。


二人っきりの環境の中、ありさの感情が高ぶる。


これは突然の事なのだろうか。


違う。


きっとずっとずっと前から。


苦しそうな表情をしたありさの言葉に、輝は少し驚いた。


「輝先輩・・・・・」


「ありさちゃん?・・・・?!」


輝がすこし首をかしげた直後のことだった。


突然彼に女の子の特徴あるやわらかい体が触れた。


その正体はありさ以外の何者でもなかった。


ありさは輝にそっと抱きついたのだ。


そして彼はこの状況にさらに驚いた。


何をどうすればいいのかわからなくなる。


今まで何度かありさと一緒にいることがあったが、このようなことはさすがになかった。


あまりにも突然過ぎる彼女の行動に、輝は言葉を失っていた。


「突然ごめんなさい」


「謝らなくてもいいよ。ちょっとびっくりしてるけど、全然大丈夫だから」


混乱する中、輝は必死に優しい言葉をかけた。


輝はありさに対して特別恋愛感情は抱いていない。


そのため、ドキッとした事よりも驚いたことのほうが大きかった。


しかし、ありさもまた大切な人であることには代わりはない。


「・・・・輝先輩、体調悪いんですか?」


「え?」


突然遠まわしに隠していることを探ってきたありさ。


そんな彼女は無論、拓也と同じように輝の病が再発したことなど知らない。


その上、ありさの場合は輝の家族がもうすでに亡くなっていることすら知らなかった。


ではなぜこのような質問に出たのだろうか。


疑問に思う輝だったが、その答えはすぐにわかった。


「最近、あの勉強嫌いの兄ちゃんが医学の本を広げて勉強してるんです。毎晩毎晩机に座って睨めっこ。兄ちゃんがこんなにも理由なしに勉強するなんてありえなんです。だからきっと、輝先輩が関係してるのかと思って。兄ちゃんは、輝先輩のことになると何でもやり遂げようとするから・・・・」


ありさの表情は張り詰まってしまっていた。


「ありさちゃん。俺は大丈夫だよ」


「・・・・・でも、あたしは輝先輩のことが心配でどうしようもなくて」


「ありがとう。本当に大丈夫だから心配しないで。俺はとっても元気だよ」


ありさをこれ以上心配させないよう、輝は優しい笑顔を見せた。


そのやわらかい輝の表情に、いったん安心したありさだったが、すぐにまた張り詰めた表情に戻ってしまった。


「・・・・兄ちゃんずるい」


「?ありさちゃん、今なんて」


「ううん、なんでもないんです。気にしないでください」


ありさの正直な気持ちは、輝の耳まで届いていなかった。


「どうして輝先輩は兄ちゃんのことが好きなんですか?輝先輩はとってもかっこいいし、女には困らないはずです」


「・・・・・俺は、これっぽっちもかっこよくなんてないよ」


「・・・え?」


突然もどかしそうな口調で言う輝に、今度はありさが驚いてしまった。


「俺はつらいことがあった時、ただ落ち込んだり傷ついたりすることしかできない奴だ。そんな俺に、いつも優しくしてくれたのは拓也なんだ。そんな拓也に、俺は気がつかないうちに惹かれていた。今こうやっていれるのも、拓也のおかげなんだ。」


それが拓也を好きでいる理由のひとつであった。


しかし、拓也への想いはどんな言葉で表しても、比べ物になんてならなかった。


『好きだ』といって言葉を並べても、拓也を愛する想いに足りない。


「・・・・・・輝先輩にとって兄ちゃんは、とても大切な存在なんですね」


少しかすれた声でありさがそういうと、輝は静かにうなずいた。


ありさは輝のその反応をみた瞬間、目の奥がカーッと熱くなっていくのを感じた。


(ダメだ、泣いちゃダメだ!泣くな、泣くな!)


自分で自分に自己暗示をかけたそのときにはもう遅く、涙は大粒となって流れ出していた。


「!?ごめん俺、なにか気にさわるようなこと言っちゃった?」


まさか自分のことをありさが好いているなど考えもしない輝は、突然ありさが泣き出したことにものすごく驚いた。


「輝先輩のせいじゃないんです。あたしが勝手に泣き出しちゃっただけなんです。だから輝先輩は何も悪くありません。」


ひくひくと肩を上げ下げしながら涙を流すありさ。


ただただ、悔しくて悔しくてたまらなかった。


拓也は輝のことが大好き。


輝は拓也のことが大好き。


(ちゃんとわかってるのに。なのになんで、なんで!)


ありさは自分を何度も何度も責め立てた。


輝と拓也が愛し合っていることを、何よりも嬉しく思っているのに。


自分の心はいつだって正直で、辛くなると馬鹿正直に痛み出す。


拓也が輝を大好きだと思うように、ありさも輝が大好きだ。


それでも輝は拓也を選ぶ。


知っている。


輝が拓也をほかの誰よりも愛していることぐらい知っている。


何度もあきらめようと思っても、やはりなかなか上手くいきはしなかった。



















思いきり自分の置き時計を叩きつけた拓也は魂消た顔をしていた。


(しまった!寝過ごした!)


時刻は7時前。


勢いよく体を起こし、周りをきょろきょろと見渡す。


部屋には拓也以外、誰の姿も見当たらない。


どうやらターゲットはまだ来ていないようだった。


(まだセーフだったか。よし!)


拓也は眠気覚ましに両手で思い切り自分のほほを叩いた。


完全に眠気は覚めなかったが、そうすることによって気合が少し入ったような気がする。


拓也が朝から珍しく元気なのには理由があった。


その理由とは、後にやってくるはずである輝を驚かそうという目論見があるからだ。


一種のイタズラとでも言っておこうか。


ものすごく単純なことではあったが、それなりに拓也にとっては楽しみなことである。


もうすぐ17歳になる青少年がこんなことで喜ぶなど、我ながら少し幼稚だと思ったが、輝の驚いた表情を見るのが楽しみで、ついつい目論見を実行しようとしてしまう拓也。


そんな彼なのだが、輝を驚かす前に寝癖が少し気になったため、いったん一階に下りることにした。


階段を下り、リビングのドアまで近づくと、聞き慣れた声が聞こえてきた。


どうやら会話をしているように聞こえる。


(・・・・・もしかして、輝とありさか?)


聞こえてきたその声は、間違えなく輝とありさの声だった。


『輝先輩のせいじゃないんです。あたしが勝手に泣き出しちゃっただけなんです。だから輝先輩は何も悪くありません』


(!?)


それは取っ手に手をかけた瞬間に聞こえてきた言葉だった。


思わず拓也は固まってしまう。


どこからどう聞いても、まじめな話にしか聞こえない。


リビングに入らないほうがいいのはもう明らかであった。


しかし、拓也は思わず二人のことだけあって気になってしまい、いけないと思いつつもドアの隙間から様子を伺った。


そしてその瞬間、目を疑うような光景があらわになった。


自分の視界に入り込んだのは、ありさが泣きながら輝に抱きついている様子。


思わず拓也の目は見開いてしまっていた。


『輝先輩、あたし・・・・・・輝先輩のことが―――――』







言うな!!







異常なまでに感情が高ぶってしまい、そのまま告白してしまいそうな勢いだったありさは、自分の意思で自分自身を引き止めた。


一番言葉になってはいけないそれは、言葉となって口から出てこなかった。


『あり・・・・さちゃん?』


様子のおかしいありさを心配に思った輝は、優しく名をよんだ。


『す、すみません・・・・なんでもないです。今のは何も気にしないでください・・・・。』


かすれた声で言うありさは、依然と顔をうつむかせていた。


(ありさ・・・・・・)


彼女の言葉に拓也は絶句していた。


聞いてはまずいことを聞いてしまったと思った。


二階に戻ろう。


ベッドの中で寝ていよう。


そうすればきっとまた自然に眠くなるだろう。


そのまま寝て、輝が起してくれるのをまっていよう。


もしもそうしたら、自分が今あった出来事を見ていないことにできるのだろうか。


ありさと輝に、何も聞いていない、何も見ていないといえるのだろうか。


もやもやしたまま、拓也が方向転換をしたそのときだった。





ガサッ





痛恨のミス。


右足に何かがひかかり、物音を立ててしまった。


「な、何!?」


ありさと輝は、同時にリビングのドア越しに聞こえてきた物音に反応した。


(・・・・う、嘘・・・)


ありさは一瞬で凄まじい後悔に襲われた。


体中から血の気が引いていくのを感じる。


そして懸命に涙をふき取った。


ドアに目をやっていると、そこに人影が現れた。


それを見た瞬間、ありさは自然に輝からすこし距離をとる。


そしてその後、すぐにドアの開く音が聞こえた。


「ふぁ~っあ~眠てぇ~」


あくびをしながら体を伸ばす拓也の姿が現れた。


そんな拓也の登場に、戸惑いを隠せないありさは必死の思いでいつもの自分を作り出した。


「ん?何だもう起きてたのか。輝も相変わらず朝早いな。ホントにいつも悪ぃな、迎えに来てもらって」


何事もなかったかのように、拓也もいつもの自分を作り出した。


「全然かまわないよ。自分が好きで拓也を迎えにいってるんだし」


「そっか、それ聞いて安心した。んーと、もう時間がおしてるみたいだな。輝、ちょっと支度してくるから待ってて。なるべくすぐに済ませてくるから」


拓也は時計を見てそういうと、走って学校に行く準備をしにいった。


「輝先輩・・・・あたし、輝先輩に迷惑かけちゃいましたね・・・・・・」


「ううん、そんなことないよ。誰も悪くなんかない」


輝はまたもや涙を流しそうになるありさを優しく慰めた。


拓也のいないリビング。


空気の読めないテレビの音。


「おっし!準備できたぞー!」


少し気まずい雰囲気の中、一部始終を見てしまった拓也が戻ってきた。


「よし、それじゃぁ行こうか輝」


「あ、うん」


輝を呼び、玄関へ向かおうとしたそのときだった。


「に、兄ちゃん!」


突然自分を呼び止めるありさの声が聞こえた。


「どうした?」


「・・・・そっ、その・・・・あたし――――」


「ありさも遅刻しないように気をつけろよ。せっかく先生に気に入られてるんだから、信用を失っちまったら損だろ?それじゃあな」


何か言いたげそうにしているありさに、拓也は笑顔でそう言った。


「行ってくるねありさちゃん」


輝も同じようにそう言うと、拓也と共に家を出た。


するとそれを物語るかのように、玄関のドアが自然に閉まる音が耳に流れ込んできた。


(どうしよう・・・・どうしよう・・・・・!!!)


拓也はきっと見ていた。


そう思ったありさは強い自己嫌悪に陥った。


より一層自分の心が苦しくなっていく。







自分さえあんな行動に出なければ―――――






ありさは何度もそのようなことを考え、次第に混乱していった。


もしもこれが原因で、拓也と輝の仲が悪くなってしまったら、間違えなく責任をとらなければならないのは自分だ。


その上責任を取れる自信などどこにもなかった。


大きな罪悪感に押しつぶされそうになるありさ。


一人、彼女は静かに泣いた。











*****











窓の外を見ると、綺麗な夕焼け空がそこにあった。


「ねぇありさちゃん」


「・・・・・」


「あ、ありさちゃん!」


「!?」


少し大きめな声で名前を呼ぼうとすると、最初の一文字をいきなり詰まらせてしまった。


突然耳に入りこんだ友人の声に、ボーっとしていたありさは正気に戻る。


いつから彼女は自分のことを呼んでいたのだろうか。


ありさにそれはわからなかった。


「ご、ごめん。ちょっとボーッとしてた」


「ううん。別に気にしてないから謝らなくていいよ。・・・・・・ねぇありさちゃん、何かあったの?」


「?何もないよ」


「ホントに?」


朝からどうも様子のおかしいありさを心配する友人。


彼女の名は島谷沙希。


少し長めの髪をツインテールに結んでいる。


全体的に落ち着いた雰囲気の持ち主で、誰が見てもおしとやかそうなイメージが浮かんでくる。


自然に一緒にいると癒されるその雰囲気は、どこか輝に似ていた。


そしてありさと沙希は、中学生の頃までまったくもって赤の他人同士であった。


が、高校に入学し、たまたま同じクラスであることをきっかけに今こうやって仲の良い友人関係となっている。


「ホントだって。そんなこと全然ないよ」


沙希に疑われたありさは、手の平を左右に振ってもう一度否定した。


「私、ありさちゃんのこと心配・・・・・」


「大丈夫だって。あたしはいつもどおりだよ」


「そうかなぁ。それならいいんだけど・・・」


「うん。それでいいの」


ようやく沙希はありさの言うことに納得したのか、ほのかな微笑みを見せた。


納得したというよりも、ありさが無理やり納得させたというほうが正しいのだろうか。


「あ、そうそう。あたし今日夕飯のおつかい頼まれてるから一緒に帰れないの・・・・ごめんね、本当は一緒に帰りたいんだけど・・・・」


「そうなの?ちょっと寂しいな・・・・。でもおつかいなら仕方ないね。明日は一緒に帰れる?」


「もちろんよ。明日は帰りにクレープでも食べに行こうね。それじゃぁあたしちょっと急ぐから」


「うん。また明日ね」


沙希はそう言ってありさに手を振った。


ありさも同じように笑顔で沙希に手を振る。


そのまま急ぎ足で教室をでると、次第に沙希の姿が見えなくなっていった。


そしてさっきまでのありさの笑顔もまた、同じように消えていった。


今朝と同じ様に苦しそうなありさの表情があらわになる。


(兄ちゃん・・・・輝先輩・・・・・)


ありさに元気がない理由は、やはり今朝の出来事にあった。


自分のせいで、拓也と輝の仲が悪くなってしまわないだろうか。


いつものように仲良くしてくれているのだろうか。


ありさは今朝からずっとそのようなことを考えていた。


拓也と輝が幸せそうにしているのを愛おしく思うありさ。


そんな彼女は、幸せそうにしている彼らの関係が壊れてしまうことを、心のそこから反対した。


そしておつかいの件など存在しない。


それはとっさについたありさの嘘なのだ。


あまりにも辛くて、とても笑顔で友人に話ができる心境ではない。


沙希に悪いと思いながらも一人でいられる時間を作ったのだ。


ありさはそうでもしないときっと沙希にも迷惑をかけてしまいそうで怖かった。


肩をおとし、暗い表情で下を向いたまま廊下を歩いていたそのときだった。






ゴンッ






突然人と人がぶつかり合う音が聞こえてきたかと思うと、今度は頭に何かの感覚が走った。


「ありさちゃん?」


「!?」


今朝聞いたばかりの彼の声が聞こえた瞬間、ありさは勢いよく頭を上げた。


すると、自分の頭が彼の体にぶつかっていることに気がつく。


自分の目の前には、ほかの誰でもない輝の姿があった。


「ご、ごめんなさい!」


思わずありさはびっくりしてしまい、妙に変な声が出てしまった。


同じ学校に通っている二人だ。


こんなことが起こりうるのも当たり前だろう。


可能性的に否定することはできない出来事である。


「謝らなくてもいいよ。それより下ばかり見て歩いてたら危ないよ」


そういってありさをフォローする輝。


それは嬉しいことだったが、今のありさにとっては少し辛かった。


「そうですよね、あははっ。バカだなーあたし」


今の心境とは裏腹に、ありさは可笑しそうに笑った。


「ありさちゃんも今から帰るつもりだった?」


「?あ、はい。あたし部活入ってないので」


「そうなんだ。もし気が向いたらどこかの部活に入るといいよ。きっとありさちゃんならどの部も受け入れてくれると思うから。それじゃ俺はここで」


「・・・・・・待ってください!」


輝が下駄箱のほうへ向かおうとすると、とっさにありさは彼を呼び止めた。


「ありさちゃん?」


「・・・・えっと、その・・・・大丈夫でしたか?」


「大丈夫って、何が?」


「何って・・・・・・兄ちゃんとの間に何かあったりして・・・・・」


「そんなの全然ないよ。いつもどおり楽しく話してる」


うかない表情をするありさとは対照的に、輝は少し可笑しく笑ってそう言った。


そんな彼は恋愛に関してものすごく鈍感である。


ここまできても、彼はありさが自分のことを好いていることに気がつかない。


「本当ですか?」


「本当だよ」


「兄ちゃん怒ったりしてなかったですか?」


「?そんなこと全然なかったよ」


なぜそんなことを聞かれるのかわからない輝は、少しだけ頭の中にクエッションマークを浮かばせた。


「そうですか・・・・・。それなら良かったです」


完全には気持ちは晴れなかったが、ありさは少しだけほっとした。


「お忙しいなかすみません。構ってくれて嬉しかったです」


「いいよこれくらい。俺もありさちゃんにはいろいろと助けられたからね。感謝してるよ。それじゃぁねありさちゃん。バイバイ」


そういって輝は廊下の向こう側に行ってしまった。


ありさはそんな彼の姿を、見えなくなるまで気がつかないうちに目で追っていた。


安心してもいいような言葉を聞けたはずなのに、心は依然と苦しかった。


(ちゃんと、兄ちゃんに謝ろう・・・・・)


ありさは涙目になりながらも、そう決心した。












*****











「今日はこっちから帰らないか?」


突然そのようなことを言い出したのは拓也だった。


「いいけど・・・・なんで?」


「なんとなーく。ダメか?」


「ダメってことはないけど・・・・」


「ならいいだろ?」


拓也はそう言うと、少し強引に輝の手を引っ張った。


「確かこっちから帰ると少し遠回りじゃ・・・・」


「そうだっけ?まぁいいじゃん。俺、いつもの道飽きたしさ。たまには遠回りするのも悪くはないだろ?」


「ま、まぁ拓也がそういうなら気にしないけど・・・・」


「サンキュー。輝ならのってくれると思ってたぜ。急がば回れっていう言葉があるくらいだしな」


「ははっ。俺たち別に急いではないと思うけどなー」


時々ことわざや四字熟語の使い方を若干間違えている拓也。


そんな拓也に、輝は少し可笑しく笑った。


「ま、まぁそれはさておき、ことわざとかってさ、なんか突然使いたくならねーか?」


「うーんそうかなぁ・・・・。そういう拓也は何か難しいのでも知ってるのか?」


二人の会話は何やら妙な流れになってきた。


いっぱい楽しいことでも話そうと思っていた拓也だったが、自分でそのムードを壊してしまったように思える。


よりによって自分の嫌いな勉強の方向へ。


「えっ、えーと・・・・『花より団子』に『馬の耳に念仏』。あと『以心伝心』だろ?それから・・・・・」


拓也はことわざや四字熟語を使うのが好きなだけで、決してたくさん知っているわけでもないらしい。


そのため、100人に聞いて100人が答えられるような有名なことわざしか思い浮かばないようだ。


簡単なことしか述べられない拓也は、少し恥ずかしくなった。


「俺たちはきっと『比翼連理(ひよくれんり)』だよね」


拓也がしばらく頭を抱えていると、輝は突然拓也の知らない四字熟語を言った。


「ひよくれんり?」


「そう。『比翼連理』」


「どういう意味だ?」


「・・・・・ちょっとそれは俺の口からは言えない・・・・かなぁ・・・・」


輝はすこし赤面して目をそらした。


そんな彼の様子を見て、拓也はうっすらと感づいた。


(もしかして恋愛系か?)


拓也はチラッとだがそのようなことを考えた。


しかし、もしもそれが勘違いであるのならだいぶ恥ずかしい事である。


「気になるんだったら辞書でもひいて」


「えーめんどくさい。けどまぁ調べてみるよ。輝が赤面するぐらいだからよっぽどの意味なんだろうしな」


拓也は少し意地悪そうにそう言うと、輝が思った以上に恥ずかしそうにして固まってしまったので、逆に拓也が驚いてしまった。


「ほんっと輝って天然でおっちょこちょいで恥ずかしがり屋だよな。もちろんイイ意味でだけど」


「な、なんでそうなるんだよっ」


「だって自分で言っておきながら赤面しちゃってるし」


「うぅ・・・・・」


輝は自分でも自覚していたらしい。


どうやら図星を言われて言葉を失ってしまったようだ。


「まぁ要するに俺はお前のことがかわ――――」


「だぁぁぁぁぁ!その後は言うな!」








『可愛いって言いたいんだけどな』








その言葉は見事に輝の言葉にもみ消されてしまった。


「これくらい言わせてくれよー」


「ご、ごめん」


「そんなにリアルに謝らなくても」


まじめに謝られたため、拓也は少し苦笑いをして輝の肩を軽くポンポンッと叩いて慰めた。


すると輝の表情は和らぎ、いつもの暖かい表情に戻り始める。


そんな輝を見ているうちに、拓也の頭の中にはいろんな想いがよぎっていた。


どれもこれも輝のことばかりである。


そしてその中に、今朝の出来事が加わっていた。


朝からずっとあのときの光景が頭の中に焼きついて離れないでいる。


今だってそうだ。


輝を見ているだけで心が揺れる。


「・・・・拓也?大丈夫か?」


それはつらそうな表情をする拓也を心配に思って言った輝の言葉だった。


「!?あぁ、なんでもない。大丈夫だよ」


声をかけられた拓也はすこしあわてたように返事をする。


「な、なぁ輝・・・・・・今日、ありさが何か言ってなかったか?」


「え?なんでそんなこと聞くんだ?」


突然会話の内容が変わったため、輝はすこし言葉を詰まらせた。


「べ、別にこれといって意味はないけど・・・・。」


「うーん・・・・・そういえば学校を出る前にありさちゃんに会ったなぁ。そのときに少し話ししたんだけど・・・・・。」


「そのとき何か言ってなかったか?」


「『兄ちゃんとの間に何かあったか』とか『兄ちゃん怒ったりしてなかったか』とかそんなこと言ってた記憶がある」


「ありさ・・・・・」


「何か心配事ばかり言ってたんだ。それに、ありさちゃん朝からあんまり元気なかったし・・・・・」


「そうか・・・・ありがとな、教えてくれて」


「?う、うん」


もどかしそうに拓也がお礼を言うため、輝の返事はワンテンポ遅れてしまった。


「・・・・何かあったのかなぁありさちゃん・・・・・」


「大丈夫だって。ありさはちょっとやそっとのことでへこんだりなんかするような奴じゃねぇよ。だからありさのことは俺に任せろ」


「そうだな。拓也はありさちゃんの兄貴だし、一番ありさちゃんのことをわかってあげられるもんな」


そう言って輝は優しい笑顔を浮かべる。


拓也もその笑顔を見て、自然と同じように笑顔になった。


そしてそんな彼は、輝の優しい笑顔が大好きだった。












俺、さっきは『なんとなーく』だなんて言ったけど、本当はちゃんと理由があるんだよ




少しでも長く、輝と一緒にいたいんだ




そんなことを望む俺って、わがままなのだろうか
















*****











「ただいまー」


「おかえりなさい。・・・・あら?今日はありさより早かったのね」


玄関から上がってきた拓也を見るなり、香は不思議そうな顔をしてそう言った。


「?ありさのやつ、今日はまだ帰ってきてないのか?」


確かにありさがうちに帰っている気配は感じられない。


大概ありさの方が拓也よりも先にうちに帰ることが多いのだが、今日はその逆であった。


「ちょっと心配ね・・・・・」


珍しいことに香はありさを心配し始める。


「母さんは心配性なんだよ。ありさならきっと大丈夫だって。ほら、俺よりありさのほうがしっかりしてるだろ?」


「それはそうだけど・・・・・やっぱり心配よ。お願い拓也、ちょっと探してきてくれない?」


「・・・・・・」


「お兄ちゃんでしょ?」


「はい」


静かな重圧感にやられた拓也は肯定した。


「頼んだわ。それに拓也も気をつけるのよ。最近物騒なんだから」


「だから心配しすぎだって。俺はこう見えてもう高2だぜ?それに男だしな」


少し意地をはった拓也は香にそういい残し、玄関のドアを開けて外へ出た。





















(なんて言えばいいんだろう・・・・)


薄暗い道を歩きながら、ありさは家に向かっていた。


普段ならもう家に帰っている時間帯である。


しかし心境が心境なだけに、なかなか足が進まない。


何らかの形で気休めがほしいものだった。


しかし残念ながら、辺りを見渡した感じ、気休めになるようなものは見当たらない。


あるとするならば、休憩用のベンチしかその場になかった。


仕方なく疲れきった顔のありさは、そのベンチに腰掛ける。


そしてため息をひとつついた。


思わず天を仰いでしまうありさ。


今日は天気が良いのだろう。


もうすでに一番星が輝いていた。


それはあんなにも誇らしげに輝いているのに、ありさの悩みはこれっぽっちも解決につながらなかった。


どんどん自分が嫌いになっていく。


時々自己嫌悪に陥るのには、ありさと拓也でどこか似たところがあった。


(兄ちゃんは表に出していないだけなんだ・・・・)


ゆっくりと目を閉じ、そう思った。


自分の感情を、心の奥底に置き去りにしているのだと。


もしも拓也よりも先に、自分が輝と出会っていれば立場は逆であったのに。


考えてはいけないことだとわかっていても、苦しい現実の今、強引に感情がこみ上げる。


拓也を傷つけたくない。


輝を傷つけたくない。







だったら自分は――――






「あ!いたいた!」


「!?」


頭の中でごちゃごちゃになりながらそのようなことを考えていると、突然いるはずもない人物の声がした。


「に、兄ちゃん!?」


ありさは彼の姿を見るなり、零れ落ちそうになる涙をすばやくふき取った。


彼女の視界に突如飛び込んできたのは、ほかの誰でもない、拓也だった。


「一人でこんな人通りの少ないところにいたら危ねぇだろうが」


「ごめん・・・・」


口の減らないありさが妙に素直であることに抵抗を覚える拓也。


今までに何度かそういうことがあったが、本当にめったにない話である。


「兄ちゃんこそなんでここに?」


「なんでって、母さんに心配だから探してこいって言われて探しにきた」


「そうなんだ・・・・・」


そういうありさの表情は不満そうである。


「なんだよ。俺に探しに来てほしくなかったってか?それとも輝に探しにきてほしかったのか?」


ありさの様子に反応した拓也は、軽くありさを罵った。


「そんなのちがう!!」


ありさは突然大声を上げてそういった。


拓也の言葉がありさの癇に障ってしまったのであろう。


今のありさに、輝の話を持ち出されるのは非常につらい事だ。


「わ、わりぃ。冗談だよ・・・・・もうあたりも暗くなってきたしいい加減帰ろうぜ・・・・・な?」


拓也は自分でも言い方が悪かったと反省したのか、少ししょ気た様子でそういった。


「・・・・うん、そうだね」


ありさはゆっくり立ち上がる。


「じゃぁ帰るぞ」


拓也はそういうと、家の方向へ歩き出した。


ちゃんとありさが自分の後をついてきているのか気になり、後ろを振り向く。


そうしたその先には3,4mほど後からありさが自分の後についてきていることに気がついた。


ありさは頭を下にうつむかせたまま歩いており、見るからに落ち込んでいる様子だった。


そんな彼女をみて、拓也はとっさに彼女のそばに駆け寄り、手を引いた。


「・・・・・・兄ちゃん?」


「下ばかり見て歩いたら危ないだろ」


「そんなのわかってるから大丈夫よ。それにあたし、もう高1なんだし手なんてつながなくったって帰れる」


「そうは言ったってな、こっちは危なっかしくて安心して帰れねぇんだよ。ったくお前も俺と似て意地っ張りだな」


「いっ、意地っ張りってなによ!兄ちゃんと一緒にしないで――――」


拓也はそんな言葉もお構いなしに、彼女の手を少し強引に引いた。


「ちょっ、痛いってば!」


「わりぃ・・・・。でもこうでもしねぇとお前は俺の言うこと聞いてくれねぇんだろ?」


「・・・・・・」


ありさはそのまま黙り込んでしまった。


拓也に導かれるまま、一緒に歩き始める。


そして次第に抵抗することを忘れていた。


(やっぱり兄ちゃんは男の子なんだなぁ・・・・・)


抵抗できない男らしい力。


自分より大きな手。


普段は頼りない拓也であるはずなのに、今は違っていた。


ありさの瞳に映る拓也のすがたはとても凛々しい。


「? どうした?」


「!? べ、べつになんでもない」


気がつかないうちに拓也を見ていたありさは、そういわれて顔を背けた。










(兄ちゃん・・・・素直じゃないあたしを許して・・・・・)


















「ただいまー」


本日二度目のそれを言葉にした拓也。


「おかえりなさい。よかったわー二人とも無事で」


拓也とありさの姿を確認するなり、香はほっと一息ついた。


「お母さんあたしは大丈夫よ。ちょっと寄り道してただけだから心配しなくてもよかったのに」


「ほらな?俺の言ったとおりだろ?」


拓也は少し気取ってそう言った。


「まぁともあれ二人とも帰ってきてくれてよかったわ。・・・・・あら?何で二人とも仲良く手なんかつないじゃってるの?」


『!?』


二人は香の言葉を聞くなりとっさに手を離した。


「こ、これは別にそんなんじゃなくて」


「そ、そうよ。あたしそんなに甘えん坊なんかじゃなし」


「あら、そんなこと言って本当は仲いいのしってるのよ?」


そう言われて拓也とありさは顔を見合わせた。


すると簡単に目が合ってしまったため、思わず少し赤面して顔を背けあう。


そんな彼らの様子を見た香は小さく微笑した。


「な、仲良くなんかないってばっ!そんな事よりあたし、もうお風呂入って寝るからっ!」


「晩御飯はどうするの?」


「いらないっ!」


ありさはむきになってかばんを床に投げつけると、そのまま風呂場に直行した。


「ありさ・・・・・なにかあったの?」


「知らねぇよ。ありさの考えることなんて」


冷たく突き放すかのようにいう拓也。


そんな彼の表情は、少し暗かった。












*****











「はぁ・・・・・・・・」


もう何度ため息をついたかわからない。


ありさは風呂から上がった後、ずっと自分の部屋から出ようとしなかった。


「何やってんだろうあたし・・・・・・」


ベッドに横たわり、小さくそうつぶやいた。


本当は拓也や香に対して何の悪意も抱いていないのに、つい反抗的な態度を取ってしまったありさは後悔をしていた。


ほんとうは素直になりたかっただけ。


拓也に面と向かって早く謝りたかっただけ。


しかしありさにはそれがすんなりできない。


きっと自分は今朝からずっと拓也を傷つけてしまった。


ありさはそう思った。


今朝のことがあまりにも重過ぎて謝るのが怖い。


その話を持ち出した時の拓也を思うと、心が張り裂けそうになる。


どれだけ言葉を探しても、どうやって伝えればいいのかわからなかった。


それでもありさは拓也に謝りたい。


拓也のことが大好きだから。


ありさは立ち上がり、一度大きな深呼吸をした。


そして意を決し、ドアを開けて部屋から出る。


すると目の前に拓也の部屋のドアが視界に飛び込んできた。


それは拓也とありさの部屋が向かい側にあるためである。


ありさはドアの目の前に立ち止まった。


そしてうつむかせた顔をあげ、ノックを二回した。


が、そのノックに対する返事は返ってこない。


(下にいるのかな?それともお風呂?)


ありさはそう思うなり思い切ってドアノブをひねった。


すると簡単にドアが開き始めた。


そして部屋の中を見ると、誰もいないはずである部屋の中に彼がいた。


「ぎゃぁぁぁ!」


「うわぁぁぁ!」


お互いの目があうなり悲鳴を上げた。





バンッ!





ありさは思い切りドアを閉めて身を投げ出した。


「な、なななな何でパンツ一丁なのよ!!」


ありさはテンパって拓也に怒鳴った。


彼女が見たものはパンツ一丁姿の拓也だったのだ。


「お、お前こそ急に入ってくんなよ!つか何を勘違いしてんのか知らねぇが、俺はただ風呂からあがったときに着替え持ってくんの忘れたのに気がついて取りにきただけだからな!俺は断じて健全だ!」


必死の思いで拓也は誤解を解こうとした。


「・・・・・ホントに?」


「いや、『ホントに?』とかじゃなくてマジだから!」


「と、とにかくさっさと服着てよね!この露出魔!」


「お前俺の話し聞いてたっ!?」


拓也は少しムッとした表情になったが、やれやれといわんばかりに服を着た。


「とりあえず服着たぞ。俺に用でもあるんだったら入って来い」


その言葉を聞いたありさはゆっくりとドアを開けた。


「お前どこまで俺を信用してねぇんだよ」


「だって、あんなもん見たら信用も何もないでしょ」


「『あんなもん』ってなんだよ『あんなもん』って」


「だって兄ちゃんの裸なんて見たって誰もときめかないもん」


「っんだと!?もういい!ケンカ売りに来たんならもう帰れ!」


「!?」








『帰れ!』








その言葉に反応したありさは体を大きくびくつかせた。


「・・・・・ありさ?」


突然反抗しなくなったありさを見た拓也は驚いた。


「わ、わりぃ。もしかして気に障ったか・・・・?」


「・・・・・帰らない」


「え?」


「帰らない!!」


ありさは大声を上げて全身全霊で否定した。


そしてたちまち彼女の目からは大粒の涙がぼろぼろとこぼれ始めた。


泣いている姿を拓也に見られたくないありさは、何度も何度も涙を両手でぬぐった。


しかし、ずっと溜め込んでいたそれは収まることを知らず、ただひたすら零れ落ちていく。


「お、おいどうしたんだよありさ!大丈夫か!?」


「全然っ・・・・大丈夫なんかじゃなぃっ・・・・!」


ありさはひくひくと肩を上げ下げさせて泣きながら拓也のもとにむかう。


「兄ちゃん・・・・・ごめんねっ・・・・ごめんねっ!」


ありさはそういいながら、拓也が着ている服を固く握り締めて謝り続けた。


そんな彼女の姿を見るなり、拓也の黒目は点になってしまっていた。


こんなにも号泣するありさを、拓也は生まれてこのかた見た事がないのだ。


そのため、拓也は自分の胸元でひどく泣いているありさの姿に驚きや戸惑いを隠せなかった。


「いったい何があったんだ?」


「・・・・・・・」


「ありさがこんなにも泣いてるところ見たことねぇ。だからよっぽどのことがあったんだろ?相談なら俺が乗ってやる。だから俺に悩んでること話してみろよ」


「・・・・・・・」


「ありさ」


ありさはあまりにも拓也が真剣に問いただしてくるため、重い口をゆっくり開らかせはじめた。


「・・・・・今朝あたしがしたこと、全部見ちゃったんでしょ?」


「え?」


「あたしが輝先輩に抱きついたのも、告白しようとしたのも全部見ちゃったんでしょ!?」


「!?」


ありさが溜め込んでいたことを全部言うと、拓也の表情と目の色は一瞬にして変わってしまった。


「・・・・・正直に答えて」


「・・・・ありさ・・・・・ごめん」


「やっぱり見ちゃったんだね」


「・・・・・あぁ」


拓也は嘘をつけなかった。


「悪気はなかったんだ。自分でも聞いちゃまずいことだったと思ってる。本当にごめんな・・・・・」


その言葉を聞いた瞬間、ありさの瞳の奥がカーッと熱くなった。


今まで以上にありさの心はキリキリと痛み始めた。


「違う・・・・・兄ちゃんは謝る必要なんてない」


「ありさ?」


「兄ちゃんは何一つ悪くないっ」


思いもしない返事が返ってきたため、拓也はまたもや驚いてしまった。


「本当に兄ちゃんは何も悪くないの。悪いのは全部あたし・・・・・。あたしなの!」


ありさは声を上げて泣きながらそう言った。


「あたしは兄ちゃんを傷つけた!兄ちゃんを裏切った!」


「!? 何言ってんだよありさ!お前は裏切ったりなんかしてない!」


拓也はそう言って、懸命にありさの涙を服の袖でふき取り始める。


しかしありさの涙は収まらない。


「違うよ!兄ちゃんの言っている事は間違ってる!だってあたし、兄ちゃんのこと応援してるって言っておきながら兄ちゃんのいないところであんなことしたのよ!?裏切ったも当然だわ!」


「違う!」


拓也はそう吐き捨て、ありさの体を抱き寄せた。


涙をこぼすありさの目は、そんな彼の行動に泳いでしまっていた。


「兄ぃ・・・・ちゃん・・・・?」


「ありさは絶対に裏切ってなんかいない!」


「違うよ。あたしは兄ちゃんをうら――――!?」


今度は突然強く頭を彼の体に押さえつけられた。


「うぐっっ、兄ちゃん苦しいよっ」


「・・・・・もう、それ以上何も言うな」


「・・・・・え?」


拓也がすこし力を緩めると、ありさはすこしむせながら疑問の声を上げた。


「本当にありさは何も悪くなんかねぇ。俺を裏切ってもいねぇんだ。だからこれ以上自分を悪く言うな」


「で、でもあたし、あれだけのことをしたのよ!?」


「何言ってんだよ。俺が輝を好きなように、ありさも同じように輝が好きなんだ。だから感情を押さえ込めなくなるのはあたりまえだろ?だから絶対にありさは悪くない」


拓也は胸を張ってそういった。


そしてありさはその言葉を聞いた瞬間、思わず感情が高ぶってしまい、大声で泣き喚いた。


「ごめんねっ!・・・・・本当にごめんねっ!」


「もういいよ。だから泣くなって・・・・な?」


拓也はありさの頭を優しくなでて励ました。


「・・・・・・ありがとう」


「礼なんていいよ」


珍しいありさからのお礼に、拓也はすこし照れくさくなった。


「兄ちゃん・・・・・・大好き」


「え?」


「あたし、兄ちゃんの妹でよかった。兄ちゃんの妹でいれて、すごく幸せ」


「あ、ありさ!?」


日ごろ皮肉しか言われない拓也は、ありさのあまりにも気持ちのこもった言葉に動揺する。


しかし、内心では言われてすごく嬉しかった。


「ったく、お前らしくないぜ」


拓也は小さくそういい残し、穏やかな笑顔を浮かべた。


そしてありさを優しくもう一度抱きしめた。















(いつもこれくらい素直だと可愛いのに)















それは決して拓也の口から言えない想いだった。











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