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現実に主人公はいない  作者: 薪焚灯火


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19/19

018 終幕

 報告書の作成に、私は三か月を費やした。

 サイバースシグマ内で起きた連続毒殺事件の詳細、その主犯だったシナというプレイヤーネームでプレイヤーキルを行っていたアウターの川向榀。彼女から継承した聖剣ファキエスを振るい、多くの人を殺した一プレイヤーカルガモの存在。そして、それらを手引きしたサイバースシグマの世界を創造し、ソムニアトール社に多大な利益をもたらした稀代の大天才、葛城優丞(ゆうすけ)の存在。

 それら全てを調べ、無機質なLEDライトに照らされ偏光フィルターで成形された文字の羅列に変換するのに、本当だったら一日もかからなかった。

 それが一週間もかかったのは、レムシスによるほんの些細な後遺症で、キーボードを叩く私の指先が震えて上手く動かなかったから。それ以外に理由はない。

 あの子を止められなかった。彼女を助けられなかった。それが私の胸を締め付けたなんて、そんな小説の一文に書かれそうなことは一切なくて、ただいつもの日常が過ぎて行った。

 一つだけ、私の日常に追加された事があるとすればそれは、彼の眠る病室に定期的に向かうようになった事だ。

 あの日以降、彼は寝たきりになり意識が戻らなくなった。そして、聖剣の元の持ち主であった川向榀は、彼が意識を手放すよりも数時間前に、自室のベッドで息を引き取っていた。

 私は、二人の少年少女を救えなかった。

「あっ、刑事さんこんにちは」

 一瞬、彼が私を呼んだのかと思った。

 あの世界が閉じられる前、彼が私の名前もプレイヤーネームも呼ばずにいたのが残っていたのだろう。

 清潔な消毒の香りが広がった病室から扉の方へと視線を向ければ、そこには一人の少年が立っていた。

 彼の名は水無月真司。三浦燈夜の友人らしいが、何処か女慣れした見た目の彼が友人だと言うのは、少々驚きだった。

「起きないですねぇ、トウヤの奴」

「そうね」

 きっと、起きる事は二度とないだろう。しかし、そんな事は言えるわけもない。

「花、ありがとうございます」

「いいのよ。私が勝手にやってる事だから。それより、ご両親とか他のお友達は? 君以外ここに来ているのを見てない気がして」

 両親は仕事で忙しいとしても、友人が見舞いに来ないと言うのは少々、薄情ではなかろうか。

「あ~……コイツ、俺以外に友達いないんですよ。そんで親は仕事でちょっと」

 なるほど、そういう事か。

「貴方は、どうして彼の友達になろうと思ったの?」

「はい?」

 しまった。踏み込み過ぎただろうか。

「刑事さんって、結構頭堅いって言われません?」

「……どうして?」

「友達って、なろうとしてなるものじゃないと思うんスよ」

「なろうとして、なるものじゃ……ない」

「はい。一緒に居て楽しいとか、嬉しいとか。そういうのを共有してたら、いつの間にかなってるものだと、俺は思うんですよ」

 そうか、彼には確かな友人がいたんだ。それなら、なんであんな事をしたの?

 彼が友人で一緒に遊んで笑い合って、それだけじゃ足りなかったって言うの?

 今更聞くこともできないけれど、貴方はどうして、孤独だと自分を追い詰めてしまったの。

「トウヤの奴、恋してたんです」

「恋?……好きな子がいたって事?」

 これまた意外な事を聞いた。

「あっ、これ誰にも言わないでくださいね。トウヤが知ったら、きっと怒るんで」

「ええ、約束するわ」

 彼が起きると、彼は信じて疑っていなかった。それが鎖となって私の胸を締め付けたが、それは私が負わなければならない痛みだと受け入れる。

「一つ下の学年の子だったんです」

「だった?」

 何だろう。凄く嫌な予感がする。

「刑事さんなら知ってますよね。川向榀。自分の部屋で死んでたって」

「………………………………」

 違う。そうじゃない。彼女は、夢の中で彼に会っていた。そして二人揃って、戻っては来なかった。

「俺、ちょっと揶揄いすぎちゃったんです。トウヤが誰かを好きになる事なんて、今までになかったから嬉しくって」

「そう、なのね」

「そしたら、川向は自室で一人で死んで、トウヤは一向に目を覚まさなくって……」

 涙の幕の張った両方の目を伏せて、水無月君は震える喉で必死に探した言葉を絞り出した。

「俺、あの時もっと他に言えることあったんじゃって………………そしたら川向も死んでなくて、トウヤと一緒に………………」

「そうね。そんな未来もあったのかもね」

 しかし、結果的にそうはならなかった。

 川向榀は個の三カ月で二千二百人以上を殺した。そして三浦燈夜は、たった一夜で一万三千人以上を殺した。

 二人は、現実を捨てて夢の世界を選んだ。

 彼らが現実で手を取り合い、歩む未来はなかった。

 私に、何かできる事はあっただろうか。

 初めて彼の家を訪れた時に、彼の話をもっと聞いて、現実に引き留める事が出来たのかもしれない。…

 彼女が父親から受けた虐待の現場に駆けつけて、助け出す事が出来ていたのなら、彼女の体は綺麗なまま、刺青なんか一つもない女子高生の生活を楽しめたのかもしれない。

 無駄だと分かっている。無意味だと分かっている。それでも、私の脳は考えるのをやめてはくれなかった。

 彼は水無月君に相談して、私が川向榀の話を聞いて、二人はそれぞれの現実を共有してこれからを生きて行けたのではないか。

「俺もう行きますね。トウヤの元気な顔も見れましたし」

「…………そうね。また」

 気づけば、水無月君は目尻を赤くはらした顔でこちらに笑みを向けていた。どれだけの時間、私は思考の沼に囚われていたのだろう。

「はい、また」

 気丈に振る舞っていても、かなり堪えている事が窺える背中を見送り、私も仕事に戻った。

 次の仕事は何だろう。元々は、サイバースシグマで起きる事件の解決のために集められていた。

 他のノーツでは、こんな事件が起きる事もない平和な夢で、私たちの存在意義はなくなったと言っても過言ではない。

 庁舎に戻り、ここ最近の主な仕事である書類整理をしていると、私の居場所がどこにあるのか見失いそうになる。

「おい武蔵部、今日はもう上がっとけ」

「はい?」

「じ・か・ん。定時過ぎてるぞ」

「………………ああ、そうですね」

 時計の針は、十八時十八分を示していた。

 警部以外のメンバーは皆先に帰ったらしく、部屋には私と真壁警部の二人だけ。

「お前、あの日からずっと変だぞ」

「そう、なんですかね」

「お前はよくやった。被害の拡大を防いだ。それで十分だろ」

 十分。本当にそうだろうか?

「あの一日だけで、日本全国で一万五千人以上が昏睡状態になりました。今日までで目を覚ましたのは、たったの三百人ちょっとですよ?」

 正確に言えば、一万三千八百二十四人は、この世を去っている。残りの一千人余は、未だ昏睡状態で、どちらに転んでもおかしくない状況だという。

「あのまま放置してたら、他のノーツにまで影響が出てもっと多くの一般市民が危険に晒されたんだ。それを思えば、お前は……俺たちは、よくやった方だ」

 分かってる。そう思えと言いたいのだろう。

 私たちは警察官。そして警察官は、この国に住まう善良な一般市民を全員漏れなく守る事などできない。必ず何処かで取りこぼしてしまう。

 だから、人は手を取り合い、その輪を広げ、大切な命を取りこぼす事無く、守らなければいけない。

「今日はもう上がります」

「おう。お疲れさん」

 私のこれからがどうなるのかは分からない。でも、これだけは言える。私はこれからも多くの命を取りこぼすだろう。それを余さず拾い上げてくれる仲間を集めなければ。

 これからこの国は、もっともっと夢に現(うつつ)を抜かす。それを止める事はできない。しかしその先まで、私は生きて行かなければならない。

 こんな世界でも、こんな現実でも、生きて行かなければならない。

 



 夢見る龍から、剣を引き抜いては決してならない。

 悪夢が飛び出し飲み込まれてしまうから。

 夢に飲まれれば、現実は泡沫の如く消えるだろう。

 揺れた水面は景色を崩す。

 広がった波紋は戻らない。

 現実は夢に蝕まれ、いずれ石灰の境界線は消えるだろう。

 気を付けろ。夢見る龍は欠伸の一つで喉元を一噛みで千切るぞ。

 気を付けろ。鼻息一つで都を丸ごと吹き飛ばすぞ。

 気を付けろ。夢見る龍から、剣を引き抜いては決してならない。

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