表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
4/9

4.星の夢

4.星の夢

__その日から。


冬雪は放課後になると、よく星守神社へ来るようになった。


理由は自分でも分からないらしい。


「なんか落ち着くから」


そう言って、境内の石段に座って空を見る。


星那は授与所の手伝いをしながら、時々そんな冬雪を眺めていた。


__夕暮れ。


蝉の声も少しずつ減り始めた時間。


「はい、お茶」


星那が紙コップを差し出すと、冬雪は少し驚いた顔をした。


「……ありがとう」


隣へ座る。


境内には誰もいなかった。


風鈴の音だけが静かに響いている。


「今日も夢見た?」


星那が聞くと、冬雪は少しだけ眉を寄せた。


「ああ」


最近、冬雪は時々夢の話をするようになっていた。


星の夢。


昔から何度も見る、不思議な夢。


「どんな夢なの?」


冬雪は少し考える。


「……暗い海がある」


静かな声。


「でも怖くないんだ。海の上に星が映ってて、空と繋がってるみたいで」


星那は黙って聞いていた。


それはまるで。


星影島の“星の海”そのものだった。


「あと、鈴の音が聞こえる」


冬雪は続ける。


「風の音と混ざって、ずっと鳴ってる」


神社の鈴だ。


星那は確信する。


夢の中にある景色は、この島だ。


「誰かいるの?」


そう聞くと、冬雪は少しだけ目を伏せた。


「……いる」


星那の鼓動が速くなる。


「女の子?」


「多分」


冬雪は困ったように笑った。


「顔、ぼやけて見えないんだけど」


その声が少し寂しそうだった。


「でも」


「?」


「その子、いつも笑ってる」


風が吹く。


境内の木々が揺れる。


「俺、その夢好きなんだよな」


冬雪は空を見る。


「起きると、すげぇ寂しくなるけど」


星那は胸が締め付けられた。


その夢の中にいるのは、

きっと昔の自分だ。


__八年前。


__裏山で一緒に星を見ていた時間。


冬雪は覚えていない。


でも夢には残っている。


消えていない。


すると冬雪がぽつりと言った。


「変なんだよ」


「え?」


「その夢、昔から見てる」


星那は目を瞬かせる。


「昔から?」


「小さい頃からずっと」


冬雪は紙コップを見つめる。


「気づいたら見てた。何回も」


その言葉に、星那の心臓が強く跳ねた。


「……何回も?」


「うん」


冬雪は苦笑する。


「親にも心配されてた。寝言で“星の海”って言ってたらしくて」


星那は息を呑む。


やっぱり。


やっぱり冬雪は、

ずっとこの島を覚えていたんだ。


記憶じゃなくても。


夢として。


心のどこかで。


「でもさ」


冬雪が静かに言う。


「この島来てから、その夢が前よりはっきり見えるようになった」


「……」


「昨日なんか、声まで聞こえた」


星那の指先が小さく震える。


「どんな声?」


冬雪は少し黙った。


まるで、その声を思い出しているみたいに。


「……優しい声だった」


夕陽が冬雪の横顔を染める。


その表情は、どこか遠くを見ていた。


「俺、多分」


小さな声。


「その子に、会いたかったんだと思う」


星那は何も言えなかった。


胸の奥が熱い。


苦しいほど。


嬉しいほど。


八年間。


自分だけが覚えていると思っていた。


でも違った。


冬雪も、忘れたまま探していたんだ。


夢の中で。


ずっと。


するとその時。


社務所の奥から、星里が出てきた。


「あら、まだいたのね」


「こんばんは」


冬雪が軽く頭を下げる。


星里は微笑みながら二人を見る。


けれど次の瞬間。


冬雪の言葉に、表情がわずかに止まった。


「俺、昔からこの島の夢を見るんです」


静寂。


風鈴が鳴る。


星里は数秒黙ったあと、静かに聞いた。


「……どんな夢?」


冬雪は少し考えてから答える。


「星が海に落ちる夢です」


その瞬間。


一瞬だけ。


ほんの一瞬だけ。


星里の顔から笑みが消えた。


星那はそれを見逃さなかった。


__その日の帰り道。


神社の片付けが終わる頃には、空はもう藍色へ変わっていた。


境内の提灯だけが、ぽつぽつと柔らかく光っている。


「じゃあ俺、帰る」


石段へ向かいながら冬雪が言う。


「あ……」


星那は無意識に声を漏らした。


冬雪が振り返る。


「ん?」


「……途中まで、一緒に帰る?」


言った瞬間、自分で驚いた。


今までなら、こんなこと自分から言わなかった。


けれど冬雪は自然に笑った。


「いいよ」


二人は並んで石段を下り始めた。


夜の星影島は静かだった。


昼間より風が冷たい。


潮の匂いが濃くなる。


遠くで波の音が聞こえていた。


会話は、最初ほとんどなかった。


足音だけが続く。


でも不思議と気まずくはない。


それが逆に、星那を落ち着かなくさせた。


__どうしてこんなに自然なんだろう。


まだ出会って数日なのに。


隣を歩く冬雪の横顔を、星那はちらりと見る。


白い肌。


夜風に揺れる黒髪。


どこか眠たそうな目。


やっぱり似ている。


八年前の“ゆき”に。


いや。


似ている、なんて言葉じゃ片付けられない。


時々、本当に同じ人にしか見えなくなる。


でも。


「……志水くん」


「ん?」


名前を呼ぶだけで少し緊張する。


まだ、“冬雪くん”とは呼べなかった。


呼んでしまったら。


本当に“ゆき”だと認めてしまう気がして。


「夢って、毎日見るの?」


冬雪は少し考える。


「最近はよく見るかも」


「怖くない?」


「全然」


そう言って空を見る。


「むしろ落ち着く」


静かな声だった。


「海の音がするんだよ。あと風」


星那は胸が熱くなる。


その夢の景色を、自分は知っている。


__八年前。


確かにそこにいた。


すると冬雪が小さく笑った。


「変だよな。会ったことない場所の夢ばっか見るの」


星那は答えられなかった。


代わりに、ぎゅっと制服の袖を握る。


__本当に覚えてないんだ。


でも。


少しずつ戻ってきている。


そんな気がした。


商店街へ入る。


閉まりかけの魚屋。


駄菓子屋の明かり。


自転車を押して帰る学生たち。


島の夜はゆっくり流れていた。


すると冬雪が、ふと立ち止まった。


「……あ」


「え?」


視線の先。


小さな猫が、段ボールの陰で丸くなっていた。


白と灰色の子猫だった。


「怪我してる」


冬雪はしゃがみ込む。


見ると、前足を少し引きずっている。


星那が近づく前に、冬雪は静かに子猫へ手を伸ばしていた。


「大丈夫」


優しい声。


驚くほど自然だった。


さっきまでぼんやりしていた人とは思えないくらい。


子猫は警戒しながらも逃げなかった。


冬雪は鞄からハンカチを取り出し、そっと足を包む。


「……志水くん、慣れてるの?」


「父親が昔よく拾ってたから」


冬雪は小さく笑う。


「放っておけないんだよな」


その横顔を見て、星那は少しだけ目を見開いた。


初めて見る表情だった。


穏やかで。


柔らかくて。


どこか寂しい。


__こういう顔するんだ。


星那は不思議な気持ちになる。


今まで見えていた“志水冬雪”は、どこか遠かった。


掴めそうで掴めない。


消えてしまいそうな人。


でも今は違う。


ちゃんと人間らしい温度があった。


「……優しいんだね」


思わずそう言うと、冬雪は少し困った顔をした。


「普通じゃない?」


「普通でも、できない人多いよ」


すると冬雪は少し黙ったあと、小さく言った。


「昔の俺も、多分そうだった」


「え?」


「なんか最近思うんだよ」


夜風が吹く。


「俺、昔はもっと冷たかった気がする」


星那は息を呑む。


「でも、この島来てから変なんだ」


冬雪は子猫の頭を撫でながら笑う。


「懐かしい感じする場所とか、人とか見ると」


その言葉に、星那の胸が強く鳴った。


「……人?」


冬雪は少しだけ星那を見る。


「うん」


その視線に、星那は慌てて目を逸らした。


鼓動が速い。


顔が熱い。


__なんで。


__そんな見方するの。


もしかして。


本当に少しずつ思い出してるの?


すると冬雪が立ち上がった。


「近くに動物病院ある?」


「あ、うん。この先に」


「じゃあ連れてく」


まっすぐな声だった。


星那は思わず笑ってしまう。


「なに?」


「……なんでもない」


でも少しだけ分かった気がした。


八年前、自分がどうして“ゆき”を放っておけなかったのか。


きっと。


こういう優しい顔をする人だったからだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ