3-56 歴史って、今と地続きなんだ
一度神殿に戻ってビビアナ殿下へ使いを出せば、すぐに離宮から迎えが来ました。
私とセレスタン様が離宮へ向かうと、裏口から中へ入るよう案内され、さらにオルハン殿下の私室へと通されます。お忍びってことですよね……。なんだかドキドキしちゃいます。
室内にはオルハン殿下とビビアナ殿下が既にお待ちになっていました。
「ジゼル様。先ほどの鍵がなんなのかわかったとのことでしたが」
そう言ったビビアナ殿下も、隣に座るオルハン殿下も、視線はもう私の手の中の箱に注がれています。
テーブルの上を滑らせるようにしてお二人の前に箱と鍵を置くと、オルハン殿下が待ちきれない様子でそれを手に取りました。
しげしげと眺めるお二人に、まだ中を見てはいないことを伝えます。
「鍵が合致することは確かめましたが、蓋は開けていません。それを証明する手立てはありませんが」
「ああ。信じるよ」
「それで、これはどちらにあったのですか?」
「霊廟横の墓地に」
顔を見合わせるふたり。
それ以上は何も聞かず、頷き合って鍵を手にしました。全員の視線を集めるジュエリーボックスは恐らく真鍮製で、蔦模様の繊細な装飾が施されています。
誰もが固唾を飲んで見守る中、カチリと小さな音をたてて開錠。オルハン殿下の手の中で、その蓋がゆっくりと持ち上がりました。
「これは……」
「手紙、ですわね」
顔を寄せ合って箱の中を覗き込むおふたりは、夫婦に見えました。いえ、もちろん夫婦ではある……あれ、夫婦って後宮にも適用されるのかな、でも妃ひとりだけなんだから夫婦でいいはず。
ビビアナ殿下は政略結婚を義務として受け入れているのかなと思っていたけど、そうじゃない。
寄り添って問題に向き合うふたりの姿に、信頼とか尊重とか――愛情とか。そういうものが感じられたのです。
ビビアナ殿下がタルカークへ来てからそろそろひと月と半分。彼女の瞳に滲む親愛はおふたりが乗り越えてきた苦難の多さを物語っているのかもしれません。
「差出人はリーム・イル・モスリー……。なるほど……」
手紙に視線を走らせたオルハン殿下が小さく息を吐きました。オルハン殿下は初めてお会いしたときから、陰のある美青年というタイプだなと思っていましたけど……今は疲れもあってかその美しさに凄みすら感じます。
いつも雑で乱暴なイドリース殿下とご兄弟とは思えませんね!
「どういうことですか?」
そう問うたのはビビアナ殿下。彼女もリームの名に心当たりはないようです。
「リームは叔父、ナウファルのご母堂だよ。体調を崩して静養するため生国のモスリーに戻っていた人だ」
「モスリーって、そうだ、お菓子を食べました。確か、もうなくなってしまった国だとか」
ネルミーン姫と出掛けた先で教えてもらったことを思い出しながら言うと、オルハン殿下も首肯して再び手紙へ視線を落としました。
「そう。この手紙で彼女は、モスリーが敵国と通じていることを訴えている。要約すると……モスリーはもう敵の手に落ちたから切り捨てろ、ナウファルを頼む、ということだね」
「モスリーが陥落したのは二十年近く前でしたね。聞くところによると、モスリーから兵を引こうとする国王陛下に、ナウファル殿下は最後まで抗することを訴えたとか?」
ビビアナ殿下が何かを思い出そうと斜め上へと視線をさまよわせます。
二十年近く、ですか。生まれるより前の話ってすごく古いことのように思えるけれど、ナウファル殿下のようにその事件を体験した人が身近にいると知ると、自分が大きな歴史の渦に巻き込まれたような不思議な感覚に陥ります。
他人事ではない、文献やおとぎ話でもない、事件と地続きの今なんだ、って。
「当時のことは私も記憶が曖昧なほど幼くてね。ただ抗戦を訴えるナウファルに、父王は『否』としか言わなかったと当時の元老院がぼやいていたのを覚えているよ」
「ええと、もしかして陛下がこの手紙をオルハン殿下に託したのは……ナウファル殿下を頼むってことですかね?」
私の完璧なる論理展開に、オルハン殿下は深い深い溜め息で返します。
「そう。そういうことだろうね。父王もまどろみの中で叔父の動向を気にしていたようだ」
「そしてリーム様が現れたのは、ナウファル殿下を心配してのことですね」
「だから無碍にできない。叔父の暴走を止めなければ」
とは言え明日が結婚の儀ですから早く休まないといけません。
話はここで切り上げて、私とセレスタン様は神殿へ戻ることになりました。オルハン殿下の用意してくれた馬車に揺られ、窓から空を眺めます。
「ビビアナ殿下、思ったより幸せそうでしたね」
「以前からタルカークとの交流には必ず殿下が出席していたんだ。おふたりの付き合いそのものはかなり長いものになる」
「へぇ……」
政略結婚も不幸なだけじゃないってわかってよかったです。
ビビアナ殿下やベアトリスさんがいるから、外国に嫁いでも寂しくはなさそうだし。うん、きっと大丈夫。
なんとなくセレスタン様の顔が見られなくて、逃げるように空を眺めたままの私の髪をひと房、セレスタン様が掬い上げました。肩のあたりがさわさわっとします。
「ジゼルにとっての幸せとは?」
「え?」
「今日は散々、『幸せになれ』って言われたんだろう?」
「やだ、聞いてたんですか」
「聞こえたんだよ」
私にとっての幸せってなんだろう。
そう考えて最初に脳裏に浮かんだのは、前世の出来事でした。エドリスと双子と四人で遊ぶ、ただそれだけの何気ない日常。
永遠に失われた家族と過ごす日々。
結婚の儀が終わってから逃げ出せば、イドリース殿下と結婚せずに済む?
だけどセレスタン様がついて来てくれるわけじゃない。よしんばついて来てくれたとして、私は彼に身分を捨てさせるの?
そもそも聖女のお役目はどうなるの?
ふふ。やっぱり思いを口にしたって、現実はどうなるものでもないんだわ。




