3-55 名前が残れば
赤い瞳の女性を追いかけて部屋を飛び出した私をビビアナ殿下が追いかけ、さらに部屋の前に待機していた殿下の従者やセレスタン様も続きました。
まさか今夜の護衛がセレスタン様だったなんて。さっきの話が聞こえてないといいのだけど。
「いきなりどこに行こうって言うんだ?」
「わかりません!」
「わからないことがあるか」
「だって、精霊様が」
精霊がって言ったら、めちゃくちゃ大きな溜め息が聞こえてきました。ごめんて。
なんでもかんでも精霊のせいにしてるのは理解してますけどぉ。今度は本当に精霊様なので。
「面倒をかけてしまうけれど、わたしもこのまま精霊様を追っていただきたいの」
「妃殿下まで……。であれば、俺とジゼルが精霊を追いかけます。妃殿下は一度離宮へお戻りください。必ず顛末をご報告いたしますので」
「そうね、わたしまで同行してはご迷惑になるわ。ジゼル様、シラー伯爵、どうかお頼み申します」
「はい!」
足を止めたビビアナ殿下に、私とセレスタン様も振り返ってお返事を。
殿下に見送られながら私たちは夜のタルカラへと飛び出しました。
街は飲み屋さんを中心にずいぶん賑わっている様子です。いつもこんな感じなんでしょうか、もしかして結婚の儀の前夜だから?
「何かあったら困る。俺から離れないでくれ」
「う、はい」
手を強く握られて、私はセレスタン様と二人きりなことに気付きました。
大丈夫ですか、これも不倫だって怒られたりしませんか。……いえ、不倫だって怒られて婚約が解消されるならそれもいいのかも。なんて、それではセレスタン様に迷惑をかけてしまうからやっぱり駄目ですね。
「それで、どうして精霊を追いかけるハメに?」
「あ、さっきビビアナ殿下が鍵を……。あっ! 持って来ちゃった!」
手の中には小さな鍵があります。ぎゅっと握りしめていたせいで温かくなってしまった鍵が。
国王陛下がオルハン殿下に預けたのだとか、でもなんの鍵なのかがわからないとか、ビビアナ殿下から聞いたことをそのまま説明しました。
その間も赤い瞳の女性は私たちがついて来ているかを確認しつつ、ずんずんとどこかへ向かって進んでいきます。
「――という感じで赤い瞳の女性が現れて、ついて来いって」
「赤い瞳の?」
「もしかしたらナウファル殿下のご親族かも」
「そんなのついて行っていいのか――って、行くなと言って聞くような人間じゃなかったな、君は」
「はい。気になるので!」
「はいじゃなくて」
精霊様は街を通り抜け、ハラーク公爵邸の脇を横切って南へ南へと移動しているようです。
街道も二又に分かれるところで右を選択。それは決して夜に向かうようなところではありませんでした。
「こっちは確か」
「王族の霊廟だな」
遠目にもわかる四角く立派な建物が王族の霊廟で、その周囲には王族ではないけれどごく親しい人物の墓などがある、と聞いています。
タルカークでは、というより精霊信仰の国では原則的に火葬が行われます。身体は魂の入れ物で、天に還った魂は新たな肉体を得て現世へ戻ると考えられているからです。
歴史的に戦いの多かったこの国では、骨さえ遺族の元に戻ることは少なく……墓には名を刻まれるのみ、ということも一般的だそうです。名前を刻んでおきさえすれば、忘れられることはないのだと。
それは王族も例外ではありません。たとえばイドリース殿下のように、タルカークでは王子であっても戦時には一番前に出るのが普通です。
結果として遺体が見つからないこともままあって。だからこの霊廟も、長い歴史に比して小さいのは……名が刻まれるだけの王族が少なくないからでしょう。
「名を刻んでも、いつか風化してしまうだろうに」
「風化する頃には本人を知る人などどこにもいなくて、本人も、親しかった人たちも、新たな生を受けているのではないですか」
「……名が残ればいいと最初に言ったのは、聖人ヌーラだそうだよ」
「よくご存じですね」
愛する人と同じ墓に入れるわけではないから。肉体も骨も残す必要はありません。
ただ、いつかエドリスが旅を終えてこの地に戻って来たら。あるいはエドリスだけが先に生まれ変わったら、私の名を見つけてほしい。ここで二人過ごした輝かしい日々を思い出してほしい。
それだけで私は幸せだから。
と思って、名前だけでいいと言ったのですが。タルカラの北側にあるヌーラの墓は、それはもう立派なものだそうです。恥ずかしくて見に行ってないけど。
気が付けば霊廟に到着。しかし精霊様は霊廟には目もくれず、その正面を横切って墓石の立ち並ぶ中を先へ先へと進んでいきます。後を追う私に、セレスタン様が「おや」と首を傾げました。
「霊廟に用があるんじゃないのか」
「わかりません、精霊様はあっちに――あれ、止まった」
管理が行き届ているのか、雑草などは生えていません。ただ名が刻まれるばかりの石がいくつも並び、恐ろしくはないけど異様な雰囲気であることは確か。
そんな中、精霊様は墓石群の隅の小さな石の前に立っています。この墓地では比較的新しく見えるその墓石に刻まれた名を、セレスタン様が読み上げました。
「リーム……イル・モスリー」
「モスリー?」
最近どこかで聞いたような。
顔を見合わせていると精霊様がリームと刻まれた小さな石に触れ、私の名を呼びます。
『ジゼル様、どうかこの石の下を』
「下?」
言われて見れば、この小さな石の周囲には草もあまり生えていない新しい土の山がありました。
そっと押してみると石はぐらぐらと揺れて。
何を言わずとも理解してくれたセレスタン様が、腕まくりをして石をズリズリと動かします。石の下には土を掘って作った穴があり、穴の中には金属の箱があったのでした。貴族が宝石を仕舞っておくような、ちょっと豪華な小箱です。
「これは……」
「鍵がかかっているみたいだ。ジゼル、さっきの鍵は」
宝物を見つけてしまったような期待感と、誰かの秘密を暴いてしまうのではという不安感が交互に押し寄せる中、鍵穴にそっと温かくなった金属を差し込みます。
確かな手ごたえとともに、カチっと小さな音がしました。
「開いた……けど」
「……離宮に行こうか」
蓋を開けるのはさすがに躊躇われました。
ここまでして中身を見たからといって、ビビアナ殿下が怒ることはないと思うのですけど。でもなんていうか、私もセレスタン様もこれを開ける資格はないと思うので。
国王陛下から鍵を託されたという、オルハン殿下の元へ持って行くのが最善なのでしょう。




