7:わたくしももちろん、殿下を愛してなどおりませんので
「ま、待ってくれ、ソフィア。君が私のことを嫌っているはずないだろう?」
殿下がソフィアさんに縋るように語り掛けます。
往生際が悪いですわね。
「わたしは平民ですから。王太子殿下に対して嫌いだとか迷惑だとか、言えなかっただけです」
「め、迷惑?」
「所かまわず付きまとわれるのも欲しくもない贈り物を頂くのも殿下の相手に時間を取られるのも、全部、迷惑でした」
「そんな──そんなはずないだろう? 君はいつだって、私に笑ってくれて……私は君が嫌そうにしているところなんて見たことないぞ。贈り物だって、嬉しそうに受け取ってくれていたじゃないか」
これだけはっきり迷惑だと言われながら、殿下はまだ信じがたいと言ったふうに世迷い事を宣います。
「もしやとは思いますが、殿下。ご自分の行為がソフィアさんに迷惑がられていること、お気づきでなかったのですか?」
「ソフィアが迷惑がっていたなんて、そんなことはない! ないんだ! ソフィアが私を拒んだことなど──」
わたくしの問いに、殿下は顔色を変えて否定してきますが、
「当たり前でしょう。学院に在籍する限り学院内においては実家の家格も身分もなく平等な一生徒──などというのは多分にただの建前です。まして殿下は王太子だったのですから。そのような相手からのお誘いや贈り物を、どれほど迷惑に思おうと、平民であるソフィアさんが断れるわけありません。これは心情の問題です。殿下のお誘いは、ソフィアさんにとっては『お誘い』ではなく『強要』ですのよ」
「きょ、強要……?」
「断れない相手に無理強いすることですわ」
「言葉の意味なら知っている!」
「あらそうでしたか。てっきりご存じないものと」
「お前は! 私をバカにしているのか!」
「とんでもございませんわ」
馬鹿になどしておりません。
馬鹿だと知っているだけです。
「気がお済みになられましたか、殿下?」
ややうんざりした声音はデミオ様のもの。
常日頃、声音に感情を乗せることのないデミオ様にしては珍しいことです。
それほど、今の殿下とのやり取りを茶番と認識されているということでしょうか。
「さて、順序が前後してしまいましたが、フェリアス公爵令嬢。このような結果になってしまい、大変申し訳ありません」
わたくしに向き直ると、デミオ様は深々と頭を下げられました。
「謝罪は不要ですわ、ハーノス卿。貴方の罪ではありませんもの」
「ですが」
「なにより、このような次第になったこと、わたくしはまったく残念に思っておりませんもの」
にっこりと笑って言えば、デミオ様は僅かに苦笑なさいました。
殿下の側近──という名のお目付け役としては思うところもおありでしょうが、わたくしとしては、むしろ願ったりの展開なのですから。謝罪などされては心苦しいばかりです。
「それでは、ローゼリア・フェリアス公爵令嬢。改めてお伺いいたします。殿下からの婚約解消の申し入れについて、よろしいでしょうか」
吹っ切れたような表情で、デミオ様が確認されます。
殿下とわたくしとの婚約は、王家とフェリアス公爵家とで結ばれたもの。本来ならば、殿下とわたくしの意思のみでどうこうしてよいものではないのですが──婚約を結んだ経緯が経緯ですので、エリオット殿下が婚約解消を言い出し、わたくしが承諾した場合には、それをもって婚約解消の成立とする旨、王家より言質を頂いております。
なにより、こうなってしまってはお父様──フェリアス公爵が黙ってはおりませんでしょうし、そうなればいかな王家と言えど、物言いをつけることは難しいでしょう。
ですので、わたくしはそれに、満面の笑みでお答えいたしました。
「もちろんでございますわ。ローゼリア・フェリアス、殿下からの婚約破棄の申し出を承ります」
わたくしの心はすでに決しております。揺らぐこともございません。
わたくしの笑顔がよほど珍しかったのか、エリオット殿下がぽかんとしたお顔で呆けてらっしゃいます。
そうしていると、まるきりバカみたいですわよ? せっかく造作は悪くないのですから、せめてきりっとされていれば、それなりに見えますのに。
あくまでそれなりに、見えるだけですが。
殿下の背後の役立たず三人組も、同じく呆けたように固まっています。本当に、なんのために同行されたのでしょうね?
と思っておりますと、視線を感じました。
見やると、お兄様とデミオ様が、なんとも言えず複雑な表情でわたくしを見ています。
あら? もしかしてこれは、わたくしに非があるのでしょうか?
そういえばと思い返してみれば、婚約成立以降、わたくし殿下に笑いかけたことがありましたかしら。
いえ、淑女たるもの常に穏やかな微笑みを絶やさず、と妃教育で徹底的に叩き込まれましたので、わたくし常日頃から微笑が素顔のようなものですし、殿下に対するときならなおさら、微笑みを意識しておりました(そうでないと、呆れや怒り、苛立ちや諦めが表情に出てしまいそうでしたので)。
けれど考えてみれば、それは一種の仮面ですわね。
本心からの笑顔を向けたことは──確かに一度もございませんわ。
「ロ、ローゼリア……」
「わたくしはもはや殿下の婚約者ではありません。ですので、今後わたくしのことを名前で呼ばないでいただきたく存じます」
「いや、その」
わたくしの諫言も聞こえているのかどうか、殿下ははくはくと口を動かし、けれどなにも言わないまま頬を染めてわたくしを見つめてきます。
気持ち悪いですね。言いたいことがあるのならどうぞ仰ってくださいませ。
名前呼びを改めマナーに則ってくださるならば、王族と臣下として、会話くらいはして差し上げますわよ。──て、そんなことよりも。
──頬を染めて?
え、なんですか、その反応は。
聞えよがしな溜息が聞こえたと思いましたら、お兄様でした。ええ、今この場で、わたくしに対しそのような反応を見せるのはお兄様くらいですのでそれはよいのですが──処置なしとばかりに頭を振る、そのココロはいかに?
確かにわたくし、殿下との婚約破棄が嬉しすぎて、少々はしたないほどの笑顔を見せてしまいましたが、それは致し方ないことではありませんか? なんといってもついに、相手有責で、円満に、婚約を破棄できるのですから。少々浮かれてしまっても、責められることではないと──
え? そういうことではなく?
では、どういうことでしょう。