第九十一話
「…まさか、お前がそこまで馬鹿だったとは思わなかったなァ」
白煙の中からザッハークが現れる。
その顔には嘲笑では無く、冷笑が浮かんでいた。
「良いのか? 魔剣の英雄様の最期がこんな下らないものでよォ?」
「………」
「…俺ァ、これでもお前には感謝していたんだぜ? 十三年前、あの鬱陶しかったファフニールの野郎をぶっ殺してくれたからよォ」
へらへらとした笑みを浮かべながらも、その言葉はザッハークの本心だった。
直接見た訳では無いが、風の噂でファフニールが討伐されたと聞いた時には心が躍った。
普段見下している人間に思わず感謝を告げたい気分になった。
「だが、お前はしくじった。今になって、ファフニールの野郎が戻ってきやがった」
初めにリンドブルムから聞いた時には悪い冗談だと思った。
どうして今更になって戻ってきたのか、と頭を抱えた。
お陰で元々考えていた計画も変更することになった。
まあ、レギンを利用することでリンドブルムもティアマトも抹殺することに成功した為、その点に関しては結果オーライだが。
「…お前、何でアイツを殺さなかった?」
ザッハークは刃のように鋭い目でジークフリートを射抜く。
「止めを刺し損ねた、とか言うなよ? だったら、再会した時に迷わず殺している筈だ。お前はファフニールを生かした。その理由は何故だ?」
「………」
ジークフリートは無言で魔剣を握り締めた。
その剣先を、ゆっくりとザッハークへ向ける。
「…話す気はねえようだなァ。まあいい。どちらにせよ、今のアイツは敵じゃない。お前を片付けてから今度は俺の手で殺してやる」
ザッハークが警戒しているのは、以前のファフニールだ。
記憶を失い、力も衰えた今のファフニールはもう脅威ではない。
「…俺は、リンデ達を逃がす為にここに残った。彼女達が王都へ戻る時間を稼ぐ為に」
ジークフリートは静かに告げる。
「だが、ここで死ぬと言った覚えはない」
魔剣が勢いよく燃え上がった。
片腕と言うハンデを受けながらも、ジークフリートの闘志は消えていない。
生きることを諦めていない。
「キヒ、キヒヒヒヒヒヒ! この状況で! まだ吠えるか! 英雄よォ!」
ゲラゲラと嗤うザッハークの身体が不気味に蠢く。
周囲の地面が泥土と化し、そこから人間の腕や首が浮かぶ。
地獄の一角のような風景の中心で、ザッハークは牙を剥いてジークフリートを見つめた。
「ヒャハハハハ! その頭蓋! その心臓! 全て喰らってやるぞ、ジークフリートォ!」
「滅竜術『炎威剣』」
異形の怪物と黄金のドラゴンスレイヤーは真っ向から衝突した。
そして…
「…王都に、着いたか」
レギンは短くそう告げた。
トラオア城跡から敗走してから、三日経っていた。
ザッハークから受けた呪いも、既に消えている。
それは呪いが時間経過で解除される類の物だったのか。
それとも残ったジークフリートの手によってザッハークが倒されたからなのか。
「ジークフリートさん…」
王都に戻るまでろくに睡眠すら取れなかったリンデが、悲し気に呟く。
楽観視は出来ない。
ジークフリートは手負いの状態で一人敵地に残った。
どれだけジークフリートが優れた戦士であろうとも、生きている可能性は低い。
「…とにかく、まずは本部に戻りましょう」
暗い顔を浮かべながらもエーファは言う。
気持ちを切り替えることは出来ないが、嘆くだけでは意味がない。
ジークフリートが生きていようと死んでいようと、エーファ達のすることは変わらない。
ティアマト以上の化物となったザッハークの存在を報告するのだ。
「ん?」
その時、沈痛な面持ちのレギン達に一人の男が声を掛けた。
純銀の杖を突きながら歩く、不機嫌そうな容姿の男。
「何故ここに居る? 貴様らはティアマト討伐に向かったのではなかったか?」
その男はグンテルだった。
レギン達の顔を眺めながら首を傾げている。
「もう任務は終わったのか? ジークフリートはどこだ?」
「ッ! ジークフリートさんは…」
グンテルの言葉にリンデは思わず顔を下に向けた。
その反応で察したのか、グンテルは珍しく表情を変える。
「…まさか、奴が死んだのか?」
悲しみ、と言うよりは純粋な驚きが大きかった。
心の底から気に食わない相手ではあったが、その実力だけは十分に理解していた為に。
例え六天竜相手でも、当然のように生還すると思っていたのだ。
「私の、せいなんです…私なんかを庇ったりしたから…!」
後悔と悲嘆を顔に浮かべ、リンデは叫んだ。
あの時、リンデを庇わなければジークフリートは片腕を失わなかった。
リンデが居なければ、ジークフリートは死なずに済んだのだ。
「…庇ったのか。奴が、お前を」
少し驚いたような、しかしどこか納得したような顔でグンテルは呟いた。
リンデの顔を見つめた後、レギン達に視線を向ける。
「何があったのか、詳しく聞かせろ。父上には私から報告しておく」
真剣な表情を浮かべ、グンテルはそう告げた。