第九十二話
「ザッハーク? そう名乗ったのか、そのドラゴンは?」
本部の会議室にて、グンテルは言った。
室内にはレギン達に加えて、王都に待機していたファウストも居る。
「どの時代の記録を見ても、そのザッハークと言うドラゴンは一切情報が無いな」
元々六天竜に関してはどのドラゴンも情報は少ない。
それでも長い時を生きるドラゴン達は少なからず人の目に触れる機会があった為、僅かな目撃情報などは各地に残っていた。
外見特徴、性格や趣味趣向、交戦記録が残っている個体はその能力など。
だが、ザッハークと言うドラゴンに関しては情報が何も無い。
六天竜の中に五百年程度の比較的若いドラゴンが居ることは分かっていたが、それも他のドラゴンから得た情報であり、ザッハーク本人は確認されていない。
「最初に私と出会った時は、ミーメと名乗っていました」
「偽名を使ってまで正体を隠していたのか?」
意外そうにグンテルは言った。
基本的に自信過剰なタイプが多いドラゴンにしては、随分と慎重だ。
本人も五百年を超える竜でありながら、卑屈な程に自身の力量を弁え、徹底して目立たないように振る舞っていた。
「…十五年前、私の住んでいた教会を襲ったドラゴンでもあるわ」
憎しみを滲ませて、エーファは吐き捨てる。
卑屈な者が善人であるとは限らない。
ザッハークは己が他の六天竜の足下にも及ばない弱者だと自虐していたが、己より弱い存在は何の躊躇いも無く虐殺していた。
他の六天竜やドラゴンスレイヤーを敵に回さないように振る舞いながら、その苛立ちをぶつけるように無力な人間を殺し続けた。
見方によっては他の六天竜以上に性質の悪いドラゴンだ。
「今の奴はティアマトと、恐らくはリンドブルムを喰らっている」
「共食いをするドラゴンか。そんなことをして、魔力が増幅することがあるのか?」
「分からん。俺は試したことが無いからな」
グンテルの問いにレギンは肩を竦めて答える。
「理論上は魔力の塊であるドラゴンを取り込めば、その魔力を全て得られる筈よ」
前例は無いが、理屈の上ではそうなる筈だ。
この世で最も魔力を多く含む存在は人間だが、それはドラゴンが捕食対象とする場合の話だ。
並みのドラゴンであっても保有魔力は人間の数倍。
六天竜ならばそれ以上だろう。
「まあ、普通そんなことを実行に移す者など居ないがな」
「何故だ?」
険しい顔で呟くファウストに、レギンは視線を向ける。
「考えてみろ、ドラゴンとは魔力の塊だ。例えばザッハークの魔力が十、ティアマトの魔力が百だとする。それを取り込んだ結果、ザッハークは百十の魔力を得るが…」
「………」
「それは、本当にザッハークと言えるのか?」
ドラゴンとは魔力の塊であり、本質的には個体差は無い。
ザッハークを構成する魔力の九割がティアマトの魔力となれば、それは元のザッハークと呼べるのか。
人格や記憶の欠落、自我の希薄化。
最悪の場合、ティアマトに肉体を乗っ取られる可能性すらある。
「竜の共食いとはそれだけリスクを伴う行為だ。自殺行為と言っても良い」
「………」
レギンはザッハークがティアマトを喰らった光景を思い出す。
それでも、ザッハークはその手段を選んだ。
自我が消えるリスクを知りながら、竜の肉を喰らった。
あの男は、今まで出会ったどんなドラゴンよりも危険な存在だ。
魔力や能力では無く、その思考が。
「あの女、俺を何だと思ってやがるんだ」
同じ頃、シュトルツにてフライハイトは苛立つを隠そうともせずに呟いた。
ヴィーヴルの治療とフライハイト自身の滅竜術の応用により、既に傷は殆ど完治していた。
今はヴィーヴルに頼まれて、買い出しに向かっている所だ。
「…アイツ段々と遠慮が無くなってきてないか?」
意図せず同居人となった少女を思い浮かべ、フライハイトは嫌そうな顔を浮かべた。
当初は甲斐甲斐しく世話を焼いてくれていたが、そう言う態度をフライハイトが嫌った為か、次第に素の性格で接するようになってきた。
元々会話をすることさえ億劫と言う物臭な少女なので、我慢することをやめたのだろう。
とは言え、フライハイトは彼女に対してあまり強く出られない。
フライハイトがヴィーヴルに一度負けていることもそうだが、彼女から離れると不幸になる、と言う脅しが効いているのだ。
その結果、ブツブツと文句を言いながらも素直に言うことを聞いている関係が出来上がってしまった。
「はぁ…これからどうするかな」
憂鬱そうにフライハイトはため息をつく。
今の状況が良くないことはフライハイトも自覚している。
ドラゴンスレイヤーであるフライハイトが、ドラゴンのヴィーヴルと行動を共にするなど。
民衆のことを考えるなら寝込みを襲ってでもヴィーヴルを討伐するべきなのだろうが、それも英雄としてどうなのだろうか。
そもそもヴィーヴルは比較的無害なドラゴンだ。
宝石さえ与えていれば人は襲わないし、人の肉は食べないと告げている。
思わずフライハイトを襲う程に腹を空かせていた時も、人の肉を喰おうとはしなかった為、その言葉は嘘では無いのだろう。
「…やり辛い」
もっと邪悪なドラゴンならば殺すことに躊躇いは無いのだが。
フライハイトの憧れるあの男なら、こんな時どうするだろうか。
「………」
ヴィーヴルは部屋のベランダからぼんやりと下を眺めていた。
考えているのは、現在の宿主であるフライハイトのことだ。
今までの宿主達のように欲に溺れることなく、ヴィーヴルのことも邪険にしない。
彼は『良い』宿主であるとヴィーヴルは思う。
少なくとも、今の所は。
「………」
ヴィーヴルは基本的に人間に無関心だ。
諦めている、と言ってもいい。
遥か昔、ヴィーヴル自身も覚えていない何百年も前は、ヴィーヴルも感情を持っていた。
『幸運を与える能力』を人間の為に使ったことだってあった。
しかし、楽を知った人間は堕落する。
与えられ続けた幸運を己の力と勘違いする。
どんなに清廉潔白な人間も歪み果ててしまう。
そんな日々を何年も過ごしたことで、ヴィーヴルは人間に対して何の期待も抱かなくなった。
利用する代わりに利用される希薄な関係のみを望むようになった。
今までそうだったように、フライハイトに対してもそうだ。
「………何の用?」
ぽつり、とヴィーヴルは呟いた。
「おやァ? 気付かれたか」
ドロドロと屋根の上から泥が落ちてくる。
ぐにゃぐにゃと歪むそれは、ヴィーヴルの前で一体の竜の姿に変わった。
「あなたは、ザッハーク………だっけ?」
「お久しぶりですねェ、ヴィーヴル様。いやァ、何年ぶりの再会でしょうか」
慇懃に振る舞いながらもザッハークはニヤニヤと笑みを浮かべている。
「俺は運が良い! まさかこんなに早くあなたが見つかるとは! まさに幸運の女神ですねェ、あなたは!」
「…その魔力」
ザッハークから感じる魔力にヴィーヴルは眉を動かす。
前に出会った時は比べ物にならない魔力の高さ。
そしてこの魔力の感触には覚えがある。
「ティアマトの…」
「気になりますかァ? 気になっちゃいますかァ? キヒッ、キヒヒヒヒヒヒ!」
ザッハークは醜く歪んだ笑みをヴィーヴルに向けた。
「そんなに気になるなら直接会ったらどうですかァ? 俺の、腹の中でなァ!」
不意を打つように三つの首から光が放たれる。
暗色のブレスが、ヴィーヴルの体を包み込んだ。




