表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
殺伐としたこの世界から放たれて  作者: きんぎょくさん(金玉燦)
9/32

第9話 話し合い 受け入れあい 破れた愛

 アルシオーネの今回の婚約破棄はここまでくるともはや芸である。まさに芸術的な婚約破棄よね、と王女は同情しつつも、少し嘆息する。上の兄こと第一王子は英雄である。この兄とも悲劇的な笑える婚約破棄をアルシオーネはしているのだ。


 上の兄は隣国と発生した小競り合いに弱冠二十歳で初陣し、あっという間にその首都まで攻め上り、なんと併呑してしまった。ほんの水場争いのはずが、国まるまると手に入れてしまったのだ。加えて顔も良い。剣もそこそこ、魔法もそこそこ使うことができる。戦場で指揮をとってみれば、英雄の器である。公表こそしていないがアルシオーネは正式にこの第一王子の婚約者となっていたのである。公爵家としてもいい青田買いができた、とホクホク顔だったものだ。


 しかし、場面は急展開する。第一王子20歳、アルシオーネ13歳。王子の凱旋を機に婚約を正式発表しようかという矢先、兄が乱心した。


「父上、僕はデービットを娶ります、いや、嫁ぎます。」


 あのとき、たまたまお菓子を奪いにコソッと近くのテーブルの下に潜んでいた第二王女はすべてを見聞きしたのだ。ぽかんとする大人たち。怒りに震える公爵様。表情も変えず、ケーキをちまちま食べているアルシオーネお姉様。美味しそう。うらやましいなぁ。


 と、上のお兄様は立ち上がり、スルスルと殺気もなくレイピアを抜くと自らの股間に押し当てた。


「もちろん、男としてけじめはとります。ここで自宮(じきゅう)しましょう。もう僕には必要のないものですから」


ゴッドピースに刃先を押し当てながら、スッとレイピアを引く、上のお兄様。真っ赤な血が白いタイツを染め上げていき…


「おやめください」


 ピシッ、と甲高い金属の押し当たる音がした。テーブルクロスの隙間からのぞくと、お兄様のレイピアが根元から折れて、刃先が床に落ちていた。すこし離れた床にはフォークが付き刺さっている。先ほどまでアルシオーネお姉様が使っていらしたフォークだ。お見事。さすがです。私は一分の疑いもなく、アルシオーネ姉様が兄様のレイピアを砕いたのだと、刹那の瞬間に判断していた。


 私はアルシオーネお姉様の手元を確認した。やはりフォークがない。飛ばしたんだ。お姉様の隠し芸の一つ、何でも手裏剣だ。私はさして驚きもなく理解した。なんども見せてもらったから知っている。画鋲なんかでも部屋の隅から隅まで投げ飛ばして、壁にビシッと刺さるのだ。なんか生まれたときからこうしたことがお得意らしい。父上である公爵様も知らない秘密の隠し芸だとか。ほかにも色々持ちネタがあるらしいけど「秘密」と全部は教えてはもらえなかった。


「アルシー?」


 公爵夫人が心配そうにアルシオーネの様子を伺っている。この子はたまに突拍子もないことをするから…と思っているのが見て取れた。公爵は第一王子のゴットピースを青い顔でにらみつけたまま、だ。レイピアをどうやって砕いたのか、誰もが疑問に感じているのだけれど、雰囲気的に言い出しにくい。公爵自身の魔法だろうか。父王は怪訝な顔で公爵の顔色を伺うが、判断に迷う。


「珍宝は大切なものです。勝手に切り取らないでくださいまし」


 アルシオーネは静かに真顔のまま、言い切った。年頃の娘が珍宝とは何事か、と普段なら真っ赤になって怒るはずの公爵は、未だゴットピースをにらみつけている。 その様子をみて、アルシオーネは続けた。


「それを切り落としたところで、ただちには女性にはなれません」


 コーヒーを一口、静かに啜ってテーブルに戻す。皆がなんとなくそのカップの行方に視線を向けたのを確認し、ソッと公爵様の前からフォークとケーキを引き取るアルシオーネ。視線を誘導し、目的物を自然に引き取る。これまたアルシオーネの隠れた技能である。机の下の第二王女は密かに感心した。お茶会の席では、なんどもこの手でしてやられたのだ。なるほど、ああやっていたのか。今度、私も試してみましょう。父王様で。


「第一、おトイレはどうするのですか。女性用は使えませんよ。」


 アルシオーネは淡々と続けていた。なんとなく、場の支配者はアルシオーネである。なぜか少女の言辞に大の大人が聞き入っていた。


「今まで通りに蛇口はありませんし、お小水の出口は前についてます。女性の様にしゃがんでも前に飛んでしまいますし、制御しようにも肝心のホースが無いのですから、それはそれはコントロールできません。ビシャビシャと下着も汚れますし、ビシャビシャと床も大変なことになるでしょう。切り取ったところでみんなに大迷惑です」


 言い終わると、すっとフォークでケーキを一口切り取る。魔力で切れ味を強化しているのはさすがである。アルシオーネとしては、どうあってもケーキを食べきるつもりのようだ。ここで場が崩れて、双方席を立つ、などということは許すつもりもない。まだ公爵夫人のケーキが残っているのだから。


「だいたい、宮刑(きゅうけい)なんて五百年も前に廃絶された刑罰のはずです」


 ケーキをまた一口たべ、公爵様分のコーヒーを啜る。ああ、これは魔法だ。言葉に魅了の魔力を込めて、皆を煙に巻いているのだ。


「快楽断ちのために罰として自宮する、とのことでしたけれど、現状、それは婚約者のわたくしものです。結婚後の私のために存在する器官ではありませんか。」


ゲホッと父王様がむせた。吹き出したコーヒーが公爵夫人のケーキに少し飛んだようだ。アルシオーネ姉様が眉を少し顰めた。公爵夫人のケーキはあきらめたようだ。その後、男女のお小水の出口の位置の違いを指摘し、おしりの穴に突っ込む側と突っ込まれる側の快楽のあり方について論じ、王子のケーキをさり気なく奪いつつ、アルシオーネ姉様の説法は佳境に入った。


「…というわけですから、わたくしにもおしりの穴くらいありますし、もし殿下がおしりの穴がお好きというのでしたら、当然ご自由にされてもけっこうです。」


うわーと第二王女は目を見開く。アルシオーネ姉様、どこまでやるおつもりですか。王侯貴族の世界は変態ばかりの魔境です。でも、仮にも女の子がそこまで言っちゃっていいんだろうか。


「ですが、お話によれば殿下は刺される側の快楽がお好きとか。それであるのならば、珍宝を自宮なされてもなんの痛痒もないではないですか。罰というよりご褒美です」


 公爵夫人は、もう知らない、とばかりに斜め上の方を見つめ、紅茶を啜るふりをしている。国王はいつでも逃げられるように身構えている。公爵は抜刀術の皆伝だ。この距離では確実にやられる。幼なじみでもある王は、公爵の限界がなんとなくわかる。そしてそれはもはや、理性のグラスの縁ギリギリを表面張力だけでたゆたう、危険域にあった。


「娘は、あまりのことに混乱しているようだ。」


 地の底から響く、低い声。いつものバリトンよりさらに数段音域が低い。視線が動かない。怒れば怒るほど逆に視界が広くなる。公爵はそんな領域にあった。ここまでの集中はかつて抜刀術の皆伝をとるために山ごもりして以来かもしれない。


「このまま回復しなくては、もはや修道院にいれるしかないだろう…。かわいそうに…」


 娘の普段の素行をしらない公爵は、アルシオーネが衝撃のあまりおかしくなった、と判断したようだ。男女の小水の穴の位置だの、自宮後のまさかのトイレ事情だの、性の快楽の在り方だのと、普段のアルシオーネはそんなことを言う娘ではない。そこには「うちの子は清純な子なんだ」と言う父親特有の勝手な思いこみがあった。自分の書斎の本、それこそ回転書棚の裏の本までのすべてを、アルシオーネと第二王女に回し読みされていたとは考えもすまい。二人ともお年頃だし、そうした部分にも興味はもっている。そして公爵もまた、表に出すことはなくとも立派な上級貴族さまであったのだ。どちらかと言えばややリョナ趣味寄りの…。ゆえに回転書棚の裏側は、宦官や宮刑、拷問等々、高貴なる変態知識の宝庫であった。


「いずれ君には娘を傷つけた償いはして貰う。だがここで自宮させるわけにはいかない。それはさらに娘を傷つける行為だろう。君はケジメというが、逆にそれは身勝手だよ。いいね。」


 公爵様は第一王子に落ち着くように言うと、この場をお開きにしようとした。まずは娘を落ち着かせねばならぬ。だが、そもそもアルシオーネの知識はどこから来た?まさか書斎の本を読まれていたのか?という疑念に焦がれつつ、


「事後のことは後ちほど」


と父王に断りを入れると席を立った。公爵は一刻も早く居宅の回転書棚の確認に走りたかった。まさか地下室にまで入られてはいないだろうな…。


 スッと公爵夫人は笑顔でケーキを差し出し、王妃は笑顔で受け取った。三口で食べきる。おやと言う顔をするアルシオーネ。この辺が落としどころよ、という顔の公爵夫人。まぁ旦那様の吹き出したものですし、私は平気、ラブラブですしね、という王妃。3人の女性たちは無言で通じ合う。


 気がつけば国王のケーキも王妃のケーキも紅茶もコーヒーもすっかり蒸発したかのように消えていた。アルシオーネ、ケーキ×3。コーヒー×1。紅茶×1。王妃、ケーキ×3。紅茶×2。アルシオーネが奪還を諦めた公爵夫人のケーキは王妃の手に渡り、この勝負はうやむやとなった。撃墜数は並んだが、ここまでが王妃の策ならばアルシオーネの負けである。王妃が国王の吹き出しまで計算していたとすれば、であるが。

 いずれにせよ、本日の勝負はついた。今日はたまさかに良い練習試合となった。本番の「春の王大后杯」を前にアルシオーネも王妃も場も暖まった。見届けた公爵夫人も満足そうである。女性陣もここでのお開きに否やはなかった


「王子様、わたくしは男女の愛も男性同士の愛も同等に愛だとおもっております。」

「はい。そこはわたくしも。」

「少しデービット様にはお話しはしなくちゃいけませんけれど、わたしくしも仕方ないとおもっております。戦場での命がけの愛なんですもの。かえって素敵ですわ。」


 公爵夫人、王妃、アルシオーネともに口々に王子に声を掛け、席を立つ。悲壮な顔つきの男性陣と違い、あっさりと婚約破棄を受け入れた。結局、アルシオーネはデービットの愛に負けたのだ。残念だが、それだけのこと。


「そういえば性転換の秘術があるというお話も…」


 アルシオーネは親切にも公爵家回転書棚知識の一つを第一王子に開陳した。わたくしとの婚約はダメになりましたけれど、王子様とデービット様には幸せになって貰いたいですわ、と笑顔で王子をおくりだす。っていうか、女性陣は女性陣でこれから別室での反省会があるのだ。とっとと空気を読んで帰って欲しいものだ。

 権謀術数渦巻く王宮内にあって、女性陣は女性陣で別の戦いがあるのである。特に秘密結社「お茶の界」メンバー各位にとっては。いかに王大后の目を盗み、気をそらし、多くの戦果を上げることが出来たか。そのスリリングで危険な勝負がまもなく開催される。

 王大后杯特有の緊張感の中、どさくさで婚約破棄されたアルシオーネのことなど、メンバーは誰も気にしないだろう。今はそれどころではない。まずは今日の試合の反省会である。

 気がつけば今日も今日とてこの深刻な雰囲気の中、国王陛下のケーキは王妃に奪取されていた。あの空気を乱さない自然な手並みは今後もあなどれない。王妃の存在は大きな壁としてアルシオーネの前に依然としてあった。じっくり反省しなくては…。 

          *    *   *

 後日、次善策として第二王子とアルシオーネの間に正式な婚約が取り交わされ、国内外に発表された。第一王子は大公として併呑した隣国領に近衛騎士デービットと共に旅立った。隣国の深秘の森に隠れ住む竜人族の秘術に性転換魔法がある、と信じて。


 二人を暖かく見送ったアルシオーネは内心、デービット様って女性になった王子様を受け入れられるのかしら、と疑問に思ったがそれならそれでいい気味だし、と思い直した。実はほんのちょっぴり本当に傷ついていたのだ。

 あの後3人で話し合ったのだが、男女とりまとめて3人で結婚…と言うアルシオーネ案はデービットに却下され、王子も完全に変な子を見る目であった。アルシオーネも人並みに傷つくのだ。ちょっぴりだけど。

※リョナ趣味…

 拷問や血、女性の体を傷つける行為などに興奮する趣味。公爵は善良なので命をとるまではしない。というか絶命は引く。「ああ、こんな体にされて…」とメイドが泣く姿にこそ興奮するたち。

 アルシオーネも公爵夫人も知らないが、地下には立派なプレイルームがある。


※地下室プレイルーム…

高額で雇い入れた専用メイド達と日々プレイしている。もちろん根は善良なので朝までにはヒールで全回復させている。変態貴族の鏡である。拷問器具等は一通り完備。


※ヒール…回復魔法。公爵はこと外科治療に関しては、この世界随一の使い手である。なにしろ神殿神官どもとは経験率がちがいすぎる。


※抜刀術…レイピアを瞬時に抜くと同時に斬り捨てる技。公爵は毎日技を磨いているので実に細やかに(女を)切り刻める腕前のようだ。


※珍宝…珍しい宝もの。女性にはないからアルシオーネはまだ見たことがない。乙女にとっては珍しいもののようだ。


※宮刑…

①宮城刑務所の略。八木澤の過ごした累犯刑務所である。

②宮刑。古代中国で採用された肉刑の一つ。去勢刑。司馬遷が有名。日本では採用されなかった。

※自宮…自ら宮すること。西欧ではカストラート、日本でも仏僧などが自らを宮する例がある。羅切。

※宦官…戦争で捕虜になるなどしたのち、去勢された者は王宮に就職斡旋された。性格も穏やかになるし、力仕事も出来るので便利に使われた。


※肉刑…

①刑罰としての身体刑全般のほか、私刑として実施される。八木澤の好きな指つめ、入れ墨刑のほか、足切り、耳そぎ、鼻そぎ、むち打ちなどがある。西欧社会で三本指での誓いは「破ったらこの指落とします」の意味である。

②公爵様のお好きな凌遅刑は、実はこのやさしい世界では実施された例はない(だが、薄いメイド本のお話の中には頻出。)

③なおリアル朝鮮、リアル中華では普通に近代まで肉刑が続いていた。

④やくざの指つめは別に肉刑の名残ではなく、中世男色家の誠意を見せる行為、女郎の誠意をみせる行為、南方の弔意の指つめ行為などにその来歴を求めることができる。南アジアの諸部族では、親族がなくなれば弔意として女性が指をつめるのが当然であった。そもそも指つめは一般的な行為である。

⑤刑執行時の痛み、その後の不自由さ自体も刑罰であるが、見せしめとして世間にさらす名誉剥奪刑の側面も持つ。またそれにより防犯の効果も期待できる。現代日本で肉刑の復活を言う人はいないが、唯一残された死刑を廃止しようと画策する上級国民の真意は、いまだわからない。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ