真・摂政戦記 0021話 膠着
1941年下旬 『アメリカ西海岸』
アメリカ西海岸に上陸した日本軍は、その地の守りを固めつつ軽機甲部隊による威力偵察及び長距離挺進攻撃に出ていた。
だが、占領地の積極的な拡大にまでは出ていない。
一方のアメリカ軍は混乱状態が続いていた。
ワシントンDCの陸軍省と海軍省が壊滅しサンフランシスコにあった西部防衛軍司令部もウラン爆弾(原子爆弾)による攻撃で殲滅されていた。
西海岸一帯を統括する上級司令部が消えたのだ。
残された下級司令部が混乱するのも無理は無かった。
その上、そうした下級司令部には錯綜する情報が伝わり、その対応に右往左往する事となる。
史実においても真珠湾攻撃の報が伝わった後、アメリカ本土は狂騒とでも言うべき状態に陥っている。
アメリカ各地で日本軍機の空襲が伝えられた。
真珠湾の事ではない。
アメリカ本土の都市がだ。
真珠湾攻撃の翌日、ニューヨークでは空襲警報のサイレンが響き渡った。
ニューイングランド方面やバージニア方面の海から爆撃機が接近中という情報が乱れ飛んでいる。
サンフランシスコでも空襲警報のサイレンが昼夜を問わず響き渡った。
それどころかサンフランシスコでは陸軍航空隊が60機の日本軍機を撃退したと発表する始末である。
夜間にサンフランシスコが爆撃されたという情報が、この地域を守る第3軍司令部に報告されてもいる。
全ては誤情報だ。
そればかりではない。
西海岸への日本艦隊襲来の情報は真珠湾攻撃当日に陸軍情報部からスティムソン陸軍長官と第3軍司令部に伝えられている。
その一回だけではなかった。
日本艦隊襲来の情報は真珠湾攻撃の2日後と4日後にも第3軍司令部に伝えられている。
当然、これらも誤情報だ。
軍ですらそういう状態なのである。新聞やラジオもいい加減な噂を流していた。
カリフォルニアは防衛不可能。
軍はロッキー山脈で防衛する準備をしている。
ミシシッピ川の東岸に防衛ラインを構築する準備をしているという話しさえあった。
全米で人々が不安に駆られて食料品の買い溜めに走り、スーパーマーケットは戦場になった。
史実では更に1942年2月に、またもや幻の日本軍襲来に対し迎撃行動を行った「ロサンゼルスの戦い」が起きている。
史実の開戦初期、アメリカはこうした誤情報に右往左往し狂奔していたのだ。
今回の歴史でもやはり色々な誤情報が飛び交っており、軍と国民を惑わせている。
その中には日本の工作員が流した噂もあった。
アメリカ軍はその情報の奔流に混乱を深めている。
アメリカ西海岸カリフォルニアの防衛を担当する第3軍司令部はモントレーにあった。
ここは日本軍の攻撃から被害を免れている。
第3軍司令官スティウェル中将は、日本軍によるサンタ・バーバラ、グローヴァ・シティ、カンブリア、カーメル、そしてクレセント・シティとユリーカへの攻撃は、アメリカ軍の兵力を引き付ける陽動作戦だと判断していた。
本命はロサンゼルス周辺に来るものと判断していた。
そしてロサンゼルスと、その周辺の油田こそが目的だろうと。
もはや石油は戦争と経済に不可欠で重要な物だ。
ロサンゼルスの南北にはカリフォルニア州有数の油田が集中している。
南はロサンゼルスに近い順にエルウッド油田、ロングビーチ油田、エルウッド油田。
北はロサンゼルスに近い順にミッドサンセット油田、ケットルマン油田、コリンガ油田。
これらの油田でアメリカで産出する石油の約2割を占めていた。
戦前にはカリフォルニアの油田で産出される約3割が日本に輸出されている。
スティウェル中将は兵力をサンタ・バーバラ、グローヴァ・シティ、カンブリア、カーメルへ送り込み、また特殊爆弾(ウラン爆弾)の攻撃により大被害を被ったサンフランシスコやロサンゼルス、サンディエゴに救援を送り込んだ。
また、両都市の防衛をも固める。
しかし、兵力も充分とは言えない。
特殊爆弾(ウラン爆弾)の攻撃によりサンフランシスコ、ロサンゼルス、サンディエゴでアメリカ軍将兵の多くが亡くなっていたからだ。
それにプラスして軍需品の補給が滞っている。
大都市への特殊爆弾(ウラン爆弾)の攻撃で、生産工場が破壊されたり、鉄道への破壊工作で物流が寸断されている。
それ故に戦略的に重要とは言えないカリフォルニア州の北西の港町クレセント・シティとユリーカへの対応は後回しとなっていた。
幹線道路に少数の防衛部隊を配置し偵察機を飛ばして日本軍を警戒する措置をとっていた。
補給の目途がつかないため、大部隊を派遣する事ができずにいた。
そこに日本軍の少数の軽機甲部隊が襲い掛かった。
防衛部隊は散々痛打を浴び戦力を消耗し防衛線を突破される。
しかし、日本軍は戦果を拡大する事なく引きあげた。
それが繰り返されている。
小部隊同士の戦いが繰り広げられていた。
しかし、第3軍司令部としても増援を送るのは厳しい。
今は現地の自警団を戦力に組み込み日本軍の攻撃に耐えるしかなかった。
そうした対応で精一杯だった。
それがアメリカ西海岸南部の状況だった。
アメリカ西海岸北部も似たような状況だった。
西海岸北部のワシントン州にある第1軍団司令部では、司令官のチャールズ・スコット少将と幕僚達が苦悩していた。
ワシントン州のシアトル、プレーマートンが特殊爆弾(ウラン爆弾)の攻撃により壊滅し、ボールダーダムまで破壊された。
特にボールダーダムの破壊による下流での被害はかなりのものだ。
水も電気もストップした地域は広く、物流も寸断されている。
助けなければならない人々は多く、兵力はそれに比べあまりにも少ない。
しかも、日本軍は気球に兵士を乗せて飛ばして来た。
ワシントン州周辺の陸軍航空隊も海軍航空隊もこの気球の迎撃にかかり切りとなっている。
とてもオレゴン州南西の港町ノースベンドとクーズ・ベイを占領した日本軍に対応できる余裕は無かった。
それに日本軍の上陸したオレゴン州は州とは言え人口は約100万人でしかない。
面積に比べ人が少ない。
一番発展している大都市がポートランドであり、そこは既に日本軍の特殊爆弾(ウラン爆弾)の攻撃により壊滅している。
しかもボールダーダムのあるコロンビア川はオレゴン州との州境でもあり、ダムの破壊による下流での被害はオレゴン州にも及んでいる。
元々オレゴン州に配置されていたアメリカ軍部隊は少数であり、しかもポートランドでの攻撃により被害を出していた。
ノースベンドとクーズ・ベイを占領した日本軍に対抗できる筈も無かった。
こちらの方面でも日本軍の少数の軽機甲部隊による攻撃が行われていた。
アメリカ軍はそれを抑える事が出来ず押され気味だった。
だが、日本軍も兵力に余裕があるわけではないから占領地の拡大は避けている。
こうした状況故に日本軍「桜華丁班」が占領している西海岸地域へのアメリカ軍による本格的反攻作戦は行われてはいなかった。
アメリカ軍は戦力が足りなければ補給も足りない。
戦力が足りないのは日本軍も同じだ。
その為、この方面は膠着状態になっていた。
それがいつまで続くのかは神のみぞ知る事であった……
【to be continued】




