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弁当事変




 「たくっ、なんなんだよ、いきなり」


 里見の剣幕に気圧されて、荷物も置いて飛び出してきたが、走っているうちになんのために走っているのかわからなかった。

 突然わけもわからないままに怒鳴りつけられた(あいつ)のために走らなければならないんだ。

 嫌味も散々言われるし、ゴミを見るような目で見てくるし。

 確かに、家事全般をしてくれていることにはそれ相応に感謝はするが、俺だって何もしていないわけではない。

 てか、力仕事は俺が率先してやっている。


 「で、なんで、理不尽にキレられた俺があいつのために走っているんだ?」


 なんで、俺の足は止まらないんだ?

 もう、昼休みが終わるまで五分もない。馬鹿らしいと吐き捨てて、教室に戻ったっていいのだ。

 しかし、俺の足は止まらない。

 中学のときの記憶を頼りに、中等部の校舎の中を、かなりの視線を集めながらも俺は走っていた。

 万年帰宅部のせいで、息はもう上がっている。情けなくも、足も重くなってきた。

 にもかかわらず、俺の足がまるで別の生物のように動き続けている。

 あの時の感覚に似ていた。

 死んだ後、神に変な世界に呼び出されて、異世界へ送り込まれそうになった時に感じた何かが俺の中で何かを叫んでいるようなあの感覚。

 妹が在席しているはずの教室が見えてきた。

 足がもつれそうになっていたが、進路上のやつらが俺を見ると、慌てて道を開けるから、誰にもぶつかることはなかった。


 「おい、夏海はいるかっ?」


 扉につかまって勢いを殺した俺は、自分でも驚くような大きな声で言っていた。

 一斉に俺を見た中学生どもはまるで時が止まったように固まったまま何も言わなかったが、全員がこちらを向いたおかげで夏海がいないことは分かった。


 「おいっ‼︎ お前っ‼︎」

 「えっ‼︎‼︎ 俺っすかっ?」


 居場所を聞き出すために、一番近くの席に座る男子高校生に歩み寄った。


 「そうだ、お前だっ‼︎ 俺は火脆木一翔っ、夏海の兄だっ‼︎」

 「えっ‼︎‼︎ あのっ‼︎‼︎」

 「あのってなんだっ‼︎」


 俺に、あの、とかそのはいないっ‼︎‼︎


 「いや今はそんなことはどうでもいいんだっ! 夏海がどこにいるかわかるかっ」


 名乗った瞬間、まるで有名人のような反応をされたが、そんなことは今はどうでもいいっ。


 「い、いや、知らないっす」

 「くっ‼︎ 役立たずめっ‼︎」

 「す、すいませんっす」

 「あっ、あの……………………」

 「ん?」


 役に立たなかったやつを捨て置き、次に聞くやつを探そうとした俺の目に、手をおずおずと上げる女子が目に入った。


 「夏海ちゃんならさっき教室を出ていきました」

 「そうか、どこ ──── 」


 その行き先を聞こうとした俺より早く、その女子が続きを話した。


 「それが、ずっと弁当も食べずに誰か待ってたみたいで」


 ……………………なんだと?

 弁当も食べずに、誰かを待っていた?

 なぜだ。あいつには弁当を一緒に食べる友達ならたくさんいるはずだ。

 と、そのことに思考を巡らせていると、答えた女子の周りにいた友達らしき女子たちが硬直から回復して、あれは彼氏を待っていたみたいだったよね、なんてことを口々に言い合った。

 それを、俺は聞き逃すはずもなかった。


 「なにっ? 彼氏だと、どいうことだ?」

 「えっ、あっ、その…………夏海ちゃんが出ていくときに手に弁当箱みたいなのを持っていて、その包みが男にあげる感じのあれで……………………」


 俺の詰問に何故か口止めさせられたことを話すように申し訳なさそうに女子が答えた。

 俺はその言葉を聞き終わった瞬間、バットで殴りつけられたような衝撃とともにあることに思い至った。


 「っ……………………どっちに向かったっ‼︎」

 「あ、あっちですっ」

 「礼を言う、邪魔したなっ‼︎」


 俺は指さされた方に向かって走り出した。

 はっきり言って、方向だけじゃまるで情報不足だったが、なぜかそれだけで十分だった。

 足が勝手に俺を運んでいく。

 廊下の端まで行くと、そこにある階段を駆け上がって、最上階まで休憩を挟まずに登りきった。

 この階は記憶が正しければ、少子化で使われなくなった階で、滅多に人が来ることがないはずだった。


 「…………っ」


 その無人のはずの階に、漏れ聞こえる下階の喧騒を塗り潰すようにトイレの水を流す音が響いた。

 そして、それからしばらくして、視線の先にあった女子トイレから、探していたやつ、火脆木夏海が出てきた。

 片手には例の弁当箱を持っていたが、


 「っ‼︎‼︎ お兄ちゃん……………………なんで、ここに」


 俺を見つけた瞬間背後に隠した。


 「それは、こっちのセリフだぜ。お前こそわざわざこの階のトイレを使ってなにしてたんだ」


 警戒する夏海に俺は刺激しないように語気を弱くして答えた。

 というか、息が完全に上がっていて、思うように声が出ないだけなんだがな。


 「っ…………はっ、なに? お兄ちゃん、こそストーカーにでもなったの?」


 と、普段通り嫌味を言ってくる夏海だったが、声に鋭さがなくまるで(こた)えない。

 それが、夏海が普段のときと違うと示すなによりの証拠だった。


 「おいおい、質問に質問を返すことはタブーだと母さんから習わなかったのか?」

 「知らないし、そんなこと。というか、カッコつけて何言ってんの? 全然かっこよくないから」

 「ぐっ、カッコつけてないし。それより、その手に持っているものを見せてみろ」


 その背後に隠している見覚えのあるものを、な。


 「はっ? いまさっ…………」

 「いまさら…………なんだ?」


 ハッとして言葉の途中で黙り込んだ夏海に訊きながら、俺はゆっくりと歩き出した。


 「そんなこと言ってないからっ‼︎‼︎ もう、本当にキモいからっ‼︎‼︎ 関わらないでよっ‼︎‼︎」


 途端に夏海が血相を変えて俺を罵ったが、俺は近づくのをやめなかった。

 俺にはどうしてか、夏海が本心を言ってないように見えたのだ。

 それこそ、キモいあいつに言われそうだが、なぜかそう思えてならないのだ。


 「そうはいかないなっ‼︎ 俺はお前の兄だからな。その手に持っている弁当箱を見せるんだ」

 「っ‼︎‼︎ お兄ちゃんには関係ないしっ‼︎‼︎」

 「いや、あるだろ。それは、俺のために作ったんだろ?」

 「な……………………っ!」


 俺の指摘についに夏海が絶句して固まる。

 気付いたのだ。

 今朝、あいつが言っていた『変わった』ことの正体にようやく俺は気付いたのだ。

 それは手に持っていた弁当箱を入れる専用の手提げ袋。


 「違うからっ‼︎‼︎ 何勘違いしてんのっ‼︎‼︎‼︎」

 「なら、見たっていいだろ」


 まだ、素直になれない夏海に向かって俺はさらに歩み寄った。


 「ちょっと、こっち来ないでよっ‼︎‼︎ キモいっ‼︎‼︎‼︎」

 「キモくて悪かったなっ‼︎‼︎ それでも、俺はお前の兄なんだっ‼︎‼︎︎ お前を大切に思ってんだよっ‼︎‼︎‼︎」


 ついに目の前まで来た俺は、普段ならこっ恥ずかしくて言えないようなセリフを大声で言った。


 「っ‼︎‼︎‼」


 そのセリフに目を見開いたかと思うとすぐに俯いて、


 「︎……………………意味わかんないし」


 何かをボソッと言った。


 「ん? なんて ──── 」


 なんて言ったか訊こうとして屈んだ ──── 瞬間のことだった。

 夏海の姿が刹那、ぶれたように見えて、


 「ぶっ‼︎‼︎‼︎」


 腹部を鉄パイプで全力で突かれたような重い衝撃を俺を襲った。


 「痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い‼︎‼︎‼︎」


 俺は膝を折って、うずくまって激痛が過ぎ去るのを叫びながらひたすら待った。

 兄の腹に肘鉄はないだろっ‼︎‼︎‼︎‼︎

 吐き出しはしなかったが、なんか色々胃から上がってきたぞっ‼︎‼︎‼︎

 てか、すっげぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇいてえええええええええ‼︎‼︎‼︎‼︎


 「お兄ちゃんはゴミ虫みたいにうずくまっているのがお似合いだよ」


 足をジタバタさせて痛みを(やわ)らげようとしていると、上から夏海の冷めきった声が降ってきて、それに続いて遠ざかる足音が聞こえた。


 「ま、待てっ」

 「っ……………………」


 激痛が少し和らいで、どうにか俺は絞り出すように言う。

 が、夏海は一瞬足を止めただけで、その場を去っていってしまった。

 俺はその背中をうずくまったまま見送るしかできなかった。







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