第四章:お姫様の日常
無数の群衆があたしに向かって襲いかかってくる。彼らは鎧を身にまとい、鋭い剣を手にしていた。遠くにはボロボロに引き裂かれた軍旗が見える。
彼らは千鳥足で歩み、その体には無数の矢が突き刺さり、一歩踏み出すごとに黒い破片を撒き散らしていた。
彼らは生者ではない。どこか別の世界がかつて辿った成れの果てだ。この状況で唯一できることは、手にした真紅の大剣を握りしめ、己の武勇をもって血路を切り開くことだけ。
斬撃をかわし、長槍を叩き折る。ゾンビのような怪物たちを相手にするには、頭部を撥ね、四肢を削ぎ落とし、戦闘能力を完全に奪うのが最善だ。
剣を振るい、腥い血の嵐を巻き起こす。戦闘の本能は自然と体に刻み込まれていた。脳内で対策を練りながら、魔法を編み上げる。
その魔法は、一撃で戦況を覆すものでなければならない。さもなければ、敵軍に飲み込まれるのはあたしだ。
彼らに恐怖はない。ただひたすらに攻勢を仕掛けてくる。敵を一人倒すごとに体内の魔力が強まるのを感じるが、それも結局は焼け石に水に過ぎない。
――魔法少女として、彼女は魔力を「震動の媒体」として扱うことができる。
「Das Lied fängt an!」指をパチンと鳴らして宣告する。
魔力を媒体として敵の鎧に流し込む。周囲の兵士たちが動きを止めた。
彼らの全身を包む金属鎧は、生存を保障する盾であると同時に、彼らを「楽器」へと変える。金属がある特定の周波数で共振し、彼らの一歩を封じる。そしてその現象は、共鳴とともに周囲へと伝播していく。
共振によって鎧が鋭利に歪み、狂ったように震える。だが、不死の兵士たちはただ前へと突き進むことしか知らない。
やがて、その肉体は自らの鎧によって切り裂かれていく。体に深く刺さっていた矢は、致命的な短刀のごとく肉を削り、堅牢な兜は脳漿を砕き、頸椎から頭部をゆっくりと引き剥がしていった。
それは魔法少女の夢。彼女たちの夢は、常に戦いの予行演習なのだ。
早朝のアラームが鳴り響き、マリーは目を開けた。外では太陽が昇り始めたばかりだが、マリーの一日はすでに始まっている。
トレーニングウェアに着替え、自宅の道場でストレッチを行い、関節の柔軟性と体温を確認した後、マリーは何曲か高強度の練習曲に合わせて踊り、汗だくになったところで木剣を手に取った。
彼女の獲物は、常に彼女自身の背丈よりも少し長い。そのため、一太刀ごとに体幹の力を使い、遠心力を適切に制御しなければ、武器の重さに振り回されてしまう。
――魔法少女の戰場では、敵は四方八方から現れる。あらゆる攻撃に対応するためには、関節は柔軟で、動きは敏捷でなければならない。
朝食の時間。華族と貴族の血を引く一家の食卓は、いつも静まり返っている。それは東洋と西洋が混ざり合った独特の暗黙の了解であり、最後の理一人が食べ終えるまで、会話が始まることはない。
「朝からまた剣を振り回しておったな、マリー」祖父は、少し頑固な高齢の男性だ。
「振り回してなんておりませんわ。ただの基礎体力トレーニングですもの、Opa。女子剣道というものもございますでしょう?」マリーは祖父を真似て茶を啜った。緑茶は苦いので、彼女はいつもミルクを混ぜている。
「そういえば、先日先生が言っていたぞ。お前が学校でとんでもないことをしたとな」祖母が何かを思い出したように、くすくすと笑った。
「Oma、あれは先生の許可を得てのことですわ。それにOpaだって仰ったじゃありませんか。あたしの可愛い孫娘と付き合いたければ、自分の死体を越えてゆけ、と」
「……よく覚えておるな」祖父は新聞で顔を隠した。
「Opaのお言葉ですもの、あたし、いつも一言一句真剣に伺っておりますわ。それに、皆さま楽しんでいらっしゃいました。それが何より大切なことでしょう?」
「今の男どもには血の気が足りん。私なら玉砕の覚悟で挑み、勝利を勝ち取ってみせるがな」九十を超えた高齢とはいえ、マリーに告白した軟弱な政治家の息子たちの姓をマリーが口にするたびに、祖父は軍官学校と戦場で培った技術を、非常に「印象深い」形でその若造たちの脳裏に刻み込んでいた。
「あたしも同感ですわ。でも、まだお二人と一緒にいたいですもの。お姫様に勝てない騎士など、今のところ必要ございませんわね」
「まあ、外国育ちの子は本当に活発ね」祖母が口元を抑えて笑う。
「お母様に教わったことですわ」マリーは再び、ミルク入りの緑茶を飲んだ。
マリーが通っているのは、進学校の中でも特にレベルの高い高校だ。貴族という身分も相まって、彼女の発言は教師たちの間でもある程度の重みを持っていた。
理数系科目は、インターネットで類似問題を探し、練習することで習得する。歴史は得意分野だ。貴族の多くは、歩く歴史教科書のようなものだからだ。英語にいたっては、ドイツ語圏出身の彼女にとって文法は笑えるほど単純だった。
もちろん、自分一人では解決できない問題に直面したとき、マリーには「最後の手段」がある。
「優子? ケーキを召し上がりに行きませんこと?」小悪魔のような微笑を湛え、電話をかける。
「……目的は」電話越しに冷ややかな声が響き、マリーは思わずほくそ笑んだ。
二人はカフェで待ち合わせた。優子が到着した時、マリーはすでに二人分のケーキとコーヒーを注文し、会計も済ませていた。
「この問題、あたし、少々分かりかねますの」マリーはノートパソコンを開き、苦手な問題を優雅に指差した。
「……貸して」優子はコーヒーを一口飲み、マリーの画面を無表情に覗き込んだ。
「流石は学年一位ですわね」マリーが称賛する。
「成績に固執するなら、家庭教師を雇えばいい」優子の問いは簡潔だった。
「家庭教師など雇いましたら、常に誰かに監視されることになってしまいますわ。そんなの、真っ平ですもの」マリーは笑いながら、コーヒーにミルクを加えた。
「もったいないわね。あなたなら、もう少し努力すれば全校一位も狙えるし、運が良ければ奨学金で名門大学にも行けるのに」
「ええ、左様ですわね。でも、そんなの面倒ですわ。あたし、お金には困っておりませんし、それに貴族たるもの、毎日を優雅に過ごさなきゃいけないものなのよ」
「放課後にいつも壁を乗り越えて帰るお嬢様の台詞とは思えないわね」
「正門から出ましたら、家柄も育ちも宜しい殿方たちが、バラを手に待ち構えていらっしゃいますもの」
「……交通の邪魔」優子が短く、断定するように頷く。
「でしょう? それに、中にはOpaに銃剣で追い出される手合いも混じっておりますし」
「……あなたは、恋愛に憧れたりしないの?」優子がコーヒーを啜りながら、淡々と聞いた。
「優子、あなたにはそのようなお相手がいらっしゃいますの?」
マリーが悪戯っぽく笑い返す。
「いない。ありえない」優子の瞳は凍りついたように静かだった。
「あたしも同じですわ。理由は同じ。戦場も同じ。あたしのエネルギーは、アニメのように世界を救いながら情熱的な恋に身を投じるほど、余っておりませんの」マリーはカップを置き、角砂糖をいくつか放り込んだ。
「私だって、憧れたことはあるわ。……でも、それは昔の話」優子が自嘲気味に、冷たい吐息を漏らした。
「意外ですわね。あなたは初めからそのようなお方だと思っておりましたわ」
「……過去の私は、どこかの戦場ですでに死んだ」
「左様でございますのね。日常においては、あなたはただの一般人。でもあたしにとっての愛は、常にハエを引き寄せるケーキのようなものですわ」突如、一匹のハエが優子の手元に飛んできた。
「……今回は、少し危険」優子が無機質な声で呟いた。
「次は虫をテーブルに上げないでくださる? 気持ち悪いですわ」マリーはケーキをフォークで刺し、一口食べて眉を寄せた。
「ハエは感覚が鋭い。隠密性も高い」
「ケーキは甘味の芸術品ですわ。お姫様のように扱わなくてはなりませんのよ」そう言うと、マリーは食べる速度を上げ、口角についた生クリームを丁寧に拭った。
【註解 / Glossar】
Opa (オパ):祖父。
Oma (オマ):祖母。
Das Lied fängt an!:ドイツ語で「歌が始まる!」の意。




