和睦
翌日、バーモント伯爵は使者をたて、午後からは自ら出向いて和睦の交渉にあたった。
国王夫妻とその一人娘である王女、国の重鎮が並ぶなか、話を纏めていく。
「……では、この様に進めていきたく存じます」
「うむ。致し方あるまい」
国王は不満気な声で、それでもこちらの要求を呑んだ。
引かれた国境をずらし、領土を割譲するのだから不満に思わない訳が無い。それでもこれ以上長期に渡る戦を継続するには蓄えが乏しい。
それが和睦を呑む理由だ。
書類仕事を進める間、バーモント伯爵は視界の隅に王女の姿をとらえていた。
美しい女性ではある。
一人娘という事は次期王位継承者であるから、この場に列席するのも解る。
しかし、これまで一切の発言が無い。
負け戦の和睦交渉など、王位に就く予定の者にとって得難い経験となるはずである。
一言の意見、要望などあってもおかしくは無いのだ。たとえそれが通らないものであっても。
(もしや……いや)
バーモント伯爵は頭に浮かんだ考えを振り払った。
一見して箱入り娘然としたこの王女が、あの上品な口調で下劣な言葉を紡ぎだした『彼女』なのではないのかと、一瞬考えたのである。
言葉を発しないのは声を聴かせない為ではなかろうか、と。
バーモント伯爵は和睦交渉の最後まで王女の声を耳にする事は無かった。
「あの女は居たか!?」
「……レスター将軍、居る訳無いでしょう?」
「ぐぬぬ……」
バーモント伯爵はその後数日の間王宮へ出向き和睦交渉に従事した。
その間折りを見ては『彼女』の正体を探ろうとした。
別に『彼女』を発見したからといって害するつもりは無い。ただ、言葉を交わしてみたかった。
しかし、どこの誰に訊ねても判らなかった。あの上品で艶やかな口調は平民のものとは思えなかったのだが、さりとてあの下劣な言葉を上流社会の者が口にするだろうか?
バーモント伯爵の探索は結局実を結ぶ事は無かった。
そして和睦は成り、『彼女』を見付ける事が出来ず悔しがるレスター将軍をなだめながら軍は故郷へ戻った。
後年、バーモント伯爵は回顧録にこの戦の思い出を綴っている。
…………
……『彼女』が何者であったのか、結局判らず仕舞いだった。
あの戦で将兵の全てが『彼女』の声を耳にし、いったいどの様な女性であるのかと想いをはせた。
戦場での散り際に故郷を思い描かず『彼女』を幻に視て果てた者は少なからずいたであろうし、故郷に戻れた者は『彼女』の話を折りにふれて語っただろう。
我々は勝った。
勝ちはした。
……勝っただけだった。
敵国の、顔も名も知らぬたった一人の女性に我が軍は夢中であった。たった一人の女性に我が軍は手玉にとられた。
雪降る夜は今でも『彼女』の声が私の耳をくすぐる。
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──あら、もう夜明けなのね。
お別れの時間だわ。
こんなお喋りに最後までつき合ってくれるなんて優しいのね貴方は。
……でも大丈夫かしら?今日も貴方は戦わなければならないのでしょう?
寝不足が理由で死んでしまうかもしれないわ。
死ななくても大怪我をするのでしょうね。
知ってる?貴方が冷たい地面に横になって痛い痛いと泣いてる時……
……貴方の奥方は貴方のベッドで他の殿方にまたがって鳴いているのよ。
でも仕方無いわ、だって貴方は戦場で娼婦と寝たり田舎娘を犯したりしてるんですもの。奥方を責められはしないわ。
責めるとしても生きて帰れたならの話よね。
……貴方が生きていたならまた夜にお逢いしましょう。
貴方の敵より愛をこめて。
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───────────────終。