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後編

 アンソニーが腕を組んでリュカを睨みつけた。


「ほら、言っちまえよ、リュカ。大丈夫だって」

「で、でも」

「でもじゃねえ。結婚するならどっちにしろ隠しておけねえだろ」

「結婚したらこちらのものだ! でも結婚前で嫌われたら取り返しがつかないじゃないか。逃げられでもしたら」

「今だってもう逃げられそうになってんじゃねえか!」


 話についていけずにセシルが目を白黒させていると、アンソニーがぐっとセシルに顔を近づけた。アンソニーはかつてないほど真面目な顔をしていた。


「セシル嬢! 真剣に聞いていただきたい。リュカの悩みは男にとっては普通のことなんだ。あいつが特別ヘンなわけじゃない」

「やめろアンソニー! 嫌われたくない! というかセシルに近づくなウジ虫め!」

「うるさいそれなら腹を決めろ! セシル嬢、リュカの行動は意味不明だと思ったんじゃないか?」


 セシルがコックリと頷くと、アンソニーは首を縦に振ってニヤリと笑い、リュカは顔を真っ赤にしたままうなだれた。


「あの、リュカ様……わたくしを嫌いになったのではないのですね?」

「そんなわけない、ありえない」

「では、わたくしと結婚したくない理由はなんなのですか?」

「え。結婚はしたいよ、もちろん」

「え?」

「ん?」


 ──リュカ様、婚約破棄したいって言ったわよね?


 アンソニーは額に手を当てて大きくため息をついた。


「普通はそう考えるよなあ……結婚したいのに婚約破棄って意味不明すぎ」

「え、え? あの、リュカ様?」

「……別に婚約は結婚するのに必須ではないだろう。僕の祖父だって婚約期間なしで結婚しているし」

「リュカ様、わたくしと結婚してくださるのですか?」

「当たり前だよ! 僕がそれをどれだけ待ち望んでいるか……」


 リュカは物憂げに髪をかき上げて、チラリと横目でセシルを見た。アンソニーはリュカを鼻で笑って肩をすくめた。


「つまりな、セシル嬢。このアホは婚約破棄したのち、予定通り10ヶ月後に君と結婚するつもりだったんだぜ。んとにアホだな」

「アホアホ言うな、仕方ないだろう! これしか思いつかなかったんだ」


 セシルは首を傾げた。アンソニーの説明を受けてもっとわけがわからなくなった。


「では、リュカ様はなぜ婚約破棄をしたいのですか?」

「そ、それは……」


 リュカの目が不自然に泳ぐ。


「……。もしかして、他のご令嬢と一時の恋を楽しみたかった、とか」

「違う! そんな不埒なこと僕は考え……いや、不埒だ……僕は不埒なんだ、すまないセシル……」

「落ち着けリュカ、また勘違いされっぞ」


 ずーんと落ち込むリュカをアンソニーがまたポコッと叩いた。


「このところリュカ様はわたくしとろくに顔もあわせて下さらなくなりました。ですからリュカ様はわたくしのことが嫌いになったのだと思ったのです」

「違う、違うんだセシル、許してくれ」

「リュカ様、お願いです。教えてくださいませ。──どうなさったのですか? 婚約破棄はなんのためなのですか?」

「……僕を嫌わないでくれるかい、セシル?」

「ええ。お約束します」

「ホントに、本当だね? もう嫌がっても結婚はしてもらうよ? 逃げても拉致するよ?」

「……ええと、はい」

「リュカ、脅すのヤメロ。大丈夫だセシル嬢、犯罪的なことじゃない。少なくとも今は」


 あまりの念の押しようにセシルは不安になったが、それを心の中でねじ伏せて頷く。するとうなだれていたリュカは真っ赤なまま顔をあげて、口を手で隠し、意を決したかのように語り始めた。


「……婚約者であれば、君のそばにいる時間が長くなるだろう? それに、もう耐えられなかったんだ」

「……」

「耐えられなかったんだ。君のそばにいると──興奮して押し倒したくなる」

「……ハイ?」


 セシルは真っ白になった。さすがにその意味がわからないほど無知ではない。

 リュカはボソボソと言い訳をするように早口で言葉を紡いだ。


「数ヶ月前──冬に、社交シーズンのはじめに君と久しぶりに顔を合わせてからずっとなんだ……手に触れるだけでたまらなくなる、視線が合うだけで、声を聞くだけで君を欲しいままにしたくて耐えられなくなる。以前は君を愛おしく思ってもここまで興奮することはなかったのに。どうして君は僕をこんなに誘惑するんだ」


 リュカはくるりとセシルに背を向けた。


「今もそうだ……僕だって男だ、耐えられない。ダンスなんて論外だ。君を抱き寄せて、劣情が止まらなくなったらどうするんだ。結婚前だというのに君を無理矢理汚してしまったらと思うと……ああ汚してしまいたい……じゃない、それはダメだから」


 セシルはぽっかりと口をあけた。令嬢らしからぬ間抜けな顔をしている自覚はあったが、予想外の告白にあいた口がふさがらない。

 背後から見てもリュカが葛藤しているのが見て取れた。


「君は昔、紳士な僕が好きだと言っただろう。だから、こんな本心をさらけ出したら嫌われると思って……君から離れたかった。結婚して、押し倒すのが許されるまで。離れれば僕は紳士でいられるから」


 必死なリュカの言葉に、セシルは口を開いた。けれどもなにも言葉が出てこない。リュカの言葉はこの上なく正直でこの上なく真摯なのにこの上なくいかがわしいのが不思議だ。さらっとすごいことも言われている気がする。


「すまない、すまないセシル! 嫌わないでくれ、頼む」


 リュカの懇願に、セシルはハッとした。ちらりとアンソニーを見ると祈りを捧げるような奇妙なポーズをとっていて目でセシルになにかを訴えている。たぶん、嫌わないでやってくれという意味なのだろう。

 体から力が抜けて、セシルは思わず笑った。リュカの言葉はこの上なくアレだ。アレだが、少なくともセシルを大切にしようと奮闘している。だから嫌いになることなど、ない。


「リュカ様。嫌いになったりしません。だからこちらを向いて下さい」

「だ、ダメだ! もし万が一のことがあったら」


 セシルは立ち上がって、リュカに近づいた。もう体の震えは止まった。心の痛みが嘘のようになくなって、涙を流した目と心がほんのり熱い。


「リュカ様」

「な、セシル! 手を離せ」


 セシルがリュカの手を掴むと、リュカはまだ赤い顔を必死でそらしてセシルを振り払おうとした。

 アンソニーがポンと手を打った。


「なあ、リュカもセシル嬢に触れたいだろ?」

「当たり前だ」

「抱きしめるくらいはしてもいいんじゃねえの。そんくらい普通だろ、婚約者として」

「抱きしめるだけでは止まらなくなったらどうするんだ。結婚前なんだぞ」

「大丈夫だ、心配するな。俺にまかせろ。暴走したら殴って息の根を止めてやるイヤ違う、気絶させてやる」


 リュカはカッと目を見開いて顔をあげた。目がキラキラと輝いている。そしてアンソニーの方を向いてうんうんと頷いた。


「そうか、それなら安心だな! セシルを傷つけたくないから早めに頼むぞ! それなら婚約破棄もしなくて済む。セシル、いいか? いいな!」

「ハイッ! ……はい?」


 勢いに押されて思わず頷いた次の瞬間、セシルはぐいっと手を引かれてリュカに抱きしめられていた。


「ああ、セシル、セシル……好きだ……ずっとこうしたかった」


 リュカの顔が髪に埋められてセシルはくすぐったくなった。軽やかな声を立てて笑った。


「リュカ様。わたくしも、お慕いしております。誰よりも、なによりも」

「セシル!」


 セシルはさらに強く抱きしめられた。そのまま素直にリュカの胸に顔を埋めて、背中に手を回す。ここ数ヶ月の中で一番幸せで、一番晴れやかな気分だった。

 ダンスをするときのようにリュカがセシルの腰に手を置いたところで、ふとセシルはクリステンと踊っていたときのリュカを思い出した。


「リュカ様、本当にクリステン様とはなにもないのですか?」

「もちろん。……うん? 言い寄ってこられたような気もする、かな?」

「……。リュカ様、クリステン様と踊っているとき嬉しそうな顔なさってましたよね?」

「そりゃ嬉しかったよ。だって彼女には興奮しないから。彼女と踊っているときは、僕はなんの努力をしなくても君の愛する紳士の姿でいられたし」


 リュカは固まったセシルを強く引き寄せて、思う存分セシルの腰を撫で回しながらうっとりと呟いた。


「彼女にも他の女性にも全く反応しないんだよね、僕。だから他の子とは踊っても平気だったんだけど……それにさ、社交界の花と言われるクリステン嬢にも興奮しないという事実が、僕はセシルしかダメなんだっていう事実がまた嬉しくて。ふふっ」

「……。…………。………あの」

「セシル」


 リュカの腕が緩んだかと思うと、セシルは顎を持ち上げられた。

 リュカと目が合った。

 その瞬間、セシルはリュカの視線に絡め取られたように硬直した。熱い息が喉に詰まって体が震える。リュカの目は熱を宿していてぎらぎらと情欲に濡れていた。うぶなセシルにも伝わるほどの熱。その灼熱がセシルを焼け焦がしていくかのような、そんな感覚が体を貫いた。目が、離せない。


「愛しているよ、セシル」

「んっ」


 上からゆっくりと唇が降ってくる。はすかいに合わされた唇と唇が一部の隙間もないというほど密に合わせられて、セシルは微かに声を立てた。去年までのついばまれるようなそれとは違う、もっと熱のこもったキス。

 セシルは後頭部を押さえられ、抵抗ができないままリュカにむさぼられた。息が苦しくなって唇を開くとぬるりとリュカの舌が入ってきた。そしてリュカは空いている方の手でセシルのスカートをまさぐり、そのまま布を引き上げて──


「はいストーーーーーップ!!」

「ぐわっ!」


 いきなりリュカが後ろにのけぞったかと思うと、鈍い音と共にうずくまった。セシルの目の前ではアンソニーがにこやかな笑顔で拳をつくっていた。

 セシルは真っ赤になって顔を手で覆った。アンソニーがいたことを忘れていた。人前で、恥ずかしい。


「セシル嬢。リュカのこと、頼むよ。アホなやつだけど」

「……はい」


 セシルは手で顔を覆ったまま、頷いた。

 宮殿の方から人の声がたくさん聞こえてくる。招待客がみな帰っていくのか、きっとそろそろお開きなのだろう、とセシルは思った。

 今の人々のざわめきは、恥ずかしくも心地よく聞こえた。





fin

※裏題:性欲に耐えかねて婚約破棄します/紳士と野獣、紳士が野獣


 読んで下さった方、ありがとうございました。もしかしたらそのうちリュカ視点やアンソニー視点のお話も書くかもしれません。


***


<役者紹介> ※ネタバレあり


○セシル

 この物語の主人公。おとなしめの普通のご令嬢。気もあまり強くない。リュカのことが好き。


○リュカ

 セシルの婚約者。セシルのことが好きすぎて性欲が暴走気味。説明が足りない&思いこみが激しい系ミラクルアホ男子。


○アンソニー

 リュカの幼なじみで親友。口は悪いが面倒見がよくて常識的。リュカの暴走を止めるストッパー役。


○クリステン

 妖艶な美女、自信家。リュカに惚れており、絶対に落とそうと意気込んでいる。

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