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前編

初投稿がこんなノリで良いのだろうか。どうぞよろしくお願いします。

 舞踏会が最高潮を通り越してしばらくしたころ、夜もすっかりふけてチラホラと帰る招待客も出始めたころに事件は起きた。


「──もう我慢の限界だ。セシル、婚約を破棄しよう」


 セシルの婚約者であるリュカはダンスホールの隅で突然そう宣言した。タイミングが悪かったと言えばいいのか、曲と曲の間でホールの楽師団がちょうどなにも演奏していなかったため、リュカの声は妙に響いた。

 二人の周囲の客はざわりとどよめいて、好奇の目で二人を見る。

 セシルは目を丸くして婚約者が顔を歪ませるのをぽかんと見つめた。それから言葉の意味を理解したのか徐々に青ざめていった。


「君は本当に男心がわかっていない。それが昔は可愛らしく思えたけれど、今は十分に大人だろう? それだというのに……耐えきれない」


 セシルは真っ白になった。この優しい人にここまで嫌われてしまっていたのか。呆然とする中でじわりと胸に痛みが広がる。

 今年の社交シーズンが始まって以来ずっと、リュカの様子がおかしかった。セシルと目が合うと嫌そうに顔を背けるようになった。パーティーでセシルをエスコートしていてもいつも気がそぞろで一緒に踊る時は表情がこわばっていた。どうしたのかとセシルが尋ねても返事もろくにしてくれなかった。

 そしてついには──ダンスさえも踊ってくれなくなった。リュカはダンスの音楽が始まる前にふいっとセシルを置いて行ってしまい、壁際で一人ぽつんとするセシルの目の前で他の令嬢たちと踊るようになった。

 予兆はあったのだ。でも婚約破棄までされるとは思ってもいなかった。


「リュカ様……」

「そんな目で見ないでくれ。僕も悪いのかもしれないが君だって悪いんだぞ」


 苦々しげにリュカは顔を背けた。こんな時でさえもろくにセシルの顔を見ようとしない。

 セシルはこぼれそうになる涙をこらえて必死に言葉を紡いだ。


「わたくし、なにかしてしまいましたか」

「言わなくてもわかるだろう? あんな風に、男を誘惑するような真似をして」

「ゆ、誘惑?」


 セシルは息を呑んだ。セシルは内向的な性格で、男性に色香を振りまくことなど考えたこともなかった。むしろ婚約者であるリュカに対してでさえも色っぽく振る舞うことができず、それを「そんなんじゃ愛想を尽かされるわよ」と姉にからかわれたことだってあったくらいだ。

 必死で思いだそうとしても身に覚えがない。パーティーではリュカ以外の男性と話すことはあったが、それもつまらぬ世間話程度のものだ。誘惑どころか他の男性と親密になった覚えもない。


「そんな、誤解です」

「気がついていないなら、気がつくべきだった。僕はもう君に振り回されたくない」

「わたくし──」

「セシル。素直に受け入れがたいとはわかっているよ。でもこれは君のためでもある」


 ──わたくしのためって、どういうこと。


 リュカの冷ややかな言葉が胸に刺さって、セシルはついに涙をこぼした。リュカは顔を背けたままでハンカチを差し出そうともしない。その事実が悲しかった。5年前婚約したころは、セシルが少しつまづいただけでもリュカは心配して手をぎゅっと握ってくれたというのに。リュカがわからない。


「あと1年もないだろう、僕たちには」


 ボソッとつぶやかれた言葉がさらにセシルの胸をえぐった。今から約10ヶ月後にリュカとセシルは結婚することになっていた。ひとたび結婚してしまえば離婚するのはたやすいことではない。つまり、リュカは──なんとしてもセシルとの結婚を避けるべく焦っていたのだろう。


「リュカ様」

「もう話しかけないでくれ。無理なん──」

「ちょっと待った! 待てってば、リュカ!」


 その時、長身の男性が人をかき分けて飛んできた。リュカの親友のアンソニーだった。彼はホールの反対側から疾走してきたらしく髪を乱していて、目に困惑の色を浮かべていた。


「リュカ、なに考えてんだ。こんな場所で言うことじゃねえだろ」

「仕方ないだろう、もう耐えられないんだ! アンソニーは知っているじゃないか、いったい僕がどれだけ我慢したかと」

「わかった、わかったから落ちつけ。場所を変えるべきだ。いつもの場所へ来い」


 アンソニーはセシルの肩を優しく抱くと、リュカに背を向けてホールの出口へと向かった。


「なっ、なんだアンソニー、邪魔を──」

「リュカ様! ついに婚約を破棄なさったんですね」


 ひときわ高く響く声にセシルは思わず振り返った。アンソニーの腕越しに、輝くような金髪をした妖艶な美女がリュカに近づいていくのが見えた。


 ──あれは、リュカ様とよく踊っていた人だ。確かクリステン様。


 踊りながら潤んだ目でリュカを見つめる彼女はいっそう美しくて、リュカと踊る彼女を見るたびにセシルは体が引き裂かれるような思いをしていた。リュカも嬉しそうな顔をしていたから、なおさら。


「ありがとうございます、リュカ様。私のためにはっきり言ってくださって。これでやっと……」


 ちらりとセシルを見たクリステンは優越感に満ちた顔で妖艶に笑った。そして豊満な胸を押しつけるようにして、セシルに見せつけるようにリュカに抱きついた。


「……セシル嬢」

「っ、すみません」


 必死でクリステンから顔をそむけたセシルは、涙を我慢することができなかった。アンソニーに差し出されたハンカチを受け取って、涙を拭う。けれど涙はとまる様子もなかった。


 ──リュカ、リュカ様。好きだったのに。


  さすがにもうセシルにも理解できていた。リュカは魅力のないセシルに愛想を尽かしたのだ。そして美しいクリステンに恋をした。それだけだ。たったそれだけ。おとぎ話にもならないような当然でありきたりの物語。

 君のためでもある、というリュカの言葉は確かにその通りなのだろう、とセシルは思った。クリステンに恋焦がれるリュカと無理矢理結婚したとしても上手くいくはずがない。リュカにとってもセシルにとってもつらいだけだ。リュカとクリステンが両思いだというなら、なおさら。


 ──わたくしは、なにを間違えたのだろう。


 セシルはアンソニーに導かれるままに歩きながら、悲嘆にくれた。後ろにしたホールのざわめきが妙に心に残った。



***



 セシルはいつの間にか庭園の奥まったところにある四阿に連れてこられていた。涙はなんとか止まったものの、頭がぼんやりとする。アンソニーがなにか話している気がしたが頭に入ってこなかった。ベンチに座ったままアンソニーの隣でぼうっとしていると、しばらくして足音が聞こえた。


「ったく、リュカめ。だからちゃんと話し合えと言ったのに……おい、遅いぞ! 早く来いバカ!」

「うるさい、なかなかホールから出られなかったんだ! とりあえずそこから離れろ」


 セシルが絶望的な気分で顔を上げると、月明かりとランプで照らされたリュカの姿がそこに見えた。リュカは顔をしかめてアンソニーの肩をつかみ、セシルから守るかのように引っ張っていく。親友を近づけるのも嫌だと思うほど嫌われてしまったらしい。悲しみが極限まで振り切れてしまったのか、もう涙は出なかった。


 と、アンソニーがリュカの後頭部をポコッと殴りつけた。


「だからバカだっつってんだ、お前は。いきなり婚約破棄だなんて言いやがって、ちゃんと説明しやがれ!」

「そんな必要はない!」

「あるに決まってんだろ!? あれでお前の考えが伝わるわけがない、セシル嬢は奥ゆかしいお嬢様なんだぞ!」

「つ、伝わってます!」


 言い争いを始めた二人に、セシルは震える声を精一杯張り上げた。

 これだけ嫌われてしまったのだ、リュカとの関係を修復するのはもう無理だろう。けれども、それならせめて最後くらいは綺麗に身を引いて終わりにしたい。セシルは強く手を握って、必死であふれ出す感情を抑えようとした。

 アンソニーが目を丸くした。


「え……本当に? セシル嬢」

「大丈夫です、もうわかってます。今まで申し訳ありませんでした、リュカ様」

「そうか、わかってくれるんだね。よかった」

「ええ。……け、決して……、わたくし……」

「セシル?」


 涙はもう出ないと思ったのに、また視界が滲むのはなぜだろう。

 セシルは強く目をつぶってベンチから立ち上がった。頑張れ、と自分に言い聞かせて大きく口を開く。


「わたくし! 決してリュカ様とクリステン様の愛を邪魔したりはいたしません、から!」

「へ、クリステン?」

「エ? ……な、待っ、セシル!!」


 逃げようと走り出したセシルの前にリュカが立ちはだかる。引き留められると思っていなかったセシルは驚いて目を開いた。目の前にいるリュカは顔を引きつらせていて、ナゼかへっぴり腰だった。その状態のまま、元の場へ戻れと言うようにセシルに向かって両手をつきだしている。


「……リュカ様?」

「ダメだ、そんな目で僕を見るな! 違う、近づかないでくれ! 静かに元のベンチへ──ああっアンソニーなにをする!」

「なにって、セシル嬢を誘導してるだけだから」


 アンソニーは混乱しているセシルの肩を押してベンチへ座らせると、冷たい視線をリュカへ向けた。


「いいかげんにしろよ、リュカ。だから言ったろ。そんな説明でわかるわきゃねえだろうが」

「だ、だけど! そうだったとしても説明できるわけないだろう」

「このまま誤解されるよりはマシだろうがよ」

「どこがマシなんだ! 言ったら嫌われるに決まってるじゃないか!」

「あ、あの……」


 再び言い争いを始めた二人にセシルはおそるおそる声をかけた。リュカとアンソニーはぴたりとケンカを止めると同時にバッとセシルを見た。


「リュカ様はクリステン様とご結婚なさりたいんですよね?」

「そんなわけない! なんで僕が彼女と結婚しなきゃならないんだ」

「ほーら、言わんこっちゃない」


 リュカは眉間に皺を寄せて、なにかをこらえるかのようにセシルを睨みつけた。アンソニーは鼻を鳴らしてリュカにドスッと肘をいれている。

 セシルはリュカから目を逸らした。違ったらしい。でも、と、いうことは──クリステンは関係なく、リュカが単にセシルのことが嫌いになったということだ。セシルと視線も合わせない、顔を嫌そうに背ける、エスコートするときも隙あらば手を離そうとし、もちろんダンスもせず……そして先ほどセシルを引き留めるときには「近づくな」と言った。

 まるで病原菌扱い。それだけセシルに嫌悪感を持っているということだ。


「ごめんなさい、リュカ様。婚約破棄には同意いたしますし、二度と近づきませんのでどうかお許しを」

「なっ……二度と近づかない!? どうして……」

「え?」


 愕然として青ざめたリュカに、セシルは言葉を失った。顔も見たくない相手と婚約破棄をして二度と近づかないと言われれば万々歳なのではなかったのか。リュカがわからない。

 セシルがリュカの顔をのぞき込むと久しぶりにしっかり目があった。青ざめたまま硬直していたリュカは、目が合うと今度は真っ赤になってぶるぶると体を振るわせ始めた。

 やれやれ、というようにアンソニーが頭を振った。


「つまり、セシル嬢はリュカに嫌われていると思っているんだな?」

「なんでだ! 僕がセシルを嫌いになるはずがないじゃないか!」


 リュカは耳まで真っ赤にして叫んだ。そしてふいっとセシルから顔を背ける。

 セシルは目を点にした。

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