テレヴィ少年 2
アニメのキャラクタァの筈のアァヴィは、膚の質感も何もかも普通の人間と変わらない。僕はクスッと笑って、
「僕はホテルを転々として暮らしてるけど、テレヴィに住んでる人はあんまりいないと思うよ」
アァヴィは真面目な調子で、いやいやそうでもないんだよと言った後で、
「今夜は、なかなか遊び相手が見つからなくて、もう諦めようかと思ってたんだ。良かったよ。ラジニがテレヴィを付けてくれて」
と、僕に照れ臭そうな笑顔を向けた。アァヴィの笑顔を見るのは初めてだが、思った通り感じのいい笑顔だった。僕はアァヴィの側に寄りながら、
「もしかして、良くこんなことしてるの?」と、聞く。
アァヴィは本を並べ終えると、こっちだと言って僕を部屋の隅に呼んだ。
「ああ。夜中なら、テレヴィを見ているのは殆ど大人だから、持ち場を離れても気付かれないんだ。本ばかり読んでたり、一人で遊ぶのもつまらないだろ。テレヴィの中もいいことばかりじゃなくてね。教育テレヴィのパペットは世話が掛かるか、口うるさいかだし、一緒に遊べるような奴は意外といないんだ」
アァヴィは言いながら、壁に手を触れさせた壁の四分の一程の幅が、クルリと奥に引っ込む。回転扉だ。
「隠し扉だよ。小窓も付いていて、どんな人がテレヴィを見ているのか、気付かれずに覗けるんだ」
アァヴィは言いながら、先に立って扉に開いた隙間から出て行った。僕は、最後に部屋を振り返った。背後の壁には、填め込み式のテレヴィが埋まっていた。しかもその画面には、僕がいたホテルの部屋が、映し出されていた。
何か、変な感じだ。僕は前に向き直り、アァヴィを追って壁の扉を通った。
部屋の中は埃一つ落ちていても目立つ程明るかったけれど、扉の外は暗かった。白いリノリウムの床が、真っ直左右に伸びている。
床近くにセピアっぽい暗い明かりがポツポツと灯って足元を照らしている他は、道順や階段などの場所を示す螢光案内板の白い明かりがあるだけだ。
アァヴィが回転扉を押して閉めてしまうと、フッと暗闇に飲み込まれるような気がした。
「楽屋裏って感じだろう?」
秘密めかして、アァヴィは声を潜めた。僕も、うんと小さく頷く。アァヴィの締めた扉の横に、小さなプレェトが掛かっていて、そこには螢光塗料で出版兄弟商会、本の小部屋と書いてあり、ボウッと黄緑色に光って見えた。アァヴィは、
「とりあえず、こっちに行こうか」
と言って、右に向かって歩き出す。すぐ隣のプレェトは、白いままだった。廊下の反対側にも扉があって、資材室や資料室の文字が見える。
アァヴィは少し進んだ後で壁の側に寄り、プレェトの上を指で滑らせた。サッと明るい光が洩れてくる。プレェトにはマジックペンで、スポォツ協会賛奨の文字が入っている。番組の提供社で、ペン書きなのは短期契約だからだろう。思った通りで、中を覗いていたアァヴィが、
「昼間のサッカァ試合の録画だ」
と言って、僕に譲ってくれた。大人なら腰を屈めないと、子供なら背伸びしないと駄目な位置に窓はあった。部屋の中を覗くと、据え付けられた薄型テレヴィの後ろ側が見えた。
テレヴィの後ろの床には、DVDデッキが置いてあり、ディスクが回っているのが表示から分かった。テレヴィの両脇には、大きなスピィカァがあるようだ。
画面は見えないけれど、アナウンサァのゴォルと言う叫び声と、観衆の歓声が聞こえたので、サッカァ中継だと分かる。
しかも、録画。
僕は爪先立ちしていた足の裏を床に付け、小窓の戸をスライドさせて閉めた。途端に、サッカァ試合の音は一切消えてしまう。
アァヴィは既に廊下の先に進んで、僕を待っていた。
「これは、映画の専門チャンネル」
今までの物より覗き窓は横に広かったので、僕とアァヴィは並んで部屋の中を覗くことが出来た。一番先に目に入ったのは、殆ど目の前にあった壁際のスチィル棚に積まれたリィルだった。
リィルと棚の隙間から中を伺うと、天井からスクリィンが下がっていて、その前に映写機が置いてあるのが見える。
映写機はカタカタと回りながら、スクリィンに白黒の映像を送り出していた。映写機で映す為に、部屋には電気が点いていない。
それですぐには気付けなかったが、部屋の中には人がいた。その映写機を睨むようにして、壁際の椅子に老人が一人腰掛けていたのだ。
アァヴィが僕の耳許で、囁く。
「映写技師のお爺さんだよ。この業界では映写機を扱えるのは、もう彼一人なんだ」
映画館に映写技師がいるように、テレヴィの映画館にも映写技師が詰めているのだ。見えないところで支えている人がいるのだと、僕は改めて思った。
映写機やそれを扱う人の姿が見えないように、スクリィンとそれに向き合う形で壁に切り取られた窓は高い位置にあった。
窓、と言うか、テレヴィの画面の中には、ソファに身を寄せ合った老女と老人がいる。二人ともナイトウェアを着て、同じくらい皴の深い顔に、穏やかな表情を浮かべてこちらを見つめている。
アァヴィがソッと僕の耳に口を付けて、
「あの老夫婦は、深夜の古い映画を、いつも二人で見るんだ。こっちから見える光景の方が、映画みたいじゃない?」と、言う。
老人の膝の上に老女は片手を乗せて、その手の上に老人も手を重ねていた。映画を見て昔のことが思い出されたのか、老女が微笑みながら夫に何か言った。老人の方もそれを聞くと、微笑みながら妻の耳に何か囁き返した。
色々なことのあった人生の最後に、こんなに満ち足りた時間があるなら、老いると言うのも悪くない。きっと色々あったからこそ、今がこんなに充実しているのだろう。僕も、
「素敵だね」
と、ソッと返す。
自分の仕事に誇りを持って今も尚働いている老人と、引退して慎ましくささやかな幸せを噛み締めている老夫婦と。二組の幸せな老後の形をその場に残し、僕とアァヴィは部屋の前を離れた。
僕は声を潜める必要がなくなったので、
「窓の向こうが誰かの家のテレヴィってことは、テレヴィ一台一台に対応するこんなスタジオがあるの?」
と、質問した。アァヴィは、まさかと言った後で、隣のブゥスの前に移り、ポケットからペンライトをとり出した。廊下のところどころには張り紙がしてあり、螢光案内板の下ならそれらの文字も読めるが、そこは暗くて懐中電灯の助けが必要だった。
アァヴィは、タイムスケジュゥルで確認した後、壁の戸をガタガタ言わせた。アァヴィは満足そうに、
「ちょうどいい。鍵も掛かってない。高価な物や危険物のある部屋は鍵も掛けるけど、ここは平気みたいだ。もう番組が終了してるから、この空きチャンネルで説明して上げるよ」
と言って、横に滑る扉をガタンと開けた。部屋の中はほぼ真っ暗だったので、アァヴィのペンライトが役に立った。部屋の中には、理科室の実験机みたいな流しの付いた机が造り付けになっていた。
「テレヴィショッピングのスタジオだね」
アァヴィはそう言って、さっさか部屋の奥まで行くと、テレヴィの窓を塞いでいたパネルを外した。ライトにチラリと照らされたパネルには、今日の番組は全て終了しましたと言う文字が書いてあった。
アァヴィは壁の一部を押して、細長いリモコンを取り出すと、黒い画面に向かってボタンを押し始めた。
「この番組を付けているテレヴィが、こうすると映るんだ。たまに付けっ放しになってたり、間違えて予約で電源が入ってたりすることもあるんだけど、ああ、ほら、やっぱりあった」
アァヴィが、嬉しそうな声を上げる。ただ黒かった画面には、今は暗い部屋が映っている。ソファに、低いテェブル。そして・・・。
僕は危うく、ひっくり返りそうになった。いきなり大きな犬の頭が、ヌッと画面の前に突き出されたからだ。
「ははん。お前がテレヴィを付けた張本人だな。犬とか猫って、チャンネルを踏んでテレヴィを付けるから、チャンネルの置き場所には気を付けないといけないんだ」
口の脇の肉がだらんと垂れた毛むくじゃらの大型犬は、アァヴィを見ても吠えるでもなく、嬉しそうにしっぽを振っている。番犬にならない人懐っこい犬なのか、テレヴィに出て来る人間は危険じゃないと知っているからか。
アァヴィは、よしよしいい子だと言いながら、床に落ちているチャンネルに向かってお手と言った。犬は、頭を下げて指されたチャンネルに鼻を近付ける。押すんだ押す、とアァヴィが叱り付ける。
犬は鼻でチャンネルを小突き回していたが、再び画面は真っ暗になった。僕は、
「電源が偶然切れたのかな?」 と、聞く。
「いいや、番組が変わっただけだね。しょうのない奴」
アァヴィは言って、クスクス笑う。これで、こちらから見えるテレヴィの謎は解けた。
僕は犬が苦手で、驚かされた為、ブラブラと部屋の中を見て回り始めた。アァヴィはまだボタンを押し続けていると思ったら、不意に素っ頓狂な声を上げた。
「僕らぐらいの年の子供だ。寝ちゃってる。大人は何してるんだろう。留守なのかな?」
僕も慌てて、テレヴィの方に向き直る。一人掛けのソファに深く身を沈めたその子を見た時、最初僕は人形だと思った。
フワフワのスリッパに、脛まであるネルのパジャマ、お揃いのナイトキャップまで被った少年に、僕は見覚えがあった。僕も思わず、頓狂な声を出してしまう。
「イリスだ」
それは、先生の御供でヨシュア大学に行った時に出会った少年だった。隠れん坊をしたまま、そのままいなくなってしまった男の子。アァヴィが、
「ラジニの友達?」と、聞いてくる。
僕は友達になったつもりなので、うんと頷いた。
「それならちょうどいい。起こして一緒に連れて行こう」
アァヴィは言うなり、テレヴィの枠に手を掛けた。首だけ最初に突き出して、他に誰の姿もないか確認する。
「大丈夫だ。誰もいない」
アァヴィは首を戻して僕にそう言った後、枠に掛けた手で身体を持ち上げ、枠を乗り越えた。僕も、アァヴィに倣う。久しぶりにイリスに会えたので嬉しかった。
「ラジニ、気を付けて。テレヴィの前に発条とかボルトが置いてある。僕は、一つ蹴落としちゃったよ」
「工学部の教授の知り合いの子供みたいだ。大学の部屋にも設計図とか、色々置いてあったよ」
僕らの話し声で、イリスは目が覚めたようだ。目を擦りながら、
「教授? ルパァト?」
と、寝ぼけた声を出す。




