ep.1 身分差婚がしたいなら、魔王を使います
◇◇◇
私の名前はリト。私は、化け猫の国のユリジェンヌ侯爵邸で暮らしていた。
それは一見、奇妙な暮らしだった。
私には両親がおらず、屋敷で一緒に暮らしている家族は大伯父だけだった。
しかし、私がそれをおかしいと思うことはなかった。
大伯父は私のことをとても可愛がってくれたし、屋敷の使用人たちは私のことを大切にしてくれたからだ。悪魔の国で暮らしている祖母も、頻繁に私に会いに来てくれた。
そんな日々に私は満足していた。しかし、成長するに連れて疑問を感じるようになった。
――なんで私には両親がいないのかな? 私の親はどこにいるんだろう? そもそも、なんで私には人間の血が混ざっているのかな?
祖母のマリアンヌは悪魔と結婚した。だから、私に悪魔の魔力が流れているのは納得できる。
――でも、なんで人間の血が流れているの? 人間って、魔界じゃなくて人間界で暮らしてるんじゃないの?
八歳になったとき、私は大伯父に疑問を全部ぶつけた。すると、大伯父は深いため息をついた。
「それにはな、マリアンヌの結婚話をしなくちゃいけないな」
「お祖母様の結婚話? そういえば、お祖母様はなんで男爵となんか結婚してるの? 最下位爵位の男爵なんか釣り合わないわ」
化け猫の国は家柄至上主義だ。私は大伯父からこう言われて育った。
――家柄は何より大切だ。ユリジェンヌはこの国の三名家の一つだ。いいか? リトはユリジェンヌだ。
私が首を傾げると、大伯父は語り出した。
◇◇◇
「はあ!? マリアンヌ! お前、今、なんて言った!?」
私が珍しく大声を上げて聞き返すと、妹のマリアンヌは微笑んだ。
「だから、『私は悪魔の国のエルシオン=オン=マリン男爵と結婚する』って言ったのよ」
「だ……男爵だって!?」
――なんで男爵となんか結婚するんだ!? お前はユリジェンヌ侯爵令嬢だ。相手なんて選び放題なんだぞ!?
事態が飲み込めずに私が固まっていると、マリアンヌは幸せそうに笑った。
「悪魔の国のパーティーにこの前行ったのよ。そこで、エルシオン男爵に会って一目で気に入ったわ! だって彼、凄く美しいんですもの!」
「……はあ?」
「私、"結婚相手は美形にする"って決めてたのよ」
「お前……何を言っているんだ?」
私が半ば呆然として問いかけると、マリアンヌは私を睨んだ。
「そもそも、原因はお兄さまよ!」
「……は? 私?」
「お兄さまは『魔界一美しい男』、『彼のスカイブルーの瞳とダークブラウンの髪はもはや文化財』とか言われてるじゃない? そのせいで、私の顔面基準はおかしくなったわ! どんな男性を見ても、なんだか今いちなのよね……」
「それで?」
「でも、エルシオン男爵を見たときに、初めて思ったのよ! なんて美しい男性なんだろうってね。彼はお兄さまに負けないくらい美形なのよ! しかも、楽器の名手なの!」
マリアンヌが瞳を輝かせると、私は妹を怒鳴った。
「何を馬鹿なことを言ってるんだ!」
双子の妹のマリアンヌとは、生まれたときから仲が良かった。喧嘩をしたこともなかった。私が彼女を怒鳴ったのは、生まれて初めてのことだった。
「マリン? 聞いたことない家門だ! 男爵家とかありえん! 結婚するなら名門にしとけ! お前が本気で好きなら、名家と繋がりがある子爵家までだったら、譲歩してやる! だがな、男爵なんて底辺爵位だぞ?」
私がさらに声を荒げると、マリアンヌは不思議そうな顔をした。
「お兄さまってば。私、夫の権威なんてなくても無双できます」
「頭を冷やせ!」
◇◇◇
マリアンヌは怒って部屋を出ていった。
翌日、私はマリアンヌの侍女から衝撃的な報告を受けた。
「これからしばらくの間、マリアンヌ様は悪魔の国で暮らすそうです。滞在先はゴスメーデ公爵家です。公爵夫人がマリアンヌ様を招待して、半年の長期滞在が決定しました」
私は驚愕して、すぐに公爵家に連絡鳩を飛ばした。
連絡鳩はすぐに帰ってきた。公爵からの手紙をくちばしに咥えていた。
私は急いで内容を確認した。
――マリアンヌ=オン=ユリジェンヌ侯爵令嬢から全てを聞いたよ。彼女は責任をもって我が家で預かる。安心しなさい。絶対に彼女をエルシオン男爵とは会わせないから。
手紙を読んで、私は安堵した。
――無名の男爵なんて、マリアンヌとは釣り合わない。妹はユリジェンヌだ。価値観だって合わないに決まっている。そもそも、マリアンヌは顔と楽器の腕しか見ていない。上手くいくはずがない。
しばらくすれば、マリアンヌは頭を冷やすだろう。ひとまずゴスメーデ公爵家に妹を預けよう。
私はしばらく様子を見ることにした。
このときは分からなかったのだ。私はすでに、マリアンヌの仕掛けた罠の中にいたのだと。
◇◇◇
マリアンヌがユリジェンヌ邸を出て行ってから、約三カ月が経過していた。
その間、私は妹とは連絡を取っていなかった。普段は冷静な自分が、ときどきイライラしていることが、自分でも信じられなかった。
――あいつはいつになったら帰ってくるんだ。
私が部屋で書類仕事をしていると、秘書が部屋に血相を変えて飛び込んできた。
「大変です! ユリジェンヌ侯爵様!」
いつもは礼儀正しい彼が、ノックもしないで扉を開けた。これはただ事ではない。
――一体、何があった?
「落ちついて、一から私に話せ」
内心では少し身構えつつ、冷静な声で命令すると、秘書は青い顔で語り出した。
「マリアンヌ様が、悪魔の国の王城図書館の司書に任命されたんですよ!」
「はあ? マリアンヌは化け猫だ。外国人がなんで王城図書館の司書になるんだよ」
「悪魔の魔王様が、マリアンヌ様を王城図書館の司書に任命なさったんです! 魔王様直々に!」
「はあ? なんでだ?」
私が目を見開くと、秘書は青い顔のまま続けた。
「マリアンヌ様は、物語の創作がお好きでしょう? 時折サロンを開いては、ご自身で作られた物語を語って、招待した化け猫貴族の女性たちを虜になさっていたじゃないですか?」
「そんなことは知っている。けど、それが悪魔の魔王様とどう繋がるんだ?」
「マリアンヌ様は、公爵夫人の力を借りて、悪魔の魔王様に何度も謁見したとか。その度に、続きが気になる面白い話を魔王様にされたそうです! もちろん、自作ですよ!」
「それで?」
「魔王様は続きが気になり、頻繁にマリアンヌ様を呼び出したそうです。お気に入りになったところで、マリアンヌ様は魔王様に『私、もう少ししたら化け猫の国に帰らなくてはいけないんです。そしたら魔王様にこんなに頻繁にお会いできなくなりますわ。ゴスメーデ邸と王城は近いのに、ユリジェンヌ邸と王城は離れてますからね。隣国ですが距離があって寂しいです』と言ったんです」
「へぇ……。つまり、"続きが気になってもすぐには聞けないよ"って意味か」
「はい。さらにマリアンヌ様はこう言いました。『悪魔の魔王様ほど私の話を気に入ってくださる方はいらっしゃいません。私、これからも魔王様に物語を語りたいです。陛下にお仕えしたいです』と」
「それで? まさか、魔王様がそれを承認して、マリアンヌを王城図書館の司書にしたのか?」
「はい! そうです! 魔王様は『名門のユリジェンヌが側に仕えてくれるなんて嬉しいぞ。司書になって、私のために物語を作って本にしろ。就任祝いで褒美は弾む』とおっしゃられました」
「……その話を聞いただけだと、マリアンヌは悪魔の魔王様に気に入られて、仕事まで手に入れたということだ。ユリジェンヌに利益があるが、お前はなんで顔面蒼白なんだ?」
秘書は今にも卒倒しそうな顔で口を開いた。
「マリアンヌ様は魔王様に『どんな豪華な褒美より欲しいものがあります。それは、魔王様からしか頂けないのです』と言いました。魔王様は当然、『それはなんだ?』と聞きました」
「で、マリアンヌは何を要求した?」
「マリアンヌ様は魔王様にこう言ったんです。『私、エルシオン男爵が好きなんです。彼を夫にしたいんです。私に男を下賜してください』と」
「なんだって!?」
「マリアンヌ様は魔王様に『兄のせいで美形としか結婚できない。男爵とか関係ない。家柄も美貌も全部私が持っている。私はユリジェンヌですから。それに結婚すれば、悪魔の国に住めます』とかなんとか言ったそうです」
「……なんてことをしてくれたんだ!」
私は思いっきり机を叩いた。そんな乱暴な振る舞いをしたのは人生で初めてだった。
「魔王様は大爆笑なさって、エルシオン男爵を下賜されたとか。……つまり、結婚決定です」
◇◇◇
「それで、マリアンヌはエルシオン男爵と結婚した。ユリジェンヌ侯爵令嬢から、マリアンヌ男爵夫人になったんだよ」
私は、ぽかんとしてしまった。
「あいつは男爵夫人なのに、悪魔の国の社交界で無双した。魔王様のお気に入りってだけでも強いけどな。得意の創作で、権力者の女性たちを次々魅了していった。今では、社交界の華とか呼ばれてるわけ」
「お祖母様、凄い……。伝説を生み出してるわ」
「全く。嘆くべきなのか、喜んでいいのか分からん」
大伯父は盛大なため息を吐いた。
「それで、マリアンヌとエルシオン男爵の一人娘がお前の母親なんだよ。名前はガーネットだ」
「私のお母様? どんな方なの?」
私が興味津々で尋ねると、大伯父は冷たく言い放った。
「あれはユリジェンヌじゃない」
「ええ?」




