第一話 龍の苑の失せ物探し。
爽やかな秋風が薄桃色の花を揺らす朝。
誰よりも早く水場に現れたショウリンは、昨夜の風で水路を塞いだ落ち葉をかき集めていた。
白い石畳の隙間を流れる水路は、後宮の北、蓬莱山の山際から溢れる湧き水をそのまま引いている。飲料用の上水は地中を流れ上水井戸に。生活用水などに使われる水は地上の水路を流れ、そのままあちらこちらに設られている水場の池に溜められている。
そんな水路に溜まった落ち葉をかき出し、正常に水が流れるよう手を入れ。
そして朝の喧騒に備える。それが下働きの宦官としての日課でもあった。
幼い少年の顔をしているのに髪の色は老人のような白銀で、その長い髪を後ろで一つに結び、古ぼけた灰色の着物を纏っているショウリン。
華奢な身体で仕事をこなし、ふうと息を吐く。
顔をあげ見渡すと、朝日が照らす建物たちは穏やかな薄紅で染まっていた。
ここ、華は龍が住まう国という伝説で語られる、東方の大国だ。
皇帝は龍神の血を引く現人神と称えられ、崇められている。
そんな皇帝の妃が住まうここ、後宮には現在九つの宮があり、そこにはそれぞれ妃がいる。
現在の皇后、玉后が住まう玉后宮。
柳大臣が娘、花蓉が住まう花蓉宮。
孫武威が娘、香嬪が住まう香嬪宮。
尚家業が娘、鈴娥が住まう鈴娥宮。
呉大人が娘、明婉が住まう明婉宮。
陸豪遜が娘、蘭瑤が住まう蘭瑤宮。
无虚幻が娘、霞翠が住まう霞翠宮。
盂拓土が娘、雪容が住まう雪容宮。
巫天照が娘、姫巫女が住まう姫巫宮。
妃、とは名ばかりで各地の有力者の娘を人質にとっているのでは?
そんな声も、巷では囁かれていたけれど、定かではない。
もちろん、どの有力者にしたところで、あわよくば龍の血筋に自身の血筋を、と望む者が大半であったのだから。
蓬莱山の湧き水は、山肌からまず最奥の姫巫宮の脇へと流れ、その入り口に鎮座する祠を掠めるように枝分かれし、白い石畳の水路を伝って他の八つの宮へと流れていく。
各所に設けられた水場では、宮勤めの下女や希少な男手である宦官が、朝の支度に追われ始めていた。
朝の後宮には独特の色がある。
夜は紫で染まっているけれど、朝には薄紅が満ちる。
人は皆、生気に溢れて。気だるい夜とは大違いだ、と、ショウリンは感じていた。
(後は湯殿の掃除を……)
水場の掃除があらかた済み、人が溢れてきた隙。
ショウリンがそっとその場を離れようとした、その時だった。
「ショウリーン!!」
そう明るい大きな声で呼び止められ。
「小燕」
「おはようショウリン、今朝は気持ちのいい朝ね!」
「おはよう。小燕はいつも元気だね」
「もう、ショウリンがおとなしすぎるのよ! っていうか、ちゃんと朝ごはん食べた?」
「いや、朝は――」
「ダメよちゃんと食べなきゃ。そんな細っこい腕じゃ、力仕事も頼めないわ」
確かに。
宦官にしては幼すぎる。
小燕ですら、まだ十五だけれど、そんな小燕よりもまだ一回りも小さいのだ。
「ほら、これあげる」
袖から取り出した包みをショウリンに無理やりのように握らせる小燕。
「肉まん?」
まだ、冷め切ってない、温かみを感じた。
「おいしいよ? 今日はね、ちょっと特別。昨日お妃様が下賜してくださったのよ。それを厨房であっためてきたの」
ホクホクの顔で、自分の分を取り出し頬張る小燕に。
「ありがとう……」
ショウリンは、少し困ったような顔で笑った。
華奢で宦官らしくない、こんな自分に優しくしてくれる。
そんな小燕の笑顔がなんだかとても嬉しくて。
「いっぱいのお菓子やお酒、それにご飯ものやお餅もあったわ。昨夜は宴会だったのよ」
「そっか。それはすごいね」
「花蓉様は優しいから好き。女官長は厳しいけど、昨夜はいなかったしね。みんないっぱい羽を伸ばしてたわ」
ショウリンはまだ、花蓉妃をみたことがなかった。
いや、大勢の中の一人としてならあったかもしれない、けれど。
それでもこんなにも小燕がなついている花蓉妃は本当にいい人なのだろうなと、そう思う。
肉まんを食べ終わると小燕も満足した様子で。
「じゃぁあたしはお水を汲んで戻るわ。ショウリンまたね」
軽やかな足取りでゆく小燕を見送ると、ショウリンもその場を離れた。
次は湯殿の掃除。
そう思い浮かべながら、とぼとぼと歩く。
宦官からも、下女たちからも、距離を置かれていたショウリンの仕事は主に色々なところの片付けや掃除。
宦官の仕事は色々とあるが、力仕事は体の大きい宦官の役目でありショウリンには回ってこなかった。
それは、直属の上司が宦官唯月であったというのが大きい。
宦官ではあるけれど高級官吏の彼は、今朝は紫微殿に赴いているのだが、他の宦官たちは唯月預かりのショウリンに対しては深く関わろうとはしないので、唯月からの指示がない日、ショウリンはただただ毎日の日課に則って雑務をこなしてゆくのみだった。
下女たちからは、相手にされていなかったというのが本当のところ。
掃除程度の雑務しかこなせないショウリンに対して、何を頼むわけでもなく。
そばにいても野良猫でもいるかぐらいにしか感じず、視界に入れず、自分たちの仕事をするのみ。
そんな扱いのショウリンに構うような奇特な者は、小燕くらいしかいなかったのだ。
浴場は広く、幾つもの湯船があった。
大理石の湯船は小さな池のように広く、一人用の壺湯には滝のような湯が注ぐ。
蒸し風呂、水風呂、薬湯、歩き湯など、数多くの湯を設えた浴場は、後宮で働く大勢の女官が同時に入っても余裕の広さがあり、中央の大理石の白湯には、常に天然の温泉が流されていた。
中央の湯船の掃除には湯を全て落とす必要があったため、掃除をするには早朝の誰も利用しない時間が選ばれていた。
この時間なら、誰も入りにこない。
後宮中が朝餉の支度に追われ、忙しく動き回っているこの時間であれば――
宦官にはこの浴場を使用する権利はない。
上級妃は宮の外で肌を晒すことが無いため、もっぱら皇帝が滞在し政務も行えるほど広い玉后宮に建屋や部屋をもつ中級妃や下級妃、各宮殿に使える女官が使用するのがこの後宮大浴場であったのだった。
下女は、といえば、やはり浴場を使うことはできない。
せいぜい寝る前にタライに貰い湯を注ぎ、身体をふくくらいしかできなかった。
温泉の湯を堰き止め、湯船の湯を抜く。
掃除のために無人となっているとはいえ、大人の宦官が浴場に足を踏み入れるのは女性たちよりよく思われなかったせいもあり、ショウリンが現れるまでは湯船の掃除はもっぱら下女の仕事でもあった。
「もったい、ない、よね……」
捨ててしまうお湯。
流したお湯は水路に流れるため、下女たちの洗濯にも使われることになる、けれど……。
どうせ湯船を洗うときにはかなり水浸しになるのだから、と。
灰色の着物を脱ぎすみっこの台座に置くと、お湯が流れ切る前に湯船に足を踏み入れる。
柄の長いブラシで大理石の湯船を擦り洗いをしていくショウリン。
腹掛け型の褻衣一枚になり、半ばお湯に浸かりながら湯船の壁から洗い流していく。
誰もいないこの時間だからこそ、できることだった。




