告白練習は、真夜中の公園で
バイト終わりの真宮要は重い足取りを引きずりながら、右手に今日の夕食を提げて夜道を歩いていた。
家まではあと少しの距離だが、疲労困憊の体はもう限界を迎えようとしていた。
「……ここで少し休んで、飯にしよう」
近くにあった小さな公園のベンチを見つけ、腰を下ろす。
頭上の街灯は壊れているのか、ベンチの周辺は濃い影に沈んでいた。
だが、その暗闇が今の彼にはかえって心地よかった。
少し離れた場所では、もう一本の街灯がぽつんと孤独な光を放っている。
袋から取り出したのは、適当に選んだ見切り品のコンビニおにぎり。腹を満たせればそれでいい、それ以上の贅沢は望んでいなかった。
無理やり二つのおにぎりを胃に流し込んだところで、重くなった瞼が耐えきれなくなる。
意識は、そのまま深い闇へと落ちていった。
「……き……っ!」
突き抜けるような声が、脳を叩き起こした。
「好きですっ!」
(……誰かの告白か?)
要がうっすらと目を開けると、ぼやけた視界が徐々に焦点を結ぶ。
そして、彼は「彼女」を見た。
制服姿の茶髪の少女が街灯の下に立ち、真剣な表情で叫んでいた。
彼女の声は少し低めでハスキーだ。
まるで小川の砂利が心を撫でていくような、微かな痒みを感じさせる響きだった。
「大好きです!」
告白。
要が辺りを見渡すが、公園には少女と自分しかいないようだ。
見覚えのある顔ではあったが、要は自分に告白されていると思い込むほど自意識過剰ではなかった。
少女はしばらく考え込むような仕草を見せると、髪をポニーテールに結び直した。
二、三歩下がってランニングのポーズを取ると、再び街灯の下へと戻ってくる。
「先輩! 待ったかな?」
今の彼女は、太陽のように明るい笑顔を浮かべたスポーツ少女のようだった。
「あの……先輩、伝えたいことがあるんです」
少女はもじもじとためらった後、ギュッと目を閉じて大声で叫んだ。
「好きです!」
今度は三つ編みに結び直し、文学少女を演じ始めた。
そこでようやく、要は彼女が演技の練習をしているのだと察した。そして、なぜ彼女に見覚えがあるのかも思い出した。
(あれ、同じクラスの深川夏奈じゃないか……?)
そう、目の前の少女は要のクラスメイトだった。
その抜きんでた容姿ゆえに、あまり目立たない要の記憶にも残っていたのだ。
確か彼女は演劇部の部員だったはず。今の不自然な状況にも説明がつく。
覗き見をしているような罪悪感を覚え、要はこっそり立ち去ろうと腰を浮かせた。
その際、古びたベンチが「ギィ」と大きい音を立ててしまう。
「誰っ!?」
深川夏奈が警戒するように一歩後退した。
「えっ……真宮君?」
夏奈も要の顔に気づいたようで、少しだけ警戒を解いた。
「俺のことを知ってるのか?」
クラスでは影が薄い自覚があっただけに、覚えられていたのは意外だった。
「クラスメイトの顔くらい全員覚えてるよ。それに、真宮君の声って特徴的だし」
「特徴……?」
要は深く考えず、軽く会釈した。
「ごめん、邪魔するつもりじゃなかったんだ。すぐ行くよ」
「気にしないで。ここ、公共の公園だし。ただ、真宮君がいつからそこにいたのかと思って。びっくりしちゃった」
夏奈は胸に手を当てて、不思議そうに尋ねた。
「ああ、つい寝ちゃってて」
「こんな場所で?」
「夕飯食べて一休みするつもりが、つい……」
要が気まずそうに苦笑いする。
「そ、そうなんだ」
夏奈もそれ以上は深く追求しなかった。
「じゃあ、失礼するよ。さすが演劇部のエースだね、上手だった」
要は右手を上げ、立ち去ろうと背を向けた。
ふと脳裏に先ほどの光景がよぎり、無意識に独り言を漏らしてしまった。
「……告白のところだけ、ちょっと違和感があったけど」
「待って!」
「うおっ!?」
右袖を強く引かれ、要は無理やり振り向かされた。
「どうかしましたか、深川さん?」
「今の言葉、どういう意味?」
夏奈の握力は想像以上に強かった。
彼女は少し上目遣いで、眉をひそめながら、輝く瞳で要をじっと見つめていた。
その眼差しには、気圧されるほどの真剣さが宿っている。
「……いや、言葉通りの意味だけど」
その気勢に押され、要は体をのけぞらせた。
「違和感って何? どこが変だったの?」
夏奈は要の瞳を覗き込み、少しのヒントも見逃すまいと食らいついてくる。
「それは……」
要は先ほどの演技を思い出し、頭の中で言葉を組み立てた。
「前半のスポーツ少女とか文学少女とかは、すごくリアルで引き込まれたんだ」
「それで?」
「前がリアルだった分、後ろの告白がすごく『嘘っぽく』聞こえたんだ。
本当に告白してるんじゃなくて、ただ演技をしてるだけっていうか……」
もし告白のシーンだけを見れば、十分上手いと言えただろう。
だが、その前の導入があまりに素晴らしかったために、落差が違和感として浮き彫りになっていた。
「そう……なんだ」
夏奈の表情がわずかに強張り、視線を落として考え込み始めた。
しかし、要の右腕を掴む手は離さない。
「あの……これ」
要が小声で指摘する。
「あ、ごめんっ!」
夏奈は慌てて手を離した。
「じゃあ、俺はこれで」
要が恐る恐る立ち去ろうとすると。
「待って!」
再び夏奈に呼び止められた。
「……少しだけ、話に付き合ってくれませんか?」
要は自分の冷え切った誰もいない部屋を思い出し、迷うことなく承諾した。
「真宮君、私が演劇部だってことは知ってるよね?」
要の頷きを確認して、夏奈は言葉を続けた。
「今回の舞台、部長からヒロインに指名されたの」
「すごいな」
要は感心して目を丸くした。
高一でヒロインに抜擢されるのは、才能はもちろん、今のような地道な努力の賜物なのだろう。
その一途な熱量は、目標を持たない彼にはあまりに眩しく映った。
夏奈は首を振り、自慢したいわけではないことを示した。
「今回の劇、現代の恋愛モノなの」
「うん」
「でも、問題はさっき真宮君が言った通り。たぶん経験がないからかな……恋愛のシーンだけ、どうしても何かが違う気がして」
「経験……」
「告白されたことはあるけど、付き合った経験はないんだよね」
夏奈はあっけらかんと言い放った。
「そうなんだ……」
どちらの経験もない要は、曖昧に頷くことしかできなかった。
「先生や先輩たちからも指導は受けてるんだけど、どう練習してもしっくりこなくて」
夏奈の整った眉が再び寄り添う。
「ねえ、もし真宮君が嫌じゃなかったら、練習に付き合ってくれない?」
「練習?」
「……想像だけじゃ足りないんだと思う」
夏奈は遠くを見つめ、静かにつぶやいた。
「ちゃんと人に向き合わないと、感覚が掴めないの」
彼女は顔を上げ、要の瞳を真っ直ぐに見つめた。
「それに、違和感に気づいてくれた真宮君なら、何かヒントをくれるかもしれないから」
「……俺はいいけど。でもバイトもあるし、いつでも時間は取れないぞ」
初めて誰かに真っ向から必要とされ、要の心は揺れ動いていた。
何より、その強い眼差しを前にして、拒絶の言葉を吐き出すことはできなかった。
それに、恋愛というものに、彼自身も少しの興味を抱いていた。
「うん! お願いするね」
夏奈は力強く頷き、満開の笑顔を咲かせた。
「それじゃあ、早速始めようか」
「……今から?」




