相川さんの口紅 4
「聞いた? この前の人身事故、やっぱり“相川さん”なんだって」
「またその話? 皆好きだよねぇ……ちょっとついて行けないわ」
電車内で、二人の高校生が喋っていた。
いつもの様に満員電車、暑苦しい電車内。
そんな中、少しでも暇をつぶそうと語る女子高生達。
「でもさ、後輩がその時間に駅に居合わせたんだって。 めっちゃグロかったって言ってたよ!」
「だぁからさ、普通の人身事故でしょ? あい……何とかさんと結びつける方がどうかしてるって」
「でもでも、その人最後に口紅を握りしめてたって話だし、異常な行動してたんだって!」
「そりゃ変な人の一人や二人居るでしょ……口紅握りしめてたってなんでわかる訳? あんな小さいモノ、近くで見なきゃわからなくない?」
ただのオカルト話、流行りの都市伝説。
彼女達にとって、それはひと時の話題であり、自らには関係の無い代物。
だからこそ想う。
つまらない繰り返しの毎日に、少しでも変化を。
あるかもしれない、あったらいいと思う“超常現象”を、多くの若者が望んでいた。
「でもねでもね、その人最後に口紅見つけましたって叫んでたんだって!」
「そんなの後からいくらでも尾ひれ付けられるじゃん……それだけ異常な行動取ってたなら、誰かしら動画とか撮ってるでしょ。 ネットにすら上がらないんだから、やっぱりデマじゃない?」
「ちーがーうーのー! 後輩も動画撮ってたらしいんだけど、後で見たら何故か保存されてなかったって。 マジでコレ怪奇現象だって!」
「くっだらねぇー……」
些か不謹慎だと思いながらも、周りの大人たちも苦笑いを浮かべている。
所詮は女子高生の噂話。
ある筈もない繋がりと仮想を求めて、在りもしない話題に華を咲かせる。
多くの人が思った事があるだろう。
毎日がつまらない、何か変化が欲しい。
それは学生時代、多くの人が想像したことであり、下手すれば成人しても胸に抱く妄想なのだから。
だからこそ誰も止めない、何も言わない。
だってそれは、“妄想の域”を出ない噂話なのだから。
未だに熱く語る女の子にも、気だるげに聞き流す女の子に対しても、誰も声を掛ける事などなかった。
「でもね、前回の人。 先輩が“入れた”人なんだって」
「はぁ?」
急に声を潜め、耳元で囁きだした少女の声は周りの人間には届かない。
何を喋っているのか、興味深そうに視線を送る人は居るが。
そんなモノ関係ないとばかりに彼女達の“内緒話”は続く。
「だから、この前死んだ人。 先輩が“口紅入れた人”、なんだって」
「あのさぁ……先輩がぁとか、後輩がぁとか言ってるけど。 そういう話まで行くと冗談じゃ済まなくならない? 都市伝説云々は抜きにしても、相当な事してるよ?」
「分かってるって! だからこそ皆名前を出さないんだってば。 でもさ、コレってマジっぽくない? だとしたらヤバくない? 嫌いな奴の鞄に入れちゃえば、相手死んじゃうんだよ?」
「はぁぁぁ……マジでくっだらない。 普通に軽蔑するわ。 考えてもみなよ、ありえないでしょ。 そんなんで相手殺せたら今頃死体だらけだっての。 幽霊とか居る訳ないし」
大きなため息を吐きながら、片方の少女が目を閉じた。
その反応は正常なモノであり、この場の誰よりも常識的な理性に基づいた言動だったと言えよう。
そもそも電車内で彼女達くらいしか喋っていないので、言動という意味ではかなり幅が狭くなるが。
そんな時。
――ドアが閉まります、ご注意ください。
アナウンスと同時に、電車の中に駆け込んでくる男性の姿。
大量の汗をかき、荒い息を上げながら。
「うわっ……アレ、体育のキモ森じゃない? なんでこんな時間に……教師としては遅刻確定じゃん。 普段は偉そうに時間厳守とか言うくせにさ」
視線の先には、ジャージ姿の腹の出た男性がぜぇぜぇと息を吐いている。
その見た目からか、はたまた匂いからか。
周りの乗客は皆眉を顰めているが、本人は気にした様子もなく吊革につかまった。
「ねぇねぇ、試してみない?」
「何を?」
「だーかーら、相川さん。 実はさ、用意してあるんだよねぇ。 『A.A.A』の口紅」
そう言って彼女は、鞄の中から一本の口紅を取り出した。
全体的に薄く紫がかった、黒いケースの口紅。
手元の部分は金色の模様が描かれ、『A.A.A』の刻印もしっかり入っている。
「趣味わる……」
「えー、気にならない?」
彼女達の間で、というよりは“彼女達の通っている高校”で流行っている都市伝説。
“相川さんの口紅”。
それは呪いたい相手に対して特定の形、色、そして刻印を施した口紅を相手の荷物に忍ばせると言うモノ。
口紅を“受け取ってしまった”相手は、相川さんによって7日以内に殺される。
そんな、どこにでもあるような悪戯とも呼べる都市伝説。
だからこそ、彼女達は“遊び”としてソレを実行してしまっていた。
殺したい相手、などではなく。
誰でもいいから、口紅を忍ばせる事が出来る相手を探して。
片方の少女が言った先輩後輩、またその友達や、更にその上級生下級生問わず。
そんな“遊び”が、この周辺では流行っていたのだ。
流石に実行に移した人物は一握りであり、噂がねじ曲がっておかしな物品を用意してしまった者たちも複数いるようだが。
「私、ちょっと行ってくるね。 流石にキモ森が相手だったら、結果が分かりやすいじゃん? あ、予備も作ってあるから一個あげるね? どうせなら試してみなよ!」
「もう好きにしなよ……」
席を立ってスルスルと人の間を抜けていく友人に対して、大きなため息をつく。
全く、何を考えて皆あんなことをするのやら。
9割嘘だとは思っているが、もしも……もしも本当に死んでしまったら、彼女はどう思うのだろう?
自分のせいだと責任を感じるのか、それとも遊びだった、アレは偶然だと白を切るのか。
そんな事を考えると残り1割が怖くて、とてもじゃないが実証なんか出来ない。
再び大きなため息をもらしながら、思わず受け取った口紅を眺める。
見た目は綺麗な口紅。
それこそそのまま使ってしまおうかなんて考える程には、お金が掛かって居そうな気がする。
とはいえ高校生が悪戯の為に購入したものだ、ソレっぽいものを選んで安く注文したのだろうが……
「何やってんだか……」
もう一度だけため息を溢して、ブレザーのポケットに口紅をしまう。
まぁどうなろうと私には関係ないし、もしも困るなら本人な訳だし。
ぶっちゃけどうでもい――
待って?
この口紅を相手の荷物に忍ばせる事が条件だって言ってたけど、それって誰が言ったの?
もしも、もしもだ。
忍ばせるんじゃなくて、“所持者以外に渡す”もしくは“関係ない人間が手に入れる”事が条件だったとしたら?
口紅を用意した本人は、あくまで所持者。
それ以外の誰かの手に、この『A.A.A』と書かれた口紅が渡る事が条件だとしたらどうだろう。
私は今、友人から“受け取って、尚且つポケットのしまった”のだが。
思わずゾッと背筋が冷える。
「……まさかね」
ある訳がない。
結局は都市伝説、皆の作り話。
そんなモノを恐れていては、周りから笑われてしまう。
あぁもう、朝からこんな話ばかり聞いていたから、なんだか空気が重く感じ――
『すみません、口紅を見ませんでしたか?』
「は?」
今さっきまで友達が座っていた筈の席。
私のすぐ隣りから、知らない女性の声が聞こえて来たのであった。
これにて完結となります。
企画ものだったのでかなり短いモノになりましたが、最後まで読んで頂いてありがとうございました。
怪異系の話を別作品で書いているので、そちらに絡ませようかとも思いましたが、規約上断念しました。
よかったらそっちも読んでみて下さい。