前奏
蒼い樹海が、廃墟を覆う。
風が吹くたび、発光する草花が波のように揺れる。
かつて鋼鉄だったものは大地へ還り、
砕けた建造物には蔦が絡み、
空へ伸びていた塔群は、今では巨大な白い岩山のようにも見えた。
空の遥か上空には、光の帯がゆっくり流れている。
旧文明の軌道機構群。
千年以上停止しているはずの残骸だが、今も夜空を淡く照らし続けていた。
大陸東端――
静寂に包まれた白亜の空間。
壁面には植物にも似た発光回路が根を張り、
透き通る水が天井近くを帯のように流れている。
機械と自然が融合した神殿のような場所。
その中央。
円形の広間に、五人の幹部達が集っている。
「南方群島が統合を拒否。」
長い銀髪の女が、宙に浮かぶ光の文字を眺めながら言った。
「理由は?」
「“王が複数いる世界の方が美しい”…と言っていました。」
小さく笑いが漏れる。
赤髪の男が肩をすくめた。
「平和になった途端に理想論かよ。」
「仕方ないわ。」
窓辺に立つ女が外を見上げる。
遥か彼方。
巨大な白い構造体が森の中から顔を覗かせていた。
古代都市の残骸。
今となっては、自然景観の一部。
「世界は長く争いを忘れていたから。」
その言葉には、どこか寂しさがあった。
文明が忘れ去られて久しい。
空は浄化され、
海は透き通り、
生命は再び世界を満たした。
だが――。
「停滞している。」
円卓最奥の男が静かに告げる。
誰も反論しない。
「争いが消えた世界は、進化も止まる。」
淡々とした声だった。
「この星は安定しすぎた。」
「世界統一するのですか。」
銀髪の女が目を細める。
「王を一人に定めることで、世界を動かす?」
「違うわ。」
窓際に腰掛けていた青髪の女が、ゆっくりと立ち上がる。
「“王を求める時代”を作る。」
静寂。
水の流れる音だけが響く。
「人は、完成すると滅びるの。」
男はゆっくり立ち上がった。
「未完成だからこそ、未来へ進む。」
その時だった。
広間の奥。
それは、巨大な樹木の根に包まれるように、眠るように座っていた。
白い髪。
少女の面影を残した顔は、不自然なほど静かだった。
閉じられていた瞳が、ゆっくり開く。
淡い金色だった。
「……観測開始。」
静かな声と共に、
空間へ無数の光粒子が広がる。
そこには、“別世界”の映像が映っていた。
雨に濡れた道路。
信号機。
雑多な看板。
傘を差して歩く人々。
まだ文明が滅びる前の世界。
今となっては、神話でしか語られない時代。
「座標固定完了。」
彼女は続ける。
「適合因子を持つ個体を確認。」
赤髪の男が笑った。
「本当に呼ぶのか?千年前の人間を。」
「必要。」
淡々と答える。
「この世界には、“異物”が足りない。」
風が吹く。
広間中央の光輪が脈動した。
「転移…開始。」
その瞬間。
広間中央の光輪が低く唸った。
空間が捻じれる。
白銀の粒子が少女の身体を包み込み、
床に刻まれた紋様が淡く発光する。
赤髪の男が表情を変えた。
「待て。」
席から立ち上がる。
同時に男の足元から黒い光が走り、
光輪へ向かって鎖のような術式が伸びた。
空間固定。
転移を封じるための拘束術式。
だが、彼女は振り返りもしない。
淡い金色の瞳は、
“別世界”の映像だけを見つめていた。
雨に濡れた街。
文明がまだ生きていた時代。
失われた記録。
「迎えに行く。」
男が舌打ちする。
「お前……ッ!」
次の瞬間。
彼女の姿が光に溶けた。
伸びた黒い術式は空を掴み、
遅れて突風が広間を吹き抜ける。
そして広間には、
無数の光粒子だけが残されていた。
「座標不明…」
銀髪の女は宙に舞う光の文字を読み語った。
「好きにさせておけ。支障はない。」
円卓の最奥に座していた男が、静かに腰を上げる。
「私は領地に戻り、計画を実行に移す。」
円卓最奥の男は、静かに踵を返した。
長い外套が白亜の床を掠める。
発光回路が脈打つ通路の奥へ、
その背中は迷いなく消えていった。
誰も呼び止めない。
ただ、水の流れる音だけが広間に残る。
窓辺に立っていた青髪の女もまた、
淡い光粒子を纏いながら振り返る。
「先に行くわ。」
次の瞬間、
彼女の輪郭が崩れ、
青白い光となって空気へ溶けた。
静寂。
残されたのは、
赤髪の男と銀髪の女だけだった。
赤髪の男は深く息を吐き、
乱暴に前髪をかき上げる。
「相変わらずだな、あいつ。」
銀髪の女は宙に浮かぶ光文字を指先で払った。
文字列は淡く散り、蛍のように消えていく。
「昔から、“決めた後”は誰の言葉も聞かない。」
「千年前の人間なんざ呼び込んで、何がしたいんだか。」
赤髪の男は、広間中央の光輪を見る。
まだ微かに脈動していた。
空間の歪みが残滓のように揺れている。
「異物が必要、か。」
吐き捨てるように呟く。
銀髪の女は小さく目を細めた。
「しかし、間違ってはいないのかもしれません。」
「……どういう意味だ?」
「この世界は、綺麗すぎます。」
彼女は窓の外を見る。
蒼く発光する樹海。
風に揺れる光花。
争いを失った静かな世界。
「壊れることも、奪い合うことも、死に怯えることすら減ってしまいました。」
その声音には、
どこか人間らしい疲れが混じっていた。
赤髪の男は鼻を鳴らす。
「平和ってのは、本来喜ぶべきもんだろ。」
「そうですね。」
銀髪の女は頷く。
「だからこそ、あの子は怖がっている。」
沈黙。
広間の奥で、
巨大な樹木の根が軋むように揺れた。
「……完成した世界は、終わる。」
赤髪の男は目を細めた。
「昔の奴らみたいにな。」
返事はなかった。
代わりに、
銀髪の女の身体が淡い光に包まれていく。
転移術式。
足元に幾何学紋様が浮かび上がった。
「行くのか。」
「はい、南方を監視しないと。」
彼女は最後に、
光輪の残滓へ視線を向ける。
「――少しだけ、楽しみ。」
「千年前の亡霊が、この世界をどう見るのでしょう。」
次の瞬間。
銀髪の女の姿は、
無数の光粒子となって掻き消えた。
赤髪の男だけが残る。
静まり返った広間で、
彼はしばらく天井を見上げていた。
遥か上空を流れる、
旧文明の光。
「……面倒事の匂いしかしねぇ。」
ぼやいた直後、
彼の足元から黒い術式が広がる。
影のような光が身体を飲み込み――
広間には再び、
水音だけが残された。




