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亡国の姫は、隣国の静謐王子に甘やかされる  作者: Tsuyuri -露-


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第49話 甘い焼き菓子


――「……出てきなよ」


ラファエルの声は、あくまで穏やかだった。

けれどその奥には、揺るがぬ確信がある。拒むことを許さない、静かな重み。


その一言が落ちた瞬間、室内の空気がかすかに軋んだ。


燭台の炎がふっと揺れ、机上の書類の端が微かに震える。

目には見えない波が、床から天井へと静かに駆け上がっていった。


まるで――何かに応じるように。


そして、次の瞬間。


「……やっぱり、この怖い人も見えるんだー!」


ひゅ、と軽やかな音が空気を裂いた。


イエレナの肩先――そのすぐ傍に、金色の光をまとった小さな影が、ふわりと現れる。


薄紫の髪が光を透かし、虹色に揺れる羽が静かな室内にごく微かな風を生んだ。

金の瞳には、好奇心と警戒、そしてほんの少しの対抗心。


――リリュエル。


それが人ならざる存在であることは、疑いようがなかった。


「……精霊、か……?」


レオニスの瞳がわずかに細められる。

氷のように静かな声音に、ほんのわずかな揺らぎが混じった。


その隣で、ラファエルはほんの一瞬だけ目を見開く。


刹那――理知よりも先に、感覚が反応した。


「……はっきり“見える”のか。姿も、羽ばたきも……」


ゆっくりと息を吐く。


その視線は確かに、目の前の小さな精霊を捉えていた。

虚空でも、想像でもない。現実として。


「……こんなことは、初めてだな。 王家の記録にも、これほど明瞭な顕現はない」


小さく呟きながらも、その目にはすでに観察の光が宿っている。

やがて、わずかに眉を寄せた。


「……ただ、声までは届かないな。何か話しているようには見えるが――」


羽ばたくたびに反射する光を追いながら、ラファエルは自然に視線を横へ流した。


「セス、聴覚共有(オーディエンス)を」


整えられた声音。

それは命令というより、状況に対する当然の判断のようだった。


その言葉を受け、セレストは一瞬だけ目を伏せると

小さく息をつき、わずかに肩の力を抜いた。


「……仰せのままに」


静かな了承。


次の瞬間――ぱちん、と乾いた音が響いた。


指先からほどけた光が、床へ円を描くように広がった。

一瞬だけ浮かび上がる魔法陣は、精緻な紋様を淡く瞬かせたあと、音もなく空気へ溶けていく。


まるで水面に小石を落としたかのように、空気がゆるやかに波打った。


重厚な執務室が、ほんのわずかに震える。


そして――

リリュエルの声が、今度ははっきりと室内に響いた。


「ちょっとー! 僕はこの怖い人と話す気なんてないよ!」


鈴のような声が場違いなほど明るく響き、リリュエルはぷいっと顔を背けてセレストの肩の影へ滑り込んだ。

羽が揺れ、金の粒子がきらりと散る。


一瞬、沈黙。


記録にもない顕現。そのうえで堂々と拗ねる精霊に、ラファエルもレオニスも言葉を失っていた。


「ボクはイェナの味方なの! 怖い人の話なんか聞かないもん!」


くるりと宙を回り、再びイエレナの肩へ戻る。

淡い光が頬をやさしく照らした。


それを見つめ、ラファエルがわずかに目を細める。


「……面白いな。精霊は“契約者”に従うものだと思っていたが――」


視線が、ゆっくりとイエレナへ向く。


「まるで君が“主”であるかのように、好かれているね。イエレナ嬢」


「主じゃないやい!」


間髪入れず、リリュエルが声を上げた。

小さな腕をぶんぶんと振り、羽をふわりと広げるたびに、金の粒子がぱらぱらと零れ落ちる。


「イェナはボクの大事な友達なの! 契約とか必要ないの! 誰にも渡さないんだから!」


まっすぐで、迷いのない抗議。


その言葉に、イエレナは思わず瞬きをした。

胸の奥に、じんわりと温かなものが広がっていく。


セレストは小さく肩をすくめて苦笑し、ラファエルの口元もほんのわずかに緩んだ。


「……そうか。それは失礼した」


先ほどまでの探るような響きはやわらぎ、声音にはわずかな納得が滲む。

契約ではなく、友として結ばれている――その在り方を、彼なりに受け止めたのだろう。


「イエレナ嬢とは普段から意思疎通が可能なのか?」


今度はレオニスが、静かに問いを投げる。

その視線を受け、イエレナは小さく頷いた。


「……はっきり言葉で話せるのは、リリュエルだけです。ほかの子たちは……なんとなく、感覚で伝わってくるくらいで」


そう答えながら、自然と肩の小さな存在へ視線を向ける。


その瞬間――


「えぇ? でもイェナが話そうと思えば、もっと話せると思うよ?」


弾むような声が割って入る。


「出会ったときより、ずっと澄んでるし!」


無邪気に放たれたその一言に、場の空気がすっと引き締まった。

ラファエルとレオニスの視線が、同時に鋭さを帯びる。


――ただ一人。


セレストだけは、ほんのわずかに目を細め、静かに視線を落とした。

ノルヴィアの森でリリュエルが口にした言葉が、脳裏に静かに重なる。


「……リリュエル、もう少し詳しく聞かせて?」


穏やかな声音。

けれどその奥には、慎重に確かめようとする意志が滲んでいた。


対してリリュエルは、きょとんと瞬きをする。


「ん? セスも知ってるでしょ?」


あっけらかんとした口調のまま、くるりと宙をひと回り。

 

「イェナの力、毎日ちょっとずつ強くなってるよ。だから、ボクたち精霊が引き寄せられてるんだと思う」


くるりと宙を回りながら、リリュエルは当たり前のことのように言った。


あまりにも無邪気で、軽やかな口調。

けれどその内容は、決して軽くはない。


その言葉が落ちた瞬間、室内の空気がわずかに沈む。


ラファエルの蒼い瞳が細まり、レオニスの視線も静かに鋭さを帯びた。

ただ一人、セレストだけが静かにその意味を受け止めている。


「……まいったな。セレスト、魔導士としてはどう見る?」


軽く投げたようでいて、その奥には確かな懸念が滲んでいる。

セレストは一瞬だけ目を伏せ、ゆっくりと言葉を選んだ。


「祝福を魔力と同様に扱うには、まだ理論が足りません。術式で縛れるものではないので……構造が曖昧すぎる」


言葉を選ぶように、続ける。


「ただ――イェナがその本質を理解できれば、制御は可能になるかもしれません」


“制御”。

その一語が、静かに場へ落ちた。


「輪郭のないものを掴む、か……難題だな」


レオニスが低く言葉を添えると、空気はさらに一段、重みを帯びる。

イエレナは、無意識に唇を噛みしめた。


(……やっぱり、私のせいで……)


フェルディナでは、祝福は守られるものだった。

けれど今は――扱いを誤れば、脅威になり得る力。


その現実が、胸をじわりと締めつける。


沈む空気の中、唐突に明るい声が響いた。


「難しい話はボクにはわかんないけど!

 魔力と祝福って、違うけど違わないんだよ!」


唐突な言葉に、その場の視線が一斉にリリュエルへ集まる。

ラファエルがわずかに眉を寄せた。


「……違うけど違わない?」


「そう!」


胸を張り、どや顔で腕を組む。

金の羽がふわりと揺れ、光がきらりと散った。


「イェナの力ってね――クッキーみたいなもんなんだ!」


「……クッキー?」


レオニスの眉が、ほんのわずかに動いた。

氷の参謀の表情が揺れるのは、珍しい。


セレストはこめかみに手を当てて小さく息をつき、ラファエルは静かに瞬きをひとつ。


――王族の執務室で、精霊が焼き菓子の話をしている。


場違いな光景に、わずかな間が落ちた。


「魔力が小麦粉で、祝福がバター!」


胸を張るリリュエル。

金の羽がふわりと揺れ、光の粒がきらきらと舞い落ちる。


「混ざり合って焼かれたら、もう元には戻せないでしょ?

 でも、ちゃんと焼けたら――甘くて最高なんだよ!」


満面の笑み。

あまりにも単純で、それでいて核心を突いた例え。


三人の王子は、そろって沈黙した。


重く落ちかけた静寂を、ラファエルの小さな咳払いがほどく。


「……なるほど。言わんとすることは、なんとなく分かったよ」


蒼い瞳が、ゆっくりと細められる。


「だが、甘いままで済むうちはいい。

 焼きすぎれば焦げるし、材料が過ぎれば型を壊す――祝福も同じだ。放っておけば、いずれは歪む」


ひやり、と空気が冷える。

リリュエルが、ぷくりと頬を膨らませた。


「でも、イェナはそんな“焦がす”ような子じゃないよ!! ボクたち精霊はちゃんと見てるもん。」


金の瞳が、まっすぐラファエルを射抜く。


「イェナの力は、“こわす”んじゃなくて――“育つ”力だよ」


幼い言葉。

けれど、その響きは驚くほど揺るがない。


ラファエルはしばらく沈黙し、ゆっくりと視線を落とした。


胸の奥で、いくつもの思考が交錯する。

測る理性と、見極める冷静さ――そして、わずかな期待。


やがて、ほんの少しだけ口元を緩めた。


「……そう願いたいものだね。」


それは否定ではないけれど、無条件に肯定されるものではなかった。


“保留”という名の選択。


張り詰めていた空気が、ほんの少しだけ緩む。

その隙を逃さないように、リリュエルが羽をぱたぱたと鳴らした。


「クッキーのこと考えたらお腹すいてきた!

 セスのおうちでは出てきたけど、ここにもある? チョコ入りのがいいな!」


あまりにも――いつも通りの明るい声。

場違いなほど軽やかで、王族の執務室に満ちていた重みを、ひょいと飛び越えてしまう。


その落差に、イエレナは思わずくすりと笑った。


こぼれたのは、小さく控えめな笑み。

けれどその音は、静まり返っていた空気をやわらかく揺らすには十分で――

三人の王子が、ほんの一瞬だけきょとんとする。


王族の間で、亡国の姫が笑い、精霊が焼き菓子をねだる。

つい先ほどまで、“祝福が災いになり得るか”を論じていたとは思えない光景だった。


短い沈黙のあと、ラファエルが静かに口を開く。


「……焼き菓子あるかな?できればクッキーを」


控えめに呼ばれた従者が、一瞬だけ目を瞬かせ――すぐに恭しく頭を下げて去っていく。


「やったぁ! 王家のクッキー食べれるの?!」


歓声が弾ける。


リリュエルは空をくるくると舞い、金の羽が光を散らす。

小さな風が室内を巡り、重厚な空気の角をやわらかく削っていく。


緊張が、ゆるやかにほどける。


「……精霊というのは、本当に奔放だな」


レオニスが小さく息を吐いた。


理論も秩序も、どこ吹く風。

王族の議論など意に介さず、ただ感情のままに在る存在。


「クッキーって、世界を救うよね!!」


高らかな宣言に、ラファエルが肩を落とした。


「……せめて論理の整合性くらいは救ってくれると助かるんだけど」


くすり、と小さな笑いが広がる。

イエレナの頬にも、やわらかな笑みが灯った。


やがて、ラファエルがひとつ、静かに咳払いをする。


それだけで空気が切り替わった。


「さて、甘い話はこのくらいにしよう」


蒼い瞳が、まっすぐイエレナを捉える。


「……イエレナ嬢。君の祝福の“本質”について、もう少し確かめたい」


声は穏やかに、その奥にあるのは決断を前にした王の重みが滲む。


室内の空気が、再び静まり返る。


くるくると舞っていた金の羽が、ゆっくりと降りてくる。


ひとひら。

またひとひら。


甘い焼き菓子の余韻を残したまま――

話は再び、祝福の核心へと戻っていく。


【 次回予告 】


重なり合う、蒼と金の光。


壊すのではなく、

整え、均す力。


それは――祝福か、あるいは。


「……調和の祝福」


名を与えられたその力は、

やさしく、そして危うい。


人の理と、精霊の理。

その狭間で、彼女が選ぶものは――


次話、第50話「祝福の旋律」


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


物語の合間を綴った短編も、あわせて公開しています。

本編では語りきれなかった、ささやかな時間や想いを収めたものです。

よろしければ、そちらもお楽しみください。


▼短編集はこちら

『【短編集】亡国の姫は、隣国の静謐王子に甘やかされる』

https://ncode.syosetu.com/n4783lg/


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

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