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亡国の姫は、隣国の静謐王子に甘やかされる  作者: Tsuyuri -露-


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第8話 眠りに寄り添う光


(……砕けた口調、か)


あの日セレストに言われた言葉は、気づけば胸の奥でずっと灯りのように残っていた。

言おうと思えば言える。でも、急に変える勇気はなくて――

それでも、少しずつなら……と勇気をすくってみた。


ある昼下がり。


「じゃあ姫様、ちょっと買い出し行ってきます。

 一緒に来ます?」


アウルが玄関で荷物を肩にかけながら問うと、

イエレナは外套を羽織って笑顔で頷いた。


「うん、行くよ。外の空気も吸いたいし――」


扉へ手を伸ばした、そのとき。


「……待って」


背中に落ちた静かな声。


振り返ると、廊下の奥からセレストが歩いてくるところだった。

淡い光に銀白の髪が揺れ、手にはふわりとした白のマフラー。


「今日は冷えるよ。」


言葉より先に、手が伸びる。

何も言わずにそのマフラーをイエレナの首元へ巻きつけ、

そっと整える指先が頬をかすめた。


柔らかい布と、彼の温もり。

胸の奥に、じわりと熱がのぼる。


「……あ、ありが、と」


袖をぎゅっとつまんでしまうほど緊張したその言葉に、

セレストはふっと柔らかく微笑んだ。


「うん。行ってらっしゃい、イェナ。」


その笑顔があまりにもあたたかくて、

イエレナは思わず胸の奥がきゅうっとなるのを感じた。


また別の日。

庭で小さな花を見つけた瞬間、心がぱっと華やぐ。

自然と名前が口をついて出た。


「セス、ほら……きれい」


呼んだ自分がまず驚いてしまい、

みるみる頬が熱くなる。


けれどセレストはすぐ傍へ歩み寄り、

花よりも柔らかい眼差しで微笑んだ。


「うん……すごく綺麗だね」


その“綺麗”がまるで花に向けたものには聞こえなくて――

胸の奥がふわりとくすぐったくなる。


砕けた呼び方はまだ恥ずかしい。

でも、そのたびに彼は嬉しそうに笑ってくれる。


そんな小さな積み重ねが、

敬語の壁を静かにほどき、

気づけばふたりの距離は以前よりも自然で、

あたたかいものへと近づいていった。



 ◇ ◇ ◇



ある日の夕食後。

ソファでゆるりとまどろんでいたイエレナの隣に、

セレストが静かに腰を下ろした。


「……眠そうだね」


「そんなこと、ない……」


むくれた声が可愛くて、

セレストはふと笑みをこぼし、そっと彼女の手を取った。


指先からあたたかな光が滲み、

祝福と魔力のせめぎ合いを優しく撫でながら整えていく。


「……あったかい……」


夢の境目で零れ落ちたその囁きに、

セレストの胸がふわりと揺れた。


瞼はゆっくり重く沈み、

次の瞬間――イエレナの肩が小さく傾ぐ。


「……イェナ……?」


呼ぶ間もなく、

彼の肩へぽすんと身を預けてきた。


返事はない。

聞こえるのは、静かに規則正しい寝息だけ。


崩れ落ちそうな身体を慌てて支え、

そのまま腕の中にすっぽりと収める。


柔らかい重み。

光の余韻に包まれた寝顔はあまりにも安らかで――


守ろうと伸ばした手のはずなのに、

胸の奥の甘い疼きを呼び起こしていた。


そのとき。


「セレスト様」


低い声とともに扉が開く。

そこに立っていたのはアウルだった。


腕の中のイエレナを目にして、

蒼い瞳に一瞬だけ揺れが走る。


だがすぐに無表情へ戻り、冷静な声音で告げた。


「婚約者様なのですから……そんなに動揺されずとも」


「えっ……あ、うん。それは……そうなんだけど……」


言葉を詰まらせるセレストに、アウルは深くため息を落とす。

そして真顔のまま、冷静に釘を刺した。


「……ただし。成婚までは、程々にお願いします。」


「っ……わ、わかってるよ。」


苦々しい返答に、アウルは小さく息を吐く。

臣下としての冷静さを取り戻し、膝をついて簡潔に報告を述べた。


「西の街道に帝国兵の姿は確認されず。交易も再開の兆しがあります。

巡回範囲も拡張できる見込みです」


セレストは頷き、低く応じる。


「……わかった。引き続き、頼むよ。」


「承知いたしました。」


深く頭を垂れたアウルは再び立ち上がる。

一度だけイエレナに視線を落とし――

その蒼い瞳に、ほんの一瞬だけ柔らかい光が宿った。


そして一礼し、扉を静かに閉じる。


残された静寂の中、

セレストはふぅ、と深い息を吐き、腕の中へ視線を戻した。


「……まったく、敵わないな。」


呆れたような、甘いような声音。


安らかに眠る横顔。

長い睫毛が頬に影を落とし、

微かな吐息が胸元へ触れる。


ほんの少し前まで怯えや不安に縛られていた少女が――

今はこんなにも無防備に、安心しきって自分へ預けている。


胸の奥がそっと疼き、

セレストは髪へ手を伸ばした。


指先が触れる、柔らかく細い感触。

壊さないように、ただそっと撫でる。


「……本当に、無防備だね」


苦笑しつつも、目は優しく細められていた。


その瞬間――


窓から差し込む月光の中に、

ふわりと光の粒が舞い込んだ。


イエレナの髪先を揺らし、

楽しげに踊る、小さな光の影。


かすかに、鈴を鳴らすような笑い声。


(……精霊?)


セレストは息を呑む。


けれど、腕の中の少女を起こさぬよう動かずにいるしかなかった。


――それは、静かに訪れた前触れ。


まだ誰も知らない、

小さな精霊との“出会い”が、すぐそこまで近づいていた。



物語の合間を綴った短編もございます。

よろしければ、そちらもお楽しみください。


▼短編集はこちら

『【短編集】亡国の姫は、隣国の静謐王子に甘やかされる』

https://ncode.syosetu.com/n4783lg/

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