9.頑張るマークス
翌日、マークスは朝からベグゲームへログインしていた。
彼にとってベグゲームをプレイすることは、アバター脳波操作訓練であるため業務行為にあたる。
「脳波操作はわかるが、脚や腕をリアルに動かすアバター操作となるとさっぱりだ。……そういやあ、昨日の彼はずいぶんと滑らかにアバターを動かしていたな」
アバター操作の訓練になるだろうと市場へ散歩に訪れたマークス。
真っすぐ進み、方向転換するときに一度立ち止まる。この動きを繰り返して進んでいく。
歩きながら、ユイトのことを思い出してため息をつく。
「いまどき人間相手に製造業の話がくるなんてありえないのに、腰が引けて動けないなんてなあ。まったくもってもったいない話だ……」
マークスはふと立ち並ぶ店舗の中で、様子の違う1つの露店に目をとめた。
「ちょっと様子が違うな、あそこは」
タイヤのついた移動式の露店は珍しくないが、マークスの目に留まった理由は店員の動きだった。
取引の際に、他の人々と少し様子が違う点がある。
「んん? あれはどうやって金を受け渡しているんだ……?」
「あ、あの」
店を観察していると、後ろから声をかけられた。
「ん? お、おお、ユイト君? ど、どうした?」
ゆっくり振り向くと、そこにはうつむき加減のユイトがいた。
彼のアバターからはリアルな表情や仕草が見て取れる。
マークスはというと、振り向くのも遅いし頭の角度は常にまっすぐ、まるでマネキン人形のようだ。
それと比べユイトは、生身の人間と見分けがつかないほど熟練されたアバター操作と言える。
「き、奇遇だね。また会った」
さきほどの独り言を聞かれてはいまいかと焦るマークスだが、ユイトに聞かれていたようなそぶりは見られない。
「あ、はい。市場に用があって来たら、姿が見えたんで……」
昨日の今日で気まずい空気が流れる。
「……昨日はすまなかった。あの後、考え直したよ。君の気持ちを考えずに俺の考えを押し付けてしまった。君は俺を助けてくれたのに、ひどい仕打ちをしてしまった。許してほしい」
ギギギっと音が鳴りそうなぎこちない会釈で謝罪するマークス。
「と、とんでもないです。ボクの方こそすみませんでした。失敗するのが怖くて、ボクもマークスさんに八つ当たりしちゃったところもあって……。ボクとマークスさんじゃ、マークスさんの言っている方が正論だって頭ではわかってるんですけど……」
言葉を続ける度に表情が暗く、どんどん俯いていくユイト。
見かねたマークスは話題を切り替えた。
ゴホンッゴホンッと咳払いのあと、マークスは今まで見ていた露店を指さす。
「ユイト君、あれなんだけど、ここでの支払い方法は周りから見えないようにもできるのかい?」
彼の言葉に、ユイトは顔を上げて露店を見た。
「あ、はい。支払い自体は取引画面で金額を決めて決定すれば、自動で引き落とされます。アバターが支払う動作とかしないです。代わりに、取引完了時は見てわかりますよ。取引完了アイコンが一瞬表示されます。ほら、あっちみたいに」
ユイトは隣の露店を指さした。
すぐ横の武器屋ではナイフを購入した客と売った店員の頭上に天秤のアイコンが浮かび金色に輝いて消えた。
その光景は町中の至る所で目にするので、マークスも知っていた。
「じゃあ、あのアイコンが出てないのは取引をしていないってことか……? それか設定でアイコン表示を消せるとか」
マークスの設定で表示を消せるという言葉にユイトは感心した。
昨日よりもベグゲームに詳しくなっている。
「お金を支払って行う取引のアイコンは消せません。不正防止かなあ……でも、プレゼントとかするときの、通貨を使わない取引のアイコン表示は消せるんですよ。通貨を使わないときは、アイコンが金色じゃなくて青く光るだけになりますね」
「へえ、なるほど。じゃあ、あそこの店ではその通貨を使わない取引アイコンを消しているのか。物々交換も受け付けているってことかな」
顎を撫でながら納得顔で頷くマークス。
彼の様子に、ユイトは笑った。
「じつは、あのお店、ジャラシュの店はタダでアイテムを配っているんですよ」
「タダ? ってことは、あの店員はプレイヤーじゃなくてAIとか?」
「ジャラシュはちゃんとした人間が動かしているプレイヤーです。初心者プレイヤーを支援してて、市場ではちょっと有名な人で……って、もしかしたらマークスさんのこともう知ってるかも……」
「え? 俺のことを? どうして? あ、噂をすれば影だ。こっち見て手招きしてるぞ」
2人に気づいたジャラシュが、笑顔で手を振っている。
「ど、どうしよう。ジャラシュさんとあんまり話したことないんですよね……」
「ユイト君はここ長いんだろ? ほかのプレイヤーとの交流みたいなものはなかったのかい? 初心者のうちは俺みたいに誰かに助けてもらったりとか」
「交流というか……そういうのは必要最低限で済ませてきたので、ほとんど会話はないですね。自力でやっちゃいました」
「なるほどねえ。ま、とりあえず行ってみようか。ジャラシュの店」
「は、はい」
精緻なアバター操作で、ユイトは頭をかいたり視線が泳ぐ様を見事にこなしている。
「ユイト君のアバター操作は本当にすごいな。人間と見分けがつかない」
「え? そうですか? ……もう無意識なので自分ではわからないですけど……」
「アバター操作の習得がここへ来た目的ではあるが、俺が満足に動かせるようになるのはいつになることか……そ、ゴホンゴホンッ!」
「?」
それだけの技能だからベグ社に見込まれたんだぞ、と月面プラントでの一件に関して説教をしそうになったマークス。
これはいかんと慌てて咳払いで誤魔化した。




