8.情熱は時に流れて
ログアウト後、マークスはオフィスで仕事をしていた。
オフィスは、ベグに映し出されたVRオフィス。
彼がいるのは自室の書斎兼仕事場だ。
報告書を送信し、一息ついた。
「ふう、思ったよりも難しいもんだ。あのアバター操作ってのは……。操作に対する習熟度の判断基準がまた曖昧だからなあ。……わからんものが相手でモチベも上がらず、だ」
まるでため息交じりの独り言に答えるタイミングで、ベグに着信あり。
コール画面をノックし応答する。
ベグのスピーカーから女性の声が響く。
凛としたハスキーボイス。
「カズ。報告は読んだわ。アバター操作には苦戦しているみたいね。あ、名前はマークスで呼ぶほうがいいかしら」
「ははは、元気そうだねアンナ。今日のベグゲームは終わり、カズで頼むよ。しかし、相変わらず対応が早いね。もう読んだの?」
「どうせ話を聞くわ。それなら資料を読みながらと思ったの。アナタとね」
「合理的だね」
ふむ、と一拍置きカズは言葉を続ける。
「当初の予定通り、ベグゲームで可能な限りアバター操作に慣れておこうと思う。俺が不慣れじゃあ話にならないからね。……アンナ、2つほど確認したいことがあるけどいいかな」
「どうぞ」
「報告書にも書いたけど、月面プラント要員の候補者と会ったよ。彼との接触は避けたほうがいいかな。これからエントリーするかもしれない人間と、関係者である俺が接触すると不公平はないかい?」
「職人希望の彼ね。問題ないわ。月面でのプロジェクトはすでにネット上で公開されているものだし、例え秘匿情報がエントリー希望者へ流されたとしても合否判断には影響しない。すでにほぼデータは揃っているもの。そもそも秘匿情報を漏らすような心配はいらないわ。アナタなら」
「ははは、承知したよ」
「むしろ、彼のアバター操作技能や行動履歴には目を見張るものがある。仮想空間内と言えど、彼のものづくりへの関心と行動は興味深いわ。有益なものがあるんじゃないかしら。彼にではなく、アナタに」
「有益、ねえ。まあ、そうかもね」
「職人に憧れるなんて、若い頃のアナタのようね?」
「はは、よしてくれよ。酒の席でした昔話さ。で、もう1つ、こっちは提案だ」
「提案? アナタから?」
「そう、アバター操作は非常に難しい。カンコツ・官能作業にしても限度がある。あれはまるで、生えてもいない尻尾を動かせって言われている感覚だ。感覚的だから技能習熟の目安がわかりにくい。そこで、明日にでも課題を設定しようと思う。俺自身の習熟を見るために」
「ええ、それは問題ないわ。ワタシへの提案というのは?」
「その課題がクリアできれば、ヘッドハンティングは受ける。クリアできなかった時は、断りたい」
「……確かにまだ契約書にサインは貰っていないわ。アナタのようなミドルプレイヤーは、いまの時代では非常に貴重よ。月の外側は可能性と魅力溢れる新時代の開拓地、そう感じてくれると考えたのだけど」
「夜空を見上げれば、ベグが月のクレーターの底だって見せてくれる。月面も身近さ」
「……わかったわ。納得する課題が見つかったらいつでも連絡して」
「ありがとう」
「アナタをヘッドハンティングしたのは、10年前の挑戦的で熱量溢れる素顔を知っているからよ。冷めたパイもそれはそれで好みだけれど、頬張るには味気ないわ。ワタシにはね」
10年前、ベグ工場の誘致。
共に奮闘した懐かしい記憶を彼女はひと撫でした。
「さすが、アンナ。敵わないね……色々とお見通しで。あ、娘さんは元気?」
「ええ、元気よ。あの子もひと月ほど前からベグゲームを始めたの。アバター操作はこれからの世の中、必須技能になるでしょうし」
「へえ、もしかしたらもう会ってるかもしれないかな? すれ違ったり」
「ベグゲームの世界は広いわ。月とほぼ同じ面積があるから、確率は低いわね。あの子には自由にして欲しいから、どこの町から始めるのかも知らないわ」
「君らしい」
「ワタシはアナタらしさを期待しているわ」
「……君の意見だ、聞いておくよ。それじゃあ、また」
「ええ。かつてのアナタが帰るのを待っているわ」
通話を終え、カズは部屋の中を見渡す。
「ああ言われちゃあねえ。マークス、頑張れるかあ? ……ん」
受信トレイに、ベグゲーム内に行っている間のメッセージが大量にたまっていた。
「報告書を送ってから見ようと思ったのに、アンナのせいで見る間もなかったね」
メッセージを開き、1つ1つ中身を確認していく。
メッセージは彼が管理している工場からの生産状況報告だった。
「はい、今日もAI達は完璧だ。一応報告を見るが、わざわざ俺がいる意味を感じないねえ……。月面でのプロジェクトも、俺だからこそやる必要はあるんだろうか……」
椅子を回転させると、自然と深いため息がでた。
「ふうむ……AIにベグ、これらがあれば、俺じゃなくても誰でも仕事できそうなもんだ。AIが人を模倣したのは昔の話、今や人がAIを模倣している。ベグ工場を日本に誘致したころの情熱、今の俺にはないよなあ……」
マークスはベグゲームでの出来事を思わず反芻する。
思い出されるのはログアウト直前にしてしまったユイトとの諍い。
「いやあ、とは言え……彼にはちょっと言い過ぎた。思えば俺も大人げなかったよな……」
時間が経ち、人と話すことで冷静になった頭。反省の弁がこぼれる。
伸びかけた髭を撫で、ベグ画面内のVRオフィスからログアウトして退社。
ベグの画面は、実際の部屋の映像に切り替わる。
マークスはコーヒーを淹れに席を立った。
「よくよく考えたら、助けてくれた彼に失礼なことをしたよな……。悪いのは俺じゃないか。こういう場合、謝るのは年上だよな……。しかし、ものづくりと来たか……」
ドリップされたコーヒーの香ばしさ。
一口含む。
「濃すぎるな……うん、いや、この苦みは俺の反省の味、かな」




